このストーンワールドに目覚めて六度目の春。私はこの歳になって必死に勉強をすることとなった。
思い返してみればこの記憶をインプットされてしまった7歳の春から、私はろくに勉強というものをしてきていない。というのも小学校までのお勉強ならばやらなくてもそこそこできていたし、それよりも万が一に備え生き残るための技術を磨くことを優先してきた為である。そのおかげで今日まで生きて来れた訳なのだが、どうやら我が推しは私にもう少し頑張って生きろとおっしゃるらしい。
「ローマ字なら14文字覚えりゃいいが、日本人なら46音覚えられんだろ。物覚えのいい茉莉センセェなら余裕でやれんな?」
「千空君は私に何を期待してるのかな?無理だわ」
「覚えときゃいざという時楽になんだよ、頼む。ホワイマンの野郎もいつお喋り始めっかわかんねぇしな。分かるやつは多い方がいい」
「んー、…………やれるだけ、ヤッテミマス」
「ククク、話が早くておありがてぇ。ついでに今までに作ったもんも資料としてまとめてもらえっと助かるわ」
「──私は便利屋か何かかな?」
「テメェくれぇしかまともに読み書きできる技術者がいねぇんだよ。万が一に備え、説明書やら作り方は残しておいた方が合理的だろ」
「ソウダネー」
覚えておけと渡された紙にはローマ字(アルファベットともいう)と日本語をモールス信号で表したものが書かれており、日本語版にはご丁寧に『簡単な覚え方・三重式暗記法』と当て字にも似た読み方までもが明記されている。
現段階でモールス信号を聞き分けられるのは四人。
千空、羽京、龍水、ゲンはどちらも覚えているというのだから多彩にも程がある。あれレベルの知能を求められても困る訳だが、千空から頼まれれば断れるはずがない。
ついでにと頼まれた仕事もどう考えても"ついで"にやる仕事とは思えないし、どう考えても時間が足りん。
そのことを指摘すれば帆船作りには本格的に龍水の知識が反映される為、私は関わらなくても良くなった。サブリーダーと名ばかりな役職は、そのまま龍水に引き継がれるそうな。まぁ、ありがたいと言っちゃありがたい。
「んー、イトー、ロジョーホコー、ハーモニカ。──口に出しつつ書いて覚えるしかないなぁこれは。モールス信号も歌がありゃいいのに」
それならオタク、早く覚えられる。
などと考えつつ、信号に使うトンツーを呪文のように唱える。偶々すれ違ったクロムにはついに頭がおかしくなったのかと思われてそうだが、安心して欲しい。元から頭はおかしいので。
早朝は個人勉強でモールス信号を覚えつつ、その後は新設された学校にて技術の伝授。村出身の子供達にも言葉や知識を教えつつお昼を迎え、その後はラボの隅っこで千空たちが作ってきたものの説明書作りに精を出す。
分からないところは千空に聞けばそれとなく教えてくれるし、カセキの技術を文字に起こすのも一苦労である。
こんな毎日が辛いかと聞かれれば私は首を横に振るだろうし、むしろやる事があって楽だと思う。
脳みそを空っぽにして、みんなのお役に立ちたいんだよ!とスイカ並みに頑張る私なのでしたマル。
「茉莉、今日の復習すんぞ」
「ぅへ、スパルタすぎる」
「使わねぇと忘れるっつったのは誰だよ」
「私ですかねぇ?」
夜になると千空パイセンのスパルタモールス信号講座が始まり、トンツーでの話タイムだ。
初めの頃は千空が口笛で、私はカセキ製ホイッスルを使いそれに応えるというお勉強方なのだったのだがこれが何より辛かった。
なんてたって口笛の吹く千空さんが目の前にいるんだぞ!お可愛い!とテンション上がってしまうじゃないか!
必死に平常心を試みてみるがやはり口笛を吹く推しの姿は尊く、何度脳が尊死したものだろうか。何これご褒美?と何度も自分自身に問いかけただろう。もう回数なんて覚えていない。
しかしながらこの口笛プラスホイッスルの組み合わせは夜にやるものではない事が判明し、次に瞬きでのオハナシアイとなった訳だが……。
千空さんは私を殺したいのかな?
あんな良い顔をガン見しろって、無理やろ。
そしてこっちもガン見されんでしょ?無理でしょ。
ダレカコロチテ。
うぇ、いいお顔、てぇてぇ。いっぱいしゅき。ヒン、ビジュが神。
必死に真顔になる私に千空が首を傾げた事幾星霜、その度何言ってるか分からなかったんだよと誤魔化しまくった。
「こんばんわ、相変わらず二人で勉強かい?」
「羽京さんも混ざる?」
「いや、僕はいいかな」
夜分遅くにごめんねと笑いながら訪れた羽京にこてんと首を傾げながら何しにきたのかと問えば、私にと手渡された一枚の紙切れ。
そこには『海軍式モールス信号記憶法』と書かれているではないか。
「千空に頼まれて書き出してたんだ。少し時間かかっちゃったけど、これも使って覚えてくれると嬉しいな」
「……本格的に覚えさせようとしてません?私の英語能力をご存知でない?クラス最低点をとった私の成績を教えてあげようか?」
「いやいい。んなもん今は関係ねぇかんな。今からやる気出せ」
「まさに横暴」
まぁ、やれと言われればやりますけど。
ありがたいことに羽京がくれた記憶法もまた当て字のようにトンツー言っていればなんとか覚えられそうでもある。しかしスムーズな会話が出来るようになるまで数ヶ月は見てもらいたいが、この対面お勉強会は数ヶ月もしたくない。
心臓が脳が持ちそうもないので。
「でも意外だなぁ。茉莉は勉強もできるタイプかと思ってたんだけど」
「──生きるのに必要なものは覚えたけれど、必要のないのは切り捨てただけだよ。だからまともな成績だったのは小学校までかなぁ?」
英語とか数式覚えてる暇あったらサバイバル実技一択。対人関係も投げ捨てたし。
そう答えると、羽京どころか千空までもが口をポカンと開けて私を見ていた。
「どしたの?」
「どうしたのって……、なんで、そこまで?」
「んー、私は雑魚だから。そこまでしないと死ぬと思ったから?」
こんな事羽京や千空に言うべきではないのだろうけれど、彼らが宝島に行く前にはっきりとさせておかなくてはならない。
私は雑魚なのだと、クソ弱なのだと。
普通に英会話できてる君らと同じようにホワイマンと通信とかできないからね!
「んまぁ私の成績はそんな感じでヤバいので、モールス信号で英文解読は無理だからそこは期待しないでもらいたい」
「──あ"ぁ、聞き取ってもらえりゃこっちで訳すから心配すんな」
「それならいいのだけれども」
とってつけたような笑顔で笑い、私は羽京にもらった資料に目を通していく。案の定先は長そうだとうっかりため息をつきそうになってしまった。
その後羽京は私に対して、パンが作れるから雑魚じゃないよ!と謎の慰め言葉を残しラボを去り、へんに気を使わせてしまったと後悔した。別に本当のことだから気にしてないのにね。
羽京が去った後もお勉強会は続き、その後に千空の助言を聞きながら資料の制作。
千空曰く、十二時を過ぎた頃に解散となった。
「んじゃまた明日」
と、手を振り自分の寝床に帰ろうとした私を手のひいて引き留めたのは誰でもない千空で、彼は眉間に皺を寄せて不機嫌そうにこちらを見ている。
今の一瞬で何かやらかしたかと考えたが、思いつくものもなく。
「千空君、どしたの?」
「──そのまま後ろ向いて、ちぃーと大人しくしてろ」
「ん?ウス」
言われがまま千空に背を向けてじっとしていればぱさりと髪が解かれ、そして梳かされたのちにグイッともう一度結われる。
もしかしてゴミやら虫やらがついてたのか思いつつ、反応が来るまで大人しくしていると千空は歯切れの悪い口調で特別報酬だと呟いた。
「まぁアレだ、天文台やら食いもんやらクラフトやらで頑張ってる茉莉センセェにプレゼントだ。精々この先も働いてくれ」
「へ⁉︎ん?おぅ?」
「それに今日は、あ"ー、テメェの誕生日、だろ」
「ん?誕生日?」
「4月12日。世界宇宙飛行の日でもあっからな、意外と覚えてたみてぇだわ」
「ほぉん?そんな日だったのか、誕生日」
はわわ、世界宇宙飛行の日の生まれで良かった!推しに認識されてるなんて嬉しくて死ねる。
それに何より報酬ってことはいただいていいんですよね?家宝にするっぺ!
ムフフとニヤける顔を両手で隠し、その後無理くり表情を固めて私は千空に向き合いお礼をいう。
私の方こそ千空に色々貢ぎたいんだが、この世界じゃお金を稼いで石油代にするくらいしかできないしな。今後も報酬に見合った仕事をさせていただきますね。
「大事にするよ、ありがとう!」
「ククク、壊したらまた作ってやっから言え。その分仕事は増えるがなぁ」
「うん、わかった。じゃあ、おやすみー」
今度こそまた明日ねと手を振って、内心スキップをしそうになる気持ちを宥めながらテントまで戻る。
戻った途端結われた髪を解き、推しからもらったそれをただ眺めた。
漆の塗られた簪には緑色の混ざった硝子玉がついていて、何ともまぁ可愛らしい。
神棚でも作って飾って置きたい気もするが、こればっかりは使わないといけない気もする。
きっとそのうち千空デパートでも売り出す商品だろうし、あとで似たようなものが買えたら神棚設置しよう。
「本当に、人の心を掴むのが上手いねぇ」
そんなところも大好きな私なのである。
簪を上げる意味を千空さんは知ってて欲しい。がそう言った意味で使ってはなさそう。まだな。