「ごめんっ、匿って!」
そういってラボに滑り込んできた茉莉は机の下に潜り込み、息をころす。
一体何から匿えと言っているのかと千空が首を傾げたのと同時にラボに駆け込んできたのは、北東西南であった。
「ここに茉莉来てない⁉︎いい加減写真撮らせてほしいのだけどっ⁉︎」
「あ"?あー、残念なことにここには来てねぇわ、他探せぇ」
「もう!本当にどこ行っちゃったのよ‼︎」
些か苛立ちを隠しきれない表情をした南はそのままラボを出ていき、千空は茉莉に視線だけで合図を送る。隠れていた茉莉も南の足音が遠ざかっていくことと、千空の視線からもう安全だと察するとのそりと体を動かし机の下から這い出てきた。
一体いつからやっているのだろうと皆が思い始めている南と茉莉の追いかけっこはすでに半年は経っており、まだ一度たりとも彼女は南に写真を撮らせてはいない。
最近では味噌と醤油を復活させたことにより、より一層南の茉莉追跡には力が入っている。
「一枚くらい撮らせてやりゃいいじゃねぇか」
「断固拒否。撮られるくらいなら石神村に住む」
「それはそれで悪かねぇけど、"センセェ"がいなくなんのは困るんだがな」
「じゃあ南ちゃんに撮らないよう言ってほしいのだけど?」
「言ったところで止める女じゃねぇだろ?」
「ほんと、それな」
茉莉は深々とため息を吐き、面倒くさいと呟いた。
茉莉は復活組において、このストーンワールドで生きる術を伝授する先生と呼ばれ親しまれ始めている。狩りの大部分を占めていた司が不在である現状、彼女の知識は大いに役に立ち発揮されていた。それに加えて味噌と醤油といった日本人ならではのソウルフードの作製は偉業にも等しく、彼女を褒め称えるものは少なくはない。南も茉莉の成し遂げた事を後世に伝えようと必死なわけだが当人はそんなこと知ったこっちゃなく、一貫して知ってたから作れただけだと笑って逃げ回っているのである。
実のところ言ってしまえば、一枚だけ。たった一枚だけ茉莉を写した写真は存在してはいる。
ラボにある棚の、引き出しの奥底にたった一枚だけ。千空と龍水と茉莉が気球に乗った時に隠し取られたものが。
撮影者は龍水で、『美女の笑顔は残しておかなくてはな!』と撮られてしまったものともいえる。
しかしながら千空も龍水もそれを南に渡すことはなかった。
茉莉が写真を嫌っている事を理解しており、そして尚且つ、いつもの作り笑いではない姿で写る茉莉をもの珍しく思い秘密裏に隠してあるのだ。
それを知るものは当事者二人だけではあるのだが。
「……オメェ、料理すんの好きだったのか?」
写真のことはさておきと、千空は茉莉に問いかけた。前々から気になっていたのだが、最近の茉莉は食べ物に対しての行動力が凄まじい。
故に単純にサバイバル術に加えて料理もできるのかと考えたわけだ。
「え、そんな好きじゃないけど」
けれど、返ってきた言葉はそれを否定していた。
「あ"?じゃあなんでポンポンポンポンあんなに作ってんだ?別にすぐに必要なもんでもねぇだろ。まぁ、此方としちゃあおありがてぇがな」
「それを千空君がいうのかー。でもまぁそれは、アレだよあれ。食も娯楽じゃん。食べたいものがないのって、結構クるし、作れるなら作っておいた方がいいかなって」
そこまで言って、茉莉ははるか過去の記憶を呼び覚ました。
彼女がまだ茉莉になる前の、名前も覚えていない頃の世界線、彼女の日々はコンビニご飯とカップ麺で食卓が彩られていた。食べたいと思ったものがあっても作る暇もなければ食べにいく時間もなく、結局いつも通りの買い飯で。どうしようもなく辛くなった時にだけ時間と金にものを言わせて美味しいご飯を食べに行ったものだ。
そんな記憶があるせいか、科学王国で働いている人間には美味しいご飯を提供したくなるもので。魚と肉のローテーションなど言語道断。せめて食事だけでも楽しんでもらいたいとの気持ちもあった。
無論、推しである千空に美味しいご飯を与えたいという貢ぎ精神もあったわけでもあるが。
茉莉が遠い目でそんな事を考えている一方で、千空は彼女の言葉で石化が解けた直後を思い出していた。
茉莉がいた為定期的に肉と魚が食べられていたが、もしも一人だけだったらどうだっただろうか。もしかしたらキノコと山菜だけで暮らしていた可能性も捨てきれない。
そう考えると茉莉が食に対して異常なほどに頑張りを見せるのも頷けた。
今でさえ調味料も乏しいというのに、誰もいない三年間の食卓は地獄であったのだろう。それもあってパンに様々なバリエーションを加えたくなるのも、味噌と醤油を作ろうと思ったのも全てが食事を義務としてではなく楽しむためのものにしようとしていたのだと思えてくる。
そう考えてしまえば、何故か茉莉の行動が健気に思えるものであった。
「──茉莉、口開け」
「へ? あー?」
千空の言葉に拒否反応を見せることのない茉莉の口は放り込まれたのは、科学の力を使って生み出したチョコレート。モグモグと咀嚼した茉莉は小さく笑みをこぼし、美味しいと呟いた。
「まぁ、テメェの言ってることは理解できなくもねぇな」
「んー、そうでしょ。美味しいは行動力になるからねぇ。──ってなわけで、こちらの赤えんどう分けていただいても?」
「……今度は何つくんだ」
「赤えんどうであんこを、そしてあんぱんを。夏になれば羊羹もいけるかなと」
「テメェのその知識はどこからきてんだよ」
「田舎のおば様方からですかねぇ。若い子に教えるのは楽しいそうですよ?」
珍しくふふっと朗らかに茉莉は笑い、そして言葉を続けた。
「石神村は伊豆半島あたりでしょ?そこら辺なら天草とれるはずだし寒天も作れそうかなぁ。寒天って細菌やらの培養にも使ってたってなんかのドラマで見たし、そのうち使えるかもね」
なんて事ないように茉莉は告げる。
それこそどうでもよさそうに。
茉莉にとってそれがどうでも良い事であったとしても、千空にとってはそうとは限らない。
ただ食べ物の事を考えているかと思いきや、いきなり異なるものに意識が飛ぶ。
それが茉莉だと言われればそうなのだが、やはり彼女の考えていることはいまだに読めやしない。
「できるだけね、船が完成するまでにやれることはやっておこうと思って……」
「あ"ぁ、そーしてもらえると助かるわ」
「うん、頑張るわ。千空君達が心置きなく此処をたてるように、心配事は少ない方がいいでしょう?」
その言葉に、千空の一瞬思考が止まった。
千空君"達"がと茉莉はいった。
それはつまり、彼女は日本に残ると言っているようなもので。共に行く気はないと伝えられたようなもので。
そんなこと考えてやしなかったのだ。
千空にとって茉莉が復活組に知識を伝えるのも生活基盤を整えるのも、全て彼女が船に乗るからこそ進めてもらったことだった。
千空にとって茉莉が日本に残る選択肢など最初から考えてやしなかったし、その可能性があるとも思いやしなかった。
当たり前のように告げられたその言葉に、己の考えと彼女の思考が交わっていないことにその時初めて気づいたのである。
合理的に考えれば茉莉を日本において行くのが正しいのだろう。きっと居残り組を引っ張っていってくれる。確実な仕事を約束してくれる。
だがそれは、自分の側であってもいいはずではないのだろうか。
カセキのように全てのクラフトをこなせるわけではないが、コハクのように戦えるわけでもないが、龍水のように船を操れるわけでもないが、ゲンのように話術が巧みなわけでもないが、茉莉がいればこなせる事は確実に増える。
だから──。
「──千空君?どしたの、いきなり黙って。あ、そういやチョコ作ってたんだったよね?長居しすぎたわごめん。匿ってくれてありがとねぇ」
「……クク、問題ねぇよ。精々女記者に捕まらねぇように気ぃつけろ」
「うん、じゃあまたね。あんぱんできたら持ってくるねー」
満足げに笑う茉莉の顔を見てしまえば、もはや何も言えない。
もとより乗りたくないものは乗せないつもりだったのだ。それに茉莉が含まれただけで、計画に支障はない。
そう、支障はないのだから。
千空は意図せず拳を握り込み、ラボを出ていった彼女の背中を眺めた。
「あれぇ?千空ちゃん、なんか元気ない?」
「あ"?どう見たってお元気いっぱいだろーが」
「ふーん、そう?あ、コレ!茉莉ちゃんからの差し入れ。赤えんどうで作ったプチあんぱんだって!ゴイスー美味しいんだけどいるぅ?」
「……そこ置いとけ、あとで食うわ」
珍しくぼうっと空を眺める千空を前に、ゲンは首を傾げた。つい先程までチョコレートを作っていた故の休憩だとしても、些か気が抜けすぎてる気もする。
はてさて、一体何があったものかと考えているゲンをよそに千空は小さな声で尋ねた。
「メンタリスト、テメェだったらどうする?」
「えー、何が?」
「……ついてくる気もねぇやつを連行する方法」
「──いくら千空ちゃんでも人攫いは」
「んなわけあるか」
「んー、その人の性格にもよるけどさぁ?まー、千空ちゃんが頼めば茉莉ちゃんはついてくれるんじゃないの?」
「……別に茉莉とは言ってねぇ」
「言ってはないけど、ついてこなさそうなのは茉莉ちゃんかなって」
言わずもがな正解を叩き出すゲンを睨みつけながら、千空はそんなに簡単な事じゃないと言い返す。だがそれにゲンもまた、反論するのである。
「千空ちゃんが思ってるよりずっと、茉莉ちゃんは千空ちゃんのことちゃんと見てるよ、ジーマーで。だからちゃーんとお願いしてみなよ」
「──それができたら苦労しねぇんだよ」
一度ため息をついた後、千空はあんぱんに齧りつく。
そしてまたぼうっと空を眺め、千空は腹を括ったのであった。