私は所詮、代理人に過ぎない   作:Dr.クロイツ

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 皆様お久し振りです。前回の更新から11ヶ月も経ってしまい、この度は大変長らくお待たせ致しました。
 理由は話せば長くなるので簡潔に言います。リアルがガチで忙しかったのと、あと普通に忘れてました……すいません。

 何はともあれようやく続きを投稿できました。拙い出来ではありますが、どうぞ読んでいってください。


疑惑の渦中

 

 

 この日、ロドス全体が大きな衝撃に包まれた。

 

 

 ──医療オペレーター、ノーリによる特殊オペレーター、レッドに対する略取・誘拐並びに淫行疑惑である。

 

 

 

 

 

「私は何もやっていません! これは謂れのない、明らかな濡れ衣であり冤罪です!」

 

「……私はともかく、皆がその言葉が信用するとでも?」

 

 

 ロドス最下層区画にある、通常であれば捕虜等への尋問に使われる部屋で、拘束はされていないが一人の男が椅子に座らせられ、向かいに座る女から取り調べを受けていた。

 尋問に使われるような部屋と言っても、劣悪な環境と言う訳ではなく、製薬企業というだけあって小綺麗な内装となっている。

 

 ただ追及される側としては、いかに部屋が整えられていようとなかろうと、その心中は決して穏やかなものではない。それが何日も続けば当たり前である。

 現に普段から冷静沈着と職員や他のオペレーターから評価される男、ノーリは普段の様子が嘘のように冷静さを欠き、感情の赴くままに目の前の女、ケルシーに向かって言葉を吐き出していた。

 

「本当に私は何もやっていないんです! レッドにも聞いてみてください! それでも信じられないというのなら、ここにレッドを連れてきて、私の言うこととレッドの言うことを照らし合わせればいい!」

 

「レッドは今、別室で保護されている。ましてやそのレッドに手を出したと思われる君と、引き合わせることはできない」

 

 一向に進展を見せない取り調べに苛立ちを募らせているのか、ノーリは段々と語気を強めていく。それと対象的に、ケルシーはあくまでも冷静に、疑惑の渦中にある目の前の男に淡々と告げる。

 

「だから私は何もやっていないと言ってるでしょう!? どうして信じてくれないんですか、ケルシー先生!」

 

「ノーリ、君はひとつ誤解している。……私としては君を信じたいが、今の段階ではそれができないのが現状だ。君を信じるに足る証拠がない」

 

 しまいにノーリは痺れを切らしたのか、握り拳で机を叩いて、椅子が倒れるのも気にせずに立ち上がり、怒鳴るように叫んだ。しかしケルシーはそれにも動じず、1ミリも目を逸らすことなくノーリと向き合う。

 

 そして優しく、自分の偽らざる本心を口に出した。私は君を信じたいのだ、と。少なくともノーリにはそう見えた。

 それを聞いたノーリは多少安堵したような表情となって冷静さを取り戻した様子で、倒れた椅子を戻して再び座り直す。

 

「でしたら、信じて頂けるための証拠を提示すればよろしいのですね。そのためには、先程も申し上げたようにレッドの証言が──」

 

「しかし」 

 

 ノーリの言葉を遮り、その上でケルシーはコホン、と咳払いを一つすると、改めてノーリの目を見据え──

 

「本当に君がレッドに手を出したというのであれば……私は彼女の保護者として、容赦はしない。然るべき罰を受けてもらうことになる。……わかるな?」

 

 一瞬で空気が張り詰め、多少穏やかになっていたノーリの表情は、傍から見ても一目瞭然な程に変化し、今度は顔色が蒼くなり始める。

 

 ──余程の恐怖を感じているのだろう。寒くなったように身体は震え、歯もカチカチと噛み合う。目線は虚空を行き来し、ケルシーの顔を、目を見ることができない。額からは大粒の汗が浮き出ており、しきりにハンカチで拭いている。

 

「ち、違うんです。私は、な、何もしていません。本当に、本当なんです。ケルシー先生、どうか、私を信じてください……」

 

 それまでの様子とはまるで別人のようである。注意深く耳を傾けなければ聞き取れないような、か細く震えた声で訴え、身を縮みこませるその姿からは、今この場においてノーリがケルシーという人に心底怯えきっていることが見て取れた。

 ノーリが何故ここまでケルシーを恐れるのか。その詳細はわからない。しかし、それは単にケルシーを怒らせてはいけない、怒らせたら大変なことになると知っていたからであろう。

 

 普段のノーリは──そんな事はないのだが──崇拝している、イエスマン、もしくは腰巾着であると一部から揶揄される事もあるほどにケルシーを絶対視して師事し、同時に本人曰く『恩人』としても強く慕っている。

 ケルシーもまたそんなノーリを信頼し、正当に能力を評価した上で数いる弟子の中でも特に重用した。何しろドクターの代理という非常に重要な立場にノーリを推薦したのは、他ならぬケルシーである。それ以外にも事実上の自らの右腕として扱うなど、お互いが相当に強固な信頼関係で結ばれており、二人が極めて良好な関係にあるのは──その中には二人は単なる師弟関係を超えて、実は特別な関係にあるのでは、と邪推する者もいたが──周囲も知るところであった。

 

 今の二人の状況はそれが嘘ではないかと疑いたくなるほどに冷え込んでおり、それは最早氷点下に達しているのではないかと思えるほどである。

 もちろんこうなったのには件の疑惑が大きく影響しているのだが、それと同等、或いはそれ以上にノーリのケルシーに対する恐れの感情が大きい事も影響しているだろう。

 

「…………」

 

 ノーリの懇願に、ケルシーは何も答えない。ただ黙し、ノーリを見つめるのみである。その様子を見て、先程の言葉は油断させるためのもので、ケルシーはやはり自分を信じていないと感じたのだろう。最早ノーリの顔色は病人と見紛う程に蒼白となり、過呼吸じみた早く、浅い呼吸を繰り返している。

 

 

 不意に、ケルシーが席を立つ。その動作にノーリはビクリと身体を震わせ、ケルシーに不安げな顔を向け、その一挙手一投足を注視する。

 

 ──もしかして、今日の取り調べはこれで終わるのだろうか。

 

 そんなノーリの淡い期待は、直ぐに違うものであったとケルシーの行動が示した。

 ケルシーは立ち上がると、ノーリに終了を告げるでもなく、取り調べ室から連れ出し、臨時の独房──と言ってもロドスの職員、オペレーターに割り当てられる標準的な私室の空き部屋だが──に連行するために人を呼ぶでもなく、椅子に座るノーリの方に足を進めたのである。

 

 これに仰天したのがノーリである。先程から一言も発さず、感情のこもっていない顔でこちらを見つめ続けていたケルシーが、突然立ち上がったかと思うと自分の方に向かって来たのだから。

 

「ケルシー先生……!? な、何を……」

 

 ノーリの問いに、ケルシーは答えない。一歩、また一歩ノーリに近づいていく。それと比例して、ノーリも椅子から立つと少しずつ後退っていく。

 

「こ、答えてください! 私に、なに、何をしようと、いうんですか!?」

 

 相変わらずケルシーは、何も答えない。ただ黙したまま、ノーリに近づいていく。最早悲鳴ともとれるような声を上げながら、ノーリは後退り、──そして部屋の隅に追い込まれた。もう、逃げ場はない。

 

「あ……ああ……。ひ……あ……」

 

 ──生きた心地がしないとは、まさに今のノーリの状況を言うのだろう。腰が抜けたのか、地面にへなへなとへたり込み、既にほぼ零距離まで迫ったケルシーを見上げることしかできない。

 

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、身体を震わせるノーリの目線に合わせるようにケルシーがしゃがみ込む。──そして、その手を、ノーリに伸ばした。

向けて

 

「──っ!」

 

 ケルシーに何をされるのか、それはノーリにはわからなかった。だが、その恐怖心から反射的に、『ケルシーは自分に制裁を加えようとしている』『次に来るのは痛みである』と感じ、その目を瞑った。

 そして、ケルシーの手が、ノーリに触れ──

 

「…………。え……?」

 

 ノーリの予想に反し、ケルシーはノーリの頬に手を這わせると、両の手で優しくノーリの顔を包み込んだ。同時にケルシーはそれまでの感情を感じさせない表情を一変させ、微笑を浮かべながらそのまま慈しむように、愛おしそうに、ノーリの頬を撫で続ける。

 

 ノーリは完全に困惑していた。ケルシーは先程から、絶対零度の視線で見つめながら無言で迫ってくるという、──ノーリからしたらだが──恐怖しか感じることができない行動をとっていた。

 そのケルシーが突然、今度はむしろ温かみを感じる微笑を浮かべながら、繊細な手つきで自分の顔に手を這わせ、包み込んだと思ったら壊れ物を扱うかのような繊細な手つきで頬を撫で始めたのだ。

 

 

 謂れのない濡れ衣での追及が続いたら、唐突に自分を信じるような言葉を口にし、それで安心したのも束の間、今度は冷酷で冷徹な言葉を口に出し、そこからの行動はまさにノーリにとって恐怖そのものだった。

 そして遂に直接手を出し、制裁でも加えるのか、と思ったらそれとは真逆のような態度と仕草で接してくる──。

 

 次から次へと目まぐるしく場面が変わる今の状況にノーリは対応することができず、完全に混乱してしまっていた。そしてケルシーが何を考えているのか、何をしたいのかが全くわからなかった。

 

「ノーリ……私はそんなに、怖いか?」

 

 ノーリの頬を撫でながら、唐突にケルシーが問う。

 

「……」

 

 どう答えるのが正解なのか、わからないのだろう。ノーリは何も答えられない。ただ、それまでの様子を見れば、ノーリがケルシーに恐怖を抱いていたのは明白である。

 或いは、馬鹿正直に怖いと言うことは失礼になると思っているのかもしれない。しかし、怖くないと嘘をつくのも憚られる。そんな板挟みの状況にあると見ることも、できなくはない。

 

「……どうなんだ?」

 

 質問に答えないノーリに対し、少しムッとしながら急かす。

 

「こ、怖くないと言えば、嘘になります。私がケルシー先生に恐怖を抱いているのは確かです……」

 

「そうか……。そんなに怖がらせているつもりは、毛頭なかったのだがな……」

 

 ノーリの口からはっきり、自分のことが怖いと言われたケルシーは、どことなく悲しそうに見えた。分かりきっていた事とは言え、やはりこうして直接自分が怖いと言われるのは、多少なりとも応えるものがあったのだろう。

 ただそれでもノーリの頬を撫でる手は止めないのは、親愛の情からくるものだろうか。

 

 しかし、どうしてこうなったのかはよく分からないまでも、段々とこの『美人と呼んで差し支えのない、尚且つ自分が最も尊敬する女性が、目と鼻が触れそうなほどの至近距離まで自分に近付き、しかも何故か自分の頬を撫でている』という状況を理解し始めたのだろうか。

 今度は照れてるのか恥ずかしいのか、はたまたその両方かノーリの顔は薄っすらと赤くなり始め、直ぐに耳まで真っ赤になってしまった。

 

「あの、ケルシー先生。それよりも、いつまでこれを続けられるのですか……? とても楽しいことだとは思えませんが……」

 

「ふふっ……少なくとも私は楽しいぞ? 先程から、面白いように顔色が変わるからな。それに、可愛げもある」

 

「なぁ!? か……か……可愛げがあるだなんて。ケルシー先生、どうして貴方まで、そんなことを……」

 

──それは最早、炎国の激辛料理を食べたのかと疑われそうな程である。

 ただでさえ赤かった顔が、ケルシーの何気ない一言をきっかけに更に赤くなった。湯気でも出そうなレベルだ。

 

 それすらも楽しいのか、撫でるだけでは飽き足らず今度はノーリの頬をむにむにしたり、はたまた引っ張ったりと、これはもう完全に遊んでいると見られても仕方ないだろう。

 

「い、いたいれふ。やめてくらはい……」

 

「ん? そうか、それは悪かった」

 

 そう言うとケルシーは──多少名残惜しそうではあったが──ノーリの頬を引っ張るのをやめ、今度は再び撫でたり、むにむにするようになった。当のノーリは『触るのはやめないんですか』と言いたげな目をしているが、口に出すことはしないようだ。

 

 言ってもやめないと、諦めているだけかもしれないが。

 

 そのままケルシーは、実に楽しそうにノーリをあれこれといじる。しかし、何かに気付いたのか、唐突にその手を止めた。

 

 

「……そういえばノーリ。君はさっき『貴方まで』と言ったが、私以外にも君に可愛げがあるというようなことを言った者がいたのか?」

 

 そして何故か不機嫌そうにしながら、ノーリに聞いた。よく見れば眉間にも僅かにしわを寄せている。

 

「え? まぁ、そうです。でも一体それがどう──」

 

「それは誰だ?」

 

「え」

 

「……二度も言わすな。誰なんだと聞いている」

 

 言い終わるのを待たず、不機嫌さを隠さず有無を言わさない態度で迫るケルシーに、ノーリはただ困惑することしかできない。

 そもそもついさっきまで優しく、にこやかな態度で接してくれていたのが、どうして突然不機嫌になったのか──。ノーリはその訳すら全くもってわからなかった。

 

 ノーリからしたら命再び訪れたの危機を脱しようと、まさに天災が起こす暴風もかくやという勢いで脳をフル回転させても、それでもわからなかったが、ノーリは直感で『早く答えなければ我が身が危ない』と感じた。それ程までに、今のケルシーは鬼気迫る表情に溢れていた。

 

 そして観念したかのように、心の中で自らのことをよく気に掛けてくれる、優しい小さな上司に謝りながら、その名を口にした。

 

「……あ、アーミヤさんです。以前仕事で褒められた時に照れてるのがバレて、可愛らしいと……」

 

 これで良かったのだろうか、これからどうなるのだろうか──

ノーリはそんなことを考えながら、ケルシーの反応を伺うことしかできなかった。

 

 ケルシー先生の事だからそれはないと思うが、まさかアーミヤさんに何らかの危害が加えられるのでは?そうだとしたら、やはり名前を言ったのは間違いだったか。私はなんてことをしてしまったんだ、とノーリが思ったとき──

 

 

 

「なんだ、アーミヤだったのか。そうか、それならいいんだ」

 

「……え?」

 

 拍子抜けとはまさにこのことを言うのだろう。──いや、ある程度予想できていたことでもあった。ケルシーはアーミヤに対して過保護とも言えるぐらいの言動をとると言うのは、ノーリもよく知っていたことであった。

 それは傍から見たら、母と娘の関係のようにも見えなくもないものだとも、ノーリは思っていた。

 

 ──であるならば、ケルシーがアーミヤをしかることはあっても無意味に危害を加えることなどあるはずもなかった。娘に手を上げる母など存在してはならないし、そもそもケルシーはそんなことをする人でもない。

 

 ノーリの心配は杞憂でしかなかったようだ。

 

「どうした、そんな間の抜けた顔をして」

 

「ああ、いや、なんだか安心して……。さっきまでケルシー先生のご機嫌があまりにも悪かったように見えましたから……」

 

「ふむ、そうだったか?全くそのような自覚はないが……」

 

 当の本人であるケルシーその人は、自覚が全く無いらしい。あれだけ如何にも『私は不機嫌です』と言いだけなオーラを全開に出しながら本人に自覚がないことを目の当たりにしたノーリは──。

 

 「……はぁ」

 

 ため息をついた。実のところノーリにも分からなかったが、なぜかため息をつかずにはいられなかった。

 

「む……なんだそのため息は」

 

「いや、別に深い意味はありませんのでどうかお気になさらず」

 

 そしていきなりため息をつかれたケルシーに、若干ムッとしながら

尋ねられたノーリはまた慌てるようにして取り繕う。先程ケルシーの機嫌を──なぜかは分からないが──損ねてしまったお陰でで恐ろしい思いをしたというのに、またケルシーを不機嫌にする訳にはいかないと思ったのだろう。

 ケルシーという自らの師の感情一つで右往左往し、弄ばれているようにも見えるその姿は、ノーリの冷静沈着さを普段から知っている者からすればその目に滑稽に映ることだろう。今それを目にする者はいないが。

 

「…………よし、もうこれでいいだろう。これにて此度の取り調べは『全て』終了とする」

 

「……え? ケルシー先生、今なんと?」

 

「なんだ、聞いていなかったのか? 取り調べは終わりだと言ったんだ」

 

「な……! ちょ、ちょっと待って下さい! 私にはまだ言いたいことが……」

 

 少し黙り込んだと思ったら、いきなり取り調べの終了を告げられたのだ。ノーリは困惑せざるを得なかった。

 今まで何度も厳しく詰問され、弁解も聞き入れられなかったのに、ここにきて唐突に取り調べが終了とは、ノーリは最悪の可能性を予見し焦燥感を覚えずにはいられなかった。

 

 ──それ即ち、そのままこの取り調べに基づいて作成された調書がアーミヤやクロージャ、ドーベルマンなどロドスの主要メンバーが参加する会議に提出され、自らが有罪とされることである。

 そうなった場合、悲惨な末路を辿ることがノーリには容易に想像できた。

 

 考えられる結論は二つである。

 

 

 

 一つ、荷物をまとめてロドスを去る。

 

 これを選べばロドスで罰を受けることなく、しがらみからも逃れることはできるが、再就職先を見つけるのが難題となる。何年もロドスに勤めてきたのが突然辞めたとなれば、面接では絶対に理由を聞かれるだろうし、そしてその理由を言ってしまえばまず間違いなく採用通知は貰えない。

 

 そして、この次が重要である。──実は、ロドスは一部からの評判があまり良くないのである。

 なぜかと言えば、感染者を雇用しているからだ。感染者への差別・偏見は根強く、その感情は感染者そのものだけでなく感染者を匿っている──と彼らが見ている──団体・個人にも向けられる。事実としてロドスはとある地域で事業所を設置する際に地元住民の強い反対を受け、設置を断念したこともある。

 全てではないが、大多数の他の企業にも同様の感情を持つ企業は存在し、その企業は言わずもがな、その企業の提携企業も圧力を受け感染者の雇用は断固拒否、もしくは極力控えるということも珍しいことではなかった。

 

 ──そしてノーリは、感染者である。

 

 まさに差別を受ける当事者なのだ。本人にその気はないが、贔屓目に見てもノーリは優秀である。感染者でなければ、今頃どこかの国の国立理化学研究所にでも就職していたのではないかとは、ロドスでノーリを慕う者たちの間では専らの噂である。

 

 しかし、感染者の雇用も表明している企業は珍しい。ロドス以外に医療分野で主要な企業ならライン生命ぐらいのものである。他にも探せばあるのだろうが、今よりも遥かに厳しい生活を送ることになるのは目に見えていた。

 そしてノーリは、なんだかんだあってもロドスでの生活を気に入っていたため、ロドスから離れる気はなかったのである。そのためノーリ本人はこの可能性を早期に除外し、もう一つの可能性について思考を巡らせていた。

 

 

 そのもう一つの可能性とは、罪を受け入れてロドスに残ることである。

 

 繰り返しになるが、ノーリはロドスでの生活を気に入っているためロドスに残れるのは本望である。しかし、『罪を受け入れる』ということが最大の障害となる。周囲からはともかく、ノーリ本人はやっていないと確信しているのに、無実の罪を受け入れて罰を受けるというのは、まさに耐え難いことであった。

 そして、そうなれば確実に周囲からの信頼を失ってしまう。

 

 失った信頼を取り戻すのは、容易なことではない。信頼を築き上げるのには、途方もない時間がかかるのだ。それは一朝一夕に得られるものではなく、日頃の行いや毎日の積み重ねで地道に少しずつ得ていくものだ。

 しかし、失うのは一瞬──。たった一つの些細なミスで、それまで積み上げた信頼は、まさに砂上の楼閣のように脆くも崩れ去ってしまうもの。信頼とは得てしてそういうものである。

 

 例外に漏れず、ノーリもロドスの仲間たちから信頼を得るのには、長い時間を費やしてきた。そうした長い時間を経て信頼を得た結果として今の生活、今のノーリがあると言える。

 その信頼を失ったらどうか。間違いなくロドス内では干され、恐らく今就いている役職からは解任されるだろう。謹慎処分や減給処分が下される可能性もある。だがどのような処分が下されるかは、ノーリにも詳しいことは分からなかった。

 

 どんな目に合うのかわからないのにその選択を選ぶというのも、ノーリがロドスに残ることを躊躇してしまう原因となっていた。しかしそれでも、ロドスを去るよりは間違いなくマシ。

 そのまま思考の海に埋もれて、考えていると──

 

「……ノーリ、君は何か勘違いしているようだ」

 

「えっ? 勘違いとは一体……」

 

 ケルシーの言葉に、ノーリの意識は思考の海から一切で浮上する。そして、自分が勘違いしているということに疑問を抱く他なかった。次にケルシーがどのような言葉を紡ぐかを、ノーリは固唾を呑んで見守る。

 

 それは、大して長い時間ではなかった。長くても五分やそこらだったろう。しかしノーリには、それが永遠とも感じられるような時間だった。何しろ、その一言に自分のこれからの運命がかかっていたのだから。

 

 

 

 ──そして、ケルシーの口が動く。

 

 

「私は、君を不問に付す。君を有罪とするという事は考えてもいない。そして私のこの考えは、早急にアーミヤを始めとするロドスの上層部に伝達する。恐らくだが、反対する者はいないはずだ」 

 

 

 

 ノーリは暫し呆然としていた。そしてようやく言の葉を紡ぎ出す。

 

「…………そ、それは、本当ですか?」

 

「ここで嘘を言って何になる? それとも、君には私がこんな嘘をつく人間に見えるのか?」

 

「いえ……そんなことはありません……! ……ケルシー先生、本当に、本当にありがとうございます……!」

 

 ──そう感謝の言葉を紡ぎ出すノーリの目には、涙が浮かんでいた。ノーリには、目の前の人物、自らの師であるケルシーという人が何を口にしたのか、初めは理解できなかったのである。

 

 それも無理のない話である。ここ数日は、この世の全てが自分の敵になったと錯覚してしまう程に、ノーリは追い詰められていたと言っても過言ではない状況だったのだ。あらゆる人物が自らを疑い、自分の言葉も信じてくれず、誰からも手を差し伸べられず本当に孤独だった。

 その中でも特に、これまで自らを導いてくれたノーリの最も尊敬する人物であるケルシーまでもが──結果的には勘違いであったが──自分のことを疑っているという事が、ノーリに大きな心理的打撃をもたらした。

 

 実際ここ数日のノーリは憔悴しきっており、碌に睡眠も取れていなかった。先程、ケルシーに対して怒声を上げるという普段のノーリならばまず行わないであろうことまでしていたのだ。このような状況が続いたことでノーリの情緒が不安定なってしまったのは想像に難くない。

 

 そして最後の最後に、ケルシーは自分のことを信じ、不問に付すと言ってくれた。感極まって泣いてしまってもおかしくない。

 

 

 ただし当のケルシーは、そんなノーリを何とも言えない少し呆れたような目で見ていた。その視線に気が付いたノーリは、なぜそんな微妙な感情がこもった目で見られなければならないのかわからず、ケルシーに尋ねる。

 

「あの、ケルシー先生? なんでそんな目で私を見ているのですか? ま、まさか何か気に障るようなことでも……」

 

「いや、今日の君は本当にらしくないと思っただけだ。普段の君ならばとっくに冷静さを取り戻して、ここまで長引くこともなかった筈だからな」

 

「……? どういうことですか?」

 

「その様子だと本当にわかっていないようだな……。 ふむ……今回の取り調べの流れをよく思い出してみるといい。取り乱していたとは言え、それぐらいは覚えているだろう?」

 

「取り調べの流れ……えっと、確か──」

 

 ケルシーに促され、ノーリは今回の取り調べのことを最初から思い出しにかかる。つい先程までの取り乱しようから覚えていないと思いきや、持ち前の冷静さと記憶力の良さもあってノーリの頭の中では素早く時系列が組み立てられていく。

 

 

 

 

 今日の取り調べもここ最近行われていたのと同じように、まずノーリは自分が今入れられている独房に運ばれた朝食を食べ、身だしなみを整えてから取調べ室に連れて行かれ、今日はケルシーから尋問を受けた。

 そこから連日の取り調べで聞かれたことと同じようなことばかりを聞かれ埒が明かなかったため、ノーリは必死に自分の無実を訴えたのである。それに対して、ケルシーは些かも感情を表に出さず返答した。

 

 

「……あ、そう言えば、あの時……」

 

 そこまで思い出した時、ノーリは何かに気付いた。確かその時、このようなやり取りがあった。

 

 

『私は何もやっていません! これは謂れのない、明らかな濡れ衣であり冤罪です!』

 

『……()()()()()()、皆がその言葉が信用するとでも?』

 

 

 それを思い出したとき、ノーリはハッとした顔になった。そうだ、初めのうちからケルシーは、直接的にそうと口に出したわけではないが、確かに自分を信じているという趣旨で話していたのである。

 冷静さを取り戻した今だからこそ気付いたが、その時のノーリは冷静さを欠き、気付くことができなかったのだ。

 

「そうだ……最初からケルシー先生、貴方は……」

 

「全く、君ならば直ぐに分かると思ったのだが、まさかここまで長引くとはな」

 

「申し訳ありません……私の視野が狭くなっていたようです……。この度ケルシー先生には、大変なご迷惑をおかけしました」

 

「気に止む必要はない、あの状況ならば仕方がなかったと言える。……ノーリ、私達は君を追い詰めてしまったようだ。すまなかった」

 

 ノーリへの謝罪を口にしたケルシーは、心なしか耳が少し垂れているように見える。ケルシーのここまでの言葉と態度から、ノーリはケルシーがずっと自分を信じていたこと確信した。

 

 ただ、お互いがお互いに謝罪の言葉を口にしたことで、空気が何とも言えない微妙なものに変化しつつあるのを感じたノーリは、多少無理やりにでも話を戻すことにした。このままでは謝り合いが続いて、また長引いてしまうと感じたからだ。

 それに、自らの師が自分に謝罪の言葉を口にして申し訳無さそうにしているのは、気分が悪いということではないが居心地があまり良くなかった。

 

「ケルシー先生、貴方が謝る必要はないのです。何はともあれ、貴方は私を信じ、今回の件は不問とすることに決めた。それで解決でいいではないですか」

 

「そうか……君が言うのならばそうしよう、この件はこれで終わりだ。君はもうあの独房に戻らなくていい。このまま自室に戻ることを許可しよう。アーミヤには直ぐに話しておく」

 

「何から何までありがとうございます、ケルシー先生。では、私は早速部屋に戻りますね」

 

 久し振りに自分の部屋に戻れることになったノーリは、傍から見ても解るほどに嬉しそうだ。ノーリを象徴するもふもふのしっぽもピンと立っている。

 因みに今のノーリの頭の中は『早く自室のベッドで寝たい』という考えで一色に染まっていた。

 

 そんなノーリがルンルン気分で部屋を出ようとすると、ふと思い出したようケルシーがノーリを呼び止めた。

 

「──いや、待つんだノーリ」

 

「え……ま、まだ何かありましたか? まさか気が変わってやはり私を許さないとか……」

 

 ノーリは表情を強張らせ恐る恐る尋ねる。あれだけ嬉しそうだったのが嘘のようにテンションは下落し、しっぽも一瞬でだらんと下がってしまった。

 

「いや、違うんだ。そういうことではない。ただ一つ、言わなけれならないことがあっただけだ」

 

「な、何でしょうか……」

 

「……ノーリ、君の『妹』がとても心配していた。まずは彼女に顔を見してあげたほうがいい」

 

「……! ……分かりました。部屋に戻るのは後にします」 

 

「ああ、それでいい。もう行っても大丈夫だ」

 

「では、私はこれで失礼します。ケルシー先生、色々とありがとうございました」

 

「分かった、ではまた」

 

 

 

 ケルシーとの会話を切り上げたノーリは、取調べ室から出ると足早に一点へと向かう。

 

 自身を待つ、最愛の『妹』の元へと

 

 

 

 

 

 

 

 因みにレッドの証言

 

「ノーリと、いっぱいもふもふした。すごく気持ちが良かった。その後は一緒に寝た」

 

 




 はい、今回のお話は以上となります。ケルシー先生はこういう甘いというかそんな感じのもいいなーと思いながら書きました。
 
 それにしてもノーリくんの妹……一体どんな子でしょうね?そこら辺は次で書きますのでお待ち下さい。また待たせてしまうことになると思いますが……。
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