「っっはあああぁぁー……」
事が済んで関係性が定まって、これで終わったんだと思ったらものっそい長大息が出た。
そのままふらふらと倒れ込みそうになり、勉強机に左手を突いて身体を支える。
とさっと小さな音が聞こえてそちらを見れば、絨毯の上に由比ヶ浜がへたり込んでいた。
「由比ヶ浜さん?」
「あ、はは。ヒッキーの溜息でなんか……力抜けちゃった」
「おう……大丈夫か?」
「うん。ヒッキーも?」
「気力が尽きただけだしな。……正直、雪ノ下の実家に乗り込んだときより緊張した気がするわ」
「あたしは……おんなじくらいかなぁ……」
「二人とも精根尽き果てているわね。……紅茶、淹れてくるわ。少し待ってて」
そう言って、一人元気な雪ノ下は部屋を後にする。一人だけ円満な終局図が見えていた仕掛け人だから、余裕もあったのだろう。
「ん、頼むわ」
「ありがとー。あたし今なんかすっごく飲みたい気分」
その言い方だと誤解生むぞ? アルコールじゃないよな? 雪ノ下の紅茶をだよな? なんて、聞かなくても分かる。俺も同じ気分なのだから。
「あー、でも良かったぁ。ヒッキーとゆきのんと、これからもずっと一緒だぁ」
言いながら、由比ヶ浜は絨毯に大の字に倒れ込む。雪ノ下のことだから掃除は欠かしてないだろうし綺麗なんだろうけど。
「由比ヶ浜、地べたに寝っ転がんのはやめとけ。雪ノ下が戻ってきたら怒られ……なんだよ?」
ゆるゆるの笑顔だった由比ヶ浜は、俺の注意の途中でむくりと上体起こしてから物言いたげな目で俺を見る。
「むー……」
「由比ヶ浜?」
「それ!」
「どれだよ」
俺の呼びかけにびしっと人差し指突き付けて指摘する。のはいいけど指示語のみのハイコンテクスト、俺に理解できるわきゃあないでしょう。
「さっきは呼んでくれたのに……」
お団子をくしくしと弄りながら、拗ねたように目を背ける由比ヶ浜。
思い返す。それ、呼んでくれた、さっき。流石にここまで揃えば察するものもあるけど、いや君も今ヒッキーゆきのんって言ってましたよね……?
「結衣……ヶ浜。その、なんだ。そんな、一足飛びにしなくても良くね? って、俺は思ったりなんだりするわけなんですが……」
「今日はそういう日じゃないの?」
「む……」
そう言われてしまうと全くその通りだから返す言葉もないんだけど途中までがんばろうとした俺の努力とか……あらやだちゃんと気付いてるわこの子。
「いやまあそうなんだけど、お前だって」
「八幡くん」
言葉に詰まる。そうやって慈愛を込めてさらりと呼ばれてしまっては、立つ瀬も言い訳もないわけで。
「……結衣」
「なあに、ヒッキー?」
「おま、おい」
「あはは、ごめんね」
ぺろっと舌を出す由比ヶ浜。くっそ、あざといって言ってやりたいのに由比ヶ浜がやると可愛いだけだから困るんだよ。
「うん、ごめんね。でも、あたしにとってヒッキーとゆきのんって呼び方も大切なんだ。誰にもあげない、あたしだけのもの。ふふ、あたしずるいなぁ」
ずるいと自嘲する由比ヶ浜の表情に、自責の陰は見られない。
「……お前、意外と独占欲強いのな」
「そうだよ。知らなかった? だからもうヒッキーとゆきのんは絶対に離さないの」
そう言って、戯れに俺の方に右手を伸ばし、虚空をぐっと掴む。そんな子供っぽい仕草に、きっちり心が掴まれてしまうから俺ってばほんとちょろい。思わず心の臓に手を当ててしまい、鼓動を掌に受ける。
……離さない、か。
「……俺も知らなかったんだけどな、意外と俺も独占欲強いみてーなんだわ。だから、その……」
離さない、と言うなら、俺だってこの二人を手放す気など毛頭ない。
由比ヶ浜と雪ノ下が誰か俺の知らん奴と恋愛して結婚して家庭を作ってって考えようとしたら恋愛の時点で吐き気が襲ってきて挫折した。雪ノ下が言ってた脳が拒絶するってのはこういうことか。
「……災難だな。お前らのこれからの人生、俺如きに歪められ続けるんだ」
「それは、寄り添うって言うんだよ」
思わず目を見開いて、由比ヶ浜の笑顔をまじまじと見つめてしまう。何度目だろう。由比ヶ浜の優しい笑顔と言葉に、自分の欠けた部分を埋めてもらうのは。そしてその度に惚れ直すのは。
「……そか」
「うん。そうだ」
しばしの余韻。それを突き崩すのに、殊更皮肉気な笑みを浮かべてみた。
「……お前に日本語を指摘される日が来るなんてな。明日は雪か?」
「ふっふーん。あたしも受験勉強したからねー。大学は絶対受かってみせるんだから」
「そうね。あれだけ勉強したのだから、落ちたりしたら……」
声のする方を見れば、器用に片手でお盆を保持しながら逆の手で扉を開き戻ってきた雪ノ下。雪の下の残り香に包まれた部屋に、紅茶の香りが混ざっていく。
「あ、おかえりー」
「いや怖い、怖いから。落ちたりしたらなんなの。それと声かけてくれれば扉くらい開けるから。お盆落っことしたら危ないだろ」
学習机にお盆を置いて、未だにそこに佇む俺や絨毯に座り込んだ由比ヶ浜にティーカップを配る。受け取ったカップを傾ければ、舌に踊るは慣れる程に親しんだ味。
配り終えた雪ノ下はベッドに座って、自身も紅茶を傾ける。珍しいな、そういう行儀の悪いことをこいつがするなんて。
「勝手知ったる我が家よ? そんなミスはしないわ。由比ヶ浜さんも、つまらないミスさえしなければ合格出来るくらいには勉強させたもの。それで落ちるようなら……」
「お、落ちるようなら?」
「あなたが浪人生をしている間、私と比企谷くんの二人だけでキャンパスライフを描くことになるけれど?」
「絶対受かる!!」
「そうしなさい。私も三人で学生生活の続きを送りたいわ」
「ニート予備軍のモラトリアム期間延長みたいな話だな」
「そうね、ヒキニートくんからすれば大学進学はそうなるのかしら」
「おいやめろバカ、しっくり来すぎてやばいんだよその呼び方」
「しかも両手には誰もが羨む高嶺の花で、その二輪はあなたしか見えない程にべた惚れ。女の子二人を侍らせて心機一転大学生活、まさに我が世の春ね?」
「何も反論できないけど、それ自分で言うのか……」
「言うわよ。私たち可愛いから。それに、比企谷くんしか見えていないのだから」
「……俺の方も、高嶺の花二輪しか見えてないって事で勘弁してくれ」
「ふふ……。さて、どうしましょうか」
俺たちはそうやってまた、しばらくの間とりとめのない話を楽しんだ。紅茶の香りはいつだって俺たち三人の間を温めてくれていた。