散る花の如く   作:紫 李鳥

5 / 6


 

 

 その翌日だった。

 

「こっちでバイトしようかな。母さん、アパート借りていいでしょ?」

 

 雑煮を食べながら英征が綾子を見た。

 

「こっちで働くのかい?ほりゃあ嬉しいけど、アパートなんか借らんで、ここから通えばいいでねえか」

 

「……自活したいんだ」

 

「東京のアパートはどうするんだ」

 

 卓也は、おせちをつまみに酒を呑んでいた。

 

「こっちで仕事が決まったら、引っ越すよ」

 

「お前は浮き草みたいだな。バイトなんかしないで、うちの会社で働こうとは思わないのか」

 

 卓也が(さかずき)を傾けた。

 

「……自由に生きたいんだ」

 

「いいでねえの。英征の好きなようにさせてあげよまいか」

 

 ほたるいか生姜(しょうが)煮を食べながら、綾子が卓也を見た。

 

「おふくろがそう言うんなら、構わないが」

 

 英征を一瞥(いちべつ)すると、(ぶり)の照り焼きを口にした。

 

 柊子は、鱈子(たらこ)昆布巻きを食べながら、柔らかな笑みを英征に向けていた。

 

 

 それは、仕事始めの当日だった。卓也は会社に、綾子は暁雄が運転する車で年始回りに、扶美は買い物に出掛けていた。柊子が寝室に掃除機をかけている時だった。突然、後ろから口を塞がれた。

 

「うっ」

 

 振り向くこともできないほどの力で押さえられ、身動きできなかった。どうやって逃れようかと考えたが、掃除機の音が邪魔して、冷静な判断ができなかった。

 

「うう……」

 

 力の限りに(こば)んだが、男の力は緩まなかった。だが、その指がスカートの中に入った瞬間、柊子は火事場の馬鹿力を出すと、思い切り身を(よじ)って離れた。

 

 振り向いたそこには予想どおりの男がいた。柊子は悔しそうに唇を噛むと、横を向いている英征の頬を平手で打った。

 

「あなたが今したことは、卓也さんを冒涜(ぼうとく)したのよ。分かってるの?」

 

「……」

 

 英征は頬に手を置いたまま、目を合わせなかった。

 

「……ごめん」

 

 英征はぽつりとそう言うと、()げるように出ていった。柊子はため息と共に肩の力を抜くと、掃除機のスイッチを切った。――間もなくして、英征は家を出ていった。

 

 

 数日後、柊子に一本の電話があった。

 

「若奥様、お電話です」

 

 扶美の声で居間を出ると、廊下を行った。

 

「どなた?」

 

「佐々木とおっしゃる女の方です」

 

「……佐々木?」

 

 心当たりがなかったが扶美から受話器を受け取った。

 

「もしもし、お電話代わりました」

 

「しゅうこさんですか」

 

 若い女の声だった。

 

「はい、そうですが」

 

「代わりますので、ちょっと待ってください」

 

「あ、はい」

 

「……英征」

 

「!……」

 

「ウエイトレスに電話してもらった。アパート決まったから住所言う。母さんと兄さんには内緒で」

 

「あら、ようこ?久し振り。元気だった?……分かったわ。どうぞ言って」

 

 居間にいる綾子に、相手が英征だと悟られまいとして、友人からの電話の振りをした。そして、電話台のメモ用紙に、筆圧を弱くして住所を書くと、跡が残らないように数枚を剥がした。

 

「じゃ、明日会おうか?何時頃がいい?」

 

「一日中いる」

 

「了解。じゃ、お昼でも食べましょう」

 

「うん」

 

「それじゃ、明日ね」

 

 柊子は受話器を置くと、考える顔をした。……会ってはいけない。だが、会わなければ何度も電話を寄越すだろう。やはり、一度会ってちゃんと話をするべきだ。

 

 電話の相手が英征だと悟られたのではないかと、戦々恐々(せんせんきょうきょう)としながら居間に戻ると、綾子は、

 

「お友達?」

 

 と、上目で一言訊いて、刺繍(ししゅう)の続きをした。

 

 

 翌日、綾子に友人に会うと嘘を()いて出掛けた。英征のアパートに向かう途中にあったスーパーで食料を買うと、鉄筋コンクリートの二階の〈小山内〉と表札のあるドアをノックした。ドアスコープで覗いたのか、鍵を開ける音がした。開いたドアの向こうには、少年のような英征の笑顔があった。

 

「食事作りに来ましたわ、若お坊ちゃま」

 

 皮肉まじりに言った。

 

「ありがとう」

 

 悪びれる様子もなく、当然のように答えた。

 

 フローリングのワンルームには、真新しい組み立て式のベッドと小さなテーブル、それと小型の冷蔵庫があった。流しの横には炊飯器とトースターがあって、コンロの上には片手鍋とフライパンが置いてあった。

 

「料理、作ってる?」

 

 冷蔵庫に肉や野菜を入れながら訊いた。

 

「うん。インスタントラーメンや目玉焼きぐらいだけど」

 

「何食べたい?」

 

「何でも。任せる」

 

 英征はテーブルに置いた煙草を一本抜くと、アイボリーの丸いクッションに胡座(あぐら)をかいた。色々訊きたかったが、食後に話すことにした。

 

 買ってきた白飯でチャーハンを作ると、英征は「うまい!」と言って、あっという間に平らげた。コーヒーが好きな柊子は、一緒に買ったドリッパーとフィルターでモカを淹れた。

 

「……東京に帰ったんじゃないの?」

 

 コーヒーを飲みながら訊いた。

 

「……あんなことして居づらいから出たまでさ」

 

 煙草を(くゆ)らせながら横を向いた。

 

「……私とどうしたいの?」

 

「……欲しい」

 

 目を見ないで呟いた。

 

「自分で何を言ってるか分かってるの?」

 

「分かってる。……覚悟もしてる」

 

「何を?」

 

「家族と縁を切る覚悟……」

 

「どうして?どうしてそこまで私に執着するの?卓也さんを裏切ってまで……」

 

「好きになるのに理由が要るかよ」

 

 子供のように向きになって、柊子を睨んだ。

 

「どうしてそんな偏屈な物の考え方をするの?私が訊いているのは、私は仮にもあなたの兄さんの妻よ。非常識だとは思わないの?」

 

「兄さんが好きになった人を俺が好きになって当然じゃないか。兄弟なんだから……」

 

「……え?」

 

 柊子は何が何だか訳が分からなくなっていた。自分の考える道徳というものが果たして本当の道徳なのか。理不尽(りふじん)に思える英征の言うことが正論なのか……。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。