クライムトリガー 作:百合の間に男を挟むα
幼い頃から抑えられない、どうしようもない衝動。
他者が苦しむ姿が美しく、他者が傷つく姿が愛おしく。
特に異性が悶える様は素晴らしい。あれ以上に興奮の最中で絶頂できる要素はない。
僕は人道から外れている。
どうしようもない程に根底が狂っているんだ。でもしょうがないよね、そういう風に生まれたんだから。
命の誕生に感動を覚える。
生命の神秘は不思議と感嘆を示してしまわないか?
それと似たようなものだ。
他者の嫌がる声が大好きだ。
他者の苦しむ声が大好きだ。
動物の死に絶える瞬間、あの刹那にちりばめられた全ての行動に意味を見出して勝手に興奮を覚えてしまう。蟲が死ぬ呆気なさ、そこに籠められた生物の本能の意味。
ああ、素晴らしい。
とまあ、思春期も真っ青な自己紹介を終えた訳だが。
だからといって僕は犯罪者ではない。
なぜなら、明確に定められた憲法に従って生きているからだ。人間は殺さず傷つけず、動物だって慈しんでいる。蟲はまあ、蚊くらいは殺すけど。
人間社会を理解し、僕は異常なんだと把握した。
だから、ひたすら常識の中に身を置いた。
自分の悪を理解し、暴走しないように適度に潤した。
スプラッタホラーな映画を鑑賞して嗤い、ダークウェブに流出するような動画も漁りつくした。両親は共働きで忙しかったのもあるだろう、それはもう限度を以て好き勝手した。
虐待動画が出回るたびに興奮した。
殺人現場を覗き見て、風景を想像して愉しむ。
屑で外道だが、僕は一切法を犯さなかった。
習い事もやった。
物心ついた頃に興味を持ったフリをして、合法的に他者を痛めつける格闘技に目を付けた。
幸いというべきか、僕は才能が有った。
小学校低学年にして年齢差二倍の相手に勝てた。
人体の壊し方を学んだ。治し方も学んだし、なにより自分に苦しみが混ざるのも心地よかった。
一撃頬に強烈な一撃を浴びた途端脳が信号を発するのだ。
『相手を殺せ』、『殺す気でいけ』、『まだまだやれる』。
僕のイカれた脳内が願う反応はどれもそうだ。根拠なき自身と自己肯定によって深く沈み込んだ自我は訴えかけてくる。相手が倒れるまで、自分の身体が砕けるのも厭わず殴り続けた。
拳の砕ける感覚、皮膚が千切れて血が流れる刺激。肉と肉がぶつかって弾けるあの感覚は忘れようもない幸福だった。
醜悪極まるモノで申し訳ない事に、僕は自他問わず被虐・嗜虐的であるらしい。
脳内物質の高揚感に身を任せ血の昂ぶりに全てを委ねる。
安全が保障された現代において命のリスクを試す方法は幾らでもあるが、僕はこの世界が好きになった。
殴っても犯罪にならない世界がある。
蹴っても犯罪にならない世界がある。
──じゃあ、殺しても犯罪にならない世界があるんじゃないか?
齢十八歳。
僕が高校を卒業し、幾人もの人間を破壊した末に出した結論だった。
そしてそれは、存在した。
「──……ん」
随分と懐かしい想い出だ。
現代社会、なんていい響きだろうか。人の努力の結晶であり先人の犠牲の果てであり、人類の抱える探求心の最先端。
僕は幸運だ。
なんでもある世界に生まれたのだから。それを知る事の出来る教育を受けたのだから。
これを幸せと言わず何という? 自分を満たせる何かを僕は常に享受できるんだ。
「あら、起きたの」
「ん、おはよう。懐かしい夢を見てね」
コトリ、と僕の前に置かれるカップ。
どうやら彼女が持ってきてくれたらしい。感謝を告げながら一口、黒い液体から香る落ち着く効能をプラシーボで増幅しつつ感情を落ち着かせた。
「僕がまだ
「えぇ、この国でも有数の人格破綻者なのは理解してるわ」
「ふふふ、酷いな。僕は常識を兼ね揃えているから破綻してる訳じゃ無いよ? ちょっと方向性が違うだけで」
「負の方向性に向いた癖は正常ではないでしょう? だから破綻でいいのよ」
やれやれ、ああいえばこういう。
僕は彼女とこの手の問答で押し勝ったことが無い。それでもいいのだ、何故なら楽しいから。嗜好は違えど、僕は論理的でもあり感情的でもある矛盾した性質を持っている。
無駄な雑学も効率的な知識もどちらも好むのだ。
「じゃあ認めよう。人格破綻者の僕が向こうで暮らしていた時の記録に近いモノを見た」
「……良かったじゃない。まだ馴染んでないんでしょうから、そういう事もあるわ」
「いやあ、あの話受けてよかったと思うよ。僕にとってここは天国で、天職で、素晴らしい花園だ。思わず誓いを立てたくなる程度にはね」
現代社会、僕はあの歯車として育てられた。
その恩はある。社会の一員として次世代を育む、そういう気力はあった。成人する前の子供で居られる期間にて自分を理解できたのだから、後は現実と折り合いをつけるだけだった。
でもそうはならなかった。
寸前で見てしまったんだ。襲撃の全て、蹂躙の快楽、殺人の興奮。この手で人を殺めるその刹那の絶頂を、僕はこの手で味わってしまった。
もう戻れない。
戻る気も無い。
「気がかりは残ってるけど、それはそれ。僕の人生なんだから精々好きに生きさせてもらうのさ」
両親はどうなっただろうか。あの襲撃で死んでしまったのかな。隣の家に住んでいた幼馴染はどうしてるだろう。今頃生きていれば高校生? いや、大学生くらいか。人間の成長を見届けるのも一つ楽しみではあったけれど、それは此処でも見る事が出来る。
「新しい芽は着々と伸びてる。この星も未だ安泰──暫くは楽を出来そうだ」
「そうね。貴方が遠征兼教導に努めてくれるお陰で正規戦闘員が強くなってる。それは隊長も、誰もが認めている功績。……正しい意味で、戦場の恐怖を叩き込んでくれるお陰でね」
「あれ? 今褒める感じだったよね?」
「褒めてるわ、貶めてもいるけど」
ならいい。
彼女が煎れてくれた飲料を飲み終えて、背凭れにゆっくり傾掛かる。
「──ねえクライム」
「なんだいミラ」
額の端から小さな角を生やし、ワインレッドの髪を肩口で切り揃えた女性──ミラ。
「あなたは私を殺す?」
「いいや、殺さない。
座るソファに腕を組んで凭れ掛かってくる。
僕は首を少し動かして、彼女と至近距離で見詰め合いながら問答を繰り返した。
「少しずつ、ちょっとずつ。僕は
「私も、あなたはそのままでいて欲しいと願う時があるわ。狂ったままで、おかしいままで、何時までも狂気に浸っているあなたで」
「人が折角人間になろうとしてるのにそれを否定するのかい?」
「そうね。私が見惚れたあなたは狂っていたんですもの。狂ってる人間に惚れたなら、狂ったままで居て欲しい。そう願うのは自然ではなくて?」
スス、と僕の顎先から頬にかけて撫でるミラの指先。
「君も大概おかしい奴だ」
「あなたが変えたのよ、変な女にね」
まるで僕が悪者じゃないか。僕は法に触れる事は何もやってないと言うのに。
「これで傷の一つでも残っていれば無理矢理にでもしてあげたのに」
「おお、怖い怖い。女性の執念は恐ろしいね」
降参だ、笑いながら彼女の手を撫でた。
「よかったよ、あの日あの時君を傷つけなくて」
嘘偽りない本音だ。あの時傷をつけていれば、今の景色は無い。
この日常を溜めて貯めて、その果てにある絶望こそが僕の興奮に繋がるのだから。
きっと彼女も全てを理解して話している。
僕は一ミリだってブレてない。一寸だって変わってない。心の根底に存在する醜悪な本音が今か今かと鳴りを潜めているだけなのだ。
そのうえで彼女は僕と話す。異常者と見極めた果てに僕たちに絆は生まれた。
いつかきっと、この手で彼女を傷つけるその日が来るまでは。
「ああ、そうだ。次の遠征先はどこだっけ」
「
くしゃりと僕の髪を掻くミラ。
その指先が柔らかく触れる感覚の後に、未だ慣れる事はない感覚へと変わる。
小さく、それでいてしっかりと根付いた硬質な物体。
僕の額の両端から捻れるように生え備わった角は生まれた時からあるような、それでいて新たな旅路に旅立った時の空白感に似ている。
「こういう技術体系、そそられるよ。謎が詰まっていてまだまだ未知の塊、僕の探求心が疼くんだ」
もっと取り込め。
もっと深く沈め。
謎を解明しろ。
不思議を亡くせ。
神を墜とせ。
つまるところ、未知を過ぎ全知になれと告げてくる。
「本当に、難儀な人ね。何もかも満たされる事のない欲求、欲望」
「満たされてはいるさ。乾かない程度にね」
海の水が満ちず、枯れないように。
潮の満ち引きで左右されるような量ではない。僕は大海には劣っても湖程度の深さは持っている。それを常に自分で制御しているにすぎない。
「トリオン体の調整にも手を出したい。今のままじゃちょっと、ツマンナイからね」
「……あんまり派手にやらないように。ヴィザ翁に怒られるわよ」
「納得してもらうさ、僕は合理を好むからね」
「それ以上に嗜好を優先するでしょう」
よく理解している。
流石は僕が
「せめて痛みがなきゃね。何も感じない殺し合いなんてつまんないよ」
遊戯とかわりゃしない。
遊戯で欲求が満たせるのならそれでいいけど、僕はそれじゃ満足できないからね。
「う、ふふ。想像するだけで楽しみだなぁ」
トリオンが漏れる感覚は何で代用しようか。
血液の流れる感覚かな?
内臓が飛び出るような刺激でもいい。適当に捉えた捕虜の脳反応を繋いで、データとして保存して、それを僕のトリオン体に組み込むだけ。仕組みは幾らでも仕込めるから楽しみでしょうがない。
手足の欠損が狂おしい程待ち遠しい。首が離れる感覚はどう言い表せばいいのだろうか?
あの虚空へと落ちていくような虚無感、刹那に沸き上がる後悔や屈辱の混じった憤怒。
「──悪い顔、でも……やっぱりあなたはそう在るのがいい」
「君は本当に僕を肯定してくれる。社会と正反対な人だね」
面白い皮肉だ。
女性進出を願う社会はきっと僕のような狂人を許しはしない。罰をこじ付け罪を擦り付け、ありとあらゆる手段を用いて封をするだろう。
それをしないこの国と、彼女のような存在。
「愛は時として世界を超えるのよ」
「それもそうだ。そうじゃなきゃ、僕はここに居ない」
彼女が顔を近づけてくる。
軽く触れあうだけの、形だけの接吻。けれど僕たちにとってはこの程度で十分だった。
肉体同士での交わりより、生物としての本能よりも理性での興奮を選ぶ。
「──愛してるわ、クライム」
「僕もさ、ミラ」
小さな小さな重なりでいい。
いずれ離れるその日まで、僕らで紡いでいけば良いんだ。