妹と仲直りしたい   作:Shinsemia

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第十九話

 

 

「あ……おはよう、カナ」

 

 

 教室に入って聞こえた第一声は、茜のものだった。家を早めに出た割には歩く速度は遅く、中途半端な時間に学校に着いてしまった。茜に声をかけられて少しだけ体が強張るのを感じながらも、僕はおはようと返した。

 

 

「あの……遥ちゃん。どうだった?」

「……」

 

 

 心配そうに僕の顔を覗き込む茜。彼女の瞳は綺麗な鳶色。真っ直ぐな眼差しに宿るのは彼女の心。茜はきっと、他にも訊きたいことがあるはずだ。

 

 昨日の告白。

 

 茜は僕にとって、久しぶりにできた友達だった。いや、久しぶりなどではなく、初めてできた本当の意味での友達だったかもしれない。話すようになったきっかけは本当に偶然だったけれど、それでも隣の席で話をしていく内に少しづつお互いのことを知っていった。

 そんな彼女は、僕のことが好きだと言ってくれた。僕はその気持ちに、きちんと返事をしないといけない。

 

 ……茜はその答えを待っているはずなのに。今すぐにでも、訊きたいはずなのに。

 

 

「昨日もメールしたけど……あたしに何かできることはある?」

「……いや、大丈夫だよ」

 

 

 それなのに、茜は僕と遥のことを気にかけてくれている。その優しさや健気さをこうして真正面から向けられると、胸がひどく痛んだ。

 僕は表情を作った。引きつりそうな頬を、硬くなりそうな声を抑えながら。カバンを机の横に引っ掛け、頬杖をついた。

 

 今日の朝。起きてきたときに遥の部屋を訪ねると、何も返事がなかった。登校する時間になっても遥は部屋から出てこなくて、何度ノックしても、何度メールしても全く返事がなかった。そして結局僕は、リビングにご飯を用意してそのまま家を出た。遥との間に生じた溝の埋め方も分からないまま。

 

 僕は教室の黒板をぼんやりと眺めた。何も書かれていないまっさらな黒板。何の色合いも感じられない無機質な黒板には、何度も文字が書き込まれては消されていく。

 

 記してきた今までの歴史など、無かったかのように。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

『……出て行って』

 

 

 昨日の深夜近くになって、ベッドで眠る遥が目を覚まして放った一言がそれだった。体を起こした遥は掛布団を握りしめながら、身を震わせていた。

 遥の打ちひしがれた横顔や、小さく掠れそうな声。ふさぎ込むように体育座りをしてしまった遥に、僕は何も言えなかった。

 

 憔悴しきった様子の遥に、僕はどう接するべきかを考えていた。遥が僕をどう思っていたのかを僕は知ってしまった。それは決して遥が望んでいないこと。

 

 ギクシャクしてしまった僕と遥の関係は、もっとシンプルなはずだった。双子の兄妹という、ただそれだけの関係。それが今は、白く霧がかった世界のように見えなくなっていた。

 

 

『……分かった。ご飯は作ってあるから、お腹すいたら食べて』

『……』

 

 

 話す言葉も見つからず、僕はそれだけを告げた。

 でも、遥からの反応は無くて。ズキっと胸が痛んだ。

 だってその顔は、僕が遥に一番してほしくない顔だから。いつ泣き出すともしれない苦悶に満ちたその表情を、僕は誰よりも知っていたから。

 

 

『……遥』

『……なに?』

 

 

 部屋を出る直前。僕はドアに手をかけながら、もう一度遥の方に振り向いた。遥はこちらを一瞥もせず、やっぱり顔は伏せたまま。

 

 

『……おやすみ』

『……』

 

 

 パタン、とドアが閉まる。それは一つの合図。

 僕と遥を隔てる一枚の壁。本当はもっと簡単に触れられるはずなのに、僕は触れるのが怖かった。

 目を閉じて、耳を澄ます。何も聴こえない、何も感じられない。氷のように固まった世界は氷解する兆しもなく、降り積もる雪に体は飲み込まれていく。息づく生命のない孤独な土地は、一寸先も見えない。一歩踏み間違えれば、奈落の底へと真っ逆さまに転落していくだろう。

 僕は間違っていたのだろうか。母さんが示してくれた正しさに従う僕は、間違っていたのだろうか。何もかもが色褪せて見えた世界の真っ暗な道の中で、一筋だけ見えた光がそれだった。苦しくても、泣きたくても、何度つまずいても。遥がいたから、僕は自分を見失わなかった。

 

 その結果が、これだった。

 

 ……ほら。

 やっぱり僕は、変わることができなかった。

 

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 

「……カナ?」

 

 

 昨日のことを思い返していた僕は、茜の声にはっとした。気づけば教室には大体のクラスメイトがそろっていた。

 

 

「あ……ホームルームか。ちょっとぼーっとしてたよ」

「……」

 

 

 何か言わなきゃいけないと、咄嗟に思った僕から放たれた言葉。けれど、茜は何かを察したように目を伏せる。

 

 茜の落ち込んだ顔を見て、僕はより一層胸が苦しくなった。僕は昨日の茜からの告白に、何も返事ができていない。こんなに優しい子の気持ちに、すぐに答えることができなかった。

 茜がそわそわと髪の毛先をいじる。気まずい空気、とでも言えばいいのだろうか。でも、そもそも一方的に気まずくしてるのは僕自身だ。茜のせいじゃない。

 

 

「……心配しなくても大丈夫だよ。すぐに元通りになるから」

 

 

 言ってから気づく。

 

 ……元通りって、何だろう。

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

 放課後の図書室は、ひどく静かだ。変な表現かもしれないけど、うるさいくらいの静寂に満ちている。

 図書室特有の乾いた紙の匂いや、新品の本のインクの匂い。図書室は独特の空気に満ちている。誰もいない図書室の受付の席で僕は、本に目を落とす。一行、また一行と活字の列を目で追う。けれど、内容は全く頭に入ってこない。

 どうして僕はこんなところにいるんだろう。もっとやらなければならないことはあるのに。返事をしなければならない人がいるのに。そして、どうしても話をしなくちゃいけない人がいるのに。

 

 緩いため息がもれた。けれど、胸のもやもややつかえが消えることはない。吐いた息は、行く当てもなく霧散する。

 図書室の中は昨日の文化祭がまるで夢だったのでないかと思ってしまうほどに静かだ。一日中片付けに費やした体は、疲労がたまりきっていて気怠い。

 

 

「……」

 

 

 本のページを閉じて、椅子から立ち上がる。居心地が良いはずの図書室は、どうしてか僕を責め立てているように感じられた。物言わぬ書物の圧力のせいか、落ち着くことができない。

 

 ここは誰もいない、温かくも冷たくもない世界。見渡す限りに存在する全ての本には、それぞれ物語が内包されている。著者も登場人物も何もかもが異なるそれらには一つの始まりがあって、一つの結末がある。

 厳然と佇む現実も、笑ってしまうような夢物語も。悲惨な結末を辿る悲劇も、輝かしい未来へと進む幸せも。一つとして同じものはない。

 

 

 窓際まで歩き、外を見た。雲が散らばる空の隙間からは、オレンジ色のやわらかく温かい光が見える。手をかざしてみれば、ぶれることのない真っすぐな光が静かに肌を照らした。

 光の線を掴むように一度手を握る。けれど僕の手は宙を切ってしまい、何を掴むこともなかった。僕はただ、そこにあった過去を羨むことしかできない。息を切らして走り続けて、どんなに追いすがろうとしても届かない。だって、時間は絶え間なく流れるものだから。進みこそすれ、戻ることはない。

 

 

 ……僕は……。

 

 

 ──風が吹いた。

 

 

 巡る思考の中、それを妨げるように図書室のドアが開いた。入ってきたのは黒髪のショートカットの女の子。

 

 

「はぁ……はぁ……。……あ、彼方くん」

「……美玖?」

 

 

 入ってきたのは美玖だった。彼女は頬を紅潮させ、何故か息を切らしていた。どうやら小走りして図書室まで来たようで、彼女は鼓動を落ち着かせるように胸に手を置いて、呼吸を整えてからゆっくりと口を開いた。

 

 

「今いい? ちょっと、話したいことがあるんだけど……」

「……ごめん。そろそろ帰るつもりだったから」

 

 

 僕はわざとらしくカバンを持って席を立とうとした。今は誰とも話す気分じゃなかった。結論の出ない堂々巡りの思考を繰り返すしかない現状から、僕は脱却できない。こうしてる今も、誰かを傷つけたままだというのに。

 

 

「待って」

「っ……なに?」

 

 

 目の前に回り込んできた美玖に、僕は歩みを止めざるをえなかった。前のめりになっていた僕は、必然的につんのめった。

 僕の声は、きっと美玖からしたら気持ちいいものではなかったと思う。半ば八つ当たりのように荒らげそうになってしまった声に、僕は後悔した。人の顔を見ようともしない今の僕は、誰よりも不誠実だ。

 でも、美玖は全く意に介してない様子で。僕はそれが、どうにも引っ掛かった。

 

 嫌な予感が、背筋をすっと撫でた。

 

 

「……ねぇ、彼方くん。一つ訊きたいことがあるんだけど」

 

 

 そしてその予感は──

 

 

 

「ひょっとして、遥の日記。見た?」

 

 

 

 ──僕の喉をきゅっと締め上げた。

 

 “日記”という言葉に、僕は平静でいることができなかった。その言葉の意味を理解すると同時に襲い掛かるのは、胃が冷たく血の気が失せるような感覚。僕は呼吸さえ忘れてしまいそうになった。まるで、奈落の底に真っ逆さまに落ちていく浮遊感が襲ってくる。足場もなく、掴める場所もない僕は、その流れに身を委ねることしかできない。

 

 

 

「……その反応、やっぱりそうなんだね」

「あ……」

 

 

 

 美玖は小さく嘆息して、微苦笑にも似た表情を浮かべる。僕はその顔に違和感を覚えた。

 ……どうして美玖は日記のことを知っているのか。そして、もし日記の内容を知っているのならどうしてそんな平静でいられるのか。

 

 目まぐるしく疑問が飛び交う中、美玖はブレザーのポケットから何かを取り出した。

 

 

「……あ……」

 

 

 それは一枚の写真。幼い頃の僕と遥が写った、遠い昔の写真だった。

 僕が前に遥の部屋で見つけたときは、日記に挟まっていた。あのときは気づかなかったけど、おそらく部室のどこかに落ちていたのだろう。

 

 

「わたし、遥の秘密を知ってたんだ。日記に書いてある内容も、この写真を大切に持ってることも」

 

 

 その美玖の話を聞いて。僕はやっと思い出した。そうだ。美玖は以前、遥が僕を避けていた理由を知っていると言っていた。僕はそのことをすっかり忘れていた。

 

 

「一度ね。わたし、部室でたまたま読んじゃったことがあったんだ。部活がなくて本当は誰もいなはずなのに、部室が空いてて。それで部室に入ったら、机の上に日記が置かれてたの。……遥の日記が」

「……遥は、そのことを……」

「うん、遥も知ってるよ」

 

 

 ……そんなことがあったのか。思えば遥は、高校に入ってから毎日のように帰りが遅かった。それは遥も話していた通り、僕を避けるためだろう。おそらくそこでも、同じように日記を書いていたのかもしれない。

 

 

「……でも、どうしてその写真だけで僕が日記を見たって分かったの?」

「んー……。昨日が文化祭だったから、かな」

「……?」

 

 

 要領を得ない答えに、僕は首を傾げた。けれど、美玖は至って穏やかな顔で僕を見ていて。そこには気持ち悪がったり、不快なものを見るような負の感情は一切なかった。

 

 

 美玖は知っていることを全部話してくれた。それは初めて遥の秘密を知ってから今までのこと。そして、遥の気持ちを知ってもなお変わらなかった美玖と遥が友達になったこと。一つ一つ、(つぶさ)に教えてくれた。美玖は戸惑った様子もなく、微笑を浮かべながら話す。

 

 

「……そう、だったんだ」

 

 

 僕は呆然としていた。決して知られてはならない真実を、美玖は知っていたと言う。ぽっかりと空いた呆気なさだけが残っていた。

 

 

「……美玖は全部知ってたんだよね? なんで、それでも遥と……」

「……わたしさ、誰かを好きになったことはないけど……」

 

 

 美玖は手を後ろ手に組みながら、片足を床に擦らせた。

 

 

「好きの気持ちに間違いなんてないって、そう思うんだ。それがたとえ、どんな関係だったとしても」

「……それは綺麗ごとだよ」

「……そうかもしれないね」

 

 

 遥が僕を想う気持ちは、僕が遥に抱く気持ちとはきっと別物だ。同じ想いを共有していない僕らが、仮にその道に進んだとしてもどこかで破綻する。

 

 美玖の話はおとぎ話だ。現実にはあり得ない。あってはならない。

 

 

「でも、これだけは言わせて。彼方くんは遥の気持ち、嬉しくなかったの?」

「っ……」

 

 

 手を握り込む。指の爪が手のひらに食い込んで痛い。美玖が言うほど、そんな単純な話じゃない。

 

 

「……素直に喜べるわけないよ」

「どうして?」

「……どうしてって……」

 

 

 美玖が食い下がってくるのが、僕はどうしても理解できなかった。

 

 

「僕と遥は兄妹なんだから当たり前──」

「それって、本当に彼方くんの本心なの?」

「……え?」

 

 

 美玖の真っすぐな眼差しに、目をそらすことは許されない。

 ……本心に、決まってるだろ。美玖は当事者じゃないからそんなことが言えるんだ。

 

 

 

 

 

 ──ずっと兄妹で仲良く。

 

 

 

 

 

「っ……」

 

 

 まただ。母さんの声が、何度もリフレインする。

 もうやめてくれ。頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱されてしまう。今まで僕が、僕でいられた証がなくなってしまう。

 

 

「彼方くんは自分の気持ちに嘘ついてるよ。……自分の気持ちが、分かってないよ」

「っ……なんで美玖にそんなことが言えるんだよ」

 

 

 口調が乱暴なものになってしまう。美玖が悪いことなんて何一つとしてないのに。ミシミシと心が悲鳴を上げるのを、僕は抑えることができない。

 自分の気持ちが分かってないって、そんなこと分かってる。何をするべきかも分かってないんだ。

 

 

「……ねぇ、彼方くん。もっとシンプルに考えて。彼方くんは遥のこと、どう思ってるの?」

「大切な妹だよ、でもそれは僕が兄だから──」

「違うよ」

 

 

 美玖の鈴を転がすような声。

 

 

「それはね、兄だからじゃなくて」

 

 

 しゃん、と。荒れ狂う水面を静めるように、一つの波紋が広がった。

 

 

 

「──()()()()()()()、なんだよ?」

 

 

 

 ──気配が消えた。

 

 図書室にいるはずの僕は、いつの間にか真っ白な世界に没入していた。美玖の声が、遠く聴こえた。

 

 

 

「よく考えて。遥の兄としてじゃなくて。他の誰でもない、彼方くん自身の気持ちを考えて」

 

 

 

 暑くもなければ寒くもない。不思議な空間へと誘われていく。

 

 

 

 

「本当の彼方くんは、どこにいるの?」

 

 

 

 

 ……本当の僕は、どこにいるんだろう。

 

 それは錯覚だった。真っ白な世界の中で、僕と相対する黒い影。表裏一体の影は何も言わないし、僕が動かなければ当然動くことはない。

 

 僕と遥は、ずっと一緒だった。幼い頃は、まるで鏡合わせのように似た姿で。自分の分身とも呼べる、僕にとって特別な存在。僕と遥は双子の兄妹だ。だけど、それはあくまで僕と遥の関係に過ぎない。

 何度も胸に刻んできた母さんの言葉。僕はそれが自分の役割だと認識していた。きっと、今までもこれからもそれは変わらないだろう。

 

 ……ああ、そっか。

 

 僕はたぶん、その瞬間から考えることをやめていたんだ。僕に足りていなかったのは、遥の気持ちを考えることよりも、自分の気持ちを考えることだった。

 

 黒い影は何も言わない。僕が動かない限り動くことはない。まだ姿も形もない僕自身がそこにはいた。

 

 僕は……。

 

 ……。

 

 

「……ごめん、僕は帰るよ」

「あ……」

 

 

 美玖の声を背に、僕は図書室を出た。

 

 今はただ、独りになりたかった。

 

 

 

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