──違う。
『んっ、コクも肉まん食べる?』
そうじゃなくて。
『今度はヒーロー部のみんなと一緒にお店を回ろうよ』
これは俺が求めてるものと違うんだよ、レッカ。
『それじゃあ、また明日。ポッキーにもよろしくね』
そう言いながらお前は手を振って別れたけどさ。
明日も、明後日も、その次も、いつでも会える存在なんて。
日常の一部として当たり前のように存在する女の子なんて。
そんなの──俺が望んだ『謎の美少女』じゃないんだよ。
『……先輩?』
今一度、しっかりと考え直さなければならない。
『おーい、難しい顔してどうし──あっ、ちょっと!』
自分の部屋で、たった一人で、思慮に耽る時間が必要なのだ。
早急に答えを出さなければならない。
今後の身の振り方を。
コクとしての在り方を。
俺はこれから──どうすればいいのかを。
◆
球技大会を翌日に控えたある日の夕方の事だった。
俺がコクに変身し、レッカと二人きりで街をブラつく機会が訪れた。
タイマンで美少女として振る舞う事に緊張を覚えつつ彼と一緒に街へ繰り出して──俺は改めて現実を知ったのだ。
「…………」
沈黙する。
今いる場所は学生寮の一室だ。
実家が悪の組織に破壊されて以降、俺は寮で生活している。
たった一人の自由な空間での生活を許されているわけだ。
だからこうしてベッドに仰向けで寝転がり、目を閉じるでもなく、ただ天井を眺めていても誰からも文句を言われることはない。
誰からも思考を妨げられることが無い。
「……また明日、か」
ぼそりと呟く。
何だか天井の光が鬱陶しくて、手を上げて明かりを視界から遮ってみた。
眩しいけど、電気を消したらそのまま寝てしまいそうだったから、部屋の明かりはつけたままにしている。
少し経って、腕が疲れた。
体を横にして壁を見つめる。
「なんか……コクはもう、ハーレムの一員って感じだな」
世界を救って、学園に平和を齎して。
レッカはすっかり以前と同じような生活に戻ってしまっていた。
怪人との命を懸けた戦いこそ無いものの、俺の親友は相変わらず多数の女子に囲まれながら、至って平和にラブコメ生活を送っている。
むしろ世界を救った功績で、昔よりも更にモテていると言ってもいい。
他の男子たちからは羨望の眼差しを向けられ、女子たちからはよく声を掛けられ、肝心のヒーロー部の少女たちとの仲はより一層深まっている。
そして周囲と比べて唯一、コクという少女だけが何も成長していなかった。
百戦錬磨のレッカからすれば、慣れた少女の相手などお手の物だったのだろう。
すでに謎の少女が主人公を翻弄する時代は終焉を迎え、本編終了後の余裕ある少年が、攻略しきれていなかったヒロインの好感度上げをするターンに入ってしまっている。
コクはもう『ハーレム入りしない謎の少女』ではなくなってしまっているのだ。
めっちゃハーレム入りしちゃってる。
レッカの取り巻きの一人って感じ。
正体を知っている他のメンバーの前では変身しないが、だからといってコクに変身してレッカとだけ接しても、妙な雰囲気になる事も変に深読みされることもなかった。
この数週間で何度もコクとして接触したが、結果は同じ。
「じゃあ、どうすればいい?」
思わずスマホを触ろうとしてしまったが、それは思考の邪魔になると気づいてスマホを枕の下にしまい込んだ。
俺はこれからどうすればいいのか。
それが分からない。
なのでとりあえず
……普通に暇なだけだった。
いや、うん。
そういえば高尚な考えがあるだとか、そういうんじゃなかったな。
レッカに放置されて退屈になって、ならハーレム入りしない特別な立ち位置のヒロインとして登場して、アイツらをかき乱しながら楽しんでやろうって考えて、美少女ごっこを始めたんだ。
それが俺の始まり、オリジンってやつだった。
それから色々と狂っていって、気がつけば特別な少女を守る事になったり悪の親玉をやっつけたり、もう一人の自分が生まれたり──情報量が多い数ヵ月を過ごした。
その果てがコレか。
命を懸けて……いや別に命懸けの事がやりたかったわけじゃないけど、ともかく命を張るくらい大変なことをした結果がハーレム入りだなんて、到底容認できることではない。
ない、けど。
そもそもが俺のワガママから始まったのなら、最後がここまで俺の意思を踏みにじる結果だったとしてもしょうがない。
きっと俺自身がどこかで間違えたんだろう。
「……潮時、か」
コクは謎の美少女感が完全に消え失せた。
俺自身もコクになってレッカと接してもあまり『楽しい』とは感じられなかった。
彼には余裕があって、
美少女ごっこを始めたあの時とは状況が何もかも違う。
「氷織たちの事もあるし……あー、もう無理だな」
体を起こす。
スタンドミラーにはコクが映っていた。
「無理だよな?」
『……』
こいつはマユじゃない。
俺自身だ。
心の中の俺を映し出している。
喋りもしないし動きもしない。
ただ無表情で俺を見つめるだけだ。
「最初はあの子たちを”レッカの取り巻き”とだけ認識していた。けどアイツらをちゃんと知ってからは──」
レッカを奪ってしまったら悪い、と。
そう考えてしまうようになった。
「氷織もヒカリもカゼコも本気でレッカに想いを抱いているのに、俺が茶々を入れて……あまつさえヒロインとして奪うなんて事があれば、彼女たちを深く傷つけることになる──よな」
『……』
鏡に映るコクは何も言わない。
俺自身が答えを出さなければいけないからだ。
俺は誰からも助言を受けてはならない立場なのだ。
そうだ。
ヒーロー部の少女たちと仲を深めてしまったのがいけなかった。
美少女ごっこを続けてレッカのヒロインとして役割を全うするつもりだったのなら、俺は何があってもあの娘たちと親密になってはいけなかったのだ。
俺自身の罪悪感が大きすぎるから。
周囲の人間たちを引っ張りまわせるだけの心の余裕を奪ってしまうから。
性格が終わっているので他人なら大丈夫だったが、知り合いを傷つけてしまうとなれば話は別──となってしまう。
結果論で言えばレッカもかなり傷つけてしまっているし、沖縄で『コクが好きかもしれない』という想いを抱かせてしまったのも、彼のヒロインたちと仲良くなってしまった後だと考えれば失敗だった。
あの時は気づかなかったが、こうなってしまった以上結局最後はヒロインたちへの罪悪感で動けなくなってしまうに決まっていた。
「結論をまとめようか」
ここまで考えて、答えは出た。
「既にコクはメインヒロイン面が出来るほど特別な存在ではなくなっている」
それからもう一つ。
「悪の組織の残党によってボコボコにされた俺を、親身になって世話してくれたあの娘たちを傷つけてまで、レッカをからかおうとする
俺がそう言いながら頷くと、鏡の中のコクも頷き、その姿が少女からアポロ・キィへと戻っていった。
心の中で渦巻いていたモヤモヤが晴れたおかげなのだろう。
美少女
人生の目標が無くなろうとしている。
これまで『コク』を頑張ってきた自分にはウソをつきたくないから、変身ペンダントを捨てて都合よくアポロ・キィとして生活する、という選択肢は俺には無い。
だからレッカのヒロインとして振る舞うという目的が消え去った以上、俺は今後きっと──ずっとコクとして生きていく事になるだろう。
しょうがない。
変えようのない決定事項だ。
──だって、だって。
「レッカは……俺を止めてくれなかったから」
時間はあった。
少し時間をくれと言われたから、それを与えた。
退院してからの平和な一ヵ月間、自分から聞きにいく事はなかった。
けど彼から答えをくれる時は終ぞ訪れなかった。
沖縄で好感度を上げたのは間違いなかったけど、レッカがコクに対して告白してくることはなかったから、結局ヒロインとしてのムーブも中途半端だったんだろうな。
負けた。
失敗した。
コクはメインヒロインにはなれなかったんだ。
美少女ごっこをする変態が誰にも止められなかったのなら、それはもう哀れに最後まで美少女を続けるしかないだろう。
たとえ理解者や仲間が誰一人いなかったとしても、だ。
それが美少女であり続けた自分への誠意であり、周囲の心優しい人間たちを──たった一人の親友を欺いてきた自身への罰なのだから。
「……シリアスな主人公ごっこ、終わった?」
俺がベッドから立ち上がると、それとほぼ同時にマユが部屋の扉を開けてこっちを覗き込んできた。
「うん」
「よかった。じゃあ私も準備するね」
先ほどまでの俺の葛藤や悩みを全て『シリアスな主人公ごっこ』の一言で纏め上げられてしまった。かなしい。
反発する気力がないのでそのまま肯定したが、マユってやっぱり少し辛辣なんだよな。
部屋に入ってきた彼女は何やらリュックに色々な物を詰めており、俺の出した答えに関してはほとんど興味が無いようだ。
……まぁ、そうか。
マユからすればどうでもいい事なのかもしれない。
「ねぇ、アポロ」
「何ですか」
準備を終えて動きやすい恰好に着替えたマユが、リュックサックを背中に背負いながらこっちへ向いた。
「みんなが楽しみにしてる球技大会を邪魔されたくない、っていうのは分かるんだけども」
「はい」
「私たち二人だけであの警視監の
「……はい」
少しばかり呆れた声音でそう告げられ、俺は何も反論する事が出来なかった。
……いや、あのですね。
警視監の男って死んでなかったじゃん。
俺が倒したと思ったけど、あいつ体をロリっ娘アンドロイドにして生き延びてたじゃない。
そんでもってこの前の修学旅行では、群青──太陽の中にある魔王の力を狙って襲い掛かってきた。
これもうただ事じゃないんだよね。
ねっ。
パンドラの箱開いちゃってるよね。
ヤバいよねってこと。
──つまるところ、警視監は悪の組織再興の為に、魔王の力をかき集めているという事だ。
そしてこの世界において魔王の力を体内に宿している人間は、俺とマユと太陽をおいて他にはいない。
簡単に言えば、警視監は俺たち三人を常に狙っているというわけで。
そうなるといつ襲われるか分からないし、明日行われる球技大会の途中で襲撃してくる可能性も捨てきれない。
以上の理由から、俺はあの警視監ロリをとっ捕まえて牢にぶち込まなければならないのだ。
これはアイツを殺しきれなかった俺の責任だから。
「俺がやらなきゃいけない事なんだ。みんなの為にも、俺の為にも」
「……うん。あの、そういう決意表明は別にいいんだけどさ。アポロは何か行動を起こすときに『謎のヒロインとして』とか『美少女ごっこが~』とか、そういうの考えすぎて決断が遅くなってる事にそろそろ気づいた方がいいと思うよ?」
マユは窓のカーテンをずらして外を見ながらそう言ってくる。
「えっと……マユ、もしかして怒ってる?」
「は? そろそろ深夜の零時を回るんですけど。帰ってきてからクソどうでもいい美少女ごっこ云々を考えるのに五時間近く使ってるのマジで何? その間ずっと部屋の外で待ってた私の気持ち考えて?」
「ごめんなさい……」
そんな長い間シリアス主人公ごっこしてたのか、俺は。
そりゃマユも不機嫌になるわけだな、本当に申し訳ない。
お詫びに板チョコを手渡すとマユはそれをぶん取り、むしゃむしゃと食べながら横目に俺を見てきた。
「……で、自分を納得させることは出来たの」
心の整理は出来たのか、という意味の質問だろう。
それはもうとっくに大丈夫だ。
なんせ五時間も費やしたのだから。
「あぁ。俺は都合よくアポロ・キィとしてこの学園に残ることはしない」
「ずっとコクのまま生きていくってこと?」
「誰も止めてくれなかったからな。その時は元からこうするつもりだったさ」
みんなに黙ってこの学園を去り、生き残ったラスボスと命を懸けたラストバトルをしに行く免罪符を俺は手に入れた。
自分を納得させるための言い訳をようやく思いついたのだ。
俺自身の尻拭い、そして周囲への罪滅ぼしのために、誰も巻き込まず巨悪を討ちに行く。
そして誰にも攻略されなかった哀れな負けヒロインとして、俺は役目を終えてどこかへ消える。
そうするという結論に至った。
周囲に恵まれた環境でアポロとして生きていくには、俺の罪は重すぎる。
到底許されるべき行為ではないと思います。
アポロを捨て去って、攻略してくれる主人公が不在のヒロインになって、孤独に生きていく──それが終点。
それこそが、周囲への迷惑を考えずに自分の思うままに行ってきた、この美少女ごっこの終着駅だ。
「ふっふっふ。まぁ私は何があってもアポロのそばにいるんですけどね、初見さん」
「なんでそんなドヤ顔?」
マユに関しては……もう、いろいろ諦めた。
彼女の存在というか、俺との関係性そのものが事故みたいなもんだし。
なによりマユ本人がどうあっても(なぜか)俺から離れようとしない以上、無理やり引き剥がすのも難しいから、ついてきたいなら好きにしなさいよ、という流れになった感じだ。
「アポロ、警視監を捕まえたらその後はどうするの」
「……そのまま居なくなるよ。未練がましくコクとして残ったところで、本物のヒロインである氷織たちの邪魔になるだけだ」
ヒカリもカゼコも傷ついた俺を優しく支えてくれたし、氷織に関してあの子の恋を応援すると言ってしまった。
ならもう確実にコクの存在は不要だし、彼女らに恩を仇で返すような真似はしたくない。
レッカを翻弄して悔しがらせてやろう──なんて考えは当の昔に消え去っていたのだ。
だったら無理して美少女ごっこを続ける意味も無いだろう。
なんやかんや理由をつけて頑張ってはきたものの、元はと言えば俺が
「警視監が潜伏してそうな怪しい場所は、いくつかレッカのお兄さんから教えてもらってる。しらみつぶしに探していくわけだし、時間もかかるからもう行こう、マユ」
「わかった」
学園には未練たっぷりだし、本当は戦いなんて怖いから行きたくない。
それでも人の命がかかっていて、世界を終わらせようとしている危険思想のアホがいるならやらなければいけないことだ。
両親にも『人生を左右する大事な実験のために旅に出る』とそれっぽい事を言って納得してもらった。
ヒロインにも何者にもなれなかった俺でもやれる事はある──そう覚悟を決め、コクに変身してから部屋を出ていくのであった。
◆
「紀依、わたしもついてく」
カッコつけて自室から出発した僅か数分後の事。
俺の前に見覚えのある白髪の少女が姿を現してしまった。
めちゃめちゃ出鼻を挫かれた気分だ。
「……衣月、なにその恰好」
「音無に作ってもらった」
そして俺の庇護対象であったはずのその少女──藤宮衣月は、黒色を基準とした『忍者』のような恰好をしていたのだった。
首に巻いているマフラーも異様にデカい。何か見覚えある。
こんなの見たらそりゃ言葉を失うし、軽めに引くだろう。
黒い網タイツやらどうやって着たかも分からない黒インナーの上に、ミニスカかよって程に丈の短い忍者っぽい着物を身に纏っていて……ともかく小学五年生がやって許されるようなコスプレではない。
「えっちすぎる。着替えて部屋で寝なさい」
「やだ」
「いい加減にしないと怒るぞ」
「紀依の方こそいい加減にしないと叩く。何度言ったら──いつになったら"他人の手を借りる"っていう選択肢を覚えてくれるの」
お兄ちゃんムーブで誤魔化そうとしたが無意味だった。
無表情だが明らかに衣月が普通に怒ってる。こわい。
「……紀依がいなくなってから私、音無にお願いしてずっと忍者の修行をつけてもらってた」
何やってんだあの後輩……。
「ちゃんと強くなった。もうただ守られるだけの足手まといにはならない」
「い、いや……そういう問題じゃ」
「そういう問題。どうせ勝手にいなくなろうとするんだから、こっちが強くなって置いてかれないようにするしかない」
「わっ、ちょっ、衣月……」
そう言って彼女は俺の腕に引っ付き、絶対に離れないという分かりやすい意思表示をしてきた。
いつの間にか武闘派みたいなことを口にするようになった衣月ちゃんには、どうやら何を言っても無駄なようだ。
小学校の事とか、新しく出来た友達の事とかいろいろあったはずなのに、それらを二の次にして──またこんなバカに付いていこうとするなんて、この少女も大概だな。
「これでロリハーレム完成でごザンス~♪」
背中に隠れてたマユがとんでもない事を口走りながら腕を抱いてきて、いよいよ収拾がつかなくなってきた。
はたから見ればロリとロリにくっ付かれてるロリという絵面だ。ややこしすぎる。
「出た。紀依の分身」
「マユだってばよ! これからお世話になります、ハーレム一号先輩!」
「衣月だよ。よろしく、ハーレム二号」
いや打ち解けるのはや……。
「裏口で紀依を待ってる人がいる。いこ」
衣月に半ば連れていかれるような形で寮の廊下を進んでいき、俺たちは建物の外へ出ていく。
いったい誰が俺なんかを待っているのか。
……大体の想像はついている。
時刻は午前の深夜。
白銀の月光が差す、その静まり返った校舎の裏口に──その人はいた。
「……うわ、両サイドにロリっ娘を侍らせてる。小児性愛者……」
「不可抗力だ。いわれのない中傷は止めるんだ」
衣月と似たような忍者っぽい装束。
見慣れた黒髪に仲間内では珍しいポニーテール。
なにより異様なデカさの、首に巻かれた雀茶色のマフラー。
既視感の塊であった。
暗くて顔が見えなくても絶対に判別がつく人物だ。
「……マユ、ちょっと衣月の相手しててくれ」
「了解だッチュ!」
適当な理由をつけてマユが衣月を少し遠くへ連れて行ってくれた。
なにやらリュックから色々な道具を取り出して、衣月に披露したり、逆に手裏剣の投擲技術を見せてもらったりしている。
あっちはしばらく大丈夫そうだ。
……で、俺はこっち。
「オイ、そこの忍者」
「はい」
「屈め」
「はい──いひゃひゃっ!?」
とりあえず相手をかがませ、ほっぺを割と強めに引っ張った。
コレは制裁だ。
まじで何やってんだこの後輩は。
指はすぐに離してやったが、俺は未だに少し怒ってるぞ。
「音無オマエ、小学生になんてモン覚えさせてんだ?」
「……そ、それに関しては、ホントにごめんなさい……」
珍しく殊勝な態度で謝ってくるオトナシ・ノイズ後輩。
こいつの事だから何やら理由をつけて俺を論破しにかかると思ったのだが、その予想は外れたようだ。
……ていうか音無のちゃんとした忍者衣装を見るの、今回が初めてだな。
通気性を意識してるのか所々で肌が見えていて、特に太ももの網タイツが大変えっちだ。
目のやり場に困るから、できれば制服を着ていて欲しかったところである。
「何で衣月に危険な事を教えたんだよ。あいつに特別な力が残ってない事はお前も分かってるだろ」
「そりゃ、頼まれた当初は断りましたよ。二桁くらい」
あれ、割と甘やかしてるワケではない……?
「それでも何度もお願いしに来る衣月ちゃんを見て分かったんです。本気なんだって」
「い、いや、でもだな……」
「先輩の言いたいことは理解できますよ。衣月ちゃんはまだ十一歳だし、悪の組織から解放されてようやく普通の日常を手に入れましたからね」
でも、と。
そう続けながら音無は首を横に向けた。
追うように俺もそちらへ目を動かすと、視線の先には忍者装束に身を包んだ衣月がいた。
彼女は近くの巨木に向かって手裏剣をブン投げ、それらを全て命中させている。
素人目でも分かるほどの、驚異のコントロールだ。
あの少女がどれ程必死に鍛錬を積んだのか、どれほど本気で修行に取り組んだのかが、今の手裏剣技術を通して理解できた。
「あの子を庇護対象の子供じゃなくて、一人の女の子として見てあげて欲しいんです。衣月ちゃんだって、本当はずっと先輩を守りたいと思ってたんですよ?」
「……でも、あいつには普通の日常が──むぃっ」
すると、今度は音無が俺の頬を引っ張ってきた。
とても優しい力だ。まるで痛くない。
「衣月ちゃんの
「……ごえん」
頬を伸ばされたまま俺は謝罪を口にした。
音無のその態度からして、もしかしたら自分が思っているほど、アポロ・キィという存在は軽くないのかもしれない。
ここでとぼけて突き放す事も出来たかもしれないが──いや、やっぱ無理だな。
仲間がいるってなると気が緩んでしまって、その仲間から離れたくないと考えてしまう。
俺ってホントに単純な生き物ですね。
彼女に手を離された後、俺は深々と頭を下げた。
「ありがとう、音無」
「いいえ。私たちが勝手にやってることですから」
いつもの穏やかな声音だ。
何も言わず勝手に学園から去ろうとしたわけだが、どうやら衣月ほど怒ってはいなかったらしい。
俺の奇行に慣れた、とでも言うべきだろうか。
ともかくある程度の事情は察してくれているようで、仲間として単純に心強い存在だ。
「……ねぇ、先輩」
「なんだ?」
音無が立ち上がり、腕を後ろに組んでこちらを見下ろしながら切り出してきた。
何でしょうか。
ちょっとお茶飲むんで待ってもらえるかな。
「私とキスします?」
「ブッ゛!!」
突然、突拍子もない申し出を受けてお茶を吹き出した。
なんだなんだなんだ。
お茶が鼻から逆流して大変なことになってるから待って。
いま美少女がしていい顔してないからちょっと待ってくれ。
「うぅ……な、何のつもりだ、おまえ?」
「え、何って……三週間ぐらい前の先輩と同じ事してみただけですけど」
「どうしてこんな時に」
あまりにも急過ぎて急須になったわね。
三週間前の出来事って、たしか俺とレッカが事故で唇が合体しちゃったから、その衝撃の上書きがしたくて俺が音無に『キスしてくれ』って頭のおかしい事を口走ったときの事だよな?
よく覚えてたな……いや、あんなキモい事を言われたら印象にも残るか。
「私も今の先輩と同じ気持ちだったって事を分かってほしくて」
同じ気持ちってどういう。
「ですから……その、一瞬本気なのかなって思っちゃったってことですよ」
「えっ? あぁ、いや……あの件に関しては本当に申し訳ないと思ってるよ。ごめんって」
「謝って済む問題じゃないです。私ったらマジでビビったんですからね? あの時私が本当にキスしたらどうするつもりだったんですか」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
一瞬でごめんなさいボットと化した俺。
すると彼女はかがんで俺のそばに詰め寄り、耳に近い位置で声を上げた。
「これはお詫び案件ですね」
「お、お詫びって……?」
あれ、もしかして俺いま後輩にたかられてる?
オイ兄ちゃん金持ってんだろー、ちょっと飛んでみろよー的なアレか?
こわい、忍者やはり汚い。
振り返ってみれば音無にはいくら払っても足りないくらいの迷惑をかけてるから、腰を抜かすような大金を要求されても断れないのが辛いところだ。
5000兆円とか言われちゃったらどうしよう。
「じゃあ、今回の戦いが終わってもしばらく学園から去ろうとはしないでください」
「へっ……?」
マジか、このまま居なくなろうとしてた事までお見通しだったのかよ。
思考盗聴したな?
ニンジャってのは何でもありだなホントに。
「明日は球技大会ですし、来月には衣月ちゃんの小学校で運動会。その二週間後もウチの学園祭があって、それから──」
「待て待て、ちょっと待って」
「なんです?」
「いや、目的が分からん。何でそうまでして俺を行事に参加させたがるんだ?」
衣月の運動会や授業参観はかなり行きたいが、それにしたって音無の手は空いている筈だ。
なして俺までそれに行かせたがるのか、それが分からない。
「何故って……私が先輩と学園生活を送りたいからですけど」
「えっ」
へっ?
「そんな事も分かんないくらいおバカになっちゃったんですか」
「ちょ、まっ……え?」
何で俺と学園生活?
俺にキスしろって言われて不快になったんじゃないの……?
どうしてお前──急にそんなデレてんの。
「私の”普通”の中にも先輩がいるって事ですよ。それの何が不思議なんです?」
「だ、だって俺は……えぇと……」
「……ハァ。まったく鈍い人ですね」
「えっ──わっ! ちょっ!?」
すると音無は突然詰め寄ってきて、俺を校舎の壁に追い詰めてきた。
ドンっ、と。
いわゆる壁ドンというヤツをされ、心臓がドキッと高鳴った。
やだ、この後輩ワイルドすぎ……。
「キスでもしないと──分かりませんか?」
「……ひゃ、ひゃい」
そして顔面偏差値の暴力をかまして来た。
美少女というよりイケメンだった。
絵面はロリに迫る女子高生なのでかなりヤバイ。
しかし──音無の気持ちは伝わってきた。
めちゃめちゃに伝わってきてしまった。
俺の顔が熱くなっていくのを感じる。
……ぇ、えっとぉ!
この後輩、もしかして、そのー……あの。
お、俺のことがすっ、すすっす好きなのかしら……?
「はわわ……っ」
「……もう、ビビりすぎ」
俺が恐らく勘違いであろう感情で震えあがっていると、彼女は壁ドンをやめて小さく笑った。
「私は先輩の忍者ですからね。何処へだってお供しますけど、主が道を踏み外しそうならそれを正すのが私の仕事です」
そ、そんな主ってまさかお前この流れで──俺のことを『ご主人様』とでも呼ぶつもりか!?
もしくは忍者っぽく和風テイストにお館様か!?
「私に目をつけたって事はこうなるってことですよ。……覚悟してくださいね、先輩」
あっ、そこは変えないのね。
先輩呼びが徹底されてましたわ。
……いやまぁ冷静に考えると、後輩にご主人様って呼ばれたら、それはそれで困るか。
先輩呼びでよかった。
後輩に変なプレイをさせずに済んだ。安心だ。
「さ、早くいきましょ。この先で風菜センパイとライ部長も待ってますから」
あの二人までいんの!?
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「どしました」
「何でそんなに俺の事情を知ってるんだ? マユ以外には誰も──あっ」
「えぇ、そのマユちゃんからの情報です」
あの野郎……口が軽すぎるだろ……。
「それに部屋に戻る前の先輩の顔を見て、私たちもただ事じゃないなって思ってましたし、話を共有される前から準備はしてましたよ」
「お前ら俺への理解があり過ぎて逆に怖いよ」
「先に行ってますね~」
そう言って音無は衣月とマユを連れて、学園の裏口から外へと飛び出していった。
もはや俺が一人で逃げないことは確定事項なようだ。
てか脚力だけで門を飛び越えているあたりやっぱニンジャってすごいわ。
俺もあとで弟子入りしようかな。
じゃあ俺も行くか──と、そう思ったところで
「……あぁ、やっぱり」
振り返った。
予想通り、俺の親友──レッカだった。
何かを察知して焦って起きてきたのか、髪はボサボサだし服装もジャージのままだ。
「こ、コク……? 何処へ行くつもりだ?」
彼にはバレたくなかったんだが、これもコクという少女を演じるうえでの宿命か。
負けヒロインがどこへ行こうと勝手だろう……なんて言うのは流石に酷いかもしれない。
音無や衣月たちからは『アポロ・キィ』を必要とされていた。
あれらの会話からそれだけは確定している。
そしてこの世界で『コク』という少女を必要としている人は、もはや俺以外に誰一人として存在しない。
太陽にも衣月というお姉ちゃんが出来たし、コクはそろそろ役目を終えようとしているのだ。
ならば、もう必要以上にヒロインとして振る舞う必要もないだろう。
──俺は自分の意思じゃなくて、お前に止められたかったんだけどな、親友。
「心配しなくてもアポロ・キィは帰ってくる。後輩に釘を刺されちゃったから」
「……っ」
レッカが眉間に皺を寄せた。
そういう問題ではない、とでも言いたげな表情だな。
「何もかも私のせいだけど、ひとつだけ言わせてほしい事がある」
どうせコクとして会うのはコレで最後になるんだ。
ペンダントの処分についてはあとで検討するとして、言いたいことだけ伝えておこう。
「……私は待ってたよ。沖縄の時からずっと、レッカの答えを」
少年は目を見開いた。
呆然とする、といった方が正しいかもしれない。
俺の言葉が衝撃的だったのか、はたまた『負けヒロインに伝える答えなんて無い』と呆れているのか、その判別はつかない。
ただ一つ言えるのは、今の言葉が俺の本心だという事だけだ。
どちらでもよかった。
勝ちでも負けでも。
だけどそれは俺が勝手に出す結論じゃなくて、彼の口から聞きたかった答えだったんだ。
「あなたにとってはどうでもいい存在かもしれないけど……出来れば頭の片隅にでも置いて、たまには思い出して欲しいな。コクっていう、自分に言い寄ってくる変な女の子がいたってことを」
「ま、待って! コク……待たせてしまって本当にごめん。その……ぼ、僕は──」
彼は優しい。
きっとここで待てば、コクに対して正解としか言いようのない返答をくれることだろう。
だけど、相手を気遣ったその場限りの優しい言葉は、どうしても聞きたくなかった。
それは俺の……いや。
「さよなら」
レッカの反応を待たずに、俺は風魔法を使って闇夜に溶けていった。
おそらく見事な負けヒロインムーブに見えた事だろう。
元謎の美少女としてのフィナーレと考えれば、割と及第点なのではなかろうか。
ふふふ、最後にちょっとだけ楽しいと思える雰囲気づくりが出来たな。
よかったよかった。
……待って、なんか後ろから音が聞こえるんだけど。
多分あいつ追いかけてきてるな?
ヤバい、どうしよ……。