「…………はぁ」
ため息一つ。
季節が冬へと移り変わったこともあり、吐息は白い風になって霧散する。
バイト帰り、退勤してからコンビニで買った温かいお茶を手のひらで転がしつつ、辟易したように重い足取りで進みながら最近のことを思い返す。
こちらに戻ってきて一週間と少しが経過した。
十一月の終わりごろに異世界転移装置で並行世界へ渡り、あちらで一ヵ月を過ごしたのだから、本来であれば今日か明日が警視監との約束の日だ。
しかし現在は十二月の初週。
なんとあっちでの一ヵ月は、こちらではたったの三時間であったらしい。
親父によると時空のゆがみがどうこうという話だったが、正直半分も理解できなかった。
唯一わかったのは、俺の転移したあの世界が相当の『
『ふたりとも三時間も戻ってこないなんて心配したぞ……。三十分ほど別世界の様子を見たら一旦戻ってくるように言ったじゃないか。……え、魔力切れ? そんなバカな、しっかりと往復用の魔力をチャージしておいたはず──』
曰く、この正規世界からみて”IF”の世界線であればあるほど、渡航する距離と消費魔力が大きくなってしまうらしい。
どんな世界線を往復しても三分の一程度の魔力が余るほどの、多量のエネルギーを持っていたにもかかわらず、それを片道で消費しきるあの世界は、よっぽどこの世界とは乖離したあり得ない──あるはずがないルートだったようだ。
確かに以前の個別ルートシミュレートをしたとき、悪の組織を壊滅させたという一点に関しては、すべての世界線で共通していた。
悪の組織を倒すということは、俺が”美少女ごっこ”を継続させコクという存在の延命をおこなうことでもある。
コクがいるとレッカの心が折れない。
彼の心が折れなければ、ヒーロー部は六人集って魔王を倒す。
氷織の個別ルートのようにコクを続けることがなくなっても、たとえみんなが集まらなくとも、部員内で
これらは、もはやそういった概念の話だ。
ヒーロー部のメンバーの誰が俺を選ぼうとも、誰も死なない限り絶対に負けることはあり得ない。
しかし、一人欠けるとどうなるのか──それは知っての通り悲惨な結末だ。
あそこは別の世界から訪れた俺とマユの二人という、言うなれば裏技みたいな存在が介入しなければ修正できないほど終わっていた。
それは一人死んだから。
悪の組織に対するカウンター的存在であるヒーロー部のうち、運悪くアポロ・キィという男が命を落としてしまったからだ。
しかし、俺が死んでこの世が支配されてしまうほどあり得ないそんな世界だったからこそ、彼女が誕生するきっかけが生まれたのだ。
「……ん」
交差点の信号で立ち止まると、反対側に少女の影が二つ見えた。
一人はカゼコ。
もうひとりは──マユだ。
目の前にある歩行者用の信号が青になるころには、互いに手を振って解散した。
面倒見のいい翠髪のお姉さんは、俺の帰路とは反対方向へ。
そして彼女を見送った明るいブラウン髪の少女は、振り返る途中で俺の存在に気がつき手を振った。
「おー、アポロ」
ジト目で、なおかつ眠そうな声。
あの別世界で戦っていたときの、妙なシリアス顔はどこへやら。
こちらに戻って一週間で、どうやら彼女も”いつも通り”というものを思い出せたらしい。
平時のマユの姿は俺にとっては形容し難い安心感のようなものがあったようで、先ほどまで疲弊しきっていたメンタルが少しだけ回復したように思う。
「おう。買い物してくれたのか」
「カゼコと一緒に。そっちはバイト帰りかな」
「あぁ、もうヘトヘトだよ」
「お疲れ様です。それはそうと荷物持ってくれる?」
「容赦ないねキミ……」
変わらずふてぶてしい態度の彼女に苦笑いしつつ、飲み物が大量に入った重そうなレジ袋を受け取る。
これはマユにはちょっと重すぎて無理だ。きっと途中までカゼコに手伝ってもらっていたのだろう。
「そういえばバイト先の後輩ちゃん……琴音だっけ。落とせそ?」
「世間話みたいに出てきていい内容じゃないな」
「えっ。近づく女はみんなハーレムに入れるのがモットーだったんじゃ」
「そんな古代の王みたいな思考はしてないんだよ……」
思い返してみるとマユに限らず、いろんな人にハーレムだなんだと揶揄される事が多いのだが、個人的には俺の状況はそうではないと思う。
これは単純に男女比が偏っているだけだ。
そもそもヒーロー部の時点で男子はレッカだけの1対6なのだし、そこに俺が加わっても男が少ない現状が変わるはずがない。
さらにマユと衣月の二人が足されるのだからお手上げだ。
仲間がハーレム3号だの4号だの、冗談ですらハーレムを名乗ってしまっているため、現状がそう見えるのは仕方ない事だが、実際はクソ雑魚な俺のことをみんなが介護してくれているだけだから、現実は異なるのだ──ということをなるべく強調していきたい。
「ていうか、俺がコクになったら男子はレッカだけだぞ。アイツのほうが圧倒的にハーレムだろ」
彼のことを好いているヒーロー部複数人に加えて、一応レッカに重めな恋慕の感情を向けている設定のコクが合わさり、まさに向かうところ敵なしだ。
誰もが認める最強のハーレム主人公である。
「アポロはそれでいいの?」
「……あいつがモテることに関しては最初から気にしてないわ。一日が二十四時間なのと同じくらい当たり前のことだし」
もはや妬みとかそういった感情すら湧いてこない領域に彼は到っているのだ。
英雄色を好むともいうし、文字通り命を懸けて世界を守ってくれた親友くんには、あれぐらいの役得があって然るべきだと常々思っている。
そもそも今更だろう。
ヒーロー部の名が知れてからは一般人からの人気も凄まじいことになっているし、彼の立場は超の付く有名人だ。
当たり前のことを目にしたところで、感情が揺さぶられることはない。
ハリウッドスターがモテモテなことに怒る一般人がどこにいるんだって話だ。
「まぁ、れっちゃんはああ見えて誠実な奴だから、複数人から好かれてる現実をあれ以上放っておくことはしないと思うぞ。今年中にはコクに対してもケジメつけるだろ」
そうするように発破をかけたのは他でもない俺だし。
「確かにモテるけど、そういう意味じゃアイツはハーレムじゃないかもな。そろそろ誰かを選ぶんだから」
「ふーん。じゃあアポロは誰が選ばれると思うのかね」
「順当にいけばいつも一緒にいる三人のうちの誰かじゃないか? 氷織もカゼコもヒカリも好感度マックスだろうしさ。コクは……まぁ、庇護対象だろ。大胆に攻めたのも沖縄が最後だし、ヒロインごっこは失敗だ」
「最後までわかんないじゃん。コクが選ばれたらアポロどうすんの?」
「そ、それは……うむ……」
適当に始めた美少女ごっこに答えなんてあるはずがない。
いままで本当に何も考えずにただただレッカをからかってきただけなんだ。
コクから好意を露わにしている以上こちらから断ることはできないため、全てを彼に任せることになる。
きっぱりフッてくれるのか、それとも彼の優しさと誠実さと隠された聖剣でメス堕ちさせられてしまうのか。
……正直、分からなすぎて怖い。
俺ってこんなにメンタル弱かったっけ。
「──私としては、コクは選ばれてほしくないけどな」
若干気落ちしながら歩いていると、不意に横からそんなセリフが耳に飛び込んできた。
しかし疲れていたせいか、そんな彼女の一言を気に留めることはなく、緩慢な足取りで帰路につくのであった。