体の汚れを綺麗に流し終えついでに血塗れになってしまった衣類を洗い、さっさと帰路に着く。
冷たい川の水で体を洗ったせいかまた下腹部がズキズキと痛んだが、推しから貰った漢方も効いているようで初日ほどではなかった。
時々休憩を挟みながらラボまでたどり着くとそこにはすでに千空やゲン、コハク等々が集まっていて作業を開始していた。その姿を見るに、やはり私がスイカを助けたところで何にも変わらなかったのだなと、自分のモブさにため息が出た。
「茉莉! スイカに聞いたぞ! スイカを助けてくれて有難う!」
「んー、別に大した事はしてないよ、本当に。 で、私は何をすればいい?」
私にお礼を言うコハクとスイカを静止し、千空の指示を待つ。すると千空はラボの隣を指差し、寝てろと言うだけ。
「昨日よか酷くないし、手伝えるよ?」
「テメーがいなくても問題ねぇ。 今は寝てろ」
「そっか、わかった」
そもそも手伝えることなんてあんまりないのだと納得し寝床へ潜り込むと、今朝までした生臭さが薄れているように感じた。
コハクが気を利かせて綺麗にしてくれたのかもしれないとそちらを向くもすでにそこにコハクはいなく、居たのは忙しく動き回るクロム達だけ、
また後でお礼を言おうと私は寝床に寝転び、目を閉じる。
今の私の仕事は大人しく寝て、邪魔にならない事。
なんて、ほんの少し寂しがる心を隠して丸まった。
私が次に目覚めたのは隣のラボからひどい音がした時で、あたりはほんのりと色づく頃。
これが朝焼けなのか夕焼けなのかはわからないが、またもや寝過ごした感はある。
私は本当にアレの日は寝てるしか能のない人間のようだ。
一度背伸びをし縮まっていた筋肉を伸ばし立ち上がり、綺麗な服を腰に巻いてラボの中を覗くと千空とクロムがボロボロになってへたり込んでいた。
「──大丈夫? なんかする事ある?」
「あ"? あー、じゃあアレみててくれ」
「りょかーい」
目の下に隈ができた千空が指さしたのは何かを煮ている容器。詳しいことを聞いても分からないのでそこには突っ込まず、ただ火が強くなりすぎず弱くもならないように調整して煮ていく。
千空が隣に座りながらも私達には会話なんてなくて、ただ火が燃える音だけが聞こえていた。
薄暗かった空が明るくなり始めた頃、外からこちらに向かってくるであろう音が聞こえてきた。
コハクでもきたのかとそちらに目をやると、そこにいたのは何故か嬉しそうなゲンが一人。
「千空ちゃーん、この炭酸ってなんに──」
とそこまで言ってラボの惨状に気付き、ゲンは顔を歪ませた。
「爆発でもあった?? またゴイスーだねこりゃ、何をどうしてこうなっちゃったの」
「ククク、あ"ーまぁ、大した事はやっちゃいねぇよ」
嗚呼聞いてしまったか、と思ってももうすでに遅く、止める間も無く千空からは呪文のような言葉の羅列が生まれる。
早口言葉にも似たその説明にも驚いたが、一番驚くべきはその記憶力だろう。普通の人間がそうそう記憶している内容ではないのだから、彼はどれだけ知識を詰め込んでいたのだろうか。
彼が物語の主となるべき存在だからと言ってしまえばそうなのだろうけれども、それ以上に彼が科学に捧げてきた時間や労力が伺える。
どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、彼を天才なんて呼べやしない。
今私の目の前にいる石神千空という人間をただのキャラクターと見るにはあまりにも重すぎて、知れば知るほど自分の思考回路が嫌になる。
「んで、その早口言葉は置いといて。 炭酸は何に使うの?」
「最後に!その炭酸だ」
「そうそう千空ちゃん、これってまさかとは思うけど──」
「あぁ、炭酸と言やぁ……!」
「炭酸と言えば──!」
「水酸化ナトリウムと混ぜて重曹にする!」
「だ、よ、ねー」
「ドンマイ。 ゲン君ドンマイ」
普通だったら重曹だとは思わないよねとゲンの肩を叩き、同じ悲しみを共有する。
二人でため息を吐き、そしてただウキウキと重曹を生み出す千空を眺めて私は頬を緩めた。だがそこには誤算があって、うっかりそのニヤケ面をゲンに見られてしまったのである。
「茉莉ちゃんって、ちゃんと笑えるのね」
「ん? ドユコト?」
「いやね、いつも張り付いた笑顔だなぁて思ってたのよ俺。 そう言うの職業柄分かっちゃうし」
「んー、まぁ、笑う時は笑うよ。 ただこの状況で笑えないだけで」
前世など殆ど覚えていないのに物語は覚えていて、その主人公と仲間たちがいる状況で自由に生きられたらそりゃ気軽に笑えるさ。
でもそれができるほど、私は自由人間ではない。
「いつかきっと、自由になれたらもっとちゃんと笑うよ。 その時まで無事でいればね」
主に私の精神が。
ニコリと、ゲンのいうところの作り笑いを張り付けて"笑う"。
今回みたいに笑うならともかく、ニヤけ笑いを見られるのは大変よろしくない。故に私は常に頬に力を入れるのだ。
しかしまぁ、そのうちこの罪悪感に勝てず私が壊れる方が早いかもしれないな、なんて他人事のように感じる事もあるわけで。
心身ともに自由にこの世界を生きれるのかは常に最大の謎である。
さてさて、そんなナイーブな話はさておき。
今行うべき事はサルファ剤の精製だ。
私をじっと見つめるゲンはほっておき、みんなが集まると最後のステップに取り掛かった。
先程まで煮詰めていた液体を、重曹で洗う。
この工程で長い長いサルファ剤の精製の旅はこれにて完了でスルファニルアミド、別名サルファ剤の完成となったのである。
まぁ、私は殆ど手伝っていませんが。
「これで、やっと、ルリ姉が……」
感極まって泣き出しそうなコハクの涙を千空が言葉で静止し、出来上がったばかりのサルファ剤を持ち村へと向かう。
「残念、俺は村に入れないからルリちゃんが飲む記念シーンは立ち会えないよ」
「同じく、入れないのでこっちで待ってるわ」
「ククク、テメーらは寂しくラボで待ってろ」
バイバイと手を振って、二人並んでラボへと帰るが、先程の会話からゲンがあまり話してくれないので少し気まずくも感じる。
それ程変なこと言ったとは思わないのだが、メンタリストであるゲンには私の精神が既にズタボロだとバレているのかも知れない。はてさてどうしたものかと頭を悩ませるも、そう簡単に考えが浮かぶわけもなく。
ただ使えない脳みそを必死に動かしていると、不意にとある事を思い出し、私は駆け出した。
「ゲン君、走れ!」
「え!? なに? もうわけわかんないだけど!」
「いいから急げ!」
走ったところでなにも変わらないけど、ただ思い出した記憶だけを頼りに。
「さ、まずはゲン君からどうぞ?」
手を引いてラボに入り、そこに用意されていた二本の瓶を見つける。
もしかして私の分はないかもなんて考えてしまったが、そこにはちゃんと二人分のコーラがそこにあった。
「これって──!」
「コーラだねぇ。 さぁ、ぐいっといっちゃってー」
「……どうせなら乾杯しようよ、茉莉ちゃん」
ニコリと笑って一本を私に差し出すゲンからそれを有難く受け取り、乾杯と言ってそれを喉に流し込む。
シュワシュワとした感覚に、この時代に存在しないはずの味。
ゲンではないが、うっかり涙が出そうなほどこの世界初のコーラは美味しかった。
「──流石、千空さんっすわ」
これ一本作るために蜂蜜探したり柑橘系の実を探したりと大変だっただろうに。
半分ほど無くなったコーラを眺めていると、先に飲み干してしまったゲンが少し悲しそうに空の瓶を見つめていた。また条件付きで作ってもらえるかもと励ませば、嫌そうに、けれどもどこか嬉しそうにそうだといいんだけどと呟いた。
余韻に浸るゲンをよそに私もコーラを飲み干し、空になった瓶を一度テーブルへとおく。
そしてそこでコーラ以外の存在に漸く気づいたのだ。
「これって──」
それは試験管二本と殴り書きのメモで、いつのまにか隣に来たゲンと共に内容を確認する。
「『解熱鎮痛剤・アセトアニリドだ。 辛くなったら飲んどけ』だって。 これってもしかしなくとも茉莉ちゃんのためかな」
「──なんで」
「なんでって、茉莉ちゃんってその、重い方なんでしょ? 昨日も寝てたしさ。 千空ちゃんも気にしてたんじゃない? 貰っておきなよ」
「でも、これからこれが必要な人が出てくるかも知れないじゃん? なら取っておいたほうが──」
「茉莉ちゃんに必要だと思って千空ちゃんはここに置いといたんでしょ。 だってほら、俺は怪我とかしてないしね? これは茉莉ちゃんの為に千空ちゃんが用意したんだよジーマーで。 だからちゃんと貰っておきなって」
そう言って試験管を握らされて、ゲンは私に向けてにっこりと笑った。
「千空ちゃんも優しいとこあるよねぇ」
「……優しすぎるから困るんだよ。 だって私は、何も返せないし」
未来を口にする事もなく手助けする事もなく、ただ優しくされるだけで何もしてあげられる事はない。本当に私という人間はろくな人間ではない。
「千空ちゃんは別にお返しとか望んでないでしょ? でもまぁ、労働力は欲してるかも──」
「たしかに。 じゃあ取り敢えず労力で返していくとするよ」
それしか持っていないから、とは言わないがゲンにはいい含んだ言葉の意味がわかってしまったのだろうか。
メンタリストだし、私みたいな弱者の言う事が分かってしまいそうでほんの少し怖い。
二人しかいないラボの中、私は気まずい心をひた隠しにしにっこりと"笑った"。
ストックが切れましたので次回より週一更新となります。
基本木曜日6時半更新です。
今後ともよろしくお願いします。