個別ルートを体験したその翌日。
日曜日という事もあってか、完全にだらけきっていた俺は、自室で仰向けに寝転がりながらスマホを弄って暇をつぶしていた。
ちなみに俺の上にはマユがうつ伏せの体勢で乗っている。
重い重いと文句を垂れるこっちの事などつゆほども気にせず、俺の上で漫画を読みふける彼女はさながらナマケモノ。
本を読むだけなら密着しなくてもいいというのに、まったく勝手な女だ。
「なぁマユ、なんの本読んでるんだ」
「アポロママにお小遣い貰って、昨日買ったやつ。アポロも読む?」
「さんきゅ」
試しに本を借りてみても、相変わらず退く気配はない。もう諦めよう。
彼女から手渡された本を読んでみると、絵柄からしてそれが少年漫画である事が分かった。
少し意外だな、と思いつつ読み進めていると──
「……お前、何で少年誌のハーレムものなんか読んでんの?」
至極単純な内容の漫画であることが判明した。
彼女が没頭していたのは、よくある学園ラブコメだ。
自称なんの取り柄もない少年主人公と、彼に好意を抱いている多くのヒロインたちが織り成す、ちょっとえっちなドタバタ学園ラブコメディ。
こう……なんというか、一昔前って感じの印象だ。
数年前に見かけたことのあるタイトルだし、確か本誌ではもうとっくに完結している。
少なくとも女の子が夢中になって読むタイプの漫画とは思えないのだが、これも多様性か。
「自己投影してハーレム学園ライフを楽しんでた。わたしはモテモテ」
「めっちゃ純粋に楽しんでいらっしゃった……」
今どきの中高生でもそんな真剣に自己投影はしないと思う。純粋な子だねあんたは。
だいぶ前にチラッと読んだ程度の漫画という事もあり、ペラペラと続きを読んでいくと、僅かだが世界観に引き込まれた。
設定はありがちだが、有名な少年誌で長期連載をしていただけあって、テンプレの内容でもこれがなかなかどうして面白い。
【く、くっそぅ……! どうしてアイツがあんな美少女たちにモテるんだ……!】
【羨ましい……】
懐かしいシチュエーションが出てきた。
特にこれといった特技もなく、別段イケメンでもない主人公が、物語後半には既にモテモテになっていて、経緯や事情を知らない周囲のモブや男子キャラたちが悔しがる、という古き良きシチュである。
改めて見返してみると、こんな露骨に悔しがる男子なんて、学園で一番の美少女とかいう謎の立ち位置にいるヒロインくらいファンタジーな存在だなぁと感じる。
「それ、気持ちよさそう」
「は? ……えっ、これが?」
美少女ヒロインたちに囲まれてる場面じゃなくて、男子たちが悔しがってる場面を指してマユが呟いた。
「優越感スゴそう。有名な人たちに自分だけが特別扱いされて、他の男の子たちが悔しがってる姿を見るの、自尊心が満たされる」
「性格悪いな……」
「でも、アポロだって同じ気持ちでしょ」
「理解できてしまうのが悔しい」
そりゃ有名人から特別扱いをされたら、否が応でも嬉しくなってしまうというものだろう。
他の人間たちから嫉妬の眼差しを向けられるのは、個人的には居心地が悪そうだとも思ったが、悔しがっている姿を眺めること自体は確かに楽しいかもしれない。
「やろうよ。暇だし」
「何を?」
「それ」
「……どれ?」
「これ」
俺から漫画を取り上げたマユが、男子生徒が悔しがっているコマを指差しながら俺に見せてきた。
それをやるってどういう事なの……。
「ヒーロー部って十分に有名人じゃない?」
「そりゃまあ」
街を歩けば握手なり写真なりを求められる大物だ。冷静に考えるとあいつら大変そうだな。
「アポロはヒーロー部のみんなと親密な仲で、なおかつほとんど知名度がない」
「ただの学生なんだから、知名度なんてあるワケないな」
「じゃあ出来るよ。公衆の面前でヒーロー部の誰かとイチャつくだけで『だ、誰だあいつ……何であんなやつが……』って、みんなを悔しがらせることができる」
「本気で言ってる?」
とっても悪趣味な遊びですね!
ちなみに学園ではレッカとよく話しているが、肝心の俺は有名人に構ってもらってるモブ扱いをされてるため、その作戦は失敗すると思われる。
「レッカとじゃなくて、女の子たちとだよ。人が多い街の中で、露骨に近い距離でお話をすればよい」
「えぇ……」
「アポロは特技もない普通の一般人だから、可能」
「待て、聞き捨てならない。俺には美少女を完璧に演じられるという立派な特技があるんだ」
「それ立派じゃないよ」
「…………」
確かに。
さっきは悪趣味とか何とか言ったが、そもそも美少女ごっこの方がよっぽど悪趣味なイカレた遊びだ。
なにをどう頑張ったところで、俺がマユに対して常識を語る事は不可能だという事が判明してしまった。つらい。
「ね、やろ。別にヒーロー部のみんなが傷つくわけでもないし」
「奇異の目にさらされて俺が傷つくんだけど」
「きっと優越感が勝るよ。わたしはドローンで眺めてるから、アポロはぜひ現場でハーレム主人公気分を味わってきて」
「体よく俺のこと家から追い出そうとしてるだけだろ! まっ、おい! 鍵閉めないで! マユちゃん!!」
結局彼女に押されて家を出ることになった俺は、特にやることもないのでハーレム主人公ごっこを始めることになるのであった。
そもそもハーレム主人公はれっちゃんの方だと思うのだが、やらないとマユが家の鍵を開けてくれない。
こうなったらヤケだ、がんばるぞ。
……
…………
はい、ダメでした。
ぜんっっぜん無理でございました。世の中そんなに甘くないね。
ヒーロー部と遭遇したイベント自体は多かったのだが、どうも俺が主人公的な活躍をすることはできなかった。当然と言えば当然だ。
とりあえずダイジェスト気味に振り返っていこう。
最初は氷織とヒカリのコンビと邂逅した。
ヒカリの方からお助け要請の電話を受けて現場に駆け付けたのだが、そこでは氷魔法を使って暴れる男がいて、彼女たちはその対処に追われていたのだ。
しかし、なにやら氷織がトラウマで戦えなくなっていた。
「コオリさん! 頑張ってくださいまし!」
「む゛り゛ぃ~ッ……さむいのこわいぃぃ……」
話を聞く限り、氷織は俺と一緒に雪山で遭難したあの時から、寒い場所や氷魔法を操る相手がトラウマになってしまっていたらしかった。
自分が使う氷魔法や冷気程度なら何とか耐えられるが、自分以外から発生する『寒い』『冷たい』といった現象に対しては、極端に弱くなっていた。お前そんな事になってたんか……。
「わたくしが光魔法でピカーって照らして温めてさしあげますから! ぴか~」
「ダメぇぇ゛……ぐすっ、えぐっ」
「ピカー! ぴぃ~……ピィーカッチュ!」
「あはははっ! ……やっぱ無理ィ!」
「ちょっ、いま笑いましたよね!? 本当は少し余裕ありますねコオリさん!? ねぇってば!!」
ヒカリさんが完全に保護者になっていらっしゃった。
氷織はどうやら寒さによる恐れを誤魔化すことくらいなら出来るのだが、本格的な戦闘となると話は別になってしまうらしい。
現場には警察も来ておらず、ヒカリと氷織も物陰に隠れて様子を見ていたため、彼女たちを応援する人々やファンなどはその場にいなかった。
たとえ俺が彼女たちと一緒に戦っても、周囲から羨ましがられて優越感を得ることはできない──が、流石にそんなことを気にしている余裕はないので。
氷織と同じく遭難した俺が、彼女を支える杖としての役割を買って出ることになった。
「お前の気持ちは俺が一番よく分かってる。なにせ一緒に遭難したわけだからな」
「アポロぐん……っ」
「んまっ、コオリさんったら鼻水が。これティッシュお使いになって」
「チーン! ……あ゛りがとっ、ごめんねヒカリっ」
メンタルケアをしつつ、彼女の手を握って奮い立たせることに成功した。
朝ドラの主演女優レベルの有名人と手を繋いだわけだが、残念ながら観測者はゼロだ。
「あのときも”一緒なら大丈夫”って言ったろ? 俺がついてるから。……ほら手ぇ握って、アイツ倒してレッカに褒めてもらおうな」
「う゛んっ……! がんばる!!」
「あっ、わたくしもお手手を……」
「アタシの両手塞がっちゃうからアポロ君の空いてる方を握って、ヒカリ」
「そうですわね!」
「あの、それだと俺の手が塞がっちゃうんだけど……」
なんやかんやあって敵には勝った。戦力的には俺いらなかったな。
結局戦闘が終わった後は、すぐに風菜から連絡がきてそちらへ向かう事になったため、あとからやってきた野次馬たちに”有名人二人と手を繋ぐ俺”を見せることは終ぞ叶わなかった。ぐぬぬ。
続く風菜とカゼコのウィンド姉妹の方にも救援に向かったが、そこでも俺は優越感を得ることは出来なかった。
なにやらビルの屋上から落ちそうになっている少女が一人。
風魔法の練習中に魔力切れを起こして不時着してしまい、高層ビルの端に掴まる事になってしまったらしい。
とりあえず俺と姉妹の三人で、風魔法による飛行で彼女を助けようとしたのだが、問題が発生した。
「すっ、少しでも動いたらおしっこ漏れそうなのぉ……! ビルの下にいる人たち、写真とか動画撮ってるし、そんなの見られたり拡散されたりしたら死ぬしかないよぅ……!」
とのことで。
どうやらこの際おしっこを漏らしてしまうのはしょうがないと割り切っていたようだが、それを大勢の人間に見られるのだけは避けたいらしかった。当たり前の事だ。
ビルの下には珍しいもの見たさで集まる野次馬ばかりで、警察や消防もまだ到着していない以上、彼女を助けられるのは空を飛べる俺たち三人だけ。
しかし助けようとして動かした後すぐにお小水が流れてしまうのであれば、何らかの策を講じなければならない。
というわけで導き出した答えは、いつも通り俺が汚れ役を請け負うというものだった。
「ちょっとキィ! なにする気!?」
「下にいる連中に向かって、怪我をしない程度の風魔法を打つ。思わず目閉じちゃうレベルのヤツな。
その隙にささっとその子を屋上に引き上げてくれ」
「で、でも、そんな事をしたらキィ君が……」
嫌われてしまう、と風菜は言いたかったのだろう。
だが本当にいつもの事なので気にはしていない。一度は世界中に極悪殺人犯として認識された俺だし、この程度は屁でもない──と強がってみせた。
自尊心を満たすために家を出たのに、まさかただ嫌われる事になろうとは……と内心落ち込みつつ、警察も呼ばないで動画を撮ってるアホな野次馬共に突風でお仕置き。
「あっ、き、キィ君はまだ屋上にはいかないでください! あたしあの子の着替えを買ってくるので──」
てな感じで誰かに礼を言われることもなく、俺はスイスイとその場を去っていった。
で、最後はライ会長のお助けだ。
彼女が受けていた依頼は、発泡スチロールの箱の中に乗って大きな川に流されてしまった飼い犬を助けてほしい、という内容だった。
依頼主は以前見かけた衣月の友達である柴乃ちゃんだ。
「ひぐっ、か、河川敷で遊んでたんですけど……わだっ、わたじが川に落としちゃったボールがっ、箱の中に入って、それをイグザリオンユニバースが取りに行っちゃっでぇ……!」
すごい名前の犬だな──という気持ちは押し込んで川の方を見ると、石に引っかかってギリギリ流されずに済んでいる発泡スチロールの箱の中に、ポメラニアン種の白いモフモフがちらりと見えた。
かなり横幅の大きな川で流れも少し速く、あの小さい犬では恐らく溺れる可能性がある。水に落ちないうちにさっさと箱ごと回収しなければならない。
「しかし──見なさいアポロ。あの川にはサメがいる」
なんで……。
「品種改良された凶暴なやつだ。……もしかすると、悪の組織に代わる別の何かがいるのかもしれない。
何にしろ、水辺で我々はサメにはかなわない。救援が来るまで待たないと」
「ふえぇぇん、イグザリオンユニバースぅぅ゛……!」
どちらにせよ助けに行かないと、イグザリオンユニバースが危険だ。サメがイグザリオンユニバースを襲わないという保証もない。
ここは俺が風魔法で飛びながら、こっそり河辺から引き上げるとしよう。
「なっ!? ひとりでは危険だアポロ!」
まぁ体を張るのは俺の領分みたいなところがあるので、俺がやらなきゃ誰がやるって感じで出動。
丁度いい場所まで移動し、空中で犬を箱ごとゆっくり持ち上げた。
すると出現した川の主こと凶暴サメ。
『シャークッ!!』
最強の進化形態にあるサメと激しい空中戦を繰り広げ、最後は俺の生んだ隙を会長が生かし、10万ボルトをサメハダーにぶち込んで大勝利。
ポメラニアン犬ことイグザリオンユニバースを助けることに成功した。
「あぃっ、ぁ、ありがとぅっ、ございます……! イグザリオンユニバース……怪我はなかった?」
「ワン」
「良かった……あ、あのっ、本当にありがとうございました! 衣月ちゃんの近所のお兄さん!」
子供の笑顔を見られることが出来ただけでも、命を張った甲斐があったというものだ。
もうぶっちゃけ優越感だとか自尊心を満たすだとかはどうでもよくなっている節があるな。
とりあえず柴乃ちゃんの頭を撫でて、年上っぽいことを口にすればこの事件は解決だ。
「どういたしまして。何か困った事があったら、またいつでもヒーロー部においで。どんな時であってもお兄さんが助けるからね」
「っ……!」
柴乃ちゃんは驚いたような表情で頬を赤くした。
まさか恋に落としてしまったか。フハハ。
……流石にキモすぎるな、やめよう。
「す、すてき……っ」
恐らくは年上への憧れに過ぎないので深くは考えないことにする。慕われること自体は良い事だし。
その後は柴乃ちゃんの見送りをライ会長に任せて、ようやくすべてが終息した。
──こんな感じでダイジェストは終わり。
俺の日曜日は優越感や自尊心など欠片も満たされることはなく、多忙に次ぐ多忙によって徹底的に破壊し尽くされてしまったのであった。
◆
滅茶苦茶に疲弊し、フラフラになりながら帰路につく途中、俺は凶器を所持した男に遭遇した。
今日のイベント発生率、ちょっとバグり過ぎてない? RPGじゃないんだぞ。
衣月と一緒に襲われた前回といい、今日の氷織とヒカリと戦った相手といい、最近は妙に気性の荒い連中が、人目のつくところで暴れすぎている気がする。
ライ部長が口にしていた『悪の組織に代わる何者か』による仕業なのかもしれないが、あまりにも疲れ切った今の俺にはそんな事すらどうでもよく感じられてしまう。
うまく頭が働かない状態で敵の前に立ちはだかると、男は予想通り『殺してやる』と荒々しく叫び散らかし、日本刀を持って俺に迫ってきた。
殺してやる。
その言葉をぶつけられて足が竦む。
怖い、逃げたい、戦いたくない──脳裏に過去のトラウマが想起される。
顔が蒼くなり血の気の引いた唇が強張るが、高鳴る胸を自分の拳で思い切り叩き、怖気づくなと自らを鼓舞した。
眼前に目を剥く。
懊悩している暇など無い。
……いや、負けねぇぞ。
やられてたまるかってんだ。
俺がシリアス顔してたら仲間たちだって気落ちしてしまうんだ。俺もヒーロー部の端くれだなんだという所を見せてやる。
よーし、やるぞポッキー!
「先輩、うごかないで」
──と、なんとか立ち上がって戦おうと心に決めたその瞬間。
俺の頬のすぐ横を何かが通過し、相手の男の脳天にそれが突き刺さった。
そして男は悲鳴を上げる間もないまま仰向けに倒れ、完全に沈黙した。
……えっ。
し、死んじゃった?
「麻酔薬を注入させる特殊なクナイです、死んでませんよ」
後ろを振り返る。
そこには口元全体をマフラーで覆い隠した少女──忍者が静かに佇んでいた。
「安心せい、峰打ちじゃ……ってヤツですね。大丈夫でしたか、先輩」
「ぉ、音無……」
俺を助けてくれた忍者が、目元を緩ませながらマフラーを顎の下まで下げた。おかげで彼女の正体をハッキリと視認する事ができる。
後輩ニンジャ、音無。
今日一日姿を見せていなかった彼女こそが、一番危ない瞬間の俺を救ってくれたヒーローであった。
少しして、街中にある噴水広場まで移動し、そこのベンチに座って俺は手当てを受けていた。
音無に絆創膏やら消毒やらをされているが、相変わらずそんな俺たちを観測してくれる人々は誰もいない。
そもそも時間帯が既に夕方を過ぎていて、空が暗くなる直前だ。おまけに人通りの少ない広場のベンチとあらば、誰にも見られないのも無理はないのかもしれない。
く、くっそぅ……! どうしてアイツがあんな美少女たちにモテるんだ……! ──なんてあまりにも臭すぎるセリフは、これからも一生言われないに違いない。
そもそもの話として、別に俺はあの漫画のような勝ちまくりモテまくり主人公ではないからだ。当たり前のことを失念していた。どちらかといえば負けまくり泣きまくりって感じ。
部活動の仲間がワケあって有名になっただけであって、彼女らが俺のハーレムだなんてのは大きな間違いだったのだ。
「……先輩?」
「俺はとんだ自惚れ野郎だ」
「何を言ってるのか分かりませんけど、勝手に帰ろうとしないでください。サメと戦ったせいで全身ボロボロなんですから」
大体なんで川にサメがいるんだよおかしいだろ。左手の薬指の爪とか完全に剥がれててクソいてぇし、もうマジで最悪な一日だ。
「ほら、剥がれちゃった爪の応急処置しますから、動かないで」
「痛い痛い痛い」
「あした一緒に病院いきましょうね」
「もうやだ……」
涙が出てきた。何で俺ばっか痛い目に遭わなきゃならなんのだ。……ほぼ全て自己責任だからなんも言えねぇ。強いて言うなら俺自身を叱ってやりたい。もっと自分の身体をいたわっておくれやす。
まったく。
学園ラブコメだのハーレムだの、くだらない。
周囲から羨ましがられる状況なんて一度も来た試しがないし、来る気配すらなかった。
俺なんかが出来るのはせいぜい今日みたいな血みどろ激痛バトルくらいだろうが。二度とハーレムだなんて勘違いするんじゃないぞ。物理的に痛い目を見るだけだからな、ほんと。
平気なフリしてても、痛いのはムリだし面倒くさいのは嫌なのだ。
「先輩、今日はたくさんの人を助けたんですってね。いろんな方々から聞きましたよ」
「……あー。……い、いや、全然そんなことないぞ? マジで謙遜とかじゃなくて」
ほとんど成り行きというか、俺はあまりにもちょい役でしかなかった。
最初の事件の敵は氷織とヒカリだけでやっつけたし、ビルから落ちそうな女の子はウィンド姉妹が引き上げて、最後のサメだってとどめを刺して助けてくれたのはライ会長だ。
「そもそも……一番やりたかったことは出来なかったし」
「はぁ、なるほど」
教えてないから分かるはずも無いけども。
邪な考えで周囲を悔しがらせようだなんて、突飛で偏屈な思考は唾棄すべきものだ。誰にも喋らないで、俺自身が忘れるまで秘密にしておこう。
「でも、先輩のおかげで救われた人たちがいたのは、紛れもなく事実じゃないですか」
「……やさしいな、音無は」
「正当な評価をしてるだけです。……自分の先輩がこんなにもカッコいい人で、私は誇らしいですよ」
温かい笑みが本当に眩しい。俺には勿体ないというか、本当に後輩運に恵まれたというか。
彼女に褒められただけで、少なくとも今日一日を頑張った意味は生まれた気がする。
やはり音無は誠実で慈愛の塊みたいな人間だ。
俺の脳内から生み出された
「……んっ、電話。……会長からだ」
スマホに通知が来たので出てみる。
『もしもしっ、アポロ!? きみ今どこにいるんだ!』
「えっ。……ふ、噴水広場っすけど」
『なに……あっ、いた!』
振り向いた時にやって来たのは、なにやらレジ袋を二つほど抱えたライ会長だった。
なんでそんな息切れしてるんだろう。
「はぁっ、はぁ……っ、さ、さがしたぞ、まったく」
「ご、ごめんなさい……?」
「……忘れたのかいアポロ。サメと戦って怪我をして、服装も傷だらけになって目立つだろうから、救急用品と替えの服を買ってくるので河川敷の近くで待っていてくれ──と言っただろう?」
あ、あれ? そうだったっけ……。
ライ会長、てっきり柴乃ちゃんを送り届けてそのまま帰ったのかと思ってた。
どうやら今日の俺は肉体のみならず、脳の方もだいぶ疲弊してしまっていたらしい。
「部員全員に共有させておいてよかった。音無、彼の応急処置は」
「はい、最低限は」
「よかった、ありがとう。……アポロも、本当にありがとう。きみが走り出していなかったら、私は危うく判断を見誤るところだった。不甲斐ない部長で、すまない」
「い、いえ……お気になさらず……」
もしかして結構心配させてしまっていたのだろうか。とても悪いことをしてしまった。
すみませんでした──と謝ろうとした直前に、再び近くで足音が鳴った。
横を見ると、やって来たのは見慣れた緑色髪の少女二人だ。
俺の姿を確認するや否や、二人とも急いだ様子でこちらへ駆け寄ってきた。
「きっ、キィ君ごめんなさい! まさかあたしが帰ってくる前に、どこかへ行っちゃうとは思ってなくて……! みんなに嫌われてまで助けてくれたのに、お礼も言わずに……ごめんなさい!」
ひぃ、早とちりして勝手にさっさと移動した俺が悪いのに、謝られたら胃が死んでしまう。
「今日は本当に助かったわ。ありがとうねキィ。けっこう見直しちゃったわよ」
「……ぇ、えへへ」
「あっ、キィ君が笑ってる……かわいい……」
そりゃまぁ、褒められるのは素直に嬉しいから笑うのは当然だ。笑顔がキモいとか思われてたら凹む。
しかし音無だけでなくカゼコにも功績を称えられるだなんて、今日の俺の運勢はどうなっているのだろうか。
「あー! アポロくんいたーっ!」
「コオリさんお待ちになって! 走るとタマゴが割れてしまいますわ!」
トドメと言わんばかりに、今日一番最初に手を貸した二人組である氷織とヒカリまで駆け付けてくれた。
彼女らもパンパンのレジ袋などを持っていて、なにやら大量に買い物をしたであろう事が窺える。
「なに、どうしたの二人とも」
「えっとね、アポロくんに今日のお礼をしたくて。来てくれなかったら、きっと戦えてなかったから」
「お鍋の材料を買い集めましたの。よかったら皆さんでご一緒に……どうかな、と」
「…………泣きそう」
「「えぇっ!?」」
情けは人の為ならず、なんて言うが、それにしたってこんな露骨に自分に対して、良い事が返ってくるとは思っていなかった。
こんなに心配してくれたり、あまつさえ親切にしてもらえるだなんて、まるで夢でも見ているかのようだ。あの未来予測装置はこんな幸福な世界線は見せてくれなかった。
他の誰かが見ていなくても、この仲間たちは俺のことを見てくれているのだ。
これ以上のことを望むのは野暮というものだろう。他人に対しての優越感はともかく、自尊心の方はこの上なく満たされている。
今日の目的は達成できたといっても過言ではないのではなかろうか。
きっかけをくれたマユにも少しは感謝してやってもいいのかもしれない。……それはそれとして、家に帰ったら追い出した仕返しにデコピンをしよう。
「鍋は俺の家でやろうか」
「りょーかい! いこヒカリ!」
「ですから走るとタマゴが……!」
「フウナ、私たちも途中で何か買っていきましょっか。食紅とか」
「お、お姉ちゃん? 闇鍋じゃないよ?」
「そーいえばですけど部長、今日レッカさんは何してるんですか」
「歌のレコーディングだそうだ。あまりにも音痴で難航しているらしい」
そう、このまま。
そのまま自宅へと帰って一日が終了──そう思ったときだった。
「ぉ、おい、あれヒーロー部じゃね?」
「マジだ……! って、囲まれてる真ん中の、あの男……誰だ?」
遠くにヒーロー部を知る一般ピーポーを発見してしまった。
俺はギリギリ彼らの声が聞こえているが、女子勢はみんな会話をしているせいで耳に入っていないらしい。
数時間前までは彼らに観測されることを望んでいたのだが、なんともタイミングが嚙み合わないものだ。
「あれファイアじゃないぞ?」
「学園の生徒か。見たことあるような……」
どうしてこういう時に限って、あの漫画を彷彿とさせるような一般人が登場してしまうのか。
……まぁ、もう疲れたし、面倒なことは考えたくない。
せっかくだから試しに一つ。
本当に有名人の美少女と仲良さげに振る舞ったら悔しがってくれるのか、ここで最初で最後の検証を行ってみよう。
「音無」
「なんですか?」
「爪が剥がれてる左手、なんか痛くて震えるんだ。家に着くまででいいから……その、握っててくれないか」
「はぁ。それくらいなら別に」
──はい。
ヒーロー部の中でも特にガチ恋勢が多い音無と手を繋いでみました。反応はいかに。
「……ッ!? っ!?」
「何てこった……ノイズ推しのあいつが今いなくて良かった、たいへんだ……!」
「いやっ、なんなんだよあの男子!?」
……あっ。
その露骨な反応、ちょっと気持ちいいかもしれない。
「えっ? なんですかキィ君、いつのまに音無ちゃんと手なんか繋いじゃって」
「い、いろいろあって……」
「風菜先輩もやったらいいですよ」
「……ふむ、じゃあキィ君。身体の右半分だけコクさんと代わってください」
「そんな器用な事できねぇわ」
「だったらくしゃみしてくださいよぉ! くらえ髪攻撃っ」
「ちょっ、やめっ!」
自然と風菜が寄ってきて、手を繋ぐのではなく右腕ごと抱いてきた。ふわふわのナニかが当たってて罪悪感で死滅しそう。ここまでしてもらうハズでは無かったんだが。
「なんで、あんな冴えない顔の男が、ウィンドと……?」
「まっ、落ち着け! 握りこぶしを解け!」
「アイツ屋上へ連れ込もうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……」
…………や、やっぱりヒトを煽るのはやめとこう……。