※オリジナル艦娘のフッド様が登場しております。
かじかむ廊下の、奥まったところに、招かれた部屋はあった。木製のドアが並ぶ中、その部屋の扉だけは曇りガラスが張られていて、中の様子がうっすらと窺える。淡い光が漏れる室内に動く人影を見つけて、私は赤くなった手で扉をノックした。
タッタと近づいてくる足音。曇りガラスのすぐそばに、私と同じぐらいの背丈が立った。かと思えば、かちゃりと軽やかな音がして、中の人影が扉を開く。
ドアの隙間から、部屋の明かりとともに、眩い笑顔が顔を覗かせた。
「いらっしゃい。貴女をお待ちしてましたよ、大佐」
穏やかな目を細めて、羽根のような金髪を揺らす淑女に、私も頬を緩めて答える。
「お招きをいただき、ありがとうございます――ウォースパイト様」
わざとらしく、恭しく一礼などしてみせると、ころころと愛らしい笑い声がした。口元に拳を当てて微笑んだウォースパイトもまた、私に合わせて、大仰に一礼する。スカートの裾を摘まんで上げる所作が、何とも様になっていた。さすがは、「イギリス最高の淑女」とロンドン・タイムズが称した艦娘だ。
顔を上げると、またあの微笑みが覗く。落ち着いた大人の色香と、仄かに残る無邪気な少女の表情。
「さあ、お入りになって。すぐにお茶を淹れるわ」
その招きに応じて、私は部屋の中へと足を踏み入れた。
着ていた外套と軍帽をコートハンガーにかけると、窓の下に雪景色が見えた。以前訪れた時は、確か立派な日本庭園になっていたはずだ。庭師の手入れの行き届いた生きる芸術品も、今は厚く白粉を塗られている。
「外は寒かったでしょう」
「ええ、ほんとに。しばらく南国暮らしだったし、尚更ね」
肩を竦めて答えてみせると、沸かしている湯の様子を見ていたウォースパイトは「そうよね」と眉尻を下げた。本国にいた頃から変わらない、肩を大きく出している制服の彼女も、今は厚手のストールを羽織っている。それがまた、貴婦人のような雰囲気を強くしていた。
「ほら、大佐。こちらへいらして。火に当たると温かいわ」
その貴婦人が、ちょいちょいと、手で私を招く。彼女の指し示した椅子へ、私は腰を降ろした。そこで私は、ようやく、目の前の珍妙なものについて彼女に尋ねる。
「ところで……ウォースパイト、これは、なに?」
一抱えほどもある丸っこい陶器の器には、きめの細かい灰が敷き詰められている。その上に並べられた、断面に菊の文様の見える炭と、トライベット。そして、やたらと見た目の厳めしい、やかん。
お茶を淹れるというから、本国で彼女が愛用していたような、コンロとやかん、ティーセットを想像していた私は、全く見当もつかない代物の登場に、首を傾げるばかりだった。
私の疑問に、ウォースパイトが答える。
「火鉢、というのよ。日本の、コンロ兼暖房器具ね。上に乗ってるのは、南部鉄器のやかんなの」
名前だけは聞いたことのある、この国の伝統的なお茶道具に、ああと相槌を打つ。いつか実物を見たいとは思っていたが、よもやイギリス艦娘が使っているところを見ることになろうとは、誰が予想できただろうか。
「随分と……日本風に染まっているね」
火箸を操り、鉄器の音に耳を澄ますウォースパイトへ、率直な感想を漏らす。それを否定せずにクスリと笑って、彼女は答えた。
「この国にはね、『郷に入っては郷に従え』という言葉があるの」
「ことわざ、ってやつね。ちなみに意味は?」
「土地ごとの風習や慣習に従いなさい、ということよ。南北に長くて、気候も生活習慣も地域ごとに違う、この国らしい言葉だと思うわ」
丁度その時、やかんで湧いていた湯の音が変わり始めた。しゃかしゃかと、水が沸騰しているとは思えないメロディーが部屋の中に響く。その音を聞き届け、満足そうに頷いて、ウォースパイトは傍らの折りたたまれた布へ手を伸ばした。慣れた手つきで布を捌きながら、彼女は私へ尋ねる。
「どうしますか、大佐。紅茶を淹れるつもりだったけれど、お抹茶にしてみますか」
「いや、紅茶で。抹茶は苦手なんだ」
火鉢へかじかんだ手をかざしながら、ウォースパイトへ答える。「あら、残念」と、さほど残念な様子もなく呟いた彼女は、まだしゃかしゃか言っているやかんを火鉢から上げて、机の上に用意されたティーポットへ湯を注いだ。ガラスの表面が、立ち昇る蒸気で瞬時に曇る。
やかんを火鉢へ戻したウォースパイトが、「そういえば」と前置いて、また私へ話しかけた。
「フッド様も、後からいらっしゃるそうよ」
ウォースパイトの口からさらりと出た名前に、思わず息が詰まる。件の巡洋戦艦は、日本派遣艦隊――この言い方には多分に語弊があるのだが――の旗艦として、イギリス艦娘を指揮する立場にある。ウォースパイトが主と仰ぐほど、気品高く、麗しく、優美な艦娘ではあるのだが。私はどうも、彼女のことが、苦手なのだ。
「大佐に会えるのを、随分と楽しみにされていたわ」
「ああ……そう、なんだ」
我ながら、微妙な表情をしているものだと自覚している。曖昧な返事を返しながら、火鉢にかざす手を、開いたり閉じたりする。
温まったポットのお湯を捨てて、ティースプーンで茶葉をすくい入れるウォースパイトが、クスクスと悪戯っぽく笑う。その横顔は、いつか本国で見たフッドのものに、随分と似てきた気がした。
「気乗りしないみたいね?」
「フッド陛下とは、どうにもやりづらくてね」
「そうなの?フッド様は、随分と貴女を気に入っているようだけれど」
「あれは、犬とか、そういうのに向けるのと同じ好意でしょ」
そうかしらと、ウォースパイトは首を傾げて笑った。彼女がいまいち納得できていないのも頷ける。フッドという艦娘は呆れるほどに一途で、その好意はウォースパイトへのみ向けられている。他の者へ――艦娘も人間も含めて、フッドが向ける好意は、当たり障りのない微笑みか、やや意地の悪い興味のどちらか。
まあそれも、愛想を尽かされるよりは遥かにマシだろう。
「――こら」
突然、ウォースパイトの細い指が、私のおでこを小突いた。むっと眉間に皺を寄せた彼女は、不満気に頬へ空気を送っていた。懐かしい少女の面影を重ねる。穏やかな淑女と、鮮やかな少女の、その二面性がウォースパイトという艦娘の魅力だったと、今更ながらに思い出した。
「難しいことを考えないの。――今はお茶を楽しんで。久しぶりの女子会なんだもの」
「……ん、そうだね。ごめん」
「素直でよろしい」
膨らんでいた頬を引っ込めると、また貴婦人の色香が匂い立つ。丁度、彼女はティーポットへお湯を注ぐところだった。
沸いた水がポットへと零れ落ちていく。ガラスの内側で、湯に浸かった茶葉が踊っていた。瞬間、ふわりと軽やかな香りが、部屋の中へ広がった。火鉢だけを熱源とする部屋に、二つ目の温度が加わる。こうして茶葉の舞う瞬間ほど、温かさを実感するものもない。ただこればかりは、経験と少しの才能がなせる業であって、残念ながら私ではこうはいかなかった。
ウォースパイトの淹れる紅茶は格別なのだ。
「今日もいい香りだね」
「ええ。素敵なワルツを踊ってくれたわ」
うっとりとポットを眺めるウォースパイト。私が茶葉を「踊る」と表現するのは、いつもそうやって笑う彼女の影響によるところが大きい。ティーセットはダンスホールであり、ポットは華やかな舞踏会の場だ。
ポットに蓋をして、茶葉を蒸らす。色と香りをお湯に映し出し、茶葉は踊り続ける。その様子を眺めるパーティーの主催者は、ティーカップを二つ並べながら、お茶を注ぐタイミングを計っているようだった。
「――今、淹れるわね」
頃合い良しとしたのか、ウォースパイトはポットと茶こしを手に取った。紅茶の名の通り、この国の秋を思わせる雫が、ポットより零れ落ちる。
香りの強さは、お湯を注いだ時の比ではない。部屋一杯に広がるほどの豊かな風味。冬だというのに、朗らかな春の陽射しに包み込まれるような、そんな錯覚を覚える。
私の分と、彼女の分。二人分のお茶を注ぐと、ぴったりポットの中身が無くなった。ゴールデンドロップを私のものへ落としたウォースパイトは、満足げに微笑んでカップを差し出す。冬の光を反射する液面は、宝石の輝きそのものだった。
「ありがとう」
「遠慮なく、いただいてくださいな。スコーンもあるわよ」
ウォースパイトがお茶請けのスコーンを取り出し、テーブルの上に広げる。きつね色の焼き目が美しいお茶菓子に、否応なく小腹が刺激される。紅茶と合わせてありがたくいただくことにし、自分の分を取り分けた。
そういえば、本国にいた頃、ウォースパイトのお菓子作りに付き合わされたことがあったなと思い出す。良くも悪くも彼女に振り回されっ放しだった私は、あの時の真っ黒なスコーンの味をよく憶えていた。来る日も来る日も試作と味見に付き合わされていた頃は、スコーンを見るのすら嫌になったほどだ。
その甲斐あってか、今目の前にしているウォースパイトお手製のスコーンは、見るからにおいしそうな出来をしている。
まずは、紅茶からいただくとしよう。ティーカップへ手を伸ばし、指を引っかけて、音のないよう持ち上げる。鮮やかな薔薇の柄に、ほうっと息を吐き、目を細めた。美しい色合いだ。かつて彼女の世話していた、本国艦隊自慢の庭園を思い起こす。心なしか、漂う紅茶の薫りに、遠い故郷の思い出を見た気がした。
穏やかに湯気を上げる液面へ、柔らかな口づけをする。華やぐ香りに、ほんの一時目の覚める思いがした。けれどそれは華美にあらず。決して飾らず、しかし息を飲むほど心奪われる、そんな風に穏やかな、淑女の香り。貴婦人の佇まい。
なるほど、これは――
「……ウォースパイト、また腕を上げたね」
素直に褒めた私へ、彼女はころころと楽しげに笑って、それからカップを傾けた。
暖かな紅茶と、香ばしいスコーンが二重奏を奏でる中、その調べに合わせて、私たちの会話も弾む。まるで取るに足らない、他愛のない、友人同士の会話だ。しかし久しく、その感覚を忘れていたことに気づかされる。思えば、ウォースパイトがその意志で祖国を去ってより、二年の月日が経っていた。
「――貴女、変わらないわ」
小麦粉をひっくり返してプリンス・オブ・ウェールズに怒られた話に一しきり笑うと、ウォースパイトはそう呟いた。懐かしむような微笑みに、彼女も私と同じ心地なのだろうかと、そんなことを思う。
遠い友人との再会は、どれほど時と距離を隔てようと、嬉しいものだ。
「ウォースパイトは、変わったよ。前よりずっと、笑顔が素敵になった」
私の答えに、ウォースパイトはどこか照れた様子で微笑んだ。
その時、扉が軽快にノックされた。歌うように刻まれたリズムが、妙にはっきりと聞こえる。
薔薇の鮮やかさが、一層増したように見えた。
「はい。ただ今」
頬を染めて立ち上がったウォースパイトが、扉へと駆け寄っていく。跳ねるような足取りを、その背中を、私は目で追い駆ける。
開かれた扉から、太陽がこちらを窺っていた。
「お待たせ。私の席は、まだ空いているかしら」
「はい、もちろんです。今日はスコーンですよ」
ウォースパイトが招き入れたのは、散々話題に上った巡洋戦艦――「彷徨えるイギリス艦隊」旗艦のフッドであった。
腰まで伸びる金糸の髪は、ウォースパイトに勝るとも劣らない麗しさ。陶器のようにきめ細やかで滑らかな白の肌に、薄く薔薇の色を乗せる。双眸に嵌め込まれるのは、高貴の象徴たる紫の輝き。穏やかな微笑みは、あらゆる者の心臓を射竦める魔性の魅力を秘めていた。
吸い込まれるようなアメジストの瞳が、私の姿を捉えて悪戯っぽく歪む。
「まあ、珍しいお客人。久しぶりですね、大佐」
「フッド陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。お先にお茶をいただいてますよ」
「ふふ、これほど敬意の籠っていない挨拶をするのは、あなたくらいのものだわ」
やはりクスクスと、フッドは笑う。旗艦の証たる王冠と、深紅のマントをウォースパイトに預けたフッドは、私の隣で数秒火鉢に手を当ててから、用意された椅子に腰かけた。そこへ丁度、ウォースパイトも戻ってくる。
「外は寒いわ。寒くて、凍えてしまいそう」
窓の外の雪景色を見遣って、フッドが呟く。完璧超人を絵に描いたような彼女が、そんな風に弱さを見せるのは珍しい。そう思ったところで、はたと気づく。この部屋にはウォースパイトがいる。なるほどつまり、麗しの女王は今ウォースパイトに甘えているんだろう。他者を睥睨する氷の瞳が、今は春の野に咲く花のように穏やかな色をしていた。
それを知っているのだろうウォースパイトも、柔らかに微笑む。頬に差す赤が強くなる。艶やかな笑みに、私の方が心を奪われてしまいそうだ。
「では、暖かい紅茶を。すぐに。それまでは、火鉢と歓談で、お気を紛らわせましょう」
「微力ながら、お付き合いいたしますよ、陛下」
ウォースパイトの言葉に、私も乗っかる。薔薇の貴婦人は、「ありがとう」と目線で礼を寄越した。
フッドが目を細める。真冬の光を温めて、紫紺の瞳を輝かせる。
「ありがとう。――では、お言葉に甘えてしまおうかしら」
高貴なる女王の言葉に、麗しの淑女は鮮やかな少女の微笑みを零した。
女性提督合同用に書いてたけどボツったお話でした。