散る花の如く   作:紫 李鳥

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「おふくろ、入るよ」

 

「お入り」

 

 その、威厳に満ちた低い声は、この家の(あるじ)であることを示唆(しさ)していた。

 

 卓也が開けた障子の向こうには、柊子が選んだ、あの着物を着た母親が正座をしていた。母親は、驚いた表情の柊子に笑顔を向けると、

 

「さあさあ、入ってたいま」

 

 と、二枚並んだ座布団の片方に手を示した。

 

「紹介する。加藤柊子さんだ」

 

 卓也の紹介に、柊子は、

 

「初めまして。加藤柊子と申します。どうぞよろしくお願いします」

 

 と、座礼をした。

 

「よう、いらしてくれた。息子からあんたのことは聞いとるよ。……本当に着物がお似合いだ」

 

「ありがとうございます」

 

 柊子は座布団に座ると、卓也と並んだ。

 

「……とてもお似合いですね」

 

 柊子が着物のことを言った。

 

「あんたが選んでくださったんやろ?うちの好みをようご存じで。ふふふ……。この柄を選んだ人なら間違いねえて思うたげん」

 

「ありがとうございます。卓也さんのお母様なら、お目が肥えていらっしゃると思いまして……」

 

「ついでに体のほうも肥えてきたけど。ふふふ……」

 

「そんなこと……」

 

「今日は夕飯をご一緒にしょまいか」

 

「はい。ご馳走になります」

 

 笑顔で母親を見た。

 

 

 

 夕食までの間、母親の綾子(あやこ)が家族の話をしてくれた。卓也の祖父の代から続く不動産屋を()っていた卓也の父親が四年前に他界して、卓也が跡を継いだ。そして、東京に住んでいるという次男の英征(ひでゆき)は、大学を卒業してフリーターをしているとのことだった。

 

 

 ――卓也と結婚したのは、庭の紫陽花(あじさい)が色を鮮やかにする頃だった。式は兼六園(けんろくえん)に隣接した神社で(おごそ)かに執り行われた。

 

 結婚の話が決まった時、秀子は泣いていた。歳の離れた秀子にとって、柊子は自分の子供のような存在だった。柊子もまた同じ気持ちで、我が儘(わがまま)を言って困らせても笑って許してくれる秀子は、十九歳の時に亡くした母親のような存在だった。

 

 結婚祝いに何かプレゼントをしたいと言う秀子に、卓也が気に入っているラベンダー色の鹿の子絞りを要求した。すると、「あれは、あげたも同然なのに。他に欲しいものはないの?」と言ってくれた。柊子はそんな優しい秀子が好きだった。本音を言えば店をずっと手伝って、秀子の役に立ちたかった。だが、綾子の結婚の条件が仕事を辞め、家庭に入ることだったので、柊子は働きたいことを口にしなかった。

 

「小山内家の嫁としての自覚を持ってたいまよ 」

 

 格式を重んじる綾子のその言葉を重荷に感じたが、“郷に入っては郷に従え”という(ことわざ)が頭を(よぎ)った。

 

 

 小山内家に自分の家財道具を運び終え、どうにか落ち着くと、家事の手伝いを申し出た。だが、住み込みの手伝い、影山暁雄(かげやまあきお)扶美(ふみ)の夫婦がいる小山内家では、柊子は何もやることがなかった。綾子にお願いして、どうにか自分達の部屋だけは掃除させてもらえることになった。

 

 畳替えをしてくれた部屋は、母屋(おもや)から渡り廊下で結んだ離れで、ユニットバスも(もう)けていた。持ってきた洗濯機は、廊下の突き当たりにある洗面所の傍に置いた。使い慣れた洗濯機で自分達の物を洗えるのが嬉しかった。裏庭にある物干し竿にシーツを掛けながら、梅雨(つゆ)の合間の青空に感謝した。

 

 だが、そんな柊子も毎日のように忙しかった。というのも、交友関係の広い綾子が友人からの誘いの電話がある度に柊子を伴うからだ。その都度(つど)、柊子は若い頃の綾子の着物を着せられ、「長男の嫁や」と紹介される。

 

 

 ――それは、一家団欒(いっかだんらん)(くつろ)いでいた正月三が日だった。

 

「奥様!英征お坊っちゃまが!」

 

 扶美が慌てて、居間にやって来た。

 

「えっ!英征が?」

 

 綾子が目を丸くしていると、

 

「……ただいま」

 

 と、黒いリュックを肩に掛けた英征が顔を出した。

 

「英征、元気やったの?」

 

 綾子は英征の腕を掴むと、横に座らせた。冬だというのに、英征の顔は小麦色をしていた。

 

「随分、焼けてんな。ハワイにでも行ってたか」

 

 卓也が嫌味を言った。

 

「そんな金、あるかよ」

 

 斜め前の英征と目を合わせると、柊子は微笑んで会釈をした。英征のその視線は、卓也に似ていた。だが、若い分だけ、英征のほうがシャープだった。

 

「あ、卓也のお嫁さん。柊子さん」

 

 綾子が紹介した。

 

「初めまして。柊子です」

 

 腰を上げてお辞儀をした。

 

「あ、どうも」

 

 無愛想だった。お茶を運んできた扶美が、英征の前に湯呑みを置くとお辞儀をして出ていった。

 

「あ、どうもじゃないよ。連絡もしないで何やってたんだ」

 

 煙草を(くわ)えた卓也が煙そうに目を細めた。

 

「……色々。プールの監視員とか、工事現場でも働いた」

 

 チョコレート色の革ジャンから煙草を出すと、柊子を()た。

 

「何をやってもいいが、連絡ぐらいしろ。どこにいるか分からんから、結婚式にも呼べなかったじゃないか」

 

「……」

 

「もういいやろ?こうやって帰ってきてくれたんやさかい」

 

 綾子は卓也を(なだ)めると、嬉しそうにしみじみと英征の横顔を眺めていた。

 

(しばら)くいるやろ?」

 

 綾子がゆっくりするように促した。

 

「うむ……、どうしようかな」

 

 コーヒーを飲んでいる柊子を見た。柊子は英征の視線を感じて、耳を赤くしていた。

 

「久し振りなんだ。ゆっくりしていけ」

 

 そう言って、卓也は湯呑みに口を付けた。

 

「……ああ。そうだな」

 

 英征も湯呑みに口を付けた。

 

「あー、良かった」

 

 綾子が安堵(あんど)の表情を浮かべた。

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