『迷いの竹林』と言われる場所が、幻想郷にある。面積的にはそこまで広大というわけでもないのに、同じ場所をぐるぐる回ってしまうのだ。構造を知っている現地の住民の案内がなければ、脱出も容易ではない。
そんな竹林の奥に『永遠亭』という屋敷がある。月の民が幻想郷に隠れ住むために建てられたものだ。そこには医者の『八意永琳』がいて、僕は彼女の手伝いという日雇いのアルバイトをする時もある。
まあ、そんなにやることは多くない。彼女の助手はもっと優秀な人がいるし、やることと言えば物の整理とか訪れた妖怪を屋敷に案内するとかだ。大抵の人並みな思考回路を持つ妖怪は怪我をするとここに来るが、もともと彼らは治癒力が高いため滅多なことでは来ない。
逆に言えば、治療目当てで来た、あるいは患者を連れてきた妖怪は、かなり心配性な人物だといえよう。
「先生、橙は、橙は、大丈夫でしょうか……!?」
「ら、藍様、大丈夫だって言っているじゃないですかー!」
夏ももうすぐ終わりという時期。駆け込み患者が入ってきた。患者自身は別に駆け込んでいないけど。
「膝を擦りむいただけね、妖怪なのだから処置しなくても一日たてば治るけど……念のため消毒と絆創膏をしておくわ」
慣れた様子で永琳が診断して、てきぱきと処置を始める。幻想郷に来てからというもの、僕がいるときにたまーにこういうことがある。が、僕がいないときでもその数倍は本人たちが来ているだろう。
藍の橙に対する過保護っぷりは有名だ。紫からもそのことをたびたび指摘しているが、どうにも改善しない。
「ありがとうございました。よかったな、橙」
「心配し過ぎなんですって藍様ー」
お礼を言いつつ橙を連れて退室する藍。彼女たちの尻尾の最後の一本が見えなくなるまで、外までしっかりと送る。
「相変わらず……藍の自分の式神好き好きには困るわ」
「その言葉、自分を振り返ってみたらどうですか?」
永琳も自身の主人に対する溺愛っぷりにはさほど変わりないと思うが……。
「さて、あなたにはもっと働いてもらわないと。じゃなきゃ今日のお駄賃はあきらめてもらうしかないわ」
「け、契約違反だー!」
「幻想郷に司法制度はないのよ? 違反も何もありはしない」
黒い笑みを浮かぶ永琳。これが、元月の民か……!
「今日は姫様がいないし、鈴仙も人里で薬を売っているからあなたが雑務をこなしてもらわないと。次はそうね……姫様の部屋を掃除してもらおうかしら?」
「僕が勝手に入って良いのでしょうか?」
「心配いらないわ。あとで弾幕の嵐に遭うのはあなただけですから」
鬼畜すぎる。というか見られて困るものが部屋にあるというのか? これは絶対清掃した相手が僕だという事をばれないようにしなければ。
「なんだか外の世界でも見たことあるぞ、この光景……」
この感覚はあれだ、一人暮らしの友達の家に遊びに行ったやつ。自分の城と言わんばかりに好き放題汚しまくっていたアレ。
この部屋、すごく世俗に染まっている!
「引きこもっていたっていうし……」
屋敷の主人である『蓬莱山輝夜』は、月の民から身を隠すためにこの竹林に移り住んだという。それ以来滅多に屋敷の外には出なかったとのことで、そう思えば相当に退屈だっただろう。
今だと時々人里で歩いているのを見かけるが、なんだか慣れていない感じもした。
「魔理沙の家よりかはましか」
ちゃんと歩けるように場所を確保しているあたり、最低限整頓という言葉を知ってはいるようだ。とはいえ、不要物をいつまでも残しておくのは衛生上よろしくないので、永琳からもらったリストをもとに片づけを始める。主に捨ててはダメなもの一覧だ。
「本とか筆記類とか……そんなのばっかりだ。あっ、懐かしいゲーム機なんてあるんだ」
よく見れば古いブラウン管タイプのテレビまで置いてある。電化製品なんて幻想郷でも相当珍しいんじゃないか?
「とりあえずいらないものはここに入れて、その後で分別して……」
あからさまにゴミと思えるものを中心に、永琳から持たされた袋に詰め込んでいく。穴が開いた靴下に、くしゃくしゃに丸めた和紙。外に出しっぱなしの道具類は、元の場所に納めていく。
「家の大掃除とほとんど同じじゃん……」
輝夜は不老不死なので、何か珍しいものでも集めているのではないかと少し期待していたが、年に一度自分の家を掃除するときと何ら変わりがない。
「こういうところとかに……」
ついつい言われていない場所まで覗いてしまう。女の子の部屋に探りを入れるなんてどうかと思うが、こういう時出でないと得られない経験がある。
「布団もしまわないと……ん?」
敷布団をたたんでどかすと、下から何か一冊の古い本が出てきた。
「なんだこれ……」
拾い上げてタイトルを読む。『ときめく毎日、輝夜ちゃん日記!』。
「……」
そっと適当な本棚に突っ込んだ。
その後も、黒歴史的に他人に見られては困るようなものが続々と出てきて、輝夜の社会的な立場も考えてすべてもともと入っていたであろう場所にさりげなく入れておいた。なぜこんなにも爆弾を散らばせているんだ、あのお姫様は。
「履き掃除も済んで……あとは水拭きと」
持ってきたバケツにためた水に雑巾を浸して絞る。
「お師匠ー。師匠いませんかー?」
「あっ、鈴仙」
フルネーム、『鈴仙・優曇華院・イナバ』。長いのでどこかの単語一つを抜き出してみんな好きなように呼んでいる。
玉兎という、月に住んでいる兎だそうで、頭にはウサギの耳が、尾てい骨のあたりには丸い小さな尻尾がある。前にいたずらで尻尾を触ったときは相当びっくりしていたことから、一見あってもなくてもいいようなほど小ささでも、ちゃんと感覚はあるようだ。
「なっ、姫様の部屋で何を……!」
「お掃除ですけど」
「ああそうですか……何も見ていないですよね?」
「何のことで?」
「ならいいんです」
このやり取りは実際に清掃した者同士のみで伝わる。身を持って体験した。
「ところでお師匠を見ませんでしたか? 外に行った姫様がどこに行ったか知りたいんですよ」
「いつもの部屋にいるんじゃ?」
「もちろん見ましたけどいなくって。姫様に頼まれた本を渡そうと思ったんですけど……」
そう言って鈴仙は、最初は薬が入っていたはずの風呂敷から一冊の本を取り出す。タイトルからして小説かそれに類似する本のようだ。
「この部屋に置いておけばいいんじゃないかな?」
「あの人の印象に残すようにするには、手渡しが一番と思って……。ほら、また部屋を汚した時どこかへやって読まなくなるかもしれないし……」
まああの部屋の惨状を知っている身からすれば、その考えに帰結するか。
「でもいないのなら仕方ないですね。帰ってくるのを待ちます」
そう言って鈴仙が部屋の中に入る。バケツから予備の雑巾を取り出して絞った。
「手伝ってくれるの?」
「もともと部屋の掃除は私の管轄ですし」
二人なら拭き掃除も早く終わる。次の仕事に移るために、ささっと二人で拭き掃除を進めていくのであった。
普段からこの屋敷の清掃を任されている鈴仙が加わったことで、水拭きはあっという間に済んだ。
「鈴仙? 帰っていたのね」
「あっ、師匠!」
ちょうどそのタイミングでひょっこりと永琳が姿を現した。今までどこに行っていたのだろう。
「あなたがいないから、私がてゐを探す羽目になったわ」
「てゐに何か用が?」
「薬を作りたいから素材を取ってきてもらおうと思ったの。でも私が屋敷から離れすぎるわけにはいかないし、そこのバイト君に一人で行かせるのも心配だし……」
「まあまず探す相手が増えてしまうのがオチですね」
話に上がった『因幡てゐ』とはこの竹林を管理していると言ってもいいウサギの妖怪で、どこに何の植物が生えているのかも把握しているという。しかし悪戯好きで神出鬼没であるため、毎回彼女を探し出すのに苦労するらしい。
永琳は少し何かを考えこむそぶりを見せた後、僕ら二人を指さして。
「いい機会かもね……。鈴仙、そこのバイト君と一緒に見つけてきて、ついでに何を探しているかを伝えて。材料は――」
そんなことを言い、永琳は一般人にはまず接点がないような品を十種類程度述べた。
「――ってところね」
「分かりました。あっ、師匠、ところで姫様は何しに出かけて行ったのですか?」
ああ、と立ち去ろうとする永琳がふすまの陰に隠れたまま。
「いつもの場所で殺し合いよー」
まるで今夜の夕飯を答えるかのように言った。
自分はウドンゲちゃんの尻尾はあると思う派で。