寝過ごした、なんて思うのは一体いつぶりだろうか?
人類が石化する前から睡眠障害を発症していた私からしてみれば、早起きはデフォだったはずなのだ。だというのに今朝はすでに太陽が高く登っていて、なおかつ部屋のドアの下にゆっくりお休み。でもご飯はちゃんと食べるのよと書かれたメモがある。たぶん南あたりが起こしにきたくれたのだけれど、私は起きなかったんだろうな、なんて。
「マジか……」
気が抜けているのは自分でも察していた。
体調の変化や食事の量、思考の矛先など変わったものが沢山あったからわかってはいたのだ。だがまさか寝坊までするなんて考えてやいなかったのも事実で。
一人作業が多いから誰かに迷惑をかけるわけではないが、なんというかサボってしまった気になってしまう。あまりの衝撃にいまだにベッドの中から出られない私であったが、これ以上ここにいるわけにはいかないと急いで行動を開始し寝巻きを脱ぎ捨てた。珍しくグゥと鳴り響いたお腹をさすりどうするべきか悩みに悩んで、食べない選択を下そうとしたものの脳裏にメモの存在がチラつく。
「──食べ、行くか」
むしろ行かないとフランソワからチクられてしまうと意を決し、私は自室を出たのである。
「おそよう、ゴザイマス」
「茉莉様、お待ちしてました。こちらへどうぞ」
「……待ってたんです?」
「はい。南様に言い付かっておりましたので」
「そうですか……」
危なかった。実に危なかった!
食べにこない選択をしていたら絶対に怒られていただろう。南はねちっこく怒るから相手するのが少し面倒なんだよねと思いつつ、案内されたテーブルにつく。
そこに用意されていたのはハムのサンドイッチとコーヒーで、軽食に近い食事であった。
「昼食も食べられるようにと、量は少なめですがよろしいでしょうか?」
「……ハイ」
お昼抜きの選択肢も、これで防がれてしまったようだ。全くもって南は抜け目ないものである。
もとより多くは食べられない故に間食、おやつも用意してもらっている身ではあったが小さめなサンドイッチを完食するのは大差ない。コーヒーもブラックが良かったが、ルーナから胃がやられるからとミルクは必須アイテムにされてしまっている。みんなして私の体調を管理してくれるものだから、ここ五ヶ月ほどで体重はそれなりに増量中。とは言っても千空曰く平均値にはまだ少し足りないそうな。
足りない分はいずれ筋肉として増やしたいものである。
モグモグと口を動かしコーヒーを啜り、食べ終われば食器を厨房へ戻しに向かう。そしてそこで昼食の下拵えをしているフランソワに、仕事中申し訳ないのだけれどもとお願いをしたのだった。
「髪、結ってもらってもいいですか?」
ポーチから取り出したのは昨日千空から頂いた簪で、私が寝坊する原因にもなったもの。
これをニマニマ眺めていた結果、寝るのがかなり遅くなってしまったのだ。今までであればどんなに寝るのが遅くとも寝坊なんてしなかったのに、随分と健康的な体になってしまったのだと少しばかり不満が出てきたが誰にも言えない。言ったら最後、とことん説教をされるだろう。誰になんて言わずもがな、みんなにだ。本当に最近はよく構われるようになったから、特に南とニッキーからは容赦が消えてしまった。
「──お借りしてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
作業する手を一旦止めて、フランソワは私の元へ。そして簪を預かると一度目を細めてふんわりと笑った。
「以前からお使いのものとはまた違う仕様で、素敵な簪ですね。……どなたからの贈り物で?」
「ぅえ? あー、うん。センクウに貰ったの、欲しいもの言わなかったからって」
「なるほど。千空様もまた思い切った行動をなさったようで」
「えと? ドユコト?」
フランソワに髪を梳いてもらいながらもどういう意味なのかと聞けば、簪を男から女へ贈る事には特別な意味があるのだと教えられた。でもそんな意味があったところで、これはそんな意味なしていないと思うと反論すればフランソワははっきりとした口調でそれを否定したのである。
「シルバーのアクセサリーは魔除けやお守り、健康を願う意味が込められております。また使用されているガーネットの宝石言葉は真実や生命力、秘めた情熱や束縛といった意味が。そして何より、『あなたを守ります』という愛情表現として簪は贈り物として使われているのです」
「……勘違い、では?」
「ここまで意図的に揃えられているのですから、千空様に限って勘違いや偶然ではないでしょう」
「──渡す人、間違えたとか?」
「千空様の周りでは茉莉様以外、簪を使用していません」
「いやいやいや、センクウだよ?」
「はい、千空様ですので。きっと全て理解した上で茉莉様に贈られたのだと」
思考回路はショート寸前。否、ショートしない方がおかしい。
シャランと後頭部で奏でられた音に、ソレそのものにそんな意味があるなんて誰が思おうか。だって千空さんだぞ? 恋愛とかしなさそうな千空さんだぞ?
いやまて、これをそういった意味と捉えるのはまだ早い。魔除けやお守りとしてなら、ヘマをやらかした幼馴染にもあげても問題ない。宝石もお前死ぬなよって意味かもしれないし、簪そのものはそれなりに?幼馴染の範囲として守る的な意味に違いない。きっとそう。
だって昔はよく守ってもらったましたからね、そうに違いない。
「──うん、そんな意味はない。きっとない」
「……茉莉様は千空様がお嫌いですか?」
「嫌いじゃないよ? むしろ好きだし。でもこれは、そんな意味はないとおもう」
「それは、如何して?」
キリッとした視線を向けてくるフランソワに驚きつつ、私は声高らかに宣言したのである。
「センクウは私なんかを好きにならないよ。もっと釣り合う人がいるし、互いに尊重して高め合っていける相手をセンクウは選ぶはずじゃん。──私みたいな面倒な人間を、誰が選ぶの?」
ただでさえ右腕がなくなって、いろんな人に生活を保護してもらっている人間が私なのだ。今後も科学を続けていく上で私なんか選んでしまえば、千空はきっと私を甘やかす。
ソレはあってはならないのだ、絶対に。
千空がイキイキと楽しく科学を続けていくために必要なのは、千空の役に立つ人間で私なんかじゃない。研究のお手伝いとしてそばにいるかもしれないが、そういったお相手になることは決してない。
「いろんな人がいる中で私なんか選ぶのは、相当の物好きなのでは? それに何より、センクウがそういった意味で人を好きになるのか謎ですし。まぁ、お相手がいるならば是非とも紹介してもらいたいかな。全力で祝福するので」
コハクとかルーナとか。もしかして私の知らない誰かかも知らないけれど、千空が幸せになるなら全力で応援させていただきますとも。
そういっていつものようにフランソワに笑いかけたのだが、なんとなくうまく笑えた自信がなかった。
食堂を後にした私はいつも通りの仕事をこなす。家に帰ってメモの清書に無心で取り掛かり、うっかり昼食を忘れそうになればニッキーからのお呼び出し。用意された少なめの昼食をとって、また書類作業。なんてことない仕事なはずなのに、どうも落ち着かないのは全てこの簪が悪い。
フランソワには悪いがそれそのものの意味など知らなければ良かったと後悔すら抱く。夜になればルーナと浴場に行く前にそれを外してしまい、その日以降それが私の髪を纏めることはなかった。
サワサワと伸ばしっぱなしの髪が頬を撫で、それを耳にかけて作業をする。毎朝恒例となっていたヘアセットも、今は誰にも頼んでいない。最初こそ南が気にしていたが、毎回頼むのは悪いからと笑って断れば渋々頷いてはくれた。でも納得はしていなかったのだろう。何故ならば簪を使わないのならばと、たまに編み込みやらなんやらで飾られることがあるからだ。その筆頭はニッキーや杠かと思いきや、意外どころの未来ちゃんである。
「茉莉ちゃん、きょうもええ?」
「──いいよー」
流石に未来に頼まれてしまえば断ることもできなくて、誰かが糸を引いていないかと考えてしまうのはいけない事だろうか。でもまぁ、未来は私の髪をウキウキといじるし、悪い気はしない。
けれども今日に限って未来は少し浮かない顔をしている。故にどうしたのと声をかけたのだ。
「あんな、さっきスイカちゃんにあってな」
「うん」
「なんかもう、遠くにいってしもうた気がするんよ。仲えぇ友達やったけど、今はちゃう気ぃする。どうしたらえぇかわからんの、ウチ」
「それはまぁ、うん。そうだよねぇ」
元々一歳差だったスイカと未来。精神年齢が六歳程度だった未来であったが、この世界の知識量ではスイカもあまり変わなかった故に仲良くなっていた二人だ。けれどもアメリカでの二度目の石化で年の差ができてしまった。そして尚且つ、スイカは全人類を救うという重圧のもと大人になるしかなかった子供でもある。七年という月日は彼女に対して良くも悪くも影響し、私たちが知らないだけで未来との関係も僅かながら変えてしまってもいたのだろう。
「スイカちゃんとやりたいの、いっぱいあったんよ。でも、スイカちゃんはロケット作りに忙しいし」
「うん」
「クロム君と仲よぅしてて、勉強も別やし」
「そうだね」
「ウチもファッションの勉強しとるけど、まだまだで」
「未来ちゃんは頑張ってるよ」
「……でも、寂しい」
「そう、だよねぇ」
年の近かった友達が、再会してみれば七歳も上になってそれも科学を学ぶ道に進んでいた。それも今じゃあロケット開発に参加するまでなっていると知った時、未来は置いてかれたと感じたそうな。
その気持ちがなんだか分かる気がして、私はただ頷き言葉を紡ぐ。
「遠いとこにいる、そんな感じだよね。手を伸ばせば届きそうなのに届かなくて、自分がどうしたらいいのか分からなくなってさ」
「そうなんよ! 遊びに誘いたくても、もうウチなんかと一緒にいてくれへんかもしれん思うて」
「──自信がないんだよね、側にいる。相手が魅力的にだから尚更ね」
「スイカちゃん、昔よりずっと大人になってしもうたもん。ウチなんかとよりクロムと一緒にいた方が楽しそうやしっ」
「それは、どうかなぁ?」
確かにクロムと一緒にいることが今のスイカには多いだろう。でもそれは科学使いとしてクロムを尊敬しているからだと、私は勝手に思ってもいる。だから未来との関係とは違うんじゃないかなと笑って告げたのだ。
「スイカちゃん、未来ちゃんのことずっと好きだよ。一緒に綿飴作った仲じゃん。ロケットがひと段落したらあそぼーって誘ってみなよ」
「──あそんで、くれるやろか?」
「くれるって。私にしてるみたいにスイカちゃんをオシャレさんにしてあげなよ、ね? 言葉にしなきゃ伝わない思いってあるからさ、離れてる時のこといっぱい話しな。そしたら寂しくなくなるから」
なんて。
私が言えたことではないのに、未来には諭す悪い大人である。
にっこりと太陽にように笑った未来はそうしてみると意気込んで、私の髪を仕上げてくれた。可愛らしく編み込まれてついでに花を飾られてしまったが、これで未来のストレスが発散されたのならば安いものだろう。
「茉莉ちゃん! またな! ありがとぅ!」
「こちらこそありがとうー!」
バイバイと手を振って、私は重々しく息を吐き出した。
未来の相談を聞きながら、私もそれに同調してしまった。置いてかれた感覚と、側にいられないという思い。言葉にしなくちゃ分からないのに、私はそれすらできない。未来の方が私なんかよりずっと強い人間だ。
千空達が隔離されてからは言葉を交わす機会なんてないし、どんな思いで簪をくれたのかなんて聞くこともできない。悶々とするだけで一日は終わるし、ロケットの打ち上げが迫ってくるだけ。
ポシェットからキラキラと光を反射する簪を取り出して眺めてみても、私の憂鬱な気持ちは消えることはない。
「どうしたもん、かなぁ」
答えが欲しい。確かな答えが。
自惚れてもいいのだろうか、こんな私が。
こんな私が、隣にいられるわけないのに。選ばれるわけないのに。
勝手にそうだと思い込んで、勘違いしたまま千空に向かいあってしまえばもう後戻りはできない。きっと顔さえ私は見れなくなる。
そうなるのなら、何も知らないままで見ないで聞かないで、ずっとこのまま関係を続けていきたい。
「推し、なはずだったんだけどなぁ」
いつからだろう、千空をちゃんと人として好きになったのは。目で追うようになったのは。
こんな思いをするならずっと推しのままにしとけば良かったはずなのに、全くもってバカな人間でしかない。
「まぁ、でも……」
言葉にされたわけではないし。
だから私は、ただの幼馴染でいることを変わらぬ関係を選択する。
茉莉ちゃんは恋愛初心者ではない(前世)ので、鈍感なわけじゃないです。ただ千空=not恋愛脳。な式があるので言葉にされない限りそうだとは意地でも信じない。
推しだけどかなり前からちゃんと人として好きになってる。けど自分からは絶対言わないアガペーな愛情です。千空が幸せならいいんだよ!って札束で殴る(貢ぐ).タイプ。故にパイセンが頑張らないと進展しません。
自分からは行くわけないだろ!茉莉ちゃんだぞ!