宇宙に長期滞在した宇宙飛行士は無重力の環境に体が適してしまい、地球へと帰還後四十五日間のリハビリを行うのが通常である。
しかしながらホワイマンとの凱旋を果たした千空達の滞在日数は二週間弱、辛うじて筋肉が衰える前に、石化によって宇宙空間に身体が適する前に帰還することはできたともいえる。
ゆえに体がふらつき頭が重い、そんな軽い症状で両側を支えてもらわなければならなかったのはミジンコ体力の千空くらいだろう。
「──うむ、私でも上手く歩けんぞ?」
「あ"ー、地球に戻りゃあ重力があっかんな。流石のメスゴリラでも不具合がでんのか」
ゴチン。
コハクの振り上げられた拳は真っ直ぐに千空の頭に降り注ぎ、大きなタンコブを作り出す。もう何度目かわからないやりとりではあったが、学習しないものだなとゲンは頬を緩めた。
宇宙から彼らを迎えに行ったメンバーはそう多くはなく、海へ着陸したあと回収されたのちに本土のラボへと運び込まれた四人と直接顔を合わせた者はそれほどいない。どうせすぐに凱旋式を執り行うつもりでもあったのだ、身内やソレに属したもの以外の面談は後回しになってもいた。コハクに対してはコクヨウとルリが。龍水にはフランソワとサイが。千空とスタンリーに至っては会いたい人などほぼほぼラボに常駐しているようなもの、わざわざ呼ぶまでもなかった。
ベッドに半強制的に横にさせられた千空はぐるりと辺りを見渡し、ここにいない彼女の顔を思い出す。どうにもこの恋愛脳とやらは奥底に思考を押し込めていたとしても、ひょっこりと顔を出してくるようなのだ。
茉莉が日本へ戻ってきて約五ヶ月、毎日のように顔は合わせていたし、むしろ一緒に住んでいた期間もある。その想いを自覚して早々、側にいる時間は長くあったというのに会いたい時こそ会えない。その辛さはなんたるものか。
今ごろになってようやく3700年もの間、杠を一心に思い続けていた大樹の気持ちを理解するとともに尊敬の意を抱いた。
「──今更伝えるのもなんだが、わざわざ僕の元に聞きにきていたよ」
「……あ"?」
「あそこまで回りくどい事せずに、素直に言ってしまえばよかったんじゃないかい? まぁ、それはあの子にも言える事かもしれないが。君たちはどうもすれ違いたいらしい」
不意に千空の寝転ぶベッドに近寄ったゼノはニヤリと笑い、そんなことを言い出した。そのニヤけ顔に若干の苛立ちを覚えたものの、千空はこの言葉が何を意味しているかなんて考えなくともわかってしまったのである。
茉莉は己が話した事を、手紙のことをゼノへ聞きに行ったのだろう。そしてその意味を理解したのだと。
確かに遠回しに言いすぎた気もしていたが、気づき意味を理解してくれたのならばそれは儲け物でしかない。
けれどもゼノは"あの子にも言えたもの"とそう言った。ということは、彼女もまた自分と同じような事をしているとみてもいい。
「──なんか、言ってたか」
「それは千空、自分で聞かなきゃ意味がないだろう?」
「ったく」
こんな時こそお節介をしてくれてりゃいいものを。
なんてことを思いつつも、ゼノの様子からすれば脈がないわけではないと信じていたかった。
その後はルーナや医療チームに囲まれ身体に異常がないか調べられていき、全てが終わったのは日が暮れはじめた時間帯。その頃にはコハクは全快して跳ね回り、スタンリーもまた軍人だったこともあり身軽に動き出していた。龍水は二人よりも若干鈍い動きではあったが、千空ほどではない。彼だけがいまだに体が重く感じ、のそのそとまるで亀のように行動をしていたのである。
「あ、千空さん!」
「んあ? ──なんでテメェ等がいんだよ司」
「未来が今日じゃなきゃ駄目だって言って聞かなくてね」
そんな中、困ったように眉を下げる司とニコニコと笑う未来はゼノへ許可をとりわざわざ当日に千空の元へと訪れた。
そんな暇があったら仲良く兄妹で過ごしていろと思う千空でもあったが邪険にする気などなく、突然の訪問であっても頬は緩む。
何か用があるのかと問えば、未来はさらに笑顔を強めて千空へとソレを手渡したのである。
「これな、渡して欲しいっていわれてん! 茉莉ちゃんからおかえりって!」
「……自分からいいに来りゃいいもんを」
「ふふ、茉莉ちゃんらしいやん!」
手渡されたのは造花で作られた花束であった。黒と赤のリボンでつくられた薔薇の花が計六本。今の世の中では花を自ら育てる余裕なんてなく、花屋なんてものもない。それ故に花束を作るのであれば造花を用意する方がまだ楽でもある。
とはいってもそう簡単に作れるものではないソレに、千空はほんのわずかに目を細めた。
「それでな、千空さん。花言葉って知ってはる?」
「あ"ー、イヌホオズキが嘘つきってやつだろ」
「そうそれ! でな、黒い薔薇ってあんま意味よくないんよ……」
にっこりと笑ったまま、未来は千空が思ってもなかったことを口にしたのだった。
黒薔薇の花言葉は死ぬまで恨みますやら憎しみ、そういった意味を持ち得ているのだと。そんな花の花束をわざわざ用意するほど嫌われているのかと、一瞬呼吸を忘れかけた。司も未来が話す言葉に唖然としたものの、未来はいまだに笑って言葉を続ける。
「でもな、花の本数とか、赤? 紅色? の花も使われてるやろ! だから、こっちの意味だと思うねん」
こそりと、未来は千空の耳元で囁いた。
自分だけが思っているのかもしれない。けれどもそうであったらいいなと期待すら込めて、黒薔薇の花言葉を千空へと教えたのだ。
「っ──!」
「──茉莉ちゃん、昨日から戻ってきてないんよ!」
「……でもきっと、ツリーハウスにいるんじゃないかな? 方向的にそっちに向かったから」
「───あ"ぁ、悪いな。行ってくる」
重い体を動かして、千空はただ一人を求めて走りだす。そしてそれを司と未来は笑いながらそれを見送った。
「──それで、花束の意味なんてどこで覚えたんだい?」
千空の背中が見えなくなって、司は微笑みながら未来に問うた。未来も笑いながらニッキーに教えてもらったのだと答え、多分、意味もあってるはずだと誇らしげに胸を張る。
「ニッキーちゃんってすごく乙女なんや! それ聞いて私も素敵だと思ったもん! それでな兄さん、意味、しりたい?」
「教えてもらえるのならば、ね」
「ふふ、ええよ! あってるかわからないけど──」
一緒に作られていたのが赤薔薇ならば『あなたを愛しています』。紅薔薇ならば『死ぬほど恋焦がれています』。六本の花束を贈る意味は『あなたに夢中』で、そうきたのならば黒薔薇は憎しみといったマイナスの意味するものではなく、『永遠の愛』といったところだろう。
きっと茉莉は未来が花や花束の意味なんて知らないだろうと思って預けたに違いない。だが知っていたからこそ、未来はあえて千空へと伝えたのである。
「──それは」
「茉莉ちゃん、千空さんのことすっごい好きなんやろなぁ……。私もそんな恋愛してみたい」
「未来にはまだ早いよ」
「そうかもしれへんけど……。でも素敵やん、あんなに想われてるなんて、千空さんはずるいわぁ」
何を隠そう未来は茉莉のことを姉のようにも思っていた。
この世界で二度目の生を受け、司を除いたメンバーの中では茉莉に一番に懐いていたともいえる。何故ならば彼女だけは司が目覚めるといって、ずっと未来を励ましていてくれていたからだ。
言葉だけならばなんだって言える。茉莉以外の人間は大丈夫といいながらも、言い淀んだりその目に不安の色を宿していた事を幼い未来は感じ取っていたのだ。あの時はその意味が深く理解できなかったが、今ならば正しく理解することができる。コールドスリープなんて事はメデューサが手に入ったからこそうまくいっただけで、それが見つからなかったら司は一生目を覚ますことはなかっただろう。メデューサが手に入ったから兄はこうして自分の目の前に存在し、会話もできている。けれどもあの時、絶対にそうなると信じていた人間がどれほどいだだろうか。
少なくとも茉莉ほど千空を信頼し、司が目覚めると言い切った人はいなかった。幼い未来であっても、それだけははっきりとわかっていたのだ。
だからこそ未来は茉莉を信頼し、頼った。兄が本当に目覚めるのか不安になった日は茉莉へ声かけると、躊躇いなく間を置くことなく大丈夫と返事が返ってくる。それだけでどれほど救われたことか。
わがままを言っていいのならば、兄さんと茉莉ちゃんがくっつけばいい。
そう考えたことも何度もある。そうすれば大好きで頼りになる彼女は、名実ともに己の姉になるのだから。
けれどもそれは実現しそうにないらしい。
兄が彼女を見る視線に、そういった想いがのることはなかった。また茉莉も兄をそう見ることもなかった。
茉莉が一心に見ていたのはただ一人、兄を救ってくれた千空だけ。
ゆえに千空がずるいと、そう思ってしまった。あんなに深く愛されているなんて、想われているなんて。
死ぬほど焦がれて愛されて、ずっと茉莉は千空に夢中で。永遠の愛すら誓ってしまうくらいに想われているなんて羨ましい。
いつか自分にもそんなふうに想ってくれる人が現れるといいなと願う未来であったが、少し寂しそうな顔をする兄を前にしてしまえばそんな人はまだ必要ないかなとも思わなくはない。
「──千空さんたち、上手くいくとえぇね」
「……あぁ、そうだね」
未来がそんな想いに耽る中、司はどうしたものかと頭を悩ませた。
確かに未来の言うことが確かなのならば、その花束に意味があるのならば。自分たちの先導に立ち進んできた千空には幸せになってもらいたいものである。
しかしながら一抹の不安も過ってしまうもので。彼は合理的主義で石神村の協力を得るためにコハクの姉とも一度婚姻を果たし、その結果離婚もしていると聞く。そんなふうに恋愛事に対しても合理的判断で動く男な彼が、果たして彼女と共に幸せになれるのだろうか?
また何か有事が起こってしまった際に、より良い結果を求めて茉莉の手を離すことがあれば憤る人間はきっといる。そして想いが強ければ強いほど、彼女もまた傷つくだろう。
千空が情に厚い人間であることは知ってはいるが、彼が彼女に対して抱いている想いが恋や愛といったものなのか司は知らない。大切に想っていることはわかっていても、そこに至っているのかわからない。
故に願うしかなかいのである。
もしそうなのであれば、何が起こっても二人で並んでいてほしいものだと。
何があっても、掴み取ったその手を離さずにいてほしいものだと。
合理的主義者の科学者が、不合理的なその想いを突き通せる事をただただ願うしかなかった。
多分あと一、二話で終わる?
27巻は原作も番外編っぽいからそこまで書いて良いのか悩んでおります。んー。26巻までの内容で完結して27巻分は番外編で書くかどうしよう。アンケ置いときますね。