幻想郷、と呼ばれる場所がある。妖怪だとか亡霊だとか神様だとか、もちろん人間だっている、日本のどこかにある人ならざる者たちの最後の理想郷。当然、そんな人? たちが集まれば、いろいろと大事件――ここでは『異変』と呼称されている――がたまに起きることもあるが、まあ大体は丸く収まってる。
主に、今目の前で僕に荷物持ちをさせている紅白巫女によって。
「すいません霊夢さん、そろそろ僕の腕が限界です」
「なーに言ってんのよ。この後米屋によるんだから、これぐらいで音を上げてもらっちゃ困るわ」
……まあ、このようにかなりの面倒くさがり、アンド人使いが荒い人ではあるのだが。
「この前除霊の仕事に行った時報酬でお金を貰ってね、今のうちに食材とか買い替えなきゃいけないものとか揃えないといけないの」
「僕は関係ないと思うんだけど……」
「なによ、あんたが幻想郷にきて右も左もわからないうちに居候させていたのはどこの誰だったかしら?」
「うぐっ」
随分と痛いところを突いてくる。僕が幻想郷に“流れ着いて”来たのは一年以上前の話だが、当時は訳も分からず山の中をうろついて、危うく野良妖怪のご飯になりかけたところだった。そんな折に助けてくれたのが霊夢だったワケで、それ以降性格云々いう以前に彼女に頭が上がらないのだ。
「にしても不思議な話よねー。普通幻想郷に“外”から入ってくる外来人っていうのは、何かしら訳ありだったり変な能力を持ってたりするものだけど、あんたの場合本当にただの一般人なのよね。霊力とか魔力とかほとんど持ってないし、特に注目すべき特技とかないし」
「……その言葉だけだと随分とあんまりな言い方に聞こえる気がする」
悔しいが霊夢の言っていることは正しい。僕には霊夢みたいに妖怪を退治する力もないし、空も飛べない。能力的に言えば『その他の人間』に分類されるほどだろう。
一応、外の世界で高校に通っていたころは入学当初から剣道部に所属していたうえ、全国大会でも新人戦でいいところまで行けたという自負はあるのだが、冥界の庭師とか妖怪の山の天狗たちとかの太刀筋を見ていると――比較してはならないのだろうが所詮自分は井の中の蛙ということを認識させられる。
「そういえば、あんた道端に歩いてるところを捕まえたんだけど、どっかに行く用事でもあったの?」
「用事? ……あっ」
記憶を、わずか一時間前までにさかのぼらせる。
「こんにちはー慧音さん。頼まれていた本持ってきました」
人里に建つ寺子屋に風呂敷で包んだ十数冊の同じ内容の本を運んだ僕は、入口の戸を開けて中にいるはずの寺子屋の教師の名前を呼んだ。すぐさま引き戸がひかれる音、とたとたという足音が続き、廊下の角から見慣れた人物が姿を現した。
「やあ君か、予定よりずいぶんと早く来たな?」
彼女の名前上(かみ)白沢(しらさわ)慧音(けいね)。寺子屋の教師を務めている、半人半妖の女性だ。ワーハクタク、とも呼ばれる種族らしく、満月の夜には姿や能力が変化するらしい。当然だが、日中の今は完全に人の姿だ。
「この後墨と紙を買いに行かなきゃいけないもので、早めに出てきたんですよ」
「ああ、なんだ君もか。実は私も後々買い出しに行こうと思っていたところだったんだ。……ただ今少し忙しくてね、テストの問題用紙を午後までに間に合わせなければ」
「それって結構きつくありません? どのぐらい完成しているんですか」
「答案そのものはほぼ完成している。徹夜で仕上げているが、ペース的には十分間に合うから問題はないさ」
問題はないとは言うが、半分妖怪とはいえ多少オーバーワーク気味ではないだろうか。仮眠どころか休憩もしていないように見える。目の下には隈ができていた。
「……何ならついでに必要なものを買ってきましょうか?」
「ほう? 追加料金なら払わないぞ」
「いりませんよ。ほんの些細な気まぐれと思ってください。もちろん、買ってきた分の代金はもらいますが」
僕は幻想郷にきて最初の半年ほど霊夢の神社に住まわせてもらっていたが、それ以降はこの寺子屋近くの一軒家に居を構えている。人里で暮らすうえで慧音にはお世話になっているため、そのお礼もかねての行動だ。
「なら、気まぐれついでに少し急いでもらうと助かる。二十枚ぐらい作らなければならないのだが、今の在庫では半分が限度だ。もっと早くに気づけばよかった」
「りょーかいです。あ、貸出本回収しますね」
そう言って僕はいつも通りに玄関に置かれた本数冊と帳簿を照らし合わせ、紛失していたり余計な本が混ざっていないか確認する。この人に限ってそんなことはないと思うが。
「鈴奈(すずな)庵(あん)での仕事は慣れたか?」
「まぁ半年も続ければ、それなりに」
慧音の質問に、手を止めたり顔を動かすことなく答える。人里に移り住む一件としては、僕が鈴奈庵で貸出本の配達のアルバイトをすることができるようになったため、ある程度の自活ができるようになったからでもある。
「教師の発言としてはあれだが、君がそこらの妖怪を打倒する力があるのなら、人里の外で悠々自適に生活するという選択肢もあり得たかもしれないな」
「僕はココに来る前はフツーの高校に通っていた現代っ子ですよ。電気が身近にない生活っていうだけでも困惑気味なのに、妖怪怪物エトセトラが蔓延ってる外でそんなサバイバル生活は送れませんよ」
原因不明の幻想入りで、進級に向けて準備していた去年の今頃の時期。今までの生活が急に何もかも変わってしまったのだ。むしろ状況を素直に受け入れて自分なりに打開策を見出そうとしていた当時の自分をほめたい気分だ。
「そんじゃ、二十分ぐらいで戻りますんで」
「ああ。そんなに急がなくてもいいが、自分の仕事のほうをないがしろにしないようにな」
それじゃあまたーと会釈して、荷物をもって寺子屋を後にした。
……そんなやり取りをして、鈴奈庵にいったん本を持って行ったあと買い出しのために出発して数分。霊夢につかまり、買い物に付き合わされて現在に至る。
急がなくていい、そういわれたがすぐに戻ると言った建前、遅れていたとしても今すぐ約束を果たすべき――。
「ちょっと、どうしたのよ。急に無言になって――ってちょっとぉ!」
買い物袋を抱えたまま猛ダッシュ。そんな僕の突拍子のない行動に驚いた霊夢は慌てて呼び止めようとするが、彼女が言いたいことを全部言う前に、声が聞こえる範囲から完全に離脱していた。
「……確かに少し遅いな、とは思ってはいたが」
目の前で肩を上下させ息切れする僕と、空を飛ぶことを忘れ走って僕を追いかけてきた霊夢を目にして、慧音はあきれ口調で言った。
「何も寿命を削りかねないほどの走りを見せつけてまで果たすような約束でもなかっただろうに。しかもそこの巫女の荷物を持ったまま」
「私に関しては完全にとばっちりよ……。はたから見れば“荷物を盗んだ不審者Xと追いかける被害者”そのものね」
「ぜーはーぜー……。と、とにかく、持ってきましたんで」
呼吸を落ち着かせながら絞り出した言葉とともに、新たに増えた袋のうちの一つを手渡す。中身はもちろん頼まれていた墨と紙。
「あ、ああ、そのことなんだが……その、非常に言いにくいんだが」
受け取りながら慧音は気まずそうに頬をかく。
「なによ、言いたいことがあるんだったらはっきり言いなさい」
「君に急かされる事柄じゃないと思うが。……まあその、君が言った後に念のため物置を探ったんだ。そしたら――」
霊夢が強めの口調で促し、慧音が今まで背中で隠していた左手を見せる。正確にはその手に握られているもの――僕が買ってきたワンセットと全く同じものを。
「というわけで、代わりに買いに行ってくれたのは助かったが、そんなに急ぐ必要はなかったということで……」
「……」
どばたーんと僕がその場で倒れたのは当然の反応であろう。
自機勢はコンプリートしたいと心に思うた。