完璧な三角関係   作:サンダーソード

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第20話

「ふぅ……。あ、はは……まだ始めてもいないのに、プレッシャーすごいや……」

 そう口にする由比ヶ浜の拳は小さく震えていた。

「いろいろ、あたしなりに考えてきたはずなんだけどね。なんか、飛んじゃったよ」

 たははと笑って、お団子をくしくしと弄ぶ。固い笑みが少し青ざめて見えるのは、まちがっても湯冷めなんかじゃないだろう。

「由比ヶ浜さん」

「あ……」

 雪ノ下がそっと由比ヶ浜に寄り添い、その手を握る。

 思わぬ雪ノ下のその行為に、由比ヶ浜は少し目を見開いた。

「いつも私があなたに勇気を貰っているばかりなのだから……。こんな時くらい、返させて」

「……ありがと、ゆきのん」

 由比ヶ浜がその手を握り返す。強ばった笑みが和らぎ、震えも止まったようだ。

「うん……そうだね、最初っから、話そっか」

「ええ……好きなように。それを止める人はいないわ」

 全てが終わるまで、と小さく付け加え。それに苦笑を向ける由比ヶ浜は、一つ深く息を吐いて話し始める。

「最初……最初、かぁ……。あたしたちの本当の最初ってさ。あたしがヒッキーを一方的に知っただけだったんだよね。ゆきのんは車だったし、ヒッキーは……それどころじゃなかったし」

 俺たちの本当の最初。入学式の日。雪ノ下を送るハイヤーに由比ヶ浜の飼い犬が轢かれかけ、代わりに俺がぶつかった時。

 あんときゃただひたすらに痛かったからな。見知らぬ女子のことなんざ気にしている余裕は一切なかった。

「あの時ね……。あたし、ヒッキーがヒーローに見えたんだよ。知らない人の飼ってる犬を、身体を張って助ける男の子。あたしのせいで、とか。ごめんなさいって気持ちもあったんだけど、それといっしょにとってもかっこいい人だと思ったの」

「いや、俺はそんな」

「うん、全然そんなことなかった」

 ちょっとガハマさん? 事実ではあるけどその上げて落とすのはえぐいんと違います?

「直接ごめんなさいとありがとうしようって思ってたんだけど、心の準備とか、今はまだとか、また今度とか、そういう事思ってると中々行けなくって……。一回だけえいやって行けたときはヒッキーいなくて、小町ちゃんにお菓子渡すだけになっちゃったんだよね」

 あの野郎俺宛のお菓子勝手に食った上に俺に対する報告一切無しだったからな。幾ら妹でもさすがにあれはギルティ。

「それでますます行けなくなっちゃって、じゃあ学校に来たらその時こそって心に決めて、でもヒッキーってヒッキーじゃん? ずっと一人でいて、休み時間とか突っ伏して寝てる他のクラスの男の子って話しかけにくくって……。ああ、あたしのせいで学校始まってから友達作る時間なくなっちゃったんだ……って思うと余計にさ……」

「いやまあ俺だし、仮にあの事故なくても友達作れたとは思えねえけどな……」

 確かに当時は新しい高校生活に希望を抱いてもいたのだろう。だから朝早く出かけたりしたんだし。しかし今振り返ってみれば、無事学校まで辿り着けたとてそれで何が出来たかっつー話だ。そこら辺にいる他人に話しかけて帰りがけ遊びに誘無理だわうん。

 それに……。今、振り返ってみれば。この二人とここまで親しくなれた道程に、後悔なんて、あるわけ、ない。

「それあたしには分かんないことだったからさ。ヒッキーもずーっと話しかけるなーって空気出してるし、迷惑かもとか、今更じゃんとか、どんどん話しかけるのが大変になってさ。そうやってる内に一年が終わっちゃって……。それで、二年生になって、同じクラスなれたの。すごい偶然だよね。嬉しかった」

 そう言って、由比ヶ浜はふにゃりと笑う。喜ばしいと噛み締めるその笑顔に、視線も心も引き込まれる。

「それで、今度こそはって。多分、同じクラスになって勢い付いた今じゃないと、またダメになっちゃうって思ったから。そうやって、あたしはあの扉を開いたの」

「そう……。ずっと、抱え込んでいたのね……」

「あたしに勇気がなかったから。だから、そんな自分を変えたくて……」

「……変わったさ。俺なんかで良けりゃ太鼓判押してやる」

「そうね。私も折り紙付けて肯定するわ。あなたのこと、誇りに思う」

 本当に。本当に、こいつは素敵な女の子になった。

 主観で評するなら、世界一の。

「ありがと……。二人にそう言って貰えると、なんだろ……。ほんとに嬉しいっていうか……そう、報われた、って感じする」

 由比ヶ浜が一歩近づき、俺たちを両の腕で抱きしめる。拒絶の選択肢なんざ既に宇宙の彼方だ。

「それでヒッキーいてびっくりしてさ。でも、ヒッキー教室じゃ全然しゃべんなかったのにあそこだとすごく自然で……。思ってたようなヒーローとは全然違ったけど、それで、あたしも、そこにいたくなって……」

 由比ヶ浜の声が震えていく。俺たちの二の腕に押しつけられた由比ヶ浜の目元から濡れた熱が伝わってくる。

 驚きはあった。だがそれ以上に、由比ヶ浜に泣いてほしくなかった。

 由比ヶ浜に抱きしめられながら、おっかなびっくり頭を撫でる。雪ノ下は由比ヶ浜を抱き寄せながら、赤子をあやすように背をぽん、ぽん、と叩いていた。

 少しして、由比ヶ浜の気配が落ち着く。照れくさそうに一歩下がって舌を出す。くっそかわいいなおい。

「それで、奉仕部で三人で過ごす間にさ。……どんどん、二人のことが好きになってくんだ。憧れの女の子はぽんこつで見栄っ張りで意外と弱くて、かっこよくてかわいくて努力家な、やっぱり憧れの女の子だし。気になってた男の子はかっこわるくて無茶苦茶で斜め下のやり方で、優しくてどんな無理でも叶えちゃって自分の傷を気にしない、危なっかしい、あたしのヒーローなの」

「……ゆい、がはま、さん」

「……お前、さっきヒーローじゃなかったって」

「漫画みたいに完璧でかっこいいヒーローじゃないけどさ。……でも、やっぱりヒーローなんだ。あたしのことも。ゆきのんのことも。ちゃんと、助けてくれた」

 落ち着いた由比ヶ浜の瞳が俺の反論を縛る。

「そうなの。どんどん、好きになっていって。ゆきのんもそうだってことが、すごくよく分かるから……。二年生の時ですら苦しいくらいだったのに、ゆきのんの家のことで、あたしたち答え出すの先送りに出来ちゃったよね。だから、そんな不自然なままで固まって、もっともっと近くで、想いだけが大きくなっていったの」

 自覚はあった。二人から浴びせられる、言葉にされない好意。視線から、仕草から、表情から、声音から、行動から。勘違いかも知れない。そんな予防線はいつの間にか遠い彼方。

 大体、この二人と一緒にずっといて、俺の方からだって日々募る想いがないわけないのだ。

「ね、ヒッキー。……ううん。比企谷、八幡くん」

 由比ヶ浜は慈母のような笑顔を浮かべて、俺の目を真っ直ぐ見て、俺の名を呼ぶ。

 その笑顔と視線に、心の臓まで射止められる。

「大好き……。世界で一番、大好きです。あたし、八幡くんのためならなんでもするし、できるよ。好き……好きなの……。頭がどうにかなっちゃいそうなくらい、大好きで……」

 由比ヶ浜の中で感情が暴れているのか。己が身を抱いて、耐えるように熱の篭もった息を吐く。

 つ、と。

 一筋、堪えきれなかった感情が、涙となって彼女の眼窩よりこぼれ落ちる。

 その雫は、どんな宝石よりも美しく見えた。

「比企谷、八幡くん。ずっと……ずっと、好きだったの。あたしと、付き合ってください。あたしの持ってるものは、全部あげます。だから……八幡くんの、愛をください」

 求愛。

 他に表現のしようがない。純度100%の愛の言葉。

 男心は揺れたかって? 何もかもを忘れて、応えたくなる程度にはな。

「……! ひっ、きぃ」

「比企谷くん……」

「ぅあ……」

 名前を呼ばれて初めて気付く。前者の声は腕の中から。後者を見れば滲む視界。

 衝動が身体を動かす、なんてこと。フィクションだけのものだと思っていた。

 愛しさ。

 この大切な人を、悲しませたくないという感情の奔流。荒ぶるそれに言葉が続かない。

 取り繕ってでっち上げた不実な解答が一瞬で木っ端微塵に砕かれる。だが、だが、俺はそれでも……。

「すまん……すまん……由比ヶ浜……すまん……」

「……そ、っか」

 蓄音機のように謝罪を繰り返す俺に、腕の中の由比ヶ浜は一瞬身体を跳ねるように硬直させ、ぐったりと脱力する。耳に届く声音は諦観と失意の色に染まっているのに、彼女は俺の背中を撫でて気遣ってくる。どこまでも、どこまでも由比ヶ浜結衣は優しい。分かっていたのに。

 完膚なきまでに砕かれた解答の破片を拾い集め、ズタボロになった張り子のそれを再び掲げる他、俺にはないのだ。

 目の前の彼女の表情はぼやけて見えない。仕方ないなと、自分の中に痛みを押し込めて笑っているのだろうか。それとも失望の果てに悲しみを浮かべているのだろうか。

 誰よりも傷つけたくない相手を自らの手で傷つけ、悲しんでほしくないのに悲しませて。彼女の強さに甘えておきながら、痛みを一人で耐えようとしてほしくない。なんて酷い自家撞着。

「ヒッキー……泣かないで」

 頬に触れる柔らかな感触。

 突然の驚愕に呼吸と思考と動作が止まる。さしずめ不意に自分の中の歯車を一つ外された絡繰り人形か。

 硬直する俺の涙を、抱き合ったままその親指でそっと拭う。クリアになった視界の中で、彼女は悪戯っぽく微笑んでいた。

 ――その裏に、どれほどの喪失感を抱えているのか、見せようともせずに。

「ファーストキス。……これくらい、いいよね?」

 そう続ける由比ヶ浜の瞳からも、一滴。

 先程とは違う感情によって零れたのだろう涙。

 しかし、それは先程と何も変わらず、何よりも美しかった。

 俺は嗚咽をこぼしながら、腕の中の誰より大切な人を、力の限り抱きしめ続けた。

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