「茉莉、少しの間一人でここを離れててもらうことは可能かな」
不意にそう言い出したのは見張り役の羽京で、その手には司に没収された刃物セットが抱えられている。
見張りのくせにちょくちょく離れているし今更何を言うのかと首を傾げて考えてみれば、なんとなくその言葉と行動の意味を私の頭は理解した。
クロムが逃げ出した今、司や氷月にとって私は千空に対しての人質の意味を持つのだが、もし仮にその現場に私がいなければ人質としては役に立つことはない。という事はもうすでに千空達はすぐそこまで来ているという事なのだろう。
奇跡の洞窟奪還戦に於いて危惧すべきことがあるのならばそれが私の存在。あのお優しい千空センセイの事だ、奪還が完了しても私の命が懸けられてしまっていたら司の言いなりになる可能性もある。いつかは杠を救う為に一度その命を捨てているのだ、二度目があると思っておいても間違いはない。
「一人で狩りに行くことは可能だけど、それが許されるの?」
「まぁ、君達の味方はもう十分増えてるからね。みんな口裏を合わせてくれる。──だから君はその間に逃げるんだ。むしろ彼らの元に戻った方がいいのかもしれない」
「いや、それはないよ。私、基本一人で生きてくタイプの人間だから。だから今は戻らない。でも一つだけ言っておくね羽京さん。氷月には気をつけて」
私はこの先羽京が氷月にやられる事を心配しているわけではない。
だが万が一、私の知る物語と違う結果を辿ってしまったのなら私を逃したであろう羽京がどんな目にあってしまうか容易に想像できてしまうのだ。何せあの氷月だ、司と違い情に流されず人を殺す事を厭わないそんな人間からすれば、裏切り者である羽京もその他大勢も碌な扱いはされないだろう。
故に私は氷月に気をつけろと口にする。
決して氷月に嫌われてるから嫌がらせで仲違いをさせているわけではない。
「……じゃあ少しの間お暇させてもらうとしますよ。美味しいお魚さんでも釣ってくるよ」
「──それは楽しみだな。……気をつけて」
「そっちもね?」
じゃあねと手を振って羽京と別れ、私は一人で森の中を散策する事となった。
有難いことに私の元に帰ってきた刃物セットのおかげで二、三日だろうか一週間だろうか楽に過ごせるだろう。ただ問題があるとすれば水と食料は一切用意されていないということ。羽京がそこまで頭が回らないとは思わないし、多分それを用意する時間がなかったのだろうと私は推測する。
となると奪還戦が行われるのはあと数日のうちと考えてもいいのかもしれない。
川に沿って歩き、拠点から二、三キロ離れたところで一旦寝床を作り始める。司達が狩りに来るパターンもありそうだが奇跡の洞窟とは石神村から逆方向に歩いてきたし、クロムが逃げ出した今の状況じゃあこちら側にまでは人手を割くことはないだろう。警戒すべきは村側、そちらに警備を置くのがセオリーであまり危険じゃない方角にはそれほど強い奴は来ない。
それに羽京が口裏を合わせておいてくれると言っていたし、きっと私が逃げた方角を裏切った狩猟メンバーに伝えてもいるだろう。
推測でしかないが羽京は頭のいい男だ、それくらいしてくれるだろう。
さてさて、ここからしばらくの間はのんびり思考タイムだ。
私は肩がけから丸めた皮を取り出してこの先何が起こるか確認していく。
本当は気が滅入りそうでやりたくない作業だがあそこではろくに確認できなかったし、そろそろ曖昧な記憶も出てきたから思い出さなければならない。
記された事柄を読み解いていけば、千空達が行うであろう行動は見えてくるし何を合図にしてあちらへ戻ればいいのかもわかってくる。
「──あ、あー、そういえばあったよね、こんな事。ほんともう嫌だ」
しかしながら未来を知っているという事はことごとく地獄を見るということでもある。
この先どうあがいても、私は一度司を見殺しにしなければならない。
千空の時と同じように、私は氷月が行う事を肯定し、そして千空にあんな決断をさせてしまうのだ。
知っているのに知らないフリをして、見ないフリをして。
私は氷月が司を殺そうとするのをただただ眺めるしかない。
千空が司を"殺す"のを承認するしかない。
冷凍保存だから殺してはいないと言いたいところだが、千空自身が司に殺されろと言っているのだ。保存だから大丈夫、だなんて口が裂けても言えやしない。
結果司が目覚めることは知っているが、知らないみんなからすれば不安でしかない行為でもある。
それを私はまた見逃すのだ。
「ほっんと、嫌なことばっか──」
一体、私はどうやって生きるのが正解なのか時々分からなくなる。いや、わかっているのに逃げ出したくなくなる。
何もしない、それが正解だというのに彼らのため何かをしたいと考えてしまうのだ。
現に今、私は司のためにできることはないのかと頭を働かせてしまいそうだし、出来ることなら杠の負担も減らしてあげたい。いくらなんでも麻酔なしで手術なんて理解できかねる。
「あー、細い針、作れるかなぁ。糸は、杠ちゃんがなんとかする? どのみち代わってあげられないし、全部無意味かな」
なんて深々とため息を吐いた。
何ができるかなんて分からない。でも何かしたい。
結局大して力になれないしなろうとしていないというのに、随分都合のいい事を考えているものだと腕を強く握りしめて自傷する。
こんな時代で怪我をすると碌な事なんてないのに、何をやっているのやら。
「……早く、会いたいな。会う資格なんてないのにね」
私はいつの間にここまで弱ってしまったのだろうか。
一人で生きていくのが正しいと分かっていたのに、それでもなお皆の笑った顔が見たくなる。
彼らの姿を見ていると狂ってしまいそうになるほど辛くて苦しいけれど、どこか幸せな気持ちにもなるのも事実。
千空だけじゃなく、コハクやゲン。石神村のみんながどうしようもなく好きなのだ。
そう思ってしまうほど、私は関わり過ぎてしまった。
今更一人で生きていけるなんて思ってはいない。
でも、もしもほんの少しわがままが言えるのであれば。こんな、誰かを見殺しにする人でなしな人間だとバレてしまうその日まで、側で眺め見ることだけは許してほしい。
「──なんて、戯言かな」
司帝国から逃亡して二日後、私は遠くでなる爆発音を聞いた。
きっとそれは奪還戦終了を告げる、そんな音。
会いたいと願いながらも、これから起こる事柄に思うように足は進まない。
それでも私は、やっぱり千空のそばにいたいのだ。
この先の未来、いつか君に拒絶されるクズの人間の私だが、今はただ側にいることを赦してほしい。
そんな、愚か者の私はまた君に会いにいく。