メインヒロイン面した謎の美少女ごっこがしたい!   作:バリ茶

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「もしもし、兄さん?」

 

 ある日の昼休み。

 放課後に予定しているクリスマスパーティーを気兼ねなく楽しむため、残っていた依頼メールの返信を部室でおこなっていると、着信でスマホが震えた。

 電話の主は僕の兄。

 確執が絶えない勇者の血を引く一族のなかで、唯一気兼ねなく話せる血縁者だ。

 魔法学園入学前は良好とは言えなかった彼との関係が改善され、普通の兄弟のような接し方ができるようになったのは、コクの追跡をきっかけに始まったあの旅のおかげでもあるため、これもアポロたちが繋いでくれた縁の一つと言えるかもしれない。

 

「──正義の秘密結社が、遂に動き出した!?」

 

 その普通の兄弟のような仲になった兄とは、あまり普通のことはしていない。

 こうして悪事を企む連中について連絡を取り合い、二人で協力して奴らを沈静化させるというのが、今の僕たちの絆の在り方だ。

 今回情報が回ってきた正義の秘密結社とは、悪の組織の後釜を狙って動き出した新しい敵のことである。

 表向きは慈善団体として活動しているようだが、その裏では非合法な取引や悪事が横行している真っ黒な集団だ。

 勇者の血統にあり、曲がりなりにも悪の組織を壊滅させて世界を救ってしまった僕には、一種の責任というものがある。

 悪の組織に続こうとする輩を鎮静化させる役割も、僕が背負うべき責任の一種というわけだ。

 

「あぁ、もちろん学園の生徒を実験台に、だなんて許さないよ。……えっ、もう学園へ向かってる!? わ、わかった、すぐ迎撃するッ!」

 

 電話が終わり、急いで席を立った。

 学生とは本来、貴重な青春を楽しむ時期であって、決してライトノベルやアニメの高校生なように、危険な戦いに明け暮れるべきではない。

 しかし力を行使しなければならないのであれば、僕は迷わずその道を選ぶつもりだ。

 ヒーロー部と親友、そして何よりあの少女を守るために。

 

「わっ。……れ、レッカ」

 

 部室を出ると、背の低い黒髪の少女と鉢合わせた。

 彼女はコク。

 親友の中に存在するもうひとつの命であり、僕がこれまでやってきた女子に対する不誠実な対応を真正面から咎めてくれた唯一の存在でもある。

 旅の道中、沖縄で彼女に告げられた言葉を思い出す。

 僕が出すべき答え。

 彼女に告げなければならない"それ"を今夜のクリスマスパーティーが終わった後、二人きりのときに伝えようと思っている。

 散々懊悩して何とか導き出した答えを、ようやっと伝えられる機会が訪れたのだ。

 誰にも邪魔立てはさせない。

 僕に対して強い感情を向けてくれているヒーロー部の少女たちのことや、ずっと一緒に隣を歩いてきた親友のことも、すべてを加味して考え抜いた先に出てきた結論だ。

 これをコクに伝えることこそが、僕の今の人生最大の指標と言っても過言ではない。

 

「……あのね、レッカ。わたし──」

 

 だからこそ早急に責任を果たして、世界を狙う巨悪を打ち砕き、今夜のクリスマスパーティに間に合わせられるよう努めなければならないのだ。

 

「ごめんコク! 急いでるから、また後でゆっくり話そうっ!」

 

 返事も聞かずにその場を後にした。

 話を中断してしまった罪悪感もさることながら、くだらない世界征服を考える悪党どもに対して辟易としたため息が出てしまう。

 なんだってこんな大切な日(クリスマス・イヴ)に動き出すんだ、奴らは。

 今日この夜こそが、コクに対して大事な答えを告げて、アポロが揶揄していたような『主人公ぶった男』を終わらせる、またとない絶好のタイミングだというのに。

 

 急ごう。

 早く敵を片付けて、今度こそ親友が口にしていた共通ルートとやらを終わらせるんだ。

 

 

 

 

 

 

 ──フラれた。

 

 いや、実際のところは『あなたのことが好きではありません』と直接告げられたわけではないのだが、明らかにそうとしか思えない態度で、親友くんに一蹴されてしまった。

 俺は美少女ごっこをしていた。

 かわいい女の子に変身して親友をからかい、遊んでいた。

 そして紆余曲折あり、生徒会長でありヒーロー部の長でもあるライ先輩から鼓舞され、今度こそ謝罪と本音を彼に告げようとしたら、もうお前なんか興味ありませんといった雰囲気で後回しにされてしまったのが、数時間前の出来事の概要である。

 ……あー、まぁ、分かってたけどな!

 コクは沖縄での疑似告白イベント以降、ヒロインらしい行動は何一つ出来ていなかったし、その間ずっとレッカを支え続けていたヒーロー部のヒロインちゃんたち三人のことを鑑みれば、こうなることは必然だった。

 完全に攻略外のサブヒロインに降格したコクのことを、いまさら主人公くんがまともに相手にするはずがなかったのだ。

 閑話休題。

 現在の状況を整理すると、俺はヒーロー部たちと分断されて単独行動をしている、ということになる。

 

 まず、正義の秘密結社とかいう連中が癇癪を起こして、魔法学園を占拠してしまったのが始まりだ。

 奴らの目的は学園の生徒たちを洗脳し、人質兼手駒として利用することで、計画を有利に進めることだったらしい。

 ていうかまた洗脳かよ二番煎じじゃねえか、悪党ってのは芸がないな、という文句はさておき。

 秘密結社が魔法学園全域に巨大なバリアを張り、学園と外部を完全に遮断することで、学園側への救援を絶ってしまっているのが現状だ。

 つまり、事態の解決は学園内にいる職員と生徒たちにかかっている。

 敷地内に取り残された人々だけで、悪質なテロリスト共と戦わなければならなくなってしまったのだ──と言ったところで。

 

 俺の話をしよう。

 クリスマス・イヴの夕方に殺し合いをする、という約束をある人と交わしていた俺は、レッカにフラれた直後に早退扱いで先に学園の敷地外に出ていた。

 その事情を知っているヒーロー部の女子たちがついて来てくれていたのだが、突如発生したバリアが学園内を包み込んでいき、バリアの中に残るか外に出るかの咄嗟の判断を求められて迷った彼女たちに対して、俺はこう言った。

 

 ヒーロー部なら学園の生徒を守ってくれ──と。

 

 謎のバリアが発生した時点で、学園が何者かに狙われていることは明白だった。

 遠くを見れば、いつの間にかレッカが秘密結社の構成員と戦闘を繰り広げている。

 さらに言えば、既に音無も彼の援護に回っている。

 だからこそ、俺のそばから離れるか否か躊躇している残り五人に対して、強い口調でそう言わなけれなならなかったのだ。

 

『待っててくださいね、キィくんっ! これ終わったら絶対ぜったい、ぜぇーったい迎えにいきますからッ!』

 

 そう告げた風菜が正面から抱擁をかまし、ついでと言わんばかりにライ先輩も『すまない、必ず』と耳元で囁きながら俺を抱きしめ、氷織とヒカリとカゼコの三人もそれぞれ一言残し、彼女らはヒーロー部として逃げ惑う生徒たちのほうへ向かっていった。

 

 ええ、そうです。

 つまるところ、いつも通りということである。

 ヤベー敵が襲ってきて、ヒーロー部の面々は市民を守るためにそちらへ赴き、俺は一人。

 いたって通常運転だ。誰もついてこなくて逆に安心しちゃったよね。

 男の姿に変装して俺の代わりにパーティに参加する、という目的で学園内にスタンバってたマユもバリアの内側だし、正真正銘たったひとりの最終決戦というわけだ。

 曲がりなりにも俺の方へ理解を示してくれていた女子たちも、もれなくレッカの加勢へ向かったもんだから、一周回って笑ってしまった。

 あとになってどれほど善い行いをしようが、結局一番初めに不純な動機で美少女への変身を企てた事実は変わらないのだ。

 そんなバカでマヌケな変態の末路などこれで十分、ということなのかもしれない。親友を裏切って物語をスタートしたという原罪を背負い続けています。ポッキーの原罪。

 

 で、だ。

 親友やそのヒロインたちは相変わらず人々を救ってらっしゃるので、俺は俺の事情に集中しなければならないわけだが。

 約束の公園まで赴くと、敷地の中から走って出てきた幼女に手を掴まれ、そのまま連れ去られてしまった。

 

「逃げるぞ、アポロ・キィ! 秘密結社の狙いは学園の生徒でもヒーロー部でもなく、きみだ!」

 

 有無を言わさず手を引いたのは、肉体が死んだので精神をロリっ娘アンドロイドに移し替えた、元ラスボスこと警視監の男だった。

 俺が殺し合いの約束の約束をした張本人だ。

 コイツに、内臓を食い破るナノマシンを口移しで流し込まれたからこそ、でまかせとハッタリで何とかゲームによる対等な決闘をしようという話まで進めて今日に至るのだが──なんだろう、二度も急展開でこっちを振り回すの、やめてもらっていいですか?

 意味わからん裏社会の事情に付き合わされる学生の身にもなれよ、このロリっ娘。

 

「なぁ、警視監。俺、はやくお前とゲームして勝って、体内のナノマシン停止したいんだけど」

「うるさいなっ、逃げるのに集中したまえよ! そんな物ただのハッタリに決まってるだろ!? 口移しじゃないと相手に仕込めないナノマシンなどという非効率の極みなんぞ使うはずないだろうがッ!」

 

 うわ、すごい早口。

 ていうかあれウソだったのかよ。逆ギレすんなって。

 

「くそ、今日の約束だってきみを呼び出して、味方に勧誘するための口実だったんだ……。だというのに秘密結社のやつら、邪魔しおって……!」

「すごいペラペラ白状するよな、お前」

 

 よくそんな調子で俺のこと勧誘しようとか考えたな。

 その胆の据わりようには素直に感心するわ。

 

「……疑問なんだが、どうして俺が狙われてるんだ? お前が俺を勧誘したいってのも、よく分かんないし……」

 

 なんとか路地裏に逃げ込み、呼吸を整えながらそう質問すると、警視監はイラついた様子で頭を抱えた。

 

「あのねぇ……きみ、自分の立場を理解していないのか?」

「都内の高校に通う学生です」

「ちがう!」

 

 違わねぇよバカ。

 なんなら学生証見せてやろうかこの野郎。

 

「いいか、よく聞きたまえ。きみは裏社会のトップだった悪の組織から最重要被験体である純白を奪取し、ついでと言わんばかりに組織そのものを壊滅させ、さらにはその身一つで組織残党の追手をすべていなして日常生活に戻ったバケモノだ! 経歴だけ見れば秘密結社だけでなく、どこの組織もきみを欲しがるに決まってるだろう!」

 

 こ、こいつ今ヒトのことバケモノって言った!

 人間やめてロリっ娘アンドロイドになったくせに!

 言いたい放題しやがってクソっざけんな、ばーかばーか!

 そもそも全部結果論じゃねえか、真実がねじ曲がってるぞオイ。

 衣月を組織から逃がしたのは両親だし、悪の組織のクソ強い連中を倒したのはみんなレッカたちヒーロー部だし、日常生活に戻れたのも死にかけてたところを仲間が熱心に治療してくれたからだ。

 ……俺、マジで何もすごいことしてないじゃん。

 ただ美少女に変身して遊んでたカスです、よろしくお願いします。

 

「ッ!? くそっ、捕縛ネットか……っ! 逃げろ、アポロ・キィっ!!」

 

 

 気がつけば警視監は秘密結社の追手に捕まり、俺は一人で街中を駆けずり回ることになっていた。

 学園の占拠は盛大な囮で、その目的はいつも身近にいるヒーロー部たちと俺を分断すること。

 どこへ逃げても場所がバレていた辺り、おそらく警視監は最初から秘密結社に盗聴器やら位置情報発信装置やらを仕込まれており、ここまでの行動や計画はすべて筒抜けだったのだろう。

 結局、またひとりで逃げることになってしまった。

 逃亡生活何回目だよこれ。

 誰かを守るとかじゃなくて、遂に俺個人がターゲットにされちゃってんだけど。

 わざわざ俺のこと捕まえても、得るものなんて何もないというのに。

 

 アポロ・キィには何もない。

 これまでは運とタイミングが奇跡的に重なり合って、偶然俺の歩んだ道の後ろで世界や人々が悪の手から解き放たれていたのであって、自分一人で守れたものや救えたものなど、ただの一つも存在しないのだ。

 庇護対象にしていた衣月のことだけを考えても、周囲の助けがなければ早々に奪われていた。

 ゆえに、疑いようのないほどに、俺自身に褒められるような、周囲に認められるような価値なんて皆無で。

 謎の美少女ムーブに徹していたコクですら、ついにヒロインレースの途中で落馬してしまった以上、もはや清々しいほどに空っぽになっているのが今現在のアポロ・キィなのだ。

 勘違いで好意を抱かせてしまった風菜やライ先輩には悪いが、俺という人間はどこまでいってもしょうもない。

 勇敢に悪へ立ち向かう姿を生配信されているヒーロー部たちと、ひとり惨めに逃げ続けているだけのこの状況を見れば、そんなことは一目瞭然なのである。

 はぁ、シリアスシリアス。

 現実に打ちのめされちゃって、ポッキー絶賛ナイーブ中だわ。

 

「おわっ」

 

 住宅街の入り組んだ道を走っている最中、首にロープが巻き付けられた。

 遠くから縄を括りつけるとか西部劇の警察かよ。

 

「ぅぐっ、ぁ゛」

 

 強い力で首のロープを引っ張られ、呼吸という行為が強制停止させられてしまう。

 そのまま引きずられていると、ようやく捕まえたぜ、という声が遠方から薄っすらと耳に入ってきた。

 捕縛するためとはいえ方法が少しばかり強引すぎる気がしないでもいない。

 彼らが本当に俺個人を欲しているのか、それとも最強の勇者の力を持つレッカやクソ強ヒーロー部の面々を味方陣営に引き込むために、人質として俺を利用したいのかは分からないが……いや、まってそれじゃね?

 聡いアポロ氏、ここにきて真の目的に気づいてしまった。

 そうだよな立場だけ考えれば、ポッキーって最後まで利用価値たっぷりだもんな。

 逆に使えないって判断されたらただの荷物になるから、すぐさま殺されそう。

 ヤダ怖い死にたくない、わが生涯に何片か悔いあり──

 

「うぉ──って! ……ッ?」

 

 叫ぶこともままならない状態で引きずられていたその時、突然ロープが千切れて転倒した。

 コンクリートの硬さを頬で直に感じつつ、顔を上げる。

 そこには──見慣れた顔があった。

 

 

 

 

 

 

 果たしてこの少女に助けられるのは、これで何度目なのだろうか。

 

 街外れまで移動して逃げ込んだ廃ビルの一室に身を潜めながら、隣を向いてそんなことを考えていた。

 まるで散歩中の犬のごとく引っ張られていた俺の首の縄を、クナイで切断して救助してくれたのは、バリアの張られた学園内でレッカたちと共に戦っていたはずの後輩。

 にんにん忍者ことオトナシ・ノイズであった。

 いつにも増してマフラーがデカい。

 

「湿布、首に失礼しますね」

 

 壁に背を預けてぼんやりしていると、彼女が痛めた首に冷えた湿布を貼ってくれた。

 二人で廃墟の高層ビルに逃げ込んだはいいものの、状況的には八方塞がり。

 本来ならばここからどうやって事態を改善させるかを考えるべき──なの、だが。

 やはり、俺は音無がこの場にいるという事実が無視できなかった。

 そのためスマホを取り出し、誰かがカメラを構えて撮影している、学園内での戦闘の生配信を画面に映し出した。

 思った通り、そこにはレッカ。

 いつものように他のヒーロー部。

 生徒たちを避難誘導するマユに、どこからどう見ても音無にしか見えない忍者もバッチリ映っている。

 

「まさか、おまえ音無の分身か?」

 

 以前見せてもらった分身の術による一時的な分離。

 そうとしか思えなかったのだが、隣で膝を抱えて座っている彼女は首を横に振った。

 

「……画面の中にいるそっちが分身です」

「はっ? お、おま、何してんの……」

 

 生徒や職員たちを守るために学園へ残ったほうが術による分身で、俺のもとへ駆けつけた音無が本人だ、と彼女はそう語った。

 いや、いやいや。

 それはおかしい。

 そんなことをしていいはずがない。

 巨悪に狙われて大変な事態に陥っている学園を分身に任せて、俺ひとりのほうへ本人がやってくるなんて、どう考えてもあってはならないことだ。

 逆ならまだ理解できる。

 むしろよくやったと褒めてやりたいくらいだ。

 だが、なんというか、これは……。

 

「なぁ、分身の強さとか、耐久度とかはどんな感じなんだ」

「戦闘能力自体は三分の一程度です。攻撃を三度受けたら、自動的に霧散する……って感じです」

「お世辞にも強いとは言えないな……」

「……そうですね」

 

 然しもの音無といえど、今回ばかりは自分の判断が合理的でないことには気がついているようで、終始申し訳なさそうな低い声音で応対している。

 そんな態度になるくらいなら、どうして。

 強くそう問いただしたい気持ちはあるものの、彼女がいなければ今頃秘密結社の手の内に堕ちていたため、俺自身は責められる立場にない。

 しかし無視をしていい理由もないだろう。

 

「音無……どうするんだ、これ。みんなの前で戦ってるコイツがやられて、分身だって判明したら、お前の立場が危ういぞ?」

 

 下手をすれば『分身に任せて逃げた』と誤解されてしまう可能性もある。

 それだけではない。

 後からついてきた周囲の人々からの憧れや羨望はまだしも、ヒーロー部の面々からの信頼すら失ってしまいかねない危険な行為だ。

 どう考えても学園に残るべきだった。

 戦わないにしても、レッカたちのサポートや、マユのように避難誘導をしたりなど、あの場でやるべきことはいくらでもあったはずだ。

 そんな彼らをおいて、自分の命と約束を守るために外へ出ていった俺はクズでいい。

 間違いなくそうであるし、自分の行いが正しいとはこれっぽっちも思っていない。

 一人で逃げ出したアホとして糾弾されようとも、それは道理というものだ。

 しかし、音無がそれに付き合う必要はない。

 俺という個人ではなく、市民という善良な人々のもとへ駆けつけるべきだった。

 合理的に考えてもそうするべきだったことは本人も理解しているはずだ。

 なのに、どうして。

 

「助けてくれたことには感謝してるけど、俺なんかよりも学園のみんなを──」

 

 そう言いかけた瞬間、音無が不機嫌そうな表情で顔を上げた。

 彼女のそんな雰囲気に気圧されて、言葉の続きが喉の奥へ引っ込んでいく。

 突然どうしたのだろうか。ちょっと怖い。

 

「……また、それ」

 

 小さく呟き、先ほどまで目も合わせてくれなかった音無は、剣呑な空気を醸し出して俺を見つめた。

 呆れたような、ともすれば怒っているような眼差しだ。

 

「俺なんか、って。……なんですか、なんかって」

「えっ。……いや、でも」

「自分のこと、何だと思ってるんですか。追い詰められたら助けてほしそうな顔をするくせに、どうしてそれを飲み込んでまでカッコつけようとしちゃうんですか。意味わかんないです。ほんと、ダサい」

「……ご、ごめん」

 

 これまでずっと味方をしてくれていた後輩に、とても痛いところをグサグサ刺され、ダメ先輩な俺は反論よりも謝罪が先に口から出てしまう。

 なんだろう、これは。

 もしかしてじゃなくて、割とマジなほうで彼女を怒らせてしまった可能性が高い。

 というか完全に怒ってますねこれ。

 自分のことを棚に上げて音無に的外れな指摘をしたせいで、めっちゃ正当な怒りを持たれてますねコレ。

 やばい、今すぐ訂正して全力で謝らないと。

 

「……ごめんなさい、最低ですね、私。先輩にこんな八つ当たり」

「い、いや、八つ当たりではないだろ。正当な──……音無?」

 

 目をそらしたかと思えば、今度は抱えていた膝を伸ばして、隣にいる俺の手を握ってきた。

 こっちは訳が分からず混乱しているというのに、彼女も彼女でなかなか喋らないため、沈黙だけが埃だらけの室内を漂っていく。

 音無に手を握られると、旅のときのことを思い出す。

 自らの覚悟の想いを告げるとき、彼女は隠れ家でも沖縄のホテルでも、遠く離れた海の向こうでもこうして俺の手を握ってくれていた。

 それまで俺は彼女のこれを、相手に触れることで自分を緊張状態に陥らせ、相手を安心させつつ自分の逃げ場を無くすという対話の方法だと思っていた。

 ──だが、どうやらそれは違ったらしい。

 

「……手が震えてるって。緊張しすぎだぞ、音無」

「う、うるさいです。言っときますけど先輩だって、目が泳いでるのバレバレですから」

 

 音無をこうさせたのは、俺だ。

 いつだって逃げようとしてしまうから、不安になった彼女に、最後の手段であるこの選択肢を取らせてしまう。

 

「……みんなの期待を、ヒーロー部からの信頼を、無下にしていることはわかってるんです。

 でも、でも私は。……こうしたい。こうしたかった」

 

 握った手は、離れないでほしいという想いの表れであり。

 震える指は、彼女がまだ十六歳の少女であるという、なによりの証だった。

 

「ずっとこうしたかったんです。正義の味方でも、市民の味方でもなくて、私はただ──ずっと、あなたの。

 何もかも、かなぐり捨てて……先輩だけの味方でいたかった」

「……嬉しいけど、分かんないんだよな」

 

 ──そして、俺にはそれが分からない。

 察することができなかったという部分もあるが、今この瞬間でも音無のことが分からない。

 なぜ俺を助けてくれるのか。

 どうして俺の味方でいてくれるのか。

 何が彼女をそこまで駆り立てるのか、その何もかもが分からなかった。

 危険な諍いに巻き込み、無理やり秘密を共有させ、今も昔も苦労をさせ続けてしまっている。

 俺が彼女に与えることができたものなど何もない。

 奪って振り回して甘えただけだ。

 何より──

 

「俺、おまえの好きな料理が何なのかも、知らないような男なんだぞ」

 

 大切に想ってくれる価値のない人間だと、そう告げてやったら、後輩は。

 半ば無理やり俺の味方をさせられていた少女は、これがどうして小さく笑った。

 

「……ふふっ。奇遇ですね。私も先輩の好きな食べ物、これっぽっちも知りませんよ」

 

 仕方なさそうに微笑みながらこちらを見つめる。

 その瞳から視線を逸らすことなどできるはずもなく、彼女に対する無意味な押し問答を続けてしまう。

 互いに言い合いっている言葉の内容は本当に無意味で、そこには生産性など欠片もありはしなかった。

 俺は疑問に思ったことを口にして。

 音無は自分の中の感情をそのまま答える。

 ただ、それだけのことを続けた。

 時間が欲しかったから。

 はいそうですか、じゃああなたは自分の味方なんですね、だなんてすぐに飲み込むことはできなかったのだ。

 

「先輩、もしかしなくても私のこと好きでしょ」

「なんだ、人のこと言えんのか。いつだって手を握ってくるのは、お前のほうからだっただろ」

「顔を真っ赤にして”デートしよう”とか頑張ってたひとが何か言ってますね」

「いや、赤くなってたのはそっちもだって。……大体な、どうしてそこまで俺に──」

 

 言いかけた俺の口に、人差し指を押し当てて黙らせる。

 そんなことをされたら喋れない。

 眼前にいるのは、とてもズルい女の子だった。

 

「……仕方ないじゃないですか。

 だって、気がついたときには、そうだったんですから」

 

 音無は、既にどこかのタイミングで気持ちの整理がついていた。

 ズルいことができる、まさに忍者にふさわしい今の彼女に、できないことなど何もなかったようだ。

 それが想いを告げることでも、唇を重ねることであったとしても。

 ゆえに、それに釣られたのかは分からないが、こちらにも多少の余裕というものは生まれていて。

 心の内をさらけ出し合った俺たちは、気づいたときには二人して笑っていた。

 

 ……そして三分ほど経った頃になってようやく我に返り、お互い顔を真っ赤にして、何も喋れなくなっていた。

 ことこういったことに関しては、互いに弱者であったらしい。……恥ずかしすぎて死にそう。

 

 


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