「ヤベー、ヒマすぎんだろ! こんなほら穴と竹の牢に閉じ込めやがってぇー! それに茉莉だけ特別扱いとかずりぃーぞー!」
不意にスイカの姿を見つけたクロムは、現状だけを速やかに伝えた。
時は既にながれ降り積もっていた雪は溶けている。この牢で凍死しないように管理はされていたクロムだが、ここにいるのは自分だけで茉莉がいない事を伝えなければと思ったのだ。監視の目がなければもっと詳しいことを伝えられたのにと悔しい思いもするも、このほんの少しの情報さえあるとないとでは違うのだと自身に言い聞かせた。
クロムと茉莉が捕まったその日、彼女は自分の問いに時間を置かず死ぬ事を選択してくれた事をクロムは思い出す。
それが当たり前のように、後悔も躊躇いもなく死ねると言ってのけた茉莉の顔は普段と変わりない笑顔で、それが何故か心強く感じてしまったのは事実だ。あんなにも彼女を不審がっていたのに信頼してはいなかったのに、その時はその笑顔が偽りないものだと思えて安心してしまった自分がいた。
そういえば千空の敵にはならないと茉莉は言っていたなと、クロムは海馬の奥底から記憶を引き摺り出した。
あの時は言っていた意味などわからなかったが、きっとそれはそう言う意味だったのだろう。何があっても、それこそ死を選ぶことでさえも千空の為なら躊躇わないと。
「……茉莉は、千空の為なら死ねんだな」
改めて口に出した言葉は誰にも聞かれる事なく、クロムの胸の中へだけ落ちていく。
クロムは茉莉を信用してないし、信用できないとも思っていた。否、今でも少しはそう思っている。
それは彼女がゲンよりも行動が読めなくて何を考えているか理解できないからで、今もこうして別に扱われている事が何故という疑問が先に来るからだ。
それに何よりクロムは千空と共にありながら寄り添えない彼女に対して、嫉妬と拒絶をしていたのだろう。
それゆえにクロムは茉莉という人間を好きになれなかった。
だが今は如何だろうか。
茉莉は千空の為になら死んでもいいと、そして彼を生かすための選択を司に迫っていた。
自分勝手な行動もするし、胡散臭い笑みばかりしているけど、ちゃんと未来の事を考えてはいた。
クロムとも千空とも違う、新たな選択肢を入れて。
そのためなら死んでもいいとさえ、迷いのない瞳で彼女は言い切っていたではないか。
そんな彼女を嫉妬心だけで嫌いになれるわけがない。拒否できるわけがない。
「……俺と違って閉じ込められてねぇなら、多分、茉莉は千空の為になる事をやってるにちげぇねぇ。アイツは、そんな奴だ!」
だなんて一人勝手に勘違いを起こしているクロムだが、あながちそれは間違えではなかったともいえる。
茉莉が思わぬところでしていた事は千空側に、科学王国へと人の意識を向ける事。
何気なくカップラーメンの話や鎮痛剤を作る件を話してしまっているうちに、もしかしたらと思う人間もいるわけで。
そういった人間はそっと囁くように噂を広めていくものだ。
司や他の武人達に知られぬようにひっそりと、力がないものだから尚用心しながら。過去になってしまった未来へと進む人間は誰かと、本当に選ぶ未来は何方なのかと。
茉莉の知らぬところでひっそりと、思考は変わり始めていたのである。
それはクロムを逃した人間にもなにかしらの変化を与えたようだ。
「楽しそうだね。聞かせて欲しいなその電話、僕にも」
そう言い大樹や杠、ニッキーを含めた全員の前に現れたのは幹部の一人ともされている羽京であった。
普段であれば茉莉の監視役を担っている羽京だが自分がいなくとも彼女の側には誰かがいる状況になりつつある事に加えて、茉莉自身がよく言う耳を働かせろと意味深な言葉が重なってその場に居合わせることとなったのだ。
司や茉莉から千空とはどんな人間か聞き及んでいた羽京だが、流石に電話を作っているとは思っていなかった。そしてその電話から出てくる声が誰かなんて考えてやしなかっただろう。
だがしかし、予測なんてしなくても予想なんてしなくてもわかってしまう。何故ならば彼もまた、千空とは違った才能といえるものを持ち得ていたからだ。
たとえ電話から聞こえてくるその歌が本物だとして、本来の声の揺らぎすら感知してしまうほどに。そこからそれが偽りだと分かってしまうほどに。
本当の声の持ち主が誰かとわかってしまうほどに、羽京の耳はよく働いてしまっていた。
「ねぇ、ゲン。そこに千空とやらはいるのかな。僕は彼と話がしたいんだ」
茉莉が知る"本来の道筋"であれば、羽京はこんな事など言わないのであろう。
でも彼は出会ってしまったのだ、異質な彼女に。歪な彼女に。
「ククク……、俺に話したいことってなんだ? 言っとくが司とやりあうなって願いなら聞けねぇぞ」
「いいや、そんなつもりはないよ。一応伝えておこうと思ってね。僕は、そうだな……君の味方になり得るかもしれない」
「あ"ぁ? 如何いうことだ。──いや、だとしたらテメェだな、クロムに電池を差し入れたのは」
「……アハハ、確かに助けたのは僕だよ。あのままだと千空、君が死んでしまうと思ったし、彼女を救えないと感じてね」
「なんだと?」
声を少し荒げた千空に、ただ羽京は語る。
自分がこの目で何を見てきたかを。
全人類を救う為、夜な夜な杠が砕かれた石像を組み立てる姿を。そしてその行動を知ってるかのように杠の負担を減らすように、仕事を奪い取る茉莉の姿を、羽京は知っている。
司達には黙っているから会ってもいいと言っても首を縦に振る事はなく、杠の"仕事"の邪魔をしたくないと漏らした彼女のあの柔らかな笑みを、羽京は知ってしまったのた。
どうしようもないくらい千空や杠、大樹を信頼している彼女の一面を知ってしまった。
「僕は見たんだ、君達のとんでもない極秘ミッションを。砕かれた石像を組み立て直すなんて、それがどんなに狂気じみているか分かるかい? 君たちはこの状況でまだなお世界全人類を救おうとしている。科学の力で! そしてそれを無くさない為に、茉莉が司に、そして氷月に殺意を向けられながらも願ったのは君の安全だ! 万が一があった時のためにと、君を生かすために彼女はここで働いている。誰もが認めるほどに! 君のために! 死ぬ覚悟なんてないくせに、千空、君のためなら彼女は死ねる! なんなんだあの子は?!」
自衛隊に居た羽京だからこそ、他者のために命をかける意味を知っている。そうしなきゃならない時がある事を知っている。
誰かの為に、世界のために自分の命を捨てなきゃいけない状況がくるかもしれないと。
だが羽京から見て茉莉は違った。
平凡に普通に生きてきた十代の少女、それが茉莉への第一印象だったのにそれがほんの数十分で崩された。
徹底的な武力の前で恐れず可能性を諭し、その為ならば死んでもいいと。その結果恨まれてもいい、トラウマを植え付ける為に殺されても構わないと躊躇いもなく彼女は言い切った。
それからの行動もまるで自分の価値を見せつけるかのように、科学を失わせない為に少しずつ予防線を張り巡らせて。
にこやかに笑って口を開けば千空と名前を出して、人の脳にその存在を刻みつけていく。
どんな経験をしていたらあのように一心に、誰かを信用しきれるのだろうか。誰かの為に命を使おうと考えられたのだろうか。
そこに至るまで何があったのだろうかと、羽京は茉莉の背中を見ながら考えた。
何一つ確信などないが、ただ分かるのは茉莉という少女は盲目的なまでに彼を信頼していると言うことだけ。
まだ人生の殆どを親や大人に守られて来たであろう子供が、そこまでに至る経由とは。命をかけて守りたいもの彼は、どんな存在なのかと興味が湧いた。
「千空、僕は条件次第で君たちに協力してもいいと思っている。彼女がそうであるように」
「──探り合いは時間の無駄だ、結論からいえ」
「僕の条件はたった一つ、誰も死なないこと。これは君が勝とうが負けようが関係ない、そういう意味での犠牲者ゼロってこと」
復活者同士の殺し合いは避けたかった。だから石像の破壊は見て見ぬふりをして来た。
どんなに心が傷んでも、精神に異常をきたしても。
そしてそれはきっと、彼女も近しい気持ちなのかもしれない。それゆえにこれ以上、そんな選択を茉莉にはさせたくなかった。彼女はまだ、守られるべき存在だ。
「君が負けたことで死を選ぶなら、きっと彼女は自分の命をかけて君を守る。何を犠牲にしても、君に恨まれる結果になったとしても彼女は君を死なせない。でもその結果、死ぬのは茉莉かもしれない」
「それはどういう意味だ」
「そのままの意味さ、茉莉は司に宣言しているんだよ。君にいう事を聞かせる為になら、目の前で殺してくれて構わないと。司はどうか分からないけど、氷月は行動に移すだろうね」
受話器の向こうでヒュッと息を呑む声が羽京の耳に届いた。
嗚呼、彼もまだ自身と同じ様に理解しきれていないのだろう。だから彼女の意思に驚いたのだろう。
まだ知らぬ千空という少年はきっと彼女のトリガーだ。生きるための、生かすための。だからこそ、生きていてもらわなくては。
千空はそしてそれから少し間を置いて、繕ったような高笑いと共に了承の意思を羽京に伝えた。
「ククク、問題ねぇ! 誰も死ななきゃいいんだろう? 元から死なせる気なんてねぇんだよこっちはな、まだまだ人手が足んねぇんだっつの。……それにアイツには死んでもらっちゃ困んだよ、あのクソ親父にも頼まれてっからな」
羽京にはその声がどうしようもなく切なく聞こえた。
どうやら茉莉と千空の間には愛だの恋だのといった甘い関係性はないようだ。だが二人の間にはなにかしらの深い関係性があるのだと、羽京は一人思考する。
「ほらよ、あとはメンタリスト、テメェがやれ」
「え、ちょっと千空ちゃん!? いきなり人任せなの!?」
興味をなくしたかのように千空は受話器をゲンに投げつけて、人目を避けた場所へと移る。
英語で会話をしていたせいかコハク達が会話の内容を気にしていた素振りを見せていたが、ゲンに聞けと全てを投げ出した。そんな千空の少し変わった様子に誰も後を追ってはいけないと悟り、千空は一人で木の根元へと腰を下ろして頭を抱える。
千空はどうしようもなく、現状に腹が立っていた。
「ふっざけんなよあの馬鹿は。何考えてんだ」
『君にいう事を聞かせる為になら、目の前で殺してくれて構わない』
先ほど聞いた羽京の言葉が何度も脳内でリフレインされていく。
目を合わせたくないくらい嫌いではなかったのか。
挨拶を無視するくらい嫌いじゃなかったのか。
名前を呼ばなくなるくらいどうでも良い存在じゃなかったのか。
なのに何故、そんな人間のために殺されるなんていうんだ!
茉莉が捕まったと聞いた時、それでもアイツなら平気だろうとそこまで気に留めなかった。
スイカがクロムからの情報を持ち帰って来た時、無事だったと安堵はした。
特別扱いと聞いて、やはり流れのまま生きるのかと納得した。
だというのに、それらの感情全てが一瞬で変わってしまった。
いつもの様に当たり前に、流されるままに茉莉の生きやすい場所にいると思っていたというのに、裏を返せば全て自分を生かす為?
そんな行動あってたまるか。
お前はそんな生き方できないだろう?
「──テメェはただの泣き虫でビビリだろうが」
頼むから、これ以上自分を偽らないでくれ。
これ以上、自分を殺さないでくれ。
そう願わずにはいられない。