寒い。雪が降る。電気代が嵩む。鍋がおいしい。
各々いろんな理由をもって好み、嫌う季節、冬。そんな中にあってしかし、きっと誰もが嫌っていないだろう、そんな日。
少年は独り、華美に電飾で彩られた向かいの家をぼーっと眺めていた。
「…………」
少年が振り返れば、安っぽい作り物のツリーの足元には包装紙にくるまれた小箱が。中には、いま若い子の間で流行しているゲームが入っているはずだ。周囲の友達が楽し気に遊ぶ姿に中てられて、彼自身が母にねだったのだから。
何処からともなく現れて贈り物をしていく赤き幻想も、信じなくなって既に久しい。少なくとも小学校にあがって初の聖夜には、願う対象はもう親に移っていた。
贈り物だけがそこに座し、当の両親が傍にいない理由は単純で、ただ仕事に行っているというだけ。夫婦で同じ会社に勤める二人は、揃って朝早くに家を出て、日が変わるまでに帰ることはできないだろうと、前もって彼に告げていた。
突然決まったという訳でもないゆえ身を裂くようなショックこそないが、それでも、周囲の喧騒から切り離されたこの空間は彼の心をチクリと痛ませる。
(ゲームは欲しかった。これは嘘じゃない。まだ開けてないのは、なんだか気が乗らないって、それだけ……)
ちょっとばっかり大人になったとはいえ、彼はやはり子供で、とびきりに弱い存在であった。冷たい孤独に震えるその心は、縋る柱を失ったその心は、やがて一度は捨てたはずの幻想にまで手を伸ばす。
(サンタさんでも、そうじゃなくっても、別に誰だっていい。僕は、家族と楽しいパーティーが――)
そこには、何の前触れもなかった。
宛て名も決めず、漠然と願いを胸の内に浮かべたその瞬間。彼の家の呼び鈴が鳴る。テレビの音も、洗い物の音もしない静謐の中で、その音はいっとう大きく耳をたたいた。
胸が跳ねる。合わせて、その中で心も浮き立った。
何かの間違いでも起きて、仕事が早く切りあがったのかもしれない。可能性は低いと知りながらも、どうしても少年はそう期待をしてしまう。
宅配であるな。集金であるな。
強く祈りながら廊下を抜けた彼は爪先立ちでドアアイを覗き込み、
「――へ?」
帽子から服、果ては靴まで、すべてが真っ赤な少女の姿を見た。
「んー……うん?」
気が逸るあまりに幻覚でも見てしまったのだろうか。そう思い、少年は自分の目をよく擦って再びドアアイに臨む。果たしてそこには、同じ光景が広がっているだけであった。
それは、彼より二回りは年上だろう少女だった。前述したとおり赤一色のファッションに身を包み、よく見ればその手には、人ひとりくらいは簡単に入りそうな大きな袋が握られていた。
それらの特徴を認めて一瞬、本当にサンタでもやってきたのかと思う少年。しかし幼いころに絵本で見たそれは、髭を蓄えたふくよかな男性であったし、なにより、そもそもとして現実には存在しないはずだ。
現状、目の前の少女が誰なのかは皆目見当がついていないが、とにかく怪しい人物であることだけはわかった彼は、そっと来た道を戻ろうとした。
「あのさ、そこに……えっと、ドアのすぐ向こうにいる、よね? 開けてくれないかな?」
しかし、扉を挟んで聞こえてきた少女の声が彼をそこに引き留める。
透視能力でもあるのか、などという考えはすぐさま捨てられた。あれだけドタドタと足音を響かせやってきたのだから、そう推測することは誰だって容易だろう。
「……普通に怖いんで、チェーン掛けたままでいいんだったら」
「あ、はい」
平生であれば、きっとすることはなかっただろう譲歩。親のいない時は誰にも応えるな、少年は日頃から両親に口酸っぱくそう教えられており、今日まではきちんとそれを守っていた。
だが、孤独な聖夜、天に投げた願い、そして彼女のやって来たタイミングなどが、彼の心を揺らし、その行動へ走らせた。
チェーンを掛けたまま許す限りに扉を開いて、僅かな隙間から顔を覗かせる。先ほどは一方的に見る側であった彼の目と、気怠げに垂れた少女の瞳が宙でかち合った。
「……それで、どういったご用でしょうか」
「あー、見ての通りサンタさんなのでございますが……上げてくんない?」
バタンと、扉が閉められる。
紛うことなき不審者の弁であった。きっと言葉巧みに親のいない家に上がり込み、その大きな袋で子供を攫ってしまう偽サンタに違いない。
そう判断した少年はチェーンにとどまらず、通常のロックにも手をかける。そして手首を捻ろうとした瞬間に、静止の声が再び外から届いた。
「ちょ、タンマタンマ! キミ、家族でパーティーがしたいって願ったろう? 私はそれを叶えに来たんだよ」
「……!」
不審者の言葉にこれ以上耳を傾ける気はない、何を言われても話はこれで終わり。そういった思いであった彼も、さすがに内容が内容であれば無視をすることはできなかった。
少女の言ったことは正しい。彼は確かに、そう願った。
だがそれは、自らの胸の内でだけのことで、一言たりとも口に出してはいない。それを知っているということは、彼女が超常の者であることの証明であった。
どこまでも疑いを持つのなら、独りでいる子供が共通して持ちそうな願いを適当に言ったというバーナム効果に近い考えもできるが、それができるほどには、少年は子供を脱し切れていなかった。
「ほんとのほんとに、サンタさん……ですか?」
「ほんとにほんとのサンタさんですよー」
たった一つ、それらしい要素が出てきただけ。依然として彼女は怪しい人物に違いないのだが、彼はそこを考えないようにした。
極端な話、もし少女が本当はサンタではないのだとしても彼はいいと思っていた。もしも嘘をついているのだとしても、悪人でないのならそこに縋りたいと、そう。
チェーンを外し、外に立つ少女を招き入れる。実際に隣に立つと二人の身長差は明らかなものになり、少年の背丈は彼女の肩くらいしかないことがわかった。
「ありがとね。入れてくれて」
「いえ。それより、僕の願い叶えてくれるんですよね?」
「ん、まぁそうだね」
「じゃあ! 今日だけ、お姉ちゃんになってくれるんですよね⁉」
「ん? まぁそうだね――じゃないね? え、そうなの? いや、待って、違うでしょ。なんでそうなった?」
危うく適当に流しかけた言葉を、少女は反芻する。
(私がお姉ちゃんとは……? 確かこの子は家族とパーティーがしたくて……あー、なに、そゆこと? 解釈が斬新すぎない?)
つまり彼は少女の言った『夢を叶える』という発言を、『どうにかして家族でパーティーをできるようにする』ではなく『自分が家族になって一緒にパーティーをしてやる』と捉えたわけだ。
自分とは違う考え方をする少年に感嘆すると同時に、彼女の中に焦りが募る。
(やべー、そういうつもりで言ったんじゃなかったんだけど……)
「……もしかして、違うんですか?」
花のように咲いた笑顔から一転、みるみる内に表情が曇ってゆく。
彼女には彼女の、あらかじめ用意してきた策がある。願いをかなえるという『仕事』をこなすことだけが目的なら、ここでママゴトに乗ってやる必要は全くない。ただ一言、彼の疑問を肯定してやればいい。
(はぁ、子供のくせに半端に大人なの、やりにくいなぁ。面倒な子を振られちゃったかも)
しかし、表情を暗くしたものの中に悲しみや寂しさだけでなく、少しばかりの申し訳なさがあることに気づいた少女は、一つ溜息をついてそっと彼の頭を撫でてやった。
「いんや、違わないよ。私はキミのお姉さんだ」
「……! お姉ちゃん!」
「おっ、とと」
聞くや否や、全身でもって喜びを表す少年。べったりと抱き着いてきた身体を少女が抱き上げると、彼は数秒ほうけた表情をした後に、ようやく年相応にキャッキャと騒ぐのだった。
「パーティーって言ってもなぁ、普通は何するもんなんだろうね」
場所は移ってリビングルーム。ソファーに並んで腰を下ろし、二人はそんな話をする。サンタである少女にとって、クリスマスとは年に一度の激務の日でしかなく、いざパーティーだと言われても何をすればいいのかわからなかった。
「えっと、どうだろう。ご飯食べたりケーキ食べたり……お友達同士だったらプレゼント交換とかもあるだろうけど……」
「そんな感じねー。まぁ、することなくなったらその都度考えればいいとして、とりあえずご飯にしよっか。まだ食べてないよね?」
「うん、そうしよっか。あ、でもお姉ちゃんの分のご飯がないや……どうしよう」
短い会話の末、二人はひとまずの行動方針を食事に定めたようだが、そこで問題が浮上した。
少年の言葉の通り、今この家には彼一人分の食事しか用意されていない。当然と言えば当然のことだ。加えて、それだって前もって買っておいた惣菜が数点くらいなもので、パーティーに見合うかと言われれば、首を振らざるを得ないものばかり。
お祝いの外食を数日遅れで行うという予定があるとはいえ、当日の食事がこれではあまりにも味気ない。今も必死に働いている両親へは口が裂けてもぶつけることはないだろうが、それでも少年に思うところが無いわけではなかった。
今から買いに出るか、それとも何処かに注文するか。そんな風に頭を悩ませている彼を引き戻したのは、なんとなく得意げな少女の声だった。
「ねね、ちょっとの間さ、目瞑っててくれる?」
「え、うん。わかった」
「いいこいいこ。いいって言うまで開けちゃだめだからね」
『姉』に言われるまま少年は素直に目を閉じ、少しでも開けてしまわないよう、瞼に強く力を入れる。その姿はあまりに無防備で、少女がもし、彼の数分前に想像した通りの人攫いなら、今頃彼は袋の中だろう。
ガサゴソ、ゴトゴトと。視界の喪失で幾分鋭敏になった彼の聴覚は、衣擦れのような軽い音と、何か物同士が軽く当たったような固い音を拾った。
そのまま、同じような音の傍で目を瞑ること数十秒。ようやく投げられた少女の合図で目を開けた少年は、まず明暗の落差に軽く眩み、それから目の前の光景を正しく認識し、驚愕した。
「わー! すっごーい!」
目に楽しい色とりどりのサラダ。今にも爆発しそうなくらいにふっくら焼きあがったミートパイ。そして、漫画の世界からそのまま飛び出してきたかのような、丸々の七面鳥。
どれもがどれも先までは影すらなかったもので、また人生を通してさえ少年には初めて目にするものばかりだった。
「ふふ。わたくしこれで、サンタなもんで」
「お姉ちゃんすごい!」
「もー、そんなに褒めてもケーキしか出ないよ? ホールもあるけど、二人じゃ食べきれないだろうから、ちっちゃいのにしとこうねー」
そう言って彼女が手元の袋からケーキを取り出せば、少年の高揚はもう天井知らずの域。昂った気分のまま、しかしすぐに料理に手を付けずきちんと『いただきます』をすることができたのは、彼の善性の賜物であった。
クリスマス然とした豪勢な料理を、二人は楽しくおしゃべりをしながら次々に食べ進めていく。料理をとりわけ、汚れた口元を拭き、何かと少年の世話を焼いてやる彼女の姿は、誰が見てもまさしく『姉』に違いなかった。
「ねぇ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、僕みたいな子の願いをみーんな叶えて回ってるの?」
料理に続いてケーキも片づけた二人は、テレビを見たり、ただじゃれたり等いろいろなことをして、今は仲良くトランプに興じていた。内容は七並べ。人数が二人で、特に勝敗に拘ってはいないこともあって、勝負そのものよりも雑談をすることに重きを置いているように見える。
「うーん……私がっていうか、サンタはいっぱいいるんだよね。それでみんなで手分けして、って感じかな」
「でも、それで間に合うの? だって子供たちは世界中にいるんでしょ?」
「そこはほら、あれよ。不思議なサンタパワーで時間を遅らせたり早めたりで……ね?」
「サンタパワーすごい……」
「すごかろ? ほいっ、ラスト」
そんな軽い声と共に少女が最後の一枚のカードを並べる。考えつくゲームは粗方やり終えたということで、トランプはここで片づけてしまうことにした。
「けど、サンタパワーは使うと疲れて眠くなっちゃうんだよね。だから私らって、クリスマス以外はほとんど寝て過ごしたりするんだ」
「そうなんだ、それはなんて言うか……大変そうだね」
「そりゃぁもう! 激務も激務! あっち行ったりこっち行ったり、お願いもてんでバラバラだし、サンタパワーがあるとはいえ忙しいったらありゃしないよ!」
プンスコ、なんてわざわざ口で言いながら、頬を膨らませる少女。だがそれも、彼の向ける視線が白んできていることに気づくと、すぐ改めたが。
「けどまぁ――やめらんないんだよねぇ、これが」
そして零れる小さな、小さな声。
おふざけ半分の長ったらしい文句なんかより、この短い呟きこそが、きっとずっと本物の色をしていた。
「やはは、なんか柄にもなく語っちゃったや。恥ずいね、こりゃ!」
「お姉ちゃん……ありがとね」
「へっ、よせやい」
おちゃらけた誤魔化しを貫いて届く、少年の真っすぐな言葉。少女は、空になった食器を袋にしまうためにだと、そう言い張って、クルッと後ろを向いた。
この部屋はきっと、少しばかり暖房が効きすぎていた。
「ふあぁ……」
少年が、大きく欠伸をする。すると、それが移ったようで、次いで少女も同じく欠伸をした。
「なんだ、眠たいの?」
「そういうお姉ちゃんこそ」
「……うん、正直言うとめちゃ眠い。まぁ、時間も時間だししょうがないよね」
そう言って、欠伸をもう一つ。二人の視線の先では、木製の掛け時計がもう日を跨ごうかという時間を指し示していた。
当たり前が過ぎることだが、それはもうすぐ『今日』が終わるということを意味している。
「やや、そんな顔しなさんなって」
「だって……」
「もともとそういう約束でしょ? 隣にいてあげるからさ、眠たいんならそっちのソファでおねんねしよう」
悲しんでいるような、けれど不貞腐れているようにも見える。そんな一言では表せない顔を湛える彼の手を引き、少女はソファへ呼ぶ。
夢へ行ってしまえば、それで終わり。もう会えなくなってしまう。
なんとなくでそれを理解していた少年は、眠ってやるもんか、としばらく堪えていたが、それも長くは続かず、いつの間にやら寝息を零すようになっていた。
「……んぇ⁉」
響き渡るチャイム音に、少年の意識が急浮上する。
どうして自分はベッドではなくソファで寝ているのか。少年は眠る前の記憶を掘り起こし――そして弾けるような動きで、周囲を見回した。
右、左、後ろまで。しかし、当然ここにいるのは自分ひとり。
テーブルの上はすっからかんで、トランプだって元の棚に片づけられている。『彼女』のいた痕跡はどう頑張っても見つけられず、あれはすべて夢だったのか、ともすればそんな思考さえ影を覗かせる。
(ううん、そんなことない! お姉ちゃんは……)
そこで、彼を呼び起こしたチャイムの音が再び家の中を駆けた。
自分のことを優先するあまり、チャイムを鳴らした誰かがいるのだという事実を忘れていた彼は、急いで玄関へと向かう。もしかして、そんな淡い期待が胸中にあったことは否定できない。
飛びつくように覗き込んだドアアイの向こうに立っていたのは果たして、少女などではなく自分の両親であった。
『ただいま!』
「うん、おかえりなさい」
どうやらこんな日に限って、二人仲良く家の鍵を忘れてしまったのだと。恥ずかし気にそう言う両親は、けれどそれを覆い隠すほどの嬉し気な空気をまとっていた。
少年は思わず、両親に尋ねる。
「どうしたの、二人とも。何かいいことあった?」
「何かあったって……。いや、そうだな、まずは謝らないと。毎年毎年、大事な日にいつも一人にしてごめんな」
「そうね、本当にごめんなさい。今までの分、今日はとっても楽しいクリスマスパーティーにしましょう!」
「何を、言ってるの……?」
両親の言っている意味が理解できず、少年は頭を悩ませる。
それから数秒考えてみて、まさかと、ある可能性に至った彼は携帯電話を取り出し、震える手で時間を確認した。
「あ……」
表示されている時間は、午後十時。まだまだ長いとは言えないまでも、パーティーをするくらいならば十分すぎる時刻だった。
「どうして、こんなに早く帰ってこれたの?」
「それがな、父さんたちも不思議なんだよ。八時から会議を始めて、しっかり四時間は話し合ったはずなのに、外に出てみたら一時間ちょっとしか経ってないんだもんなぁ」
「えぇ、まるで時間の流れでも変になっちゃったみたいに――」
少年が、母の言葉を最後まで聞くことはなかった。
身を翻して彼の急ぐ場所は、リビングルーム。そこでは、壁掛け時計が午前一時を指していた。
「……メリークリスマス、少年。いい子にしてたらまたいつか会えるかもね」
一家団欒が広がるその頭上で、冷えた惣菜を流し込んだ少女は、次なる夢を届けに飛び上がった。
さんたの ちからって すげー!