茉莉がゲンと仲良く酒を嗜んでいる最中、宴を抜け出すように村を出たルリと千空はひっそりと森の中を歩く。そして語られるのは百物語の其之百の、千空の父親百夜からの最後のメッセージだ。
語られた事実はあまりにも重く、理解したくもない百夜の死だけがルリの口から淡々と語られる。
そのメッセージに感情を宿していない訳ではないが、ルリは千空に残された思いを伝えるために心を落ち着かせて語った。
そして最後に、ルリは千空に向かって創始者から残された、最後の物語を千空へと向けたのだ。
「──千空、貴方は左藤茉莉という存在をご存知ですか」
「あ"? なんでテメーがあいつを知ってるんだ? ってもこれも理由なんて一つしかねぇか」
「──はい。ですがこれは巫女の伝わる百物語ではなく、千空、貴方に向けた懐古談。歴代の巫女も次代と、彼女に連なる者にしか伝えてはならないとされてきたお話なのです」
「……で、その内容とやらはなんなんだ?」
ルリが村の墓地へ千空を案内すると、そこで語られたのは茉莉の知らない物語であった。
語り部は石神村の巫女、ルリ。
それを聞くのはたった一人の少年、石神千空。
静まり返った墓地で、彼女は語られることのなかった物語を紡いだ。
《懐古談・左藤茉莉。
その子はどこにでも居る女の子だった。
好奇心旺盛で、でも泣き虫で。そばにいる男の子の服を掴んで泣きそして笑う、普通の女の子だった。
そんな彼女がいつから"そう"なったのかは俺にはわからないがお前なら分かるだろう、彼女が変わったその時が。
煌めいた目は濁っていつも暗く怯えていて、以前のような明るい笑顔は見なくなった。生きる事に怯え、けれども必死に生にしがみつこうとしているとさえ思えるほど、彼女は生きるための知識を必死に学び始めた。
そしてその結果いつしか人を遠ざけ、自分の心さえも隠して作られた笑顔の仮面を被り自身を全てから偽り始めた。
彼女にその原因を問いかけても何一つ理由を吐かず、ただ張り付いた笑顔を見せるだけ。
だが一度だけ、あの子の両親が漏らしていた言葉がある。
いつも寝ながら泣きながら謝るのだと。
ごめんなさいと、体を震わせて。
何について謝っているのか聞いても答える言葉はなかったが、いやでも分かる。ああなってしまった子はいつか心を壊してしまうのだ、言葉を、気持ちを吐き出さず、自分で自分の首を絞めて感情そのものを殺してしまうのだ。
きっと彼女も近い将来そうなってしまうだろう。
そうなる前にそこに彼女が、茉莉がいるのならば、千空、お前が茉莉を支えてやれ。寄り添ってやれ。一人を選ぶしかないあの子を引き止めて、偽ることのない茉莉の存在そのものを抱きとめてやれ!
いくら拒絶されても裏切られても、手を振り払われてもあの泣き虫な少女を救うんだ!
人類70億人救えんなら女の子一人くらい余裕に救えんだろ?
信じてるぜ、千空。
お前ならあの子を、茉莉を救えると。
またあのキラキラした笑顔を取り戻すんだ。
千空、お前ならできる。見て見ぬふりをしてたテメーなら、出来る。
いつも隣にいるお前にしか、茉莉は救えねぇ!
頼んだぜ、千空。
お前が、お前だけが茉莉を救えるんだ》
物語として聞くにはあまりにも感情的で、一方的な願いのように千空には聞こえた。
そして全人類を救えという百物語よりも、最後に語られた懐古談の方が難しいようにも思えたのも事実だ。
「俺は、少し調べて戻る──」
「……はい、先に村に戻っています」
涙を浮かべて千空から背を向けるルリを見る事なく、彼は自身の親である百夜の墓標を眺めて頭を垂れる。
「そうか、とっくに、何千年も前にか。俺が暗闇でまだ数億秒カウントしてたころだな。ククク、懐かしいな。あ"ぁ懐かしい。────百夜、テメーにはアイツが"そう"見えてたのかよ、なんで、俺には……」
満月の下、握られた拳には力が入り千空の瞳からは涙が溢れ出る。理解したくもない事実が二つも重く自身にのしかかり、どうしようもない虚無感だけが千空に寄り添った。
この先どれほど多くの人の石化を解いたところで文明を進めたとこで、己の父である百夜と言葉を交わすことなどもうない。会えることは、ない。
そして百夜の残した言葉でようやく自分が都合の良い思い違いをしていたことを思い知ったのだ。
「──ククク、テメーの科学土産無きゃ詰んでたところだ。数千年越しでありがたくいただいたぜ。クソ程嫌な事実付きでな……!!」
百夜が繋いだ命のバトンと、大人で、教師で、親であった父から託された想い。
幼き頃、目を背けてしまった事実に千空はようやく向き合うことができた。遅すぎたかも知れないが3700年の時を超え、千空は茉莉に対しての"無視した方が合理的"というスイッチを切る。
何故どうしてと幼かったゆえに聞かなかった疑問、避けられる悲しみ、目を背けられる苦痛。
全部見えないことにして、無かったことにして、茉莉への感情全てを過去へと捨て置いてきたが、ここに来てそれをやっと一つずつ、拾い上げることができた。
「こんな面倒な事になんなら、もうちーっと感情的になっとくべきだったか」
今更ながら千空は茉莉に対して疑問や怒り、百夜に気付かされた悔しさが心に募る。気付こうとしなかったのは、気づかないふりをしたのは自分だというのに、ただ虚しさが支配した。
生にしがみつくのは何故だ。
一人を好むのは何故だ。
俺を避けるのは何故だ。
強い女にならなきゃならない理由はなんなんだ。
仮面を被る理由はなんなんだ。
笑わなくなったのは、泣かなくなったその訳は。
聞きたい事は山程ある。
だが問いただしたところで彼女は答えてくれないだろう。
ならば、もう一度、初めから。
幼きあの日からやり直して関係を作り直していくしかないのだろう。
「ったく、んなことしてる暇ねぇっつーのに。────っても元はと言えば俺が全部無視して来た結果、か」
遠くに浮かぶ月をもう一度眺め、彼は小さく笑った。
千空が珍しく感傷に浸っている頃、村の住人達は新しい長の誕生に浮き足立っていた。その中にはコハクやクロム、スイカの姿もある。幼いスイカは酒を飲んでいないが、それでも楽しそうに話に花を咲かせている。
クロムがふと視線を外し、コハクはその視線を追えばその先にはゲンと二人並んで座っている茉莉の姿があった。二人が気になるのかとコハクが問えば、クロムは悩ましそうに口を開いたのである。
「ゲンのことは何となく分かったんだけどよぉ、茉莉って結局何なんだろうな」
「何がって、何がだ?」
「いやだってよ、敵ではねぇがゲンのようにスパイでもねぇ。味方っぽい行動してねぇだろ?」
「でも! スイカを助けてくれたんだよ!」
「かもしんねぇけど、それだけじゃねぇか」
クロムからしてみれば未だに茉莉は怪しい人物止まりで、出会った当初から印象はあまり変わっていない。千空のように文字を操り何かを考えているのかは分かるのだが、それが読めない以上怪しさしか感じられないのである。
「茉莉は千空の手伝いだってしているのではないか。それに私にはもう彼女は敵には見えないし、千空だって茉莉を信用してるだろう? 何が問題なんだ」
「そうそこなんだよ! 何で千空はアイツを信用してるんだ?」
クロムから見た茉莉と千空の関係は、言葉の要らない信頼で成り立っているように見えている。やれと言われれば茉莉はそれを実行し、茉莉はその指示に口出しはしない。疑問が有れば口を開くが、大体の場合は大人しくしたがっている様に見えた。茉莉は千空の指示に間違いはないと確信していて、千空は茉莉がそれをやりこなせると理解して指示を出している。
それなのに、二人の間には何もない。
指示を出す、出させる。
それしかない。
その関係がクロムには気持ち悪くも思えた。
「見てた感じろくな会話だってねぇじゃんか、あの二人。なのに何で信用してんだ? わっかんねぇ」
「まぁ、言われてみれば会話らしい会話がないかもしれないが茉莉は千空を心底信頼していることを私は知っている。それにクロム、千空が茉莉を大切に思ってることぐらいお前にもわかるだろう? じゃなきゃ甲斐甲斐しく世話などしない」
月のものになり寝込む茉莉の為に寝床を用意したり漢方を作ったりと、千空が彼女にしたことをコハクもクロムも知らないはずがない。ただの優しさならばよかったものの、僅かにその目に心配の色が見えていたのも嫌でも理解していた。
だからこそ、余計に。
二人の関係が理解できない。
「二人には二人の関係があるのだ、私達がどうこういう話ではないだろう。あれが千空と茉莉の距離なのだ、そう思えばいい」
「だけどよぉ……なんか納得できねぇ」
「クロムはまだお子ちゃまだからなぁ、仕方ない」
呆れた様にコハクは息を吐き、クロムを茶化す。クロムの疑問は確かなもので、コハクだって同じ思いを抱いていたのだ。
あの二人の関係を知りたいと思ってはいるものの、それが聞ける空気ではない。
互いに互いを意識しながら関わろうとしていない、そんな意味のわからない関係などコハクは見たことはなかったのだ。
いっそのことクロムとルリの様な関係であったら分かりやすいのにと思っていても、それを口に出すことはできない。その関係性が恋仲や好きあってるもの同士のソレとは全くもって別物だと分かりきっていた故に、横から口に出せる問題ではないのだとコハクは理解していたのである。
実際のところ千空が無意識に"泣き虫な幼馴染"を思ってしている行動が大半でたいした意味などなかったし、茉莉は"物語"を知っていたから従っていたにすぎない。
つまりのところ互いに何の感情なく"当たり前"な事として接していたのだがら、気味の悪い関係ととられてもおかしくはなかったのである。
村がどんちゃん騒ぎになる最中、村人もコハクもクロムも、それこそ茉莉やゲンの思考は混ざり合うことなく時は進んでいく。
そしてその思考が混じり合ったのは険しい顔をした千空が吊り橋を渡り、ゲンへと投げかけた言葉の結果からであった。
「あ"ー聞かせてもらおうじゃねぇかメンタリスト。何があった司帝国に」
「来るよ司ちゃん達が……!」
たったそれだけだというのには、緊張が走る。
千空を一度殺した相手だと知っているコハクを筆頭に、現状を知るメンバーは皆息を呑んだ。
「ククク、いよいよ科学王国vs武力帝国、全面戦争か……!」
「あの長髪男の様な尋常ではなく強い男が大勢来るのか!?」
「まぁそうね、ガンガン石化といてるね。でもジーマーでヤバいのは司ちゃんとこないだ起こした氷月ちゃんてのの二人かな。もし今そのどっちかでも来ちゃってたら、ぶっちゃけもう逃げるしかないよ全員で」
ゲンのその言葉に静かに酒を飲んでいた茉莉の身体がピクリと反応する。
そしてそろりと立ち上がると話し込む千空達へ背を向けて吊り橋の方へと歩き出した。
皆、茉莉の行動に気づいても止めることはなく彼女は一人居住区へまで進み、そして金狼銀狼が守る橋の手前まで行き着くとカタカタと震える銀狼とすれ違う。
「みんなー敵だよぉぉぉおおお!」
その声を聞き、茉莉は俯いたままニヤリと頬を緩めた。
「もう攻めて来ちゃったの!? アイツら……ってバイヤーすぎる! 金狼ちゃんと闘ってんの氷月だ! って茉莉ちゃんなんでそこにいんの戻って!?」
ゲンはそこに佇む茉莉の存在に驚き、同時に金狼と闘っている相手を知ると逃げる様に叫んだ。だがそれに彼女は従うことはなく、逆に一歩ずつ足を進める。
ギシっと軋み、その先での戦いのせいで大きく橋は揺れた。
氷月は槍をくりだし金狼の腹をつき、怪我を負った金狼は橋の上から落ちかけたが間一髪、氷月の足を掴み取りことなきを得た。だがしかし、それが良いこととは限らない。
「──茉莉、下がれ! そして銀狼、橋を切り落とせ」
それが最善の選択と分かりきった様に金狼は言い放つも、銀狼は切り落とすことができない。
それは兄を思う弟の感情も入っていたが、なにより茉莉が橋から退かなかったからだといえよう。むしろ彼女はさらに足を進め、氷月の前へと立ちはだかった。
「君は──」
「全く、"ちゃんとしてない"ねぇ、なんなのソレ?」
ニヤリと、茉莉は笑う。
背を向けている千空達には見えなかったがその笑みは人を見下し馬鹿にした笑みそのもので、氷月はその笑みに苛つきをおぼえた。
「顔の半分隠してほぼ半裸とか自然舐めてんの? 馬鹿なの? いくら武術が長けてたって医療がないこの世界じゃあ擦り傷ひとつでも死ぬんだよ? 馬鹿なの? なんでニーソなの? 馬鹿なの? もしかして露出狂? 馬鹿なの? ねぇ、なんで"ちゃんとしない"の?」
指を刺し、上から下へ視線を向けて馬鹿にした様にまたニヤリと茉莉は笑う。
その馬鹿にした笑みに苛ついた氷月は矛先を彼女の顔へと向けたが、笑みは深まるばかりで表情に怯えは見えない。
「ねぇ、"ちゃんと"してよ。そこじゃ怪我はしても死なないよ、狙うならココだろ? もしかしてただの脅し? その武術って刺すのには適してないんだっけ? まぁ私が殺されたところで、死んだところで何にも変わんないだろうけどねぇ。君に人殺しという前科がつくだけで、特に変わらなそうだけどね。ねぇ殺すの? 氷月ちゃん、君は"ちゃんと"私を殺せる? 存在そのものがなかったかのように私のこと殺してくれるの? 私を消してくれるの? この世界からいらない私の存在を消してくれるの? 必要とされていない私を、要らない私を、愚かな私を、
態々左胸に槍を動かし、茉莉は頬を吊り上げて不敵に笑う。
その異常な女の姿を目の前にした氷月は一瞬慄いたが槍を持つ手に力を込め、足へ力を入れる。さらに踏み込み槍を思惑通り心臓へ刺しこんでやろうとしたとその時、前方から鼓膜へ響く音が驚いた。
「一旦引いて氷月ちゃん達! この村ね、銃が完成しちゃってる……!」
ゲンの一言で氷月の後ろに控えていた人間達は走りだし、茉莉に狙いを定めていた氷月も千空へと視線を向けて茉莉に向けていた槍に込めていた力をぬく。
「てことは君が噂の……」
「ククク、テメーらがトロいからとっくに完成したぞ科学王国がよ」
「へぇ、きっと大喜びですよ司くんも」
淡々と千空と氷月が会話をし始めれば茉莉は興味を無くした様に視線を足元へ向け、氷月の足にしがみつく金狼へと手を伸ばした。
有難い事に金狼一人分ならば茉莉で十分に引き上げることはできたし、服を捲り上げて教え込まれた知識で止血する。
頭上で進む会話に耳を向ける事はなく鞄から小瓶を取り出すと金狼の口へ中身を放り込み、茉莉はニヤリと笑うとそのまま隣へ倒れ込んだ。その時にはすでに氷月は茉莉の存在を気にしながらも一旦引き返しており、千空達が二人に駆け寄る。
「金狼! 茉莉!」
「──茉莉が飲ませたのは解熱鎮痛剤アセトアニリドだな。 あとはオラ! 傷口にサルファ剤でもぶっかけときゃ明日にでも治ってんだろ。 で、テメーは……」
ゲンを含めた帝国民が消え去った後、千空の目に映ったのは傷を負った金狼と眉間に皺を寄せ寝息を立てる茉莉の姿。
先程までの威勢の面影なく金狼の真横で寝息を立てるその姿に、千空は深くため息を吐いた。
「ったく、酒に飲まれてんじゃねぇよテメーは。殺すだの消すだの、物騒な事言ってんじゃねぇよ、テメーが何考えてんだかわかんねぇんだよこっちはよぉ」
寝息を立てる茉莉の髪を撫で、千空は小さく息を吐いた。
心なしか髪を撫でる手は震えており、動揺が隠しきれていない。
「勝手におっ死ぬんじゃねぇ。そんなことできるほど、テメーは強くねぇんだろ?」
そう小さく千空は呟くが彼女に届くことはない。
何故いきなり彼女がでしゃばってしまったか、それは簡単な話だ。
全ては酒が悪い。
酒は飲んでも呑まれるなと言われるが、彼女は呑まれてしまったのだ。
自我を失い失言し、それに気付くことなく夢の世界へと旅立つ。残された者の気持ちなど、思考などお構いなしに、彼女は一人で暗い夢の中へと引き摺り込まれた。
小さな声でごめんなさいと呟いた彼女の声を拾い上げたのは、たった一人の少年だけだった。