妹と仲直りしたい 作:Shinsemia
校内は朝からずっと騒がしくて、午後になった今もそれは変わらない。ひしめく人波の中で、僕は文化祭の委員の指示に従って荷物を運んでいた。
やっとの思いで重たい荷物を教室に運び終え、一息つく。クラスのみんなも忙しなく動いていて、いよいよこのときが来たという実感に胸を膨らませていた。
「明日が文化祭って、ちょっと信じられないかも」
「……そうだね」
同じように手の空いた茜が、グループの中から抜け出して僕の傍に寄る。
彼女の言う通り明日が文化祭で、今日は一日中その準備に費やすため、授業もない。
思えばあっという間だった。彼女の文化祭の準備を手伝うのも、ちょくちょく家に来て遥と一緒になって本の話をするのも。ここ最近で、茜と過ごす時間が一気に増えたような気がする。
そんな茜の横顔には、明日のイベントに対する期待だけでなく、どこか寂寥感のようなものが漂っていた。
和気あいあいとしたクラスメイト。真面目に取り組む人もいれば、少しだるそうにしている人もいた。やるべき仕事が終わって手持無沙汰になれば尚更だ。けれど、話声はいつもより明るく、この時間を楽しんでいるようだった。
外の空気を吸いたくなり、僕は教室を出るためにドアに手をかけた。すると、茜が僕の隣に着いてきた。
「どこ行くの?」
「ん……ちょっと、屋上でも行ってみようかなって」
この高校の屋上は基本的に立ち入り禁止だ。しかし、文化祭の準備期間に限って屋上に入ることを許される。午前中はその物珍しさもあって、何人か訪れていたようだった。
「あたしも着いていっていい?」
「いいけど……別に何もしないよ?」
「それでもいいから」
何が楽しいのか、茜は嬉しそうに僕に寄り添った。
廊下をしばらく歩き、茜と一緒に階段を上る。屋上へと続く階段からはだんだんと人気がなくなり、薄暗さが場を支配していき、やがて誰もいなくなった。屋上へ出る扉は錆びているのか、開け放つと共に、ぎぃと軋みを上げた。
──涼しい風が頬を撫でた。
視界に広がるのは吹き抜けた屋上で、ここにもやはり誰もいなかった。おそらく、ここに来ていた人たちも午前中で飽きてしまったのだろう。
茜と一緒にフェンス越しにグラウンドを見下ろす。そこにもやっぱり、文化祭に使用する機材を運んだり、運営用の仮設テントを立てたりする人がいる。
「屋上から見るとグラウンドって、こんな感じなんだね。普段走ってる場所だから、なんか不思議な気分」
セミロングの茶髪を秋風で揺らしながら、茜がしみじみと呟く。さらさらとした髪を、細い指で耳にかけた。
陸上部の練習には当然グラウンドを使用している。校外で練習することもあるらしいが、基本的には学校の敷地内で種目別に練習しているらしい。高跳びだったりハードル走だったりと様々だ。
気になって茜に尋ねてみると、どうやらリレーをやっているらしい。リレーなんて、小学校の運動会でやったくらいしか記憶にない。
「リレーって、自分一人だけのものじゃないでしょ? だから怪我で出られなかったときは、本当につらかったなぁ。……あたしのせいで、みんなにも迷惑かけちゃったから」
グラウンドに向けて目を伏せる茜。僕は黙って話を聞いた。
茜の泣いてる姿を見たあの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。彼女にとってあの日のことがどんな記憶になっているのかは分からない。でも、僕が茜と話をするようになったきっかけだ。
茜の横顔を見れば、風に吹かれる明るめの茶髪がさらさらと白い肌を滑っていた。
「みんなは『気にしないで。茜のせいじゃないよ』って言ってくれたけど……」
でも、と茜言葉を続けた。顔を上げた彼女は、ふっと力を抜いたように笑んだ。
「カナだけは、違ったんだよね」
茜がどれほど陸上に情熱を注いでいるのかは僕には分からない。だって、茜とは高校に入ってから知り合ったのだから。
たったそれだけの時間で、僕が彼女の悔しさや苦しみを分かったように言葉をかけるのは違う気がしたんだ。
「……」
ふと、空を見上げた。秋の青空はゆっくりと流れていて、このまま時間さえも止まってしまいそうだった。
空の色は変化するものだ。これから夕方になれば、空はオレンジ色に染まり、やがて真っ暗になる。季節によっては日が長いときもあるし、逆に日が短いときもある。
僕はそんな空を見ながら、茜との出会いに思いを馳せた。
人との出会いによって、何かが変わるなんてことないと思っていた。平板な日々の中で特に誰とも関わることもなく、そのまま家族である妹とさえ、話すらできないままだと思っていた。
でも、僕は少しでも変われたかもしれない。それはとてつもなく小さな変化かもしれないけれど、僕はあの空のようにゆっくりと変わっている。
「ねえ、カナ」
茜が僕の顔を覗き込んだ。教室で見るような形式ばった明るさとは違う自然な雰囲気。
彼女はやわらかい笑みを浮かべながら、小さく口を開いた。
「文化祭。楽しもうね」
屋上で小休止を挟み、図書室までやってきた。
文化祭という名前に則って、それなりに真面目な部分も出したいらしく、図書の展示用スペースを作ることになったらしい。らしいと言うのは、このことを知らされたのが昨日のことだったから。直前に知らせるのもどうかとは思ったけど、幸いにも大した仕事量じゃなかった。一時間もあれば終わるだろう。
図書室特有の本の匂いは、やっぱり落ち着く。けれど、文化祭の準備をする今は、図書委員や文化祭の実行委員、そして先生の話声で溢れていた。
……と思っていたら、見慣れた顔を見かけた。女の子の中でも結構背が低い彼女は、展示スペースの一角でぴょこぴょこと動いていた。
「美玖?」
「ぅん……?」
声をかけると、その子はぱっとこちらに振り向いた。ぱっちりした目をしばたたかせる彼女は、やっぱり美玖だった。
お互いに何故ここにいるのか疑問だったけど、とりあえず僕が図書委員の仕事でここに来たことを伝えると、彼女は納得したように「ああ」と頷いた。
「わたしは文芸部の出展でここに来たんだ」
「……文芸部?」
「あれ、遥から聞いてない?」
聞いた覚えがなかったので、美玖から詳しく話を聞く。どうやら文芸部は毎年、部員たちが書いた文集を展示しているようで、その展示場所が図書室らしい。美玖はその文芸部を代表して来たのだとか。他の部員はここには来てないらしい。
それにしても、文集か。美玖がどんな話を書いたのか気になる。
「あれ……。ってことは、遥の書いたものも、その文集には載ってるの?」
「ううん。遥は載せたくないって言ってたから載ってないよ」
そこは自由に決められるらしい。
「……そういえば彼方くん。遥のことなんだけど、最近はどんな感じ?」
「……? どういうこと?」
「ほら、家の中だとどうなのかなって」
「別に普通だと思うけど……」
僕が家での遥の様子を思い出しながら言うと、美玖が再び口を開いた。
「遥。部活のときもぼーっとしてることが多いみたいだから」
「……遥が?」
「うん」
遥が自室で何をしているのかは分からないけれど、リビングで顔を合わせるときは別にそういった様子はない。食事の準備も手伝ってくれるし、ちゃんとご飯も食べてる。
ただ……。
『……そんなわけない。きっと、間違ってる』
……。
「……彼方くん?」
美玖の声に我にかえった。両腕に本を抱えた美玖が、心配そうに僕の顔を下から覗き込んでいた。
「急に黙っちゃって。どうしたの?」
「ああ……いや。遥のことなら、いつも通りだよ」
美玖にどう言えば良いのか迷って曖昧に言葉を濁す。心当たりがないかと言うと、実はそうではなかった。
あの日、遥は自分に好きな人がいるとしたら、僕はどうするかと訊いてきた。僕がそのとき答えたことは、至って普通のことだったはず。
だけど遥はあのとき、妙に落ち込んだように見えた。表面上はあまり変化が見られない遥だから、気のせいかもしれないけれど。もしかしたらそれが原因なのかもしれない。
……どうしてなのかは、分からないままだけど。
「そう? ならいいんだけど……」
美玖は腑に落ちないのか、首を傾げていたけど深くは突っ込まなかった。僕自身、それ以上話せることがないため、図書委員の仕事を再開した。
……
……
しばらくの間、美玖と話をしながら作業を進めた。展示スペースを確保して、各ブースを分ける作業。美玖はてきぱきと作業を進めてくれるから、図書委員としては全然手伝えることはなかった。他の委員も自分に割り振られた仕事が終わったらしく、ほとんどは自分のクラスに戻っているようで、図書室はいつのまにか普段の沈差を取り戻していた。
「そういえばさ、彼方くんは明日。誰かと回るの?」
「ん……?」
「ほら。文化祭」
一段落したところで、美玖がテーブルに後ろ手をつきながら僕に問いかける。テーブルの上には文集やおすすめの図書が分かりやすく配置されている。明日は校外からたくさんの人が来るし、見栄えは重要なものだ。でも、この分なら問題ないだろう。
「友達と回る予定かな。前に美玖にも話したと思うけど、覚えてる? 茜っていう子なんだけど」
そう言うと訝し気に眉をひそめられたけど、すぐに思い出したのか、ぽんと手を叩いた。
「彼方くんが可愛いって言ってた、女の子の友達?」
「……」
確かにそうだけど、そこはそんなに強調することなのだろうか。
美玖は「……そっか」と独り言ちながら、上履きの踵の部分を床に擦るように蹴った。
「わたしはてっきり、遥と回ると思ってた」
「……え?」
木製の床から乾いた音がする。その音を皮切りに、開け放たれた図書室のドアから、涼しい空気が流れ込んだ気がした。テーブルに触れた手が冷たくて、僕は手を引っ込めた。
「……それはまた、どうして?」
「なんとなく、かな。あと、ちょっとだけわたしの願望も入ってるかも」
「……願望?」
どうしてかは分からないけれど、美玖は僕が遥と一緒に文化祭を回ることを望んでいるらしい。僕と妹との仲を気にかけてるからなのだろうか。
……それにしても、様子がおかしい気がするけれど。
美玖はぴょこんとテーブルから降りて、制服のスカートをパタパタとはたく。そして、窓際まで歩き始めた。
「遥って、文化祭に対してあまり乗り気じゃないから。でも、彼方くんと一緒ならたぶん、回ってくれるんじゃないかなって」
「……そうかな?」
正直、僕はそう思わない。遥自身、部室で大人しくしているつもりだと言っていたから。
……でも、僕よりも美玖の方がよっぽど妹のことを理解してる可能性もある。僕は表面の言葉だけで判断してしまったけど、それが間違っているかもしれない。
「……それなら遥も誘ってみようかな? 茜とも結構打ち解けてるみたいだし」
美玖は何が引っ掛かったのか、ピクっと形の良い眉を動かした。
「……そうなの?」
「うん。本の話とか、メールでやり取りしてるみたいだよ」
茜はそれなりに読書を好きになったらしく、普段の会話でも本の話をするようになった。読書は良いものだと思う。文章から想像できる豊かな情景や人の心理に、誰からも邪魔されずに没頭できる。分解してみればただの文字に過ぎないのに、思えば不思議なものだ。現実にはあり得ない話でも、その物語の中では一つの真実として根を張って生き続ける。
「そう、なんだ」
「……? そんなに変なことかな?」
「あ……ううん、ただ、ちょっと驚いちゃっただけ。気にしないで」
美玖はそれだけ言うと、展示スペースまで戻って、きちんと準備が整っていることを確認した。僕も一通り全体の様子を確認したけど、特に問題はなさそうだった。
「……じゃあ。またね、彼方くん」
美玖は手を振りながら、そのまま図書室から出て行った。
言葉にできない、微妙な感情を顔に滲ませながら。
「……」
先生や他の委員も既に他の仕事に精を出していて、図書室には僕以外に誰もいない。
僕は緩いため息をもらしながら、窓際の壁にもたれかかった。ひんやりと冷たく硬い壁が、無機質に僕を受け止める。校内の喧騒は遠く聴こえ、耳には静けさが澄み渡る。
明日が文化祭、か。思い入れは特にないし、当日はクラスの出し物の仕事をしながら茜と文化祭を回るだけ。不安な要素は全くない。
……なのに。
「……」
何故僕は、漠然とした不安を感じているのだろう。
遥に言われたことも、美玖と話をしたときの反応も、どうしてか気になってしまう。僕は何か、間違ったことをしたのではないかと、とりとめのない不安に駆られる。
天気は夕方も近くなってきて、図書室に差す光は薄暗い。窓を開けて空を見れば、屋上で見たときとは打って変わり、雲が太陽を覆い隠していた。この時間に差し込むはずのオレンジ色の光は遮られている。
「……戻ろう」