紅茶を飲み干しケトルのお湯も尽きて、人心地。雪ノ下がベッドから立ち上がり、カップを回収してトレイに置く。ふぁ、と由比ヶ浜の可愛らしいあくびが聞こえてきた。
「ん……。そろそろ、時間動かすか?」
それに連鎖してか、俺自身脳の奥の痺れるような眠気を自覚して、雪ノ下に問う。
なんだかんだで死ぬほど疲れた。迎えられた誰の後悔のない結末と相俟って、帰ってからもきっと良く眠れることだろう。
そういや今外は何日の何時なんだろ? 起きてからそこまで時間経ったわけじゃないとは思うけど、と思った辺りで雪ノ下からの返事がないことに気付いた。
「雪ノ下?」
「……そうね。比企谷くん、この時計に電池を填め込めば、この部屋の時間も動き出すわね」
「ん、ああ」
「でも、比企谷くんも由比ヶ浜さんも大分疲れているように見えるわ。眠くないかしら?」
「あ、うん。へへ、ごめんゆきのん。あたしもう一日泊まってっていいかな……? なんか今帰ったら、ほんとは全部夢だったみたいな気分になっちゃうかもだし……」
「勿論よ。あなたを拒む門を私は持っていないし、いつまでだっていてくれて構わないわ。……それで、だけれど。比企谷くん、改めて、私たちの関係って……何かしら?」
「はっ!? えっ? えーっと、それは、まあ……こ、恋人?」
「そうね。全員双方向で完璧な三角関係の恋人同士ね。それで、ここはどこかしら?」
「なに、どしたのお前。自分の部屋忘れちゃった?」
「忘れるはずないでしょう。由比ヶ浜さんじゃないのだし」
「あたしだって自分の部屋忘れないよ!?」
「冗談よ。……そうね、ここは私の部屋よね。もう少し状況にそぐう言い回しをするなら、恋人の、寝室」
「え、おま……」
「……ゆきのん?」
雪ノ下の声に、艶が混じり始める。その表情は、三人で在ることを拒絶していると俺たちが錯覚していた、その実誰よりそれを求めていたときの完璧な微笑。
「今っていつかしら?」
……止めた時間なら、時計を見ればすぐに分かる。
「一月三日、午後十一時五十分、だな」
「……ゆきのんの誕生日の、夜」
ああ。これも由比ヶ浜の言い回しの方が正しいのだろうな。彼女はこういうときいつも答えをまちがわなかった。
雪ノ下に触発されてか、色付いていく由比ヶ浜の声に気を取られていると、手首に触れる柔らかな感触。
「比企谷くん」
「……なん、うぉっ、と!?」
雪ノ下に手首を掴まれたと思ったら、どこをどうやったのかくるりと投げられてベッドに軟着陸させられた。
「恋人の誕生日の夜に、のこのこと寝室までやってくるなんて。無防備もいいところね? 悪い狼に食べられてしまっても知らないわよ?」
「呼んだのお前だろ……」
軽口を叩きながらも、心臓の律動は喧しいことこの上ない。いつも一人で処理するときに幾度も幾度も擦り切れるまで脳内再生した二人の艶姿、勝手に浮かんでこようとするそれを無理矢理押し込める。
「性欲を持て余した若い男女が夜更けに寝室ですることなんて、古今東西一つきりでしょう?」
「ゆきのん……」
熱に浮かされたような表情で近付いてくる由比ヶ浜。それを横目に、覆い被さるように俺の左胸に手を突いて見下ろしてくる雪ノ下と向かい合う。
御簾のように降りる絹の如き黒髪が頬にかかり、雪ノ下に愛撫されているような心地になってしまう。心臓が跳ねる。
「三人で一緒に、寝ましょう」
その言い回しに、一気に肩の力が抜けた。由比ヶ浜からも苦笑のような気配が伝わり、ベッド脇まで来た彼女が、雪ノ下の肩越しに見えるようになった。
「うん、あたしも賛成。すごく気持ちよかったし」
「ああ、そうするか。きっとまた熟睡出来」
「……ああ、ごめんなさい。言葉が足りなかったわ」
俺の語末を切り落とす雪ノ下の表情は変わっていなかった。あの吸い込まれるような完璧な微笑。
「一緒に、寝ましょう」
息を呑む俺たちをそのままに、一拍置いて、続ける。
「今度は、大人のように」
言葉を失う。冗談でもなんでもなく、雪ノ下は俺たちを求めていた。
「私たちはもう、思いの通じ合った恋人同士なのだから」
「ゆき……のん……」
雪ノ下の言葉の意味を、衝撃を、願望を、俺が咀嚼して飲み下している間に、一足先に由比ヶ浜が再起動したようで、俺に覆い被さる雪ノ下をそっと押す。
「……つめて」
「ええ。勿論よ」
俺を乗り越えて、正中線を境に左半分を占有する雪ノ下と、軽くスプリングを軋ませて、ベッドに乗り込み右半分を新たに独占する由比ヶ浜。
「……ヒッキー」
「……なんだ」
腿に脚を絡めて、胸に腕を突き、雪ノ下と並んで見下ろしてくる由比ヶ浜。顔は真っ赤で、触れる掌も熱いけど。その声は揺れていなかった
「今日は、そういう日、だよね」
一足飛びに距離を縮めるための日。先程の雑談で指摘された言葉そのままに。
「あたしは……いいよ」
誘うように。迎えるように。由比ヶ浜の指先が、俺の胸にのの字を描く。
「……八幡くん、の。好きに、して?」
「っ!」
「あっ」
「きゃっ」
衝動的に二人を抱き寄せていた。二人の胸が、俺の胸板に当たって柔らかく歪む。
「……強引ね」
「あは……。あたしたち、どうされちゃうのかなぁ?」
「……雪乃。結衣」
『……はい』
最後の一歩は、俺から。
「しよう。三人で」
二人からの返事は、満面の笑顔と両頬への口付け。
天上の快楽がこの世に存在することを、俺は知った。