バスに揺られているようだ。バスの揺れというものは不思議なもので、気付かぬうちにまどろみを誘い込み、短い眠りへ誘う。
蓮実聖司の脳にはうとうととしているうちに、脈絡なく過去の映像が湧き上がってきた。
最初は、驚きと苦痛に醜く歪んだ中年女性の顔だった。葛原逸子。
蓮実聖司が小学2年生の時の担任である。
聖司は教師の手を煩わせることの無い優等生であったため、教師からの評判はよかったが、何故か葛原教諭には疎外されていた。
葛原教諭が、聖司の優等生という仮面の奥に隠された本質を見抜けるほどの観察眼を持っていた訳では無い。
葛原教諭はただ、好き嫌いが激しく、「子供らしくない子供」
が大嫌いだったのだ。利発な子供や大人びた子供が嫌いだったわけである。
お気に入りの「子供らしい生徒」は露骨に贔屓し、嫌いな生徒は直接的にいじめるのだ。
葛原教諭は教室内において権力に酔い、怒りに酔い、行動すると歯止めの効かないという危険な習性を持つ存在だった。
標的となった「子供らしくない子供」はとことん屈服させようと、言葉の暴力だけでなく、直接な暴力に頼ることも躊躇しない、
いわば「密室の独裁者」だった。
ほとんどの生徒は葛原教諭の暴力に萎縮してしまい、反抗することさえ考えられず、親に訴えることさえ出来なかったようだが、聖司は、殴られるとすぐさま校長室に行って対応を求めた。
しかし、校長は問題教員を指導する熱意が無い、面倒事に関わりたくない、いわば「事なかれ主義」の人物であり、したことと言えば、こういうことを報告してきた生徒がいる。と葛原教諭へ報告しただけだった。
この事が葛原教諭の怒りを買ったらしく、すぐさま聖司に対する報復が始まった。ネチネチと言葉の暴力で攻撃し、勝手に興奮して手を出すのが常だった。
両親に報告すればなんとかなるだろうが、葛原教諭が罰を受けない中途半端な結果なんて面白くない。聖司は自分の手で罰を与えようと考えた。
まず、筆箱の中から最も目的の遂行に適した鉛筆を用意した。
長さと芯の硬さが必要だった。自らの安全のためには、反対側に消しゴムが着いているものでなくてはならない。鉛筆を決めると、鉛筆削りとカッターで極限まで先端の芯を尖らせた。楽しい作業で、これから起こることを想像すると、自然に「モリタート」のリズムを鼻歌で刻んでいた。
翌日の授業で葛原教諭はさっそく聖司を指名した。聖司からすると難しくない質問だったが、聖司はわざと間違えた。葛原はここぞとばかりに聖司に近寄って責め立てた。聖司は一切言葉を発せずに、反抗的に相手を見返した。この態度を見た葛原教諭は絶大な怒りを感じ、衝動のままに、左手で力いっぱい聖司をビンタしようとした。
聖司は、何度も前日に行ったシュミレーションどうりに、左手が頬に当たるであろう場所に、反射的に右手を上げただけだった。
ただ、とっさの事だったので、鉛筆を持ったままだった。
逆手に握った鉛筆は、たまたま、葛原教諭の左手に対して錐のように研ぎ澄まされた6Hの芯を向けていた。
葛原教諭は、何が起こったのか分からないような顔で、左手を見て衝撃と苦痛によって叫んだ。何しろ貫通した芯の先端が手の甲から生えていたのだから当然の反応である。
葛原教諭の絶叫により、床に倒れていた聖司の漏らした笑い声は誰にも気づかれることがなかった。あまりにも自分が思っていたどうりの筋書き通りに物事が進んだため、笑いを堪えられなかったのだ。
そしてこの瞬間、聖司の脳に衝撃が走り、前世の記憶が甦ってきた。あまりにも唐突な情報の洪水に、うめき声が漏れた。聖司には以前からこのような過去と現在がリンクするような経験が多かったが、調べてみたところデジャブという現象が存在することを知って、それほど疑問に思ってこなかったのだ。
しかし、この瞬間、あまりにも記憶にありすぎる光景を聖司の天才的な頭脳は見逃さなかった。そしてすぐに神童はこの状況に適応した。どうやら自分は人生を繰り返したようだ。
「なるほど、神なんて信じていなかったが、存在するらしい。
かなり地獄には妙なこだわりがあるようだが」
蓮実聖司にとって1番の苦痛は自由を縛られることだった。自由を失うことが嫌で自殺したというのに、また同じ人生を歩むなんて地獄そのものだろう。よって蓮実聖司は前世との決定的な違いを作ろうと考えた。
蓮実聖司の人生はそこから反転した。無論、蓮実は神の思惑どうりに、既に道路の作られた道を歩くつもりはなかった。次の日から蓮実は学校に行かなくなった。両親には担任教師からの暴力が怖いと無数の表情のストックから「怯えと恐怖」を選んで報告した。
家から出ると震えが止まらなくなり、膝から崩れ落ちてしまうという設定を作り、小学6年生までその設定を忠実に貫き通した。
前世では、蓮実は京都大学に進学したが、ここで学ぶことは何もないと見限って1週間で退学し、1年遅れてハーバード大学へと進学したのだ。学びも刺激もなにもない学校は蓮実にとって無価値も同然だった。
葛原教諭はその後、前世とは違い、傷害罪で起訴された。人気者であった聖司が不登校になり、元々、葛原教諭の事はクラス全員が葛原教諭の事は嫌い抜いていたので、子供が両親に証言し、蓮実が誘導するまでもなく、次々に証拠が集まった。全国テレビで名前を晒される葛原教諭の姿を見るのはとても痛快だった。
蓮実聖司は快楽殺人犯では無いため、自宅にいる限り、人を殺すことは無かった。蓮実はただ、自分にとって不利益になると判断した存在を殺害するのだ。前世で両親を殺害したのは、自分が人を殺害したことを父親に勘づかれてしまったから、父親を殺す必要がでてきただけであり、母親は父親から相談を受けたため、不安要素を取り除くためにも、殺さざるを得なかったのだ。
しかし、今世ではまず、外に外出しないため、自分の邪魔になるような存在は出てこなかった。よって両親は聖司が中学生になった今でも、息をしている。前世で小学6年生の頃に殺した竜也は殺さないことにした。
当然、これも殺す利益と殺さない利益を天秤にかけた結果の判断である。前世で竜也を殺した理由は、クラスの男子人気投票で竜也がいつも1位で、聖司が後塵を拝していたことと、そのころ聖司が関心を持っていた美菜ちゃんと言う女の子が竜也のことを好きだと言っていた噂を聞いたことが主な動機だった。これぐらいなら殺さないで、前世との違いを生み出していた方が利益になるだろうと聖司は判断したのだ。
そして聖司は、地元の中学校に進学し、「トラウマを克服した」と泣き出しそうな笑顔を作って両親に報告した。両親は泣きながら聖司を抱きしめたが、自分を抱きしめたのが、前世で殺した両親だと思うと滑稽で仕方が無かった。
聖司にとって中学レベルの勉強なんて屁でもなかった。
なんせ聖司は前世で高校卒業レベルまでの勉強は極めていたのだ。
持ち前の人心掌握術で学校1の人気者となり、生徒からも教師からも信頼の厚い優秀すぎる生徒として学校を卒業しようとしていた3年の11月に担任の先生から呼び出しを受けた。
「蓮実、お前は優秀な生徒だ。我が校はある高校からひとつ推薦枠を貰っているんだが、今日の職員会議で、誰を推薦するか話し合ったところ、全会一致でお前の名前が上がった。どうだ?蓮実、興味はないか?」
蓮実は計画どうりに、進んだ自分の計画に心の中で拍手を送った。
もし前世と同じように両親を殺害して、母方の祖母の家に預けられたとしたらこうはならなかった。はなから自分はこの高校の推薦枠を狙っていたのだ。前世で通っていた中学にこの高校の推薦枠が無いことは事前に調べていた。そして地元の中学にはその枠があることも調べていたのだ。
「どうだ蓮実、お前なら何の心配もなく我々教師陣も安心して送り出せるんだが、まぁ強制はしない。ゆっくり考えて来週までに結論をだしたまえ」
蓮実は少し考える仕草をした。
すぐに結論が口をついて出た。
「その推薦、受けようと思います」
次から原作です。