初手をミスった。
メンタリスト、あさぎりゲンは頭を抱えて自身の行動を呪った。
分かっていたことだったのだ、茉莉が誰も責めず恨まず、自身の腕を無くしてもそれを自責とするなんて。だからこそそれを支える行動を取らなければならなかったというのに。
千空に彼女を褒めてあげてほしいと言ったまでは良かったはずなのに、実際に己が茉莉と対面してしまえば動揺し、それから目を逸らしまったのは過ちでしかないのだろう。
最後にみた彼女の姿よりだいぶ痩せて細くなった身体に、生気の感じない瞳。本来ならある場所にそれがない故にはためく衣類。
コハクが手を伸ばし掴み取れなかった姿を直視して、その光景から僅かに目を逸らした。
ただそれだけだった。
時間にして数秒もなかったというのに茉莉はゲンの行動を把握し、次に視線を向けたときには相変わらずの笑顔を向けていた。瞳に何の感情も抱かない、その笑顔を。
間違った、背けてはいけなかったのに。
彼女が石化から復活を果たし、アメリカでどんなことが起こったかは聞き及んでいる。それ故に彼女を責めたり必要以上に特別扱いをするのはやめておこう。そう決めていたというのに、一瞬の戸惑いで茉莉との溝は深まってしまったのだ。
本来であれば、彼女が帰国してすぐにでもメンタリストとして仕事を果たすべきだったのかもしれない。けれどそれをしなかったのは彼女が船からすぐ降りてこなかったことと、千空自身が自分が面倒を見ると言い切ったせいでもある。ルーナや杠達から聞いた情報と、ブロディがわざわざ知らせてくれた彼女の行動の違和感から察するに茉莉は鬱状態であってもおかしくはない。
それ故にプロジェクトの一任者である千空自ら世話をするのはと、一度はその案を却下した。しかし千空はそれを聞かずに勝手に彼女を連れて帰ってしまい、結果ゲンが茉莉に会うまでにひと月近くかかってしまったのである。
そしてその時の対応を誤ってしまったせいか、茉莉は何度顔を合わせても大丈夫としか言わなくなってしまったのだ。
大丈夫、平気、問題ない。コーン街メンバーが嫌というほど聞かされていた言葉の羅列。何を聞いても彼女から得られる答えはそれだけで。
まさか面倒を見ている千空にさえそんな対応なのかと聞いてみたところ、打って変わってきちんとした会話ができているらしく安心はした。
多くの場合、鬱病の患者の世話をする人に負担がいくことがあり、やはり千空一人に任せるのはとゲンは何度も声は上げたが聞き入れられることもなく。むしろそっとしておいてくれと、彼女の方から近づかない限りそばに来るなとも言われてしまえばどうすることもできなかった。
それ故に、茉莉を連れて石神村へ行ってほしいと頼まれたときはようやく頼ってくれる気になったのかと喜んだものである。例えそれが、ただの運転手の役割だとしても。
「茉莉ちゃーん、おひさー♩」
「久々だね」
明るく挨拶を交わしたところで茉莉の瞳はゲンに対して警戒の色を宿し、どうしてこうなったと悔しくもなる。少なくともアメリカに着く前まではこんなに警戒なんてされていなかった。軽い冗談も言い合えた仲だったはず。
なのにこの仕打ちとは、如何なものか。
ま、俺が対処間違ったせいなんだけど。
訳はわかっていたが、悲しくないわけではない。
村までは車で二時間程度の距離で、道中できるだけ明るい話題を降って気分を紛らわすことに徹したのだが、やはりというべきか茉莉から返ってくる言葉のレパートリーは少なかった。もう少し打ち解けてくれればなんて思ったものの、もう一度関係を再構築するまでにどれほどの時間がかかるかは正直言って考えたくもない。少なくとも今まで築き上げてきた関係性は、あの時一度終止符が打たれてしまっている。ゼロからのスタートよりもマイナスからの関係修繕は難題でしかなく、ほんの少しの努力じゃ茉莉に響くことはないだろう。
石神村に行ったところで茉莉が態度を改めるとは考えていなかったゲンであったが、ここで予想外のことが起こったのだ。
なんだ、笑えるんじゃん。茉莉ちゃん。
あるみとその他の老人達に囲まれて、あんなに隠そうとしていた腕まで露わにした茉莉はとても朗らかに笑った。
その笑顔を見るのは何年ぶりだろう。石化前ならばよく見れた笑顔なのに。そう後悔したところで過去の過ちを正せるわけでは無い。
ただあるみ達のお陰で今後の方針は決まったようなものである。これ以上彼女を憐んではいけない、それを周囲に徹底しなければならない。
なぜなら彼女は、己の行動を褒められて嬉しそうに笑ったのだがら。
茉莉ちゃんからしてみれば腕を無くしたことを憐れむより、その結果得た"今"に感謝して欲しかったんだろなぁ。
今更になってそんなことに気づくとは、メンタリストとしての力と思考が足りなていなかったとゲンは小さくため息を吐き出す。
思い返せば茉莉はいつだって誰かのために行動していたのだ。そしてそれが偶々腕を無くすという結果に至っただけで、やってる事は以前と変わらない。だというのに茉莉の行動を責め勝手に憐れみ、彼女からその"行動"を奪い続けた。
大丈夫、平気、問題ない。
これは茉莉に対して、周りが言ってきたことじゃ無いか。
茉莉は何もしなくて大丈夫と。
茉莉は何もしなくても平気と。
茉莉は何もしなくても問題ないと。
繰り返してきたのは自分達だったというのに、距離をおいたのは自分達だったのに。
彼女が離れて行ったのだと勘違いをおかして、さらにどう接して良いか分からず距離を置く。負の堂々巡りの結果、彼女が心を閉ざしたのは当たり前でしかない。
「──ッ」
村の子供達と遊ぶ茉莉は、ゲン達に向ける表情とは異なる笑顔を見せつける。
自分を必要とし共に生きようとしてくれるのであればそれでいい、そう言っているかのようであった。
だからもし茉莉がここに住むと決めたのならば応援はしようとは思えてくるもので、その気持ちを正直に彼女へとゲンは伝えたのである。変に隠せばまた、冷たい笑顔を向けられるのは分かりきっている。それ故にちゃんと心配なのだと言葉に伝えてみれば、彼女がはきちんとそれに返事を返してくれたのだ。
大丈夫、平気、問題ない以外の言葉を。
「……ゲン君はさ、私がセンクウのそばにいる事に不満じゃないの?」
正直邪魔でしょ、そう凪いだ瞳で彼女はいった。
そんなこと思ったこと一度もなかったが、もしかしたらそう言った誰かが居たのかもと思えば、腑が沸かえる。誰がそんなことを言ったのだと問いただせばそんな人はいないとにへらと笑いながら否定されたが、それを信じられるわけもない。何せアメリカでは笑えない、冗談ですまない行動をとったもの者もいたのだから。
復活者全員が善人なはずもなく、不平不満を漏らすものもいるだろう。そしてその対象に勝手に茉莉を"弱者"と決めつけ、選んでそう吹き込むのは容易いことにちがいない。
「言われてないって本当に。でも、そう思うのは普通でしょ?」
今までの彼女を働きを知っていれば、みていればそんなことを思う人間は居ないはず。何せ茉莉のおかげで今があるのだと、初期復活メンバーは知っているのだから。ならばそう思うように吹き込んだのは後期復活者に違いないと早合点して──。
「本当にみんなの邪魔してたら言ってね。ただでさえ迷惑かけてるのは分かってるからさ、これ以上は我儘いいたくないから」
あまりにも綺麗に笑いながらそんなことを告げた茉莉を見て、いもしない他者のせいだとゲンは決めつけてしまったのだ。
もしこの問いをかけられたのがゲンではなく千空であったのなら、自尊心がないに等しい茉莉自身の思考故の言葉だと気付いただろう。何せ、毎日一度はそのような問いかけをしてくる彼女を知っていたから。
だがゲンは知らない。知る由もなかった。
茉莉の精神がすでに一度壊れていることも、千空が修復していることも何もかも、ゲンは知っているようで知らなかった。
責任が誰にあると言われれば、ゲンに彼女の状況をきちんと伝えておかなった千空にも責任はあるのだろう。
彼女を取り巻く環境が変わったことによるストレスで退行症状がででいると一言でも伝えておけば、その不安は自尊心の欠如からきているものだと瞬時に理解できたものだろう。しかしゲンは茉莉のそんな内情など知らず、アメリカで起こってしまったことの偏見もあり、誰かの入れ知恵だと誤認してしまったのである。
悲しくも小さなすれ違いではあったが、疑惑を埋めつけるのには十分すぎるすれ違いとなってしまったのである。
「ねぇ、羽京ちゃん。少し聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
「……茉莉ちゃんのこと、悪く言ってる人っていないよね?」
「──何があったが聞かせてもらってもいいかな」
ゲンはただ、茉莉の面倒を一人で見ると言って聞かない千空も心配だった。彼らが幼馴染であることを知ってる人間からしてみればともに住んでいいても、まぁ、そうなるか。としか思わない状況でも勘潜る人がいることもある。特に科学チームトップに君臨する千空のゴシップネタであれば、囁かれるだけで済まされるわけもない。それ故に早急に対処するべきだと羽京に協力を求めてしまったのも間違いだったのだろう。
羽京もまた彼の判断で茉莉を起こしてしまったことに負い目を感じており、人一倍茉莉の行動には気を遣っていた人物でもある。
仮に起こすのであれば、石化したまま日本に連れてきてからでも良かったのではないかと考えたことは一度や二度ではなく、そんな思いもありゲンの話にあまり疑いを持たなかったのも二つ目の誤算。
「少なくとも、酷い話は出てないけど──」
「でてはあるんだねぇ、うわさ」
人間の心など不完全なもので、ゲンの疑惑と合致してしまう案件もチラホラあるのも事実だった。大抵のものは千空のそばにいる女は誰だ、恋人かと二人の関係を気にするものが多いが、『何』をしているのだと気にする声もありはする。今はまだ可愛い噂話にすんでいるとしても、そのうちそれが不平不満に繋がる可能性はないとは言えない。
決定的な事柄はなかったが少なくともそれが茉莉があんなことを言った原因ではないかとゲンと思い込んでしまうし、勘違いは広がるだけだった。
ゲンと羽京、だけで済めば良かったもののその話はまっすぐそのまま彼女を案ずるもの達に広がりをみせ、千空は頭を悩ませることとなったのは予測不可能な出来事であったのである。
「──はぁ、テメェ等が茉莉センセェを大好きなのはよぉく分かった。だかンな心配しなくていい」
「だか千空‼︎」
「あのなぁ、少なくともあの家に住んでる限り危害は加えられねェだろうよ。どんだけ周りに知り合いいると思ってんだバカ。もし仮にンな事しようとする輩がいたとして、アイツら茉莉をほっとくたまか?」
「まぁ、ほっとかないだろうねみんな。でも、千空は心配じゃないの?」
千空と茉莉の拠点となっているそこはほぼ街のど真ん中に位置しており、それを囲むように友人知人の家が建てられてある。それ故に視線を気にする茉莉のために早々にカーテンがつけられ、彼女の平穏は守られていると言っていい。
もし仮に茉莉を傷つけようとするものがいたとして、わざわざ主要メンバーの目を盗んでまで近づこうとするバカは果たしているのだろうか。いくら昼間は人気がないと言っても誰もいないわけではないのだ。そんな中で彼女に危害を与えればあっという間に、捕縛されるのが目に見えている。だというのに行動に移す人間がいるとすれば、それは相当の阿呆でしかない。
「心配云々じゃねェよ。疑うなとは言わねェが疑心暗鬼になって行動できない方が困ンだろうが。ちったぁ周りを信用してやれ。それに茉莉が何も言われてねェつってんなら言われてねェんだよ」
「でもさ、千空ちゃん! 万が一のことが起こったら──」
「テメェ等の不安が、アイツにとっての負担だって気づいてねェわけじゃねェよな、メンタリスト」
「ッ──それ、は」
「少なくとも、前に進んでるアイツの邪魔だけはすんな」
千空とてその可能性を心配していないわけではない。一度起こってしまったことは、二度も三度も起こると理解しているが、だからと言って大切に囲い込んでいても茉莉にとってストレスを悪化させるだけに過ぎない。
本音を言えば家から出したくもないし、茉莉が望んでいようがいまいが友人知人で囲い込んで、彼女が生きやすい箱庭で保護するのがベストだと考えたことも何度もある。そりゃもう何十回も何百回も考えたし、なんなら何からも危害が与えられないように隠してしまえとさえ千空が考えているとは、ゲンは思ってはいないだろう。
せっかく幼い頃のように泣きながら弱音を吐くようになった茉莉を千空が手放す気もなく、彼女を支えることに不満なんてない。むしろそれが当然だと思っている。ゲンが心配する介護疲れはないし、寧ろ世話をしていた方が落ち着くのだ。いっそのこと彼女が不安に思うものを全て排除してしまえばいいと考えたことは一度や二度の比じゃないし、できることならばいつでも守れるように側に置いときたくもなる。
あのビビリの泣き虫が泣かない環境を整えるなわてなんちゃない。けれどそれをしてしまえば、もう二度とアイツは俺に頼らない。だからこそ、それはできねェ。
それは、どんなに千空が望んでいようと無理なのだと分かりきったことであったのだ。
自分は必要あるかとそばに居ていいかと不満そうに言葉に出す茉莉を見ているからこそ、何もしないでいい。ではダメなのだ。ともに立ってられる基盤を作ってやらなければ。守ってやるだけではダメなのだ。
そう、千空も歯を食いしばって独り立ちしようとしている茉莉の手を離したというのに──。
「千空ヤベー! 茉莉がッ!」
「あ"?」
「ともかくヤベーんだ! すぐきてくれ‼︎」
やけに焦ったクロムの声と、それにつられて走り出した身体からは嫌な汗が流れていた。
茉莉ちゃんとゲンは相性クソ悪い。互いに嫌ってはいないヨ!
茉莉→ビビリだとバレたくないから頑張って笑うし、やべっとなると無表情。必死に取り繕って私は何もしてないヨ?と誤魔化してるつもり。
ゲン→出会いからして茉莉の事有能と思ってる勘違いさん。あまりにとも唐突に真顔になったり目が死んだ笑顔になるので、180度違うこと考えちゃう。探ろうとすればするほど、ビビリで怖がりな茉莉の本質を知らない故の誤認識が加速する。
轗軻不遇→世に受け入れられず行き悩むさま。事が思い通りにいかず行き悩み、ふさわしい地位や境遇に恵まれないさま。(つまり茉莉ちゃんへの最大の勘違い)
※ただしちゃんと茉莉がビビリで泣き虫だと理解した場合、メンタリストとしての力は発揮します。