「……帰ってくるかな、茉莉ちゃん」
「さぁ、どうだろうな」
「何でそんなに他人事なの? もうちょっと気にしてよ〜、本当は誰より心配してるくせに」
海底ケーブルが世界中に巡らせられ、ラグがあるものの今では面と向かって対話できるようになったのはついひと月ほど前である。初めてのオンライン会議では多くの人がそれを一目見ようと集まったが、千空が無事を確かめたい人物の姿はなかった。その後数回行われた会議にも現れる事はなく、北米に残してきたメンバーを帰国させることとなった今でも千空が知る茉莉に関しての情報はたいして変わっていない。
右腕の欠落。
五体不満足で石化を解いた弊害は多く、稚拙な行いもあったと聞く。それを聞いた時には腑が煮え返る思いでもあったが手の届く範囲に茉莉はいないのだと歯を食いしばり、日本で耐えるしかなかった。無論それは千空だけではなくゲンを始めた初期復活メンバーや石神村の住人も同じで、ゼノに至ってはこれだから愚者を起こすべきではなかったのだとイラつきを隠せていなかった。
日本へ帰還できるようになった時でさえ、ブロディから連絡が来なければ茉莉は帰ってこなかっただろう。拘束していいかとブロディに問われた時にゼノは肝を冷やしたが、ニッキー達からの要請だと知ると千空が躊躇う事なく頷き許可を出す。そんな事をしないといけないくらい日本に帰りたくない心情とは如何にと、ゼノの茉莉に対して疑問に思う事は増えていく。
思い返せば茉莉に対して疑惑を抱いたのは日本に着いた頃からだろう。いくら千空が科学の力とその知識で文明を発展させてきたとして、体力のない彼が人々の生活を支えるほどの行動が取れたのかと。多分一人では無理だったはず。自分にスタンリーがいたように他の誰かが──。
「茉莉なんだよ?」
ゼノがそう悩んでいた時、親切にも答えを教えてくれたのはスイカだった。
「茉莉はすごいんだよ! 千空より早く目覚めて一人で暮らしてて! だからスイカも一人で頑張れたんだよ! それでね……」
嬉しそうに、自慢するようにスイカから語られる茉莉の功績はゼノを喜ばせるには充分であった。
科学チートの千空の隣にサバイバルチートの茉莉がいたとは、実にエレガントだ! だがしかし──。
この違和感の正体は?
別にサバイバルを得意とした人間がいたとしてもおかしくはない。だが石化した時は十五、六の子供だったはず。それが文明が消えた世界で生活できるほどの実力を持っていたとでも?
仮のそれがスタンリーや羽京といった大人で、軍人。そういった分野を学んでいたならともかく、一から生活基盤を整え狩りをし、土器を生み出して。科学製品を全く使わない事を前提としたサバイバル知識を学ぶ意味とは。
どんな状況に陥ったとしても、ホワイマンが現れなければ趣味というには偏った使えない知識でしかなかったはずだ。だというのに何を思いそれを極めていったのか気になるところでもある。
「ふ、僕も早く茉莉に会ってみたいものだね。きっとスタンリーのような男なのだろう?」
「……茉莉は女の子なんだよ?」
「──ん?」
女の子。スイカは確かにそういった。
ゼノの聞き間違いでなければ茉莉は女の子。女の子が一から文明を? いや、性別で判断してはいけない。でも女の子? その女の子が、腕を無くして──。
ゼノのSAN値は直葬された。
腐ってもアメリカ出身のゼノの事だ。性別へ偏見はなくともあまり態度に出なくとも、女子供には優しくするものだと嫌でも刻み込まれている。だというのに茉莉は千空の幼馴染で功績者で、千空を庇って撃たれて今度は世界のために右手も犠牲にした。そしてそれを知らぬ愚者が邪な事を……?
どう考えてもよろしくない。よくそんな状況で千空は正気を保っていられるものだと感心し、ふと哀愁を帯びた彼の表情を思い出す。
事実を知った上で考えてみれば、正気なわけがなかった。ゼノが見えてた世界は、ぐにゃりと歪んだのである。
ゼノが思いがけない事実を知った一方で、千空はただその船が錨を下ろすのを眺めていた。
あと少し、あと少しで会えると高ぶる気持ちがあるのも確かだ。
「大樹くん! 千空くん!」
「杠ー!!」
仲良く手を繋いで喜びを分かち合う幼馴染達を眺め、次に降りてくる人物に視線を向け。何度も何度も喜びに溢れている仲間を見送り、最後の一人となっても彼女は降りてくる事はなかった。
「千空! ごめんなさい、茉莉、見つからなくて」
「あ"ー、あとで探しにいくわ」
ルーナによれば船に乗っていたのは確かで、話を聞くに体調も壊していたとなれば船を飛び降りて逃走、なんてことはしていないだろう。
十中八九ストレス由来の体調不良だと察して、千空はひとまずその場から背を向けた。
「おい、探しに行かなくいいのか?」
「あ"? あー、あんたは確かブロディ、だったか? アイツの状況考えたら今じゃねぇ方がいいんだよ」
「──ワケは」
「出てこねぇってことは人目につきたくねェんだろ。ならこっちが合わせてやるしかねェ」
ブロディは少なくとも茉莉の思考を理解しているつもりでもいた。体調不良の原因も、アメリカにいた時のあの危うさも。ゆえに千空と対面し、茉莉がソレに似ている人間を信用しているならば預けるべきだとは思ってはいた。だがしかし、千空のその反応は正直いって想定外であった。
「──ホントに、白菜みたいな頭しやがって」
「──んだと?」
「なんでもねぇ」
茉莉が異様に執着している白菜のぬいぐるみの原形はコイツなのだろうとブロディは思い至り。大切に、というよりかは縋っているにちかいその行動。ストレスが溜まりすぎた結果そういった行動を取る者がいる事を、軍人であったブロディは既に知っている。
故に目の前にいる人物が彼女に会いに行けば何かが変わるのだろうとは思っていた。だかその人物は迎えにいく気はないらしい。
お子様科学チームのリーダーとして茉莉が一方的に慕っていただけかと残念に思いつつ、千空に対して少しばかり失望したのも事実だ。
しかしながら状況は移り変わる。
日が暮れ月が輝き始めると、千空はブロディを呼び出し船の船内図を求めた。そして人一人分程のスペースが残されている場所はどこかと、ブロディに尋ねたのである。
「茉莉のこった、そこに隠れてんだろ」
「……ほっとくんじゃなかったのか?」
「あ"? あいつに合わせるっつったろ。聞いてなかったのか?」
千空曰く、人目につかない時間帯であれば場合により連れ出すことも可能。だから夜まで待ったのだと。
「なら先に言え。──案内してやる」
「おありがてぇこってぇ」
きちんと考えられた行動だと分かれば、千空に対しての考えをまた改められた。
ブロディは船へ千空を案内し、わずかな光を頼りに彼女が隠れていそうな場所を虱潰しに探していく。カツカツと靴の音だけが船内に響き、人の気配を感じる事はない。
残すところあと少しとなり、足を運んだのは倉庫の一角。ぼんやりとした光は、そこにうずくまる茉莉に向けられた。
ここからは俺の役割じゃねぇな。
ブロディは足を止め、千空だけを先に進ませる。柱に身を預け、ことの成り行きを見守った。
「茉莉」
びくりと茉莉の肩が跳ねたが、千空の呼びかけに応える事はない。
千空は一歩一歩近づき、伸ばした手は彼女の髪に触れる。
「茉莉。よく、頑張った」
千空の声は、確かに彼女へと届いた。
くしゃくしゃと頭を撫でゆっくりと膝をつきか細く震えたその体を抱きしめてみれば、最後に会った時よりもやつれている事がいやでもわかる。こんな体でよく倒れなかったと、ひとまわり小さくなった体にまた力を込めた。
「ビビリのくせに、よくやった。俺たちがこうしていられんのは、茉莉、百億パーセントテメェの頑張りのお陰だ」
ぽんぽんと背中を撫で、小さく聞こえ始めた嗚咽に安堵する。
以前のように泣けなくなったわけじゃない。ただコイツは泣く事ができなかったのだろう。ならば自分ができる事は存分に泣かせてやる事だけ。
そう思い千空は茉莉の名を優しく呼んで、もう一度よくやったと褒めた。
「手、痛かったろ。怖がりなくせに、頑張りやがって。あとで義手でも何でもつくってやっから」
「──ッ、め、どう、じゃ」
「あ"?」
「めん、どー、じゃッ、ないっ──?」
鼻を啜りながらも茉莉はそれが負担ではないかと千空に問う。彼女からしてみればさらに作業を増やす事になり、そんなことしていいのかと不安でもあったのだ。
「こちとら人類全員起こす気でいんだぞ? その中に必要なやつもいんだろ、テメェがプロトタイプになりゃいい」
「ッやく、たて!」
「立てる立てる。帰ってきただけでちょーぜつお役に立ってるわ」
「ッ──ふぇ」
「おー、泣いとけ泣いとけ。痛ぇのも怖ぇのももう無理すんな。何とかしてやっから」
千空は茉莉が耐えていた声を漏らしたところで、もう一度髪を撫で涙を拭う。長年の勘だけでなく、メンタリストであるゲンの助言もあり茉莉を褒めた千空であったがそれは正しかった。自尊心などとうの昔に枯れ果てた茉莉に必要だったのは同情でも否定でもなければ、ただの肯定。
一言、頑張ったとさえ言ってもらえればそこまで自身をへりくだることはなかったかもしれない。しかし実情では殆どのものが茉莉を憐れみ、人によっては妬んだ。その積み重ねで己の行動を後悔していなくとも、間違ったのだと『否定』されたのだと深く思い込む結果となったわけである。
グズグズと堰を切ったように泣き出す茉莉と、それを当たり前に受け止める千空に対してブロディは驚きを隠せなかった。何せ茉莉は目覚めたあの日から、いや、腕を断ち切られたあとでさえ泣き言一つ言わずにここまできたのだ。いくら泣いてくれた方がマシだと思ったところで、茉莉は笑うだけ。何を考えているか変わらない瞳のまま、表情を作るだけ。
だというのに目の前にいる茉莉は子供のように泣きじゃくる。目の前にいるのが別人と言われた方がまだ信じられた。
千空に対してもまた、杠達に聞いていたよりも人間味があるように思えた。合理的主義の科学大好きっ子。恋愛なんかに興味はなく、それが最善策ならば結婚も離婚もするそんな男。
そんな男があんな暖かな顔で対応できるものなのかと。
いまだに役たたずだのゴミクズだの、一体誰に吹き込まれたかわからないが自分を卑下してやまない茉莉の言葉を聞き、千空はその度にそれを否定する。そんな事はないと、役に立っている。そしてそれはこれからも変わらないと。
茉莉が一呼吸おき、痛い、怖かったとようやく自身の気持ちを吐き出した時には思わず視界が歪んだ。
そりゃあ痛いに決まってるし、怖かったに違いない。言葉に、態度に出さないのはこちらを気遣っていたからか。そう思えば思うほど自分達が彼女の支えになれなかったのかと悔いが残る。
目の前の男の存在は、茉莉にとってどれほど重要だったのかまざまざと見せつけれた。
鼻を啜りヒグヒグと呼吸を荒げて泣いていた茉莉は徐々に落ち着き、パタリとその行動をやめる。どうやら今までの睡眠不足も合わさってか、泣き疲れて寝落ちしたらしい。ならばこんなところよりも陸へおろし、ベッドに寝かせるかと近づけば千空から静止の声が上がった。
「毛布、あっか?」
「──あるっちゃあるが、降ろさねぇのか?」
「ヒョロガリに抱えられるとでも思ってんのか? 無理に決まってんだろ」
耳を掻く千空にそれでいいのかと呆れつつ、降ろす気がないのならと毛布を取りに別室へ。
そして戻ってみれば茉莉とともに横になっているその男の姿に、思わず頭が痛くなった。
「……なんでオメーも寝てんだよ」
「コイツをほっとくわけにいかねェだろ?」
毛布を受け取るや否や茉莉にそれを掛け、時折りうなる彼女の背中を撫でる。その行動と表情を間近で見てしまったブロディは思わず言葉を漏らした。
「──オメーもただの男だったわけか」
「あ"?」
「大切ならちゃんとしまい込んどけ。じゃねぇと傷つくのはソイツだぞ」
「んなこと、わかってる」
これ以上喋るなというように千空がブロディに背を向け、ブロディもまた二人に背を向け船から降りる。千空が茉莉に何かするとは思わないが、少なくともバカをやった奴等みたいに手を出す事はないだろう。
「ったく、世話がかかる」
茉莉も千空も。未だどちらも行動が読めない。
しかしながら少なくともあの二人は互いになくてはならない存在なのだろう。
その晩、数年間茉莉の世話をしてきたブロディが親心で羽京らに二人の関係を聞き、そんなものではなかったと知らされると頭を抱えたものだ。あれでどうしてそういった関係でないのだと。羽京はうなるブロディを眺め、満足げに酒を煽った。
けれどもブロディが何気なく放った一言が、合理的科学者が長年押し込みしまいこんでいた恋愛脳を刺激したのは確かな事である。
茉莉ちゃんのストレス加減を調べていると,履歴が鬱病関連で埋もれます。
茉莉ちゃんの症状一覧
不眠・食欲不振・マイナス思考・若干の幼児退行(ぬいぐるみ・依存・褒められたい)・微笑み鬱・自尊心の低下。
な感じですかね、へけ。