クローザーが扉を閉めて、今の今までそこにあった大きな二つの背中が向こう側へ消える。
隔てられたこちら側。一組の少年少女は、見送るために高くしていた手をだらんとおろした。
並んでリビングへと戻った二人はつけっぱなしだったテレビに出迎えられる。画面の中では、近ごろ話題のアナウンサーが淡々とニュースの原稿を読み上げていた。
「…………」
耳が痛くなるような沈黙、それを作り上げている彼らの現在の関係性は一般に言う『姉弟』であった。
「あ、あのさっ!」
「うん⁉ あっ、え……なん、なんですか?」
しかし時を遡って一週間前ならば、二人の関係性はまだ『赤の他人』でしかなかった。
母親と自分。たったそれだけの狭い世界を当然のものとしてこれまでを生きてきた少女にとって、降ってわいた父と、そして弟という存在はどうにも慣れなく、もてあまして仕方がないものだった。
けれど、同時に彼女は考える。きっとそう感じているのは相手だって同じで、だとすれば先に勇気を出して歩み寄るべきなのは、年長者である自分なのではないかと。
「なんか今日は天気いいみたいだね。ほら、予報見る限りさ?」
「そ、そうですね」
「…………」
そんな考え事をしているうちに会話が宙ぶらりんなままになっていたことに気づき、慌てて彼女は手頃な場所に転がっていた話題を取り付ける。
だが、なんとか咄嗟に拾い上げたそれは微塵も発展性を持っておらず、努力の甲斐なく二度目の沈黙が場を支配した。
「うわ、今日いて座の運勢最下位じゃん」
「あ……一位だ」
「まじ? よかったじゃん」
「う、はい……」
天気予報に続いて朝の占いのコーナーが始まり、それを端緒にまたほんの少しだけ会話がなされる。
少女としては独り言のつもりで呟いたのだが、二人そろって特徴的な順位だったということもあり、彼の方も思わず反応してしまったようだ。
「最下位のあなたにおすすめなのはモミジ狩り、ね……。なんだっけ、モミジ狩りって?」
「……どうでしたっけ。言葉通りだったら、モミジを狩って回るんじゃないですか?」
「いやぁ、さすがにテレビで環境破壊はおすすめしないでしょー」
少年の頭にはポキポキと枝ごとモミジを収集する光景、少女の方にはのこぎりで樹を切り倒してまわる光景が浮かんでいた。
各自、そのイメージがきっと正解とは程遠いのだろうことはなんとなく理解していたが、かといって他に推測ができるような要素も名称の中にはない。
少女が携帯を使ってその単語を調べる。
純粋に気になったというのも理由の一つではあっただろうが、どんな些細な話題でも今は逃したくないというのが、今の彼女の切実な気持ちだった。
「なになに……うーん、色々書いてあってややこしいけど、ようするに赤くなった葉っぱを見に行くみたいな? 別に何かを狩るとかではないみたい」
「へー、そうなんですね」
「うん、らしいよ」
「…………」
予想の付かなかった言葉の意味も、調べてみればなんてことはない、短く言い表せるようなものでしかなかった。
それは話題性を失い、二人の間に三度目にもなる沈黙が帰ってくる。自分が生返事しかすることができなかった時点で、その未来を少年は予期した。
「っ⁉」
しかし現実は、その通りにはならなかった。
少年に肩を跳ね上げさせたのは、部屋に響いた乾いた音。それは、彼の目の前で少女が自分の頬を強く張ったことによるものだった。
(このままじゃダメね)
突然の出来事に硬直している少年は気に留めず、彼女は深く思索する。
狭かった世界が少しの拡がりを見せてからはや数日。父にしても弟にしても、書類の上では関係が成り立っているが、その実態は暮らしを同じくするだけの他人に等しい。
なんとなく姉弟っぽいから、そんな理由で少年へ対する口調だけは砕けたものにしているが、やはりと言うべきか、形だけのそれが関係の進展に寄与することはなかった。
(『お姉ちゃん』にならなくちゃ!)
特別なにか行動を起こさなくとも、共に暮らすうちにいつか時間が二人を姉弟にしてくれる可能性はある。
しかし、そうならなかったもしものことを考えると、ただ待つことを選べるような性格を少女はしていなかった。
姉という存在の自覚を胸内で新たにし、彼女は記憶を掘り起こす。
それは今から少し前のこと。自分に弟ができるという事実を知った少女は、接し方の参考にしようと学校の友達など、周囲の人間に姉とはどういうものか訊いてまわっていた。
残念なことに、彼女の周りには姉である人物こそあまりいなかったが、逆に姉を持つという数人の男友達の話を聞くことはできていた。
そうして得られた回答群の異なる点、重なる点を分析し、頭の中で探し求める像の輪郭を明らかにしていく。
そんな行為の末に、少女は『お姉ちゃん』の化身が天から我が身に降り立ったような感覚を覚えた。もちろん気のせいである。
「ねぇ、ちょっと服脱ぎなさいよ」
「……え?」
投げられた言葉がうまく飲み込めず、気の抜けた声を出してしまう少年。
彼の視点からすれば、何の前触れもなく自分を叩き、しばらく黙り込んだかと思うと今度は意味の分からない命令をしてきた、という状態である。理解の及ぶ方がおかしい。
「いや、ママ達いないし子供だけで外は出ちゃダメでしょ? だから代わりに背中ひっぱたいてその痕でモミジ狩りしたことにしようかなって」
「ホントに何言ってんの? ……ですか?」
「ええい! いいからあたしの百裂張手を喰らえええ! そんでもってその気持ち悪い敬語もやめなさい! 素の口調じゃないのは知ってんだからね!」
言うが早いか、両手を構えて少女が飛び掛かる。
確かに張手や平手打ちの痕はしばしばモミジに喩えられ、地域によっては行為そのものをそのままもみじ呼ぶこともある。しかし、かといってそれだけの類似からモミジ狩りだなんだと言い出すのはまさに狂気の沙汰。
「なに、急に頭おかしくなったの⁉ く、来んなぁ!」
「お姉ちゃんっていうのはね、横暴なものらしいわよ! みんなそう言ってたもの!」
鬼気迫る表情で、まるで何かに取り憑かれたかのごとく襲い来る姿に、今いる場所が室内だということも忘れて、少年は本気で逃げ出した。
机やソファを間に挟みながらグルグルとしばらく追いかけっこを続けていた二人だったが、その内にカーペットに足を取られた少年が床に転がって決着がついた。
「うわっ!」
さいわい、投げ出された先が柔らかなカーペットの上であったため怪我をするような事態にならなかったが、その隙を突いて少女が彼の上にのしかかった。
「っ! ……?」
背中に流れ込むひんやりとした空気から服が捲られたことを近くした少年は、次に来るだろう衝撃に備えてきゅっと身を固くする。
しかし、いくら待てども予期したそれがやってくる気配がない。恐る恐る薄目を開けた彼が首を後ろに回してみると、少女は手を振り上げた姿勢のまま、何とも言えない表情で固まっていた。
察するに、振り切った感情に後押しされて叩く寸前までは来たが、実際に手を上げるとなった時点で理性がそれを咎めた、というところだろうか。
相手が正気を取り戻したのなら、もう慌てる必要はない。少年は一度いきを整えてから、自分に跨る人物へ声をかけた。
「重いから退いてほしいんだけど」
「……イヤよ!」
「まだ何かあるの……」
「あたしのこと、お姉ちゃんって呼んだら退いてあげるわ」
「はぁ?」
その要求は、単純に求められている動作量だけを考えるのならば、簡単などという言葉でも過剰なくらいだ。なにせ、たった五つの音を口に出すだけ。生まれたての赤子でもなければ数秒だってかかることはないだろう。
だが、少年はそれに応えない。それは、ただ言うことをきくのが癪だというわがままに因るのではなく、きちんと理由があった。
まず前提として、彼には少女と姉弟としてやっていく気がないわけではない。今はまだ気持ちの整理がつかずに他人行儀な態度を取ってしまっているが、やがて時が経てばその関係性も受け入れられるだろうと偽りなく思っている。
だからこそ、まだ真に姉だとは思えていない相手をそう呼ぶことは、上っ面だけを取り繕うような不誠実な行為に感じられるのだ。そこを急ぐ必要はあるのかと、そう彼は叫びたかった。
「呼び方だけ変えたって、そんなの意味ないよ」
「ある! あたしが自分のことお姉ちゃんって言い始めたのはさっきだけど、なんか言ってるうちにあんたのことちょっと可愛く思えてきたもん!」
「うぇ⁉ ふ、ふーん、そう……」
「だから意味あるよ! 一回ためしに呼んでみよ?」
もう不要だと感じたのか、少女は身体を抑え込むことをやめて優しく手を差し伸べる。
取ったその手の温かさが彼女の気持ちの真っすぐさを感じさせて、そうなのかもしれない、と少年は自分の考えを少し改めた。
「うぅ、あー……お、お姉ちゃん?」
「……ん!」
『お姉ちゃん』は見事な紅葉が見られて、とても満足そうに頷くのだった。
最近意味を知ったのでネタにした。