「うめぇぇええええ!」
「これは、岩のようだ!ザリザリの食感がめっぽう楽しいな‼︎」
「真っ黒だけどけっこういい臭い……」
違う、食べたかったのはこれじゃない。
麦を手に入れ早速パンを作った千空達はただ、その黒焦げの物質を前にして顔を歪ませた。
コハク達は美味いというが、これは本来そういった次元の食べ物ではないのだ。
匂いはまぁ悪くはない。悪くはないが焦げ臭い。
一口食べてみればソレはパンとは思えない音を立てて、口内を侵食していく。
「っう」
「っは」
あまりの不味さに千空と龍水はその場に膝をつき、羽京は冷汗をかきながらその物質Xを手に取った。
「現代人は舌が肥えすぎてて、不味すぎて食べられないのが原因で餓死にすることがあるらしい……。自衛隊のサバイバルで習ったよ」
どこかの国の軍では蛇の生き血を呑む演習もあるらしいが、ここは日本。そんな行動はまずしてはいない。
つまりは羽京でさえ、このパンを食すのは無理難題だったといえる。
そしてこのパンでは地球の裏側に行けないと考えた船乗りと科学者は同時に叫んだ。
それはもう当たり前に、そうと願って。
「プロのシェフを叩き起こす!」
美味い具合に二人の声は重なり響きゴリゴリと黒焦げパンを食べていたコハクの脳を震わせ、彼女はふと思い出した。
そういえばアレは美味しかったな、と。
そして迂闊にも口から出てしまったつぶやき声を拾ったのはこの中で一番耳の良い羽京で、彼は彼女にアレとは何かと問いかけたのである。
「あぁ、この前私は大樹達に麦を届けに行っただろう?その時に茉莉がムシパン?とやらを作ってくれてな!それがめっぽう美味しかったのだ!──もちろんこの岩のようなパンとやらも美味いが、アレはこう、フワフワ?でほんのり甘くて温かくて幸せな気持ちにさせられた!」
「は?」
「あ"?」
「え?」
上から龍水、千空、羽京のうっかり漏れてしまった心の声である。
千空は声を漏らすと同時にアイツがいたかと頭を抱え、羽京はゴクリと喉を鳴らす。
龍水に至っては茉莉の存在は知り得ていたが、船大工である彼女が菓子を作れるとは思ってもいなかった。
「──何一人で食ってんだよテメェは。そういうのは持ち帰ってこい」
「いや、ゲンが麦畑作りの賞品にしてたからな、私でも一つしか食べられなかったのだぞ?」
「……っあのメンタリスト!」
思い返せば茉莉なら麦から何かを作り出すことは難しい問題ではなかったのだと千空は気付いた。
どんぐりと猫じゃらしで作ったすいとんに、一般的な家庭で作らないであろうベーコンや鮭とば、こんにゃく等々。最近では魚醤さえ生み出していた女がすぐ近くにいたではないか。
そんな彼女が麦を挽いたことがないなんてあるわけも無く、それを使った料理が出来ないはずがない。
何故ここに呼ばなかったと後悔の波が訪れた。
「……蒸しパン、食べたかった」
「ちょっと待て千空、つまりはプロのシェフがいなくともどうにかなる、という事か?」
「いや、それは違ぇ。あくまでアイツが作れるのは一部の一般家庭が作るようなものか塩ありきな保存食ってぇところだろ。一応聞いてみるが航海に耐えられるパンが作れるかわからねぇ。だからプロのシェフはいる」
「保存食?──もしかしてベーコンを作ったのって茉莉だったりするのかい?」
「あぁ、そうだ。ちなみで今村で食ってる肉も茉莉が狩って作ったやつな」
「……嘘だろう?」
部類のパン好きである羽京は蒸しパンの存在を知り歓喜したが、それより後の話に耳を疑った。
司に捕えられていたときに茉莉は狩りをしてはいた。してはいたが保存食を作っていた記憶はないのだ。
確かにあの時は塩でさえ貴重品でそれほど蓄えはなかったが、作ろうと思えば彼女は作れたのであろうあのベーコンを。
現代人を虜にした、あのベーコンを!
余談ではあるが、別に茉莉は意地悪で司帝国産のベーコンを作らなかったわけではない。
保存する場所も調理する場所も、塩さえもろくになかったから作らなかっただけである。故にそこに悪意はなかったと羽京は生涯知り得ることはないだろう。
「はっはー!ならばここにその茉莉を呼べば良いではないか!プロのシェフは欲しいが、麦を扱える者を野放しにしとくわけにはいかない、そうだろう?」
「まぁな。茉莉はすぐにでも来させっか、一応やらせてみねぇとわかんねぇしな。そんでもってシェフを復活させる為にはちーと時間がかかんぞ。なんてったって石化復活液の在庫が今ゼロだ。ウンコから作っても何ヶ月か──」
「いや!シェフは今すぐに欲しい!」
「聞けよ、人の話」
「はっはー!心配するな、復活液の一人前やそこらこの俺が見つけ出してやる!」
もうないはずの復活液があると言い切る龍水に千空は呆れた視線を向けるも、その先にあったのは意地の悪い龍水の顔。そして隠し持っているであろう人物に心当たりがあるのだと高らかに宣言した。
それを聞いた千空もまた、善者は絶対しないであろう笑みを浮かべて電話を手に取ったのである。
ジリリリリ。
石神村から遠く離れたその場所で、それは鳴る。
電話を受けたのはゲンであったが、すぐさま龍水の求めていた人物へと引き継がれた。
その人物は北東西南。司から石化復活者の選定役を任されていた女記者である。
『欲しい‼︎その情熱に人は抗えない。世界一欲しがりの俺にだけは分かる。貴様は必ず隠している……!』
もし仮に南だけであったのならば龍水の言葉を受け流してなあなあにすることができたのだろう。が、そこには科学王国一のメンタリストがそばにいる訳で、龍水の思惑通りにことは進んでしまうのだ。
「えぇええ!ジーマーで⁉︎そんなものまで作れちゃうの千空ちゃん‼︎」
お得意の嘘をつき、有り得もしない話を生み出して相手を操るのはゲンの得意分野だ。
その嘘が本当になるのならば、それは嘘にはならず決定された事実のみが残るだけ。千空ならば南が望んだものを作れるだろうという信頼から出た嘘。
千空をそれを見越してから構いやしないと笑った。
欲しいは科学の原動力であり、未来への礎なのだ。
それを否定する必要なんてない。
「虎の子一人分しかないからねー!誰を起こすの?どっかの三つ星シェフ?」
『起こすのならばフランソワだ‼︎奴ならすぐに見つかる、石化時も俺と共にいたからな!──あぁ、後もう一つ大事なようがあったな!茉莉を石神村に呼びたい!今すぐにだ!』
「……はい?」
『貴様らだけ良いものを食すとは些か狡いのではないか?だからこそ欲しい!美味いものがな‼︎』
「──あぁ、そういうことね。わかったわ、伝えておく」
ガチャリと切れる通信と、苦笑いを浮かべるゲンと南。二人はフランソワを迎え入れる為にすぐに行動に移し、その最中に茉莉にも事の有り様を伝えた。
彼女は少し悩むそぶりを見せたがにっこりと笑い、いつも以上に荷物を抱えてひと足先に石神村へと向かったのである。
茉莉が荷物を抱えて移動し約1日半。
戦争時に戦車でできた道を使って(尚且つ睡眠時間を減らして)、通常よりも早く村に到着した茉莉を出迎えたのは羽京であった。
彼はお疲れ様と茉莉に挨拶を交わすと荷物の大半を預かり、そのまま千空達が待っているとさらに茉莉を急がせた。
何故羽京が茉莉を出迎えていたか?
ソレは簡単な話で、西園寺羽京は無類のパン好きだからである。そんな人物が"蒸しパン"という魅惑ワードを前にしてじっとしていられるわけがなかったのだ。もちろん羽京はフランソワと呼ばれた人物の作るパンも楽しみであったが、ソレはソレ。これはこれ。
楽しみでいてもたってもいられなかった故の行動だといえる。
「千空、龍水!茉莉が到着したよ!」
「──おぉ、お早ぇ到着だな?ちゃんと寝てんだろうな?」
「……それなりには?で、んなことはおいといてどっち作ればいいの?」
「どっちって、蒸しパン以外もあんのか?」
「一応、パンも作れなくない、けど?」
「ったく、茉莉センセイ様様じゃねぇか!」
キラキラと瞳を光らせる千空を見た茉莉の動きは一瞬止まった気もするが、彼女はにこりと笑った後すぐに調理に取り掛かった。
カバンの中には溢れないようにもってきた自家製酵母もあり、これは彼女が元々フランソワに預けようとも思っていたものだ。
何せ茉莉はパン作りに関しても素人に近い。
いくら知り合いのお婆様方に教え込まれたとしても、本職の人間には敵わないと思っている。竈の使い方も生地の作り方も焼き加減も、何回も失敗した経験からなる自己流のパン作り。作った全てが上手くいった試しもなかった。
それでもパンを作れるアドバンテージは高く、この世界では重要視されると彼女は思ってやしなかった。なれた手つきで作業を進めていく茉莉を見た龍水は彼女は大工ではなかったのかと驚き、羽京はその多才さに目を煌めかせた。
羽京から見た茉莉もまた一般人の常識をゆうに超えた体力お化けの大樹、手芸特攻の杠や科学使い千空の友人なのだと頷くしかない。
その才と呼ばれるもの全てが、茉莉のこれまでの人生と対人関係を投げ捨てて手に入れたものだと、努力の塊だと知っているのは千空ただ一人だけ。
「茉莉、君はなんでもできるんだね」
「……死なない程度には、ですケド」
その言葉を理解できたのも、千空ただ一人だけ。
「うーん、まぁ、こんなもんかな?どうぞ、お上がりよ」
あっという間、というわけでもなくそこそこの時間をかけてできたパンは黒焦げではなく綺麗な小麦色をしていた。
熱々でもっちりと、少しの甘みのあるお味に羽京はうっかり涙が出そうになる。
先日黒焦げパンを食べていたコハクとクロムも美味い美味いと叫びながら齧り付き、千空、龍水もまた頭を抱えてその味に浸っていた。
「私ができるパンはこんな感じだから、保存効くものはちゃんと作ってもらってね」
「──テメェでも無理か」
「船に乗せる用のオシャレレシピは学んでないもんで。シュトーレン、食べたいけど」
「シュトーレン?」
「……保存のきくヤツのコトデス」
にっこりと茉莉は笑う。
その笑顔にどこか冷たさを感じるも、その理由を深掘りする気は誰もなかった。
「あー、えー。千空君、もう少し小麦もらってもいい?」
「あ"?何に使うんだ、それにもよる」
「あるみさんたちにおうどん作ろうかなと。約束したからね、食べやすいもの作るって。パンだと自分たちで作れないけど、うどんならどうにかなるだろうし」
「調理法を教えんのか!なら持ってっていいぞ、こっちにもできたもん寄越すならな!」
「もちろん持ってくるよー、ありがとう」
なんて事もないような発言をした茉莉は千空から小麦粉を譲り受けると、そのまま村の方へ走っていく。その背中を眺めていた龍水と羽京の視線は自然と千空へと向かった。
「千空、茉莉はあと何ができる?」
「さぁな。ただこの世界で一人でも生きていけるのは確かだ」
「とはいっても限度っていうものがあるだろう?彼女はこういった環境でも生きていけるよう教育を受けてきた、とか?」
「全くもってしらねぇ。──まぁ、楽しんでやってたわけじゃねぇよ」
かつて見た彼女の表情を、千空は覚えている。瞳を濁らせて、隈を作ってまで行動してた茉莉の姿を。
そして知ってしまった。伝えられてしまった。彼女の本質を。
「──別に、したくてやってたわけじゃねぇ。そうするしかなかっただけだ、アイツは」
理由はどうであれ、そうなのだと百夜は語り継いだ。生にしがみついた結果がコレなのだと。そしてその謎を解き明かすのは千空の役目でもあるのだと、託されている。
千空はまだ暖かいパンを頬張りながら、珍しく、ぼんやりと空を眺めた。
やらなきゃならないことがまだまだあるはずなのに、茉莉が絡むと中途半端に物事が進む。それは良いことのはずなのに、どうにも気になり思考がそちら側に思考が寄ってしまい手が止まることもある。
「ったく、らしくもねぇ」
考えたところで分からないのに、分かち合おうともしてくれないのに。
それでも思考は廻るのだ。
「はっはー!千空、茉莉がどんな人間であったとしても俺には一つだけわかるぞ!茉莉はいい女だ、そうだろ?」
「……龍水、言い方ってものがあるんじゃないの」
「だがしかし、そうなのであろう?こんなにもこの時代に適した存在は早々いない。茉莉はきっとこの先も手助けをしてくれる、違うか⁉︎」
「──違わねェよ」
実験を断られたことがない、嫌がられたこともない。ある程度の望みですら茉莉は叶えようと奔走する。
だからこそそれが、怖くもあるのだ。
茉莉はすでに壊れてかけているのではないかと、思わずにいられない。
「んなこと、ねぇよな?」