スゥスゥと寝息を立てる茉莉の手を握り、千空は小さく息を吐き出した。
茉莉が怪我を負ってから早一週間、肩の傷口は縫合し今のところ順調に治りつつある。だが抗生物質を切らしてしまえば化膿するかもしれず、千空はそれらを作る手を止めることはない。無論それは茉莉だけでなく、この先他の誰かが使う可能性もあるのだから多めに作り保管しておいても問題ないだろう。
「──っ」
傷の痛みからかそれとも従来の本質のせいか、彼女は時折魘される。静かに寝ている事もあるのだが、眉間に皺を寄せ、得体の知れない何かに怯えた素振りを見せることも多い。
小さな唇からこぼれ出す言葉の大半は謝罪であり、その中に千空の名前が紛れ込む事もあった。きっと何に対して謝っているのかと目覚めた茉莉に問うたとて、それに答えてくれる事はないだろう。
「……オメェは何考えてんだよ。何もしねぇで、いいんだっつの」
此処に連れてきてしまったのは誰でもない千空で、こうなってしまった原因の一部を担っているのも自分なのだと千空は思考する。
だがこうなる事はないと、思っていたのだ。
なにせ千空の知る茉莉は誰よりも用心深く、怖がりで。誰かを庇うなんて出来やしないと思っていたし、思っても恐怖で身体が動かなくなるタイプの人間なはずだったのだから。
故に今回の茉莉の行動は想定外であり、目の前で起こってしまった現実に脳がうまく働かなくなる。
通常であれば船員にもっと的確な指示を出せただろう。特殊部隊にだってクロムだけに任せず、自分もこちら側でもっとできるだけの事はしていたはず。
しかし"こう"なってしまえば、目の前で苦しそうに横たわる茉莉を見てしまえば思考は明後日の方向を向いてしまうのだ。
あの時自分がもっと危機感を持っていれば、ルーナを船内に誘い込まなければ。こんな事態に陥らなかったはずだと。全ては自分の判断ミスが起こした結果なのだと思わずにいられない。
「──茉莉」
過去を悔いたところでなにも変わらないと知っているのに、なぜ彼女がこんな怪我を負わなければならなかったのだろうと。守りたいと思ったから連れてきたのにと、後悔は尽きない。
「──千空!俺はそろそろ行くぞ!」
「っ、あ"ぁ。頼む」
「任せておけ!」
後悔に苛まれる千空に声をかけたのば大樹だった。
カセキの手により作られたドリルを特殊部隊へと届ける任務を任せられた大樹であったが、本音を言えば此処を離れるのは些か心配であった。何せあの千空が此処まで弱りきっている姿を今まで見たことがなかったのだ。司と対峙し一人別れる時ですら毅然に振る舞っていたというのに、今此処にいるのは科学王国の要である勝ち気な石神千空ではなく、ただ幼馴染を心配する一人の男でしかない。今までにみたこともないその後ろ姿に、心配するなというほうが無理な話である。
「……茉莉のように"大丈夫"だと言えれば良かったんだが」
「そうは、いかないよね」
「あぁ」
大樹は杠へ千空と茉莉を頼むと頭を下げると、早速ラボカーに乗り込みクロム達の元へと向かった。
それを見送った杠もまた、千空と茉莉の二人の姿をその瞳に映し小さく息を吐いた。
3700年前は視線が交わることがなかった"幼馴染であった"二人は、今だからこそ手を取り並んで此処まできた。あの頃の不仲なんて感じる事はなく、以前を知らない人間からしてみれば仲睦まじい信頼関係が出来上がった二人にしか思えないだろう。
杠はあの二人の過去に何があったか知らないし、今の二人が幸せであったのなら知ろうとも思ってやしない。
ただ我儘が言えるのであれば、これから先も仲の良い二人でいて欲しい。
前のように言いたい事も言えず視線も合わせず、互いにそっぽを向く状態には戻ってほしくない。
なにせ杠は並んで笑い合ってる二人が好きなのだから。
「千空くん、代わるよ!少し休んで!」
「──」
「茉莉ちゃんが目を覚ました時、千空くんがそんな顔だったら茉莉ちゃん怒ると思うよ?ちゃんと寝てね!」
「……あ''ぁ、そうだといいんだがな」
「そうに決まってるでしょ!」
杠は暇さえあれば茉莉のそばを出来るだけ離れようとしない千空を病室から連れ出すと、外で待ち構えていたニッキーに千空を任せた。何せこの男、寝る時間を取る必要など無いと言わんばかりに仕事をしまくるのだ。
そうでもしてなければ嫌ことを考えてしまうのだろうと理解はできるが、日に日にくっきりしてくる隈にみんなが心配をしている。いくら状況が悪くとも、千空がこれだと現場の士気も下がるし、出来るだけ元気な姿を保ってもらわなければ。
無理矢理にでも寝床へ連行される千空の背を身を見送り、杠は寝ている茉莉の包帯を解き体を拭く。いまだにグロテスクな色をしている胸部を見る度にどうしてと思ってしまうが、茉莉だから出来たのだろうとも納得もできてしまう。
杠は茉莉がじっとルーナを見つめていたのを知っている。監視というほど厳しい視線ではなかったが、少なくとも危険性を感じていたのだと今ならばわかる。それを今さら千空に伝えたところで、ルーナを取り巻く環境が悪くなる可能性を考えればいう必要はないだろう。
何せルーナはこの船にいる唯一の医者でもある。どんな心変わりがあったが知らないが、献身的に茉莉を看病している姿を見ていれば悪い人ではないのではと杠は考えていたのである。
そしてそのルーナもまた、自分の立場がこれ以上悪くならない様にと願っていた。あからさまな態度を取られる事はないが、内心ルーナを危険視している人間が少なくはないと嫌でも感じてしまう。ニッキーをはじめとした武力チームの視線は鋭く、医者の卵でなければ茉莉に近づくのも良しとされなかっただろう。むしろことの原因として監禁されていてもおかしくない。
そうされないのは無論医者としての知識があるからであり、銃撃を受けた茉莉自身が彼女を責めなかったからである。
時折目覚める茉莉から恨み言が出る事はなく、弱音が吐かれる事もない。言葉の壁があり意思疎通ができないが茉莉自身がルーナを気遣っている様子もみてとれ、フランソワがそんな状況を船員に伝えていた事も関係しているのだろう。
ニッキー達も茉莉が誰も悪くないというのならばと、納得はしていないが必要以上に警戒心を煽る事もしなかった。
「ねぇ、フランソワ。この子、どうして私たちを恨まないの?下手すれば死んでいたかもしれないのに……」
「茉莉さまは誰かを恨むより、一心に誰かを、何かを信じられるお方ですから。きっとルーナ様を恨む事も、その決断をしたそちら側を恨む事もないでしょう。でなければあんな事を私達に頼む事はないはずです」
「そうかも、しれないけれど……」
いっそのこと恨んでくれた方が楽なのに。
ルーナは"できる女"になりたかった。でも実際できる事は少なすぎて。
目の前に横たわる茉莉の様に誰かを命懸けで守る事も出来るとは思えない。むしろそんな状況になった時きっと足がすくむ。
できる女になりたくて流されてきた自分と、誰かを助けることができた少女。
ルーナから見た茉莉は、憧れそのものだった。
「私、この子と、茉莉と友達になれるかしら?」
「えぇ。とても良い友人になれると思いますよ」
茉莉は誰かを拒絶しない。
この先もきっと、茉莉は"この世界の人間"を拒絶する事はない。
フランソワもルーナも、大樹も杠も千空も。誰一人として知り得る事はないが、茉莉がこの先それこそ死に逝くその先まで、誰かを拒絶する事はないだろう。
人間として嫌いになる事はあるかもしれないが、自分以上にこの世界に不必要なモノはないと思っている故に、この世界の住人を拒絶する事はないのだから。
「──今度目が覚めたら、お友達になってて、私言うわ」
だってすごく憧れちゃうんだもの。
そういったルーナの顔は場に似合わず、とても朗らかであった。
余談。この世界線のルーナはパイセンと付き合わないよ!付き合えないよ!