妹と仲直りしたい   作:Shinsemia

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 お久しぶりです。創作意欲が湧いたので書いていきます。


大学編
第一話


 

 差し込む光が眩しくて、僕は瞼を開いた。

 

 ふかふかなシーツに埋もれていた意識。夢心地に揉まれていた体は、気だるそうに覚醒を始めた。眠りの深海から浮上するこの感覚は、ひどく心地いいものだ。真っ暗な闇の中だったけれど、それでもまぎれもないあたたかさがあって。その優しい抱擁はいつだって、夜から朝への架け橋となって、僕たちを導く。

 

 

「……」

 

 

 朝がやってきた。窓の外をぼんやりと見ると、今日も暑い一日になりそうな空。

 ぐっと伸びをしてから体を慣らし、窓に手をかけた。温い風が頬を撫でる。緑の匂いと、太陽の匂い。ちゃんと太陽の光を浴びて、頭が回るようにしなくちゃいけない。

 

 僕は机の上に置いたノートパソコンに目を向けた。今日は、前期最後のゼミがある日だ。それに加え、今日の発表者は僕。昨日はそのための発表資料の準備をして、その確認作業を終わらせて、それから……。

 

 

「……あ」

 

 

 ふと、あることを思い出して、思わず声を漏らした。

 慌てて枕元の目覚まし時計を確認する。

 

 

「……」

 

 

 目覚まし時計の針が示す数字。それは、僕がいつも起きるはずの時間をとっくに超えていた。

 

 サーっと血の気の引く感覚。寝ぼけた頭が一気に冷めた。

 

 まずい。今日の朝食当番は僕だ。資料を作るので頭の中がいっぱいで、そのことをすっかり失念していた。毎日アラームが鳴るようにセットしていたはずなのだが、無意識に止めてしまったのだろうか。大学までは間に合うけれど、ご飯を作る時間はない。

 

 身支度を整えるため、ベッドから降りると急いでリビングに向かう。そして、勢いよくドアを開いた。

 

 

 

「……あれ」

 

 

 

 扉を開いて真っ先に気づいたのは、懐かしささえ覚える朝ご飯の匂い。そして明かりのついたリビング。見慣れた朝の景色が、そこにはあった。

 

 リビングの奥のキッチンに目を向ける。そこにいたのは……。

 

 

「──おはよう、彼方」

 

 

 エプロンに身を包んだ遥だった。

 

 濡羽色の長い髪を高く結わえた妹は、僕を一瞥すると、鍋をかき混ぜていたおたまで味噌汁をよそい始めた。その手つきは慣れたもので、もう僕が教えることはないものだ。

 

 ……いや、そうじゃなくて。

 

 

「今日の朝食当番。僕じゃなかったっけ?」

「ええ、そうよ」

 

 

 遥はなんてことなさそうに言って、おぼんに食器をカチャカチャとのせてテーブルの上に配膳を始めた。

 白米。味噌汁。昨日の残りのサラダと焼き魚。ほかほかと湯気を立てる朝食は、本来なら僕がやらなきゃいけないものだった。

 

 

「……ごめん、遥」

 

 

 申し訳ない気持ちが湧いてくる。いくらゼミの準備が忙しかったらって、自分の仕事を放棄してしまったのだから。

 遥と二人暮らしする際に決めたルールのうちの一つ。それは、朝食を毎日交代で作ること。本当は僕が毎日作っても良かったのだけど、遥が僕に猛反対して、結局互いに入れ違いで作ることになった。その影響からか、朝早く起きなくてもよくなって、気が緩んでしまったのかもしれない。

 背筋を伝う罪悪感を、手を握りしめることで我慢していると、遥がおぼんをキッチンに戻しながら言った。

 

 

 

「別にいいわよ。そもそも目覚まし時計を切ったの、私だし」

「……え?」

 

 

 

 しれっと告げられた言葉に、一瞬頭がフリーズした。目覚まし時計が鳴らなかったのは、どうやら遥の仕業だったみたいで。

 

 

「彼方。昨日は夜中までずっと忙しそうにしてたでしょ? 疲れてそうだから、寝かせてあげようかな、って思っただけ」

「……」

 

 

 そういうことだったのか。よく思い返せば、昨日はちゃんと目覚まし時計をチェックしていた。疲れがたまっていたのか、間もなく寝てしまったけれど。そのせいで寝る間際の記憶が曖昧になっていたようだ。

 

 

「……そっか。ありがとう、遥」

「……ん」

 

 

 遥は小さく頷いて、おぼんを戻しに背を向けた。

 

 こうして見ると、遥も随分変わったと思う。一期はほとんど話もできないような状況だったけど、今はそんなことはない。鋭い冷気と共に放たれる冷たい言葉や、僕を突っぱねるような態度。いずれも、今となっては懐かしい記憶だ。

 遥がエプロンを解いて結わえていた髪をほどく。その髪に飾られているのは、当時の僕が贈った初めてのプレゼント。白いアネモネを模したヘアピンは、今も色褪せずひっそりと輝いている。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 玄関で靴を履き終え、バッグに詰めた今日の荷物。少し重めのノートパソコンと、ゼミ用に用意したノート。別に大した荷物じゃないけれど、念のために確認する。 

 

 

「遥は今日は休み?」

「ええ。教授が体調不良らしくて、ゼミは中止になったわ」

 

 

 遥も毎週、僕と同じ金曜日にゼミがある。だからいつもは一緒に家を出るのだけど、今日は違うみたいだ。

 準備を終えて、ドアに手をかけると、遥は「あ」と呼び止めるように声をもらした。

 

 

「お昼はどうするの?」

「んー……。外で済ませるよ」

 

 

 ちょっと考えて、僕はそう答えた。今日は午前中でゼミが終わる予定だ。だから昼前には帰ってこられると思うのだが、僕の取っている講義の課題でちょっと調べたいことがある。それがどれくらいかかるか分からないし、学食で済ませた方が無難だろう。

 

 ドアを開く。

 

 

「じゃ、行ってきます」

「……ええ。行ってらっしゃい」

 

 

 短く交わされる挨拶の言葉。

 明るい外から吹く爽やかな風。

 

 今日もまた、良い一日になる気がした。

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

 教授の声が、念仏のようにセミナー室に響き渡る。ちらと横を見れば頭で舟をこぐ人もいて、教授はそれを見つけると小さく嘆息して注意した。ゼミ中に寝るのはもちろんいけないことだが、僕はちょっとだけ共感してしまった。

 

 窓の外を見やる。高校の卒業式も懐かしい思い出となりつつある今日もまた、空は晴れ渡っている。麗らかな気候に恵まれた外は、散歩日和と言えた。こんないい天気の日に静かなセミナー室と整った空調の中にいれば、寝てしまうのも仕方ないかもしれない。

 教授が腕時計を一瞥する。そして、今日のゼミの終わりを告げた。ふっと緩まる室内の空気。教授はセミナー室の鍵を閉めるように言うと、忙しそうに去っていった。

 

 僕は荷物をまとめると、セミナー室を出た。廊下には同じように講義やゼミが終わった人たちがひしめく。大学には色々な人がいる。派手な髪色に染めた人や、大きく騒ぐ陽気そうな人。僕は彼らをぼんやりと眺めながら階段を降りた。

 一階に着き、自動ドアから外に出る。籠っていた空気から解放されるこの瞬間は、待ちに待った休日への合図だった。

 

 今日は金曜日。明日から休みだ。

 

 

「ん……」

 

 

 体をほぐすように腕を伸ばす。別に大したことはしていないけど、ずっと座っているというのも中々につらい。ゼミ中は覚えなきゃいけないこともたくさん教えられるし、自宅でも勉強を疎かにできない。でも、それも一旦休憩。

 

 空を仰ぐ。本当にいい天気だ。

 

 どこか自然豊かな場所にでも行って、ゆっくりと散歩したい。そんな気分にさせてくれる空だった。

 大学三年生になってから、はや数ヶ月。夏の日差しがまだ続く空は、まるで衰えを知らない。天気が何であれ、こうして毎週行われるゼミには参加しなければならなかったけれど、それも今日でしばらくお休みだ。それでもまあ、あとちょっとだけ講義は残っているのだけれど。

 でも、せっかく興味のある分野に進めたのだから、憂鬱な気分にならずにもっと楽しまないと。大学に入ったら、積極的に色々なことをやってみるって決めたのだから。ゼミだって講義だって、その一環だ。

 

 そんな風に、少しはポジティブに考えるようになった自分の思考に感謝しながら、一歩踏み出した。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 大学の図書館はだだっ広い。高校の図書室とは規模が違い、あらゆる分野の書籍が収められている。

 他にも、映像視聴用のブースや、パソコンを貸し出すスペースもあって、初めて来たときは驚いたのを覚えてる。それもまあ、高い学費からまかなわれているものだということは想像に難くない。

 図書館の二階にたどり着くと、僕はまず表示板を探した。必修の講義で取らされている文化人類学の資料を探すためだ。大学の講義はやたら仰々しい名前の講義が多く見受けられるけど、これもその一種のように思える。こんなこと言ったら、担当の教授に怒られるだろうか。

 

 僕はカバンから、講義中に配られた課題の概要が書かれたレジュメを取り出した。その内容は、自分の興味の持った対象についてレポートをまとめろ、というものだった。この教授に限った話じゃないけど、こういう大雑把な指定が一番困る。僕は頭が良い方ではないし、発想力もない方だ。だからこそこうして出向いて片っ端から調べれば、何か見つかると思ってここに来たのだけど。

 

 フロアの端の方へと向かう。中央に並べられたテーブルには、椅子に座ってゆったりと読書する人や、調べものをしながらノートを取る学生もいた。ときどき紙の擦れる音や、ペンでメモ書きする音が静かな空間に響き渡る。室温も丁度良く、ここで快適に過ごす学生が多いのも納得がいった。今日みたいな暑い日ならなおさらだ。

 目的のスペースまでたどり着き、早速書籍を漁る。古めかしいものもあれば、比較的新しいものもあって、小まめに取り寄せていることがはっきりと分かった。もっとも、ここにあるのは氷山の一角で、おそらく一生かかってもこの世界の全ての文化を把握することはできないだろう。この分野を専攻している人は、そういうところに魅力を感じてるのかもしれない。

 

 外国の民族の風習を取り扱う研究。過去から現代までの慣習の変遷に着目した研究。いずれの書籍でも共通して言われていることは、人のありかたというものは時間や場所によって常に変わり続けるということだ。

 

 

「……」

 

 

 あり方は常に変わり続ける。

 もしそうならば、僕はどうなのだろう。

 

 外見の変化も、内面の変化も。高校時代のあの日から、どのように変わったのか。

 もちろん、大学という場で多くの人と交流する機会に溢れた場所にいるのだから、その影響は多少なりとも受けるはずだ。陽気な人が多いグループに混ざれば、性格も自然と明るくなっていくだろうし、その逆もまた然りだ。

 でも僕は結局、特定の誰かとつるむようなことは特にしてない。サークルには一応所属していて知り合いはいるけれど、あくまでサークル活動の中だけの関係。それでも、以前までの僕なら、きっとサークルに所属するなんてことすらしなかっただろう。それを考えれば、少しは進歩してるのだと思う。

 

 

 

「……彼方くん?」

「え?」

 

 

 

 聴こえた声に、僕は意識を無理やり引き戻された。びっくりして振り向くと、そこには一人の女性がいた。

 

 

「……(あずさ)さん?」

「うん、奇遇だね」

 

 

 にこやかに笑む彼女は梓さん。同じゼミに所属する、いわゆる同期だ。

 綺麗に染められたロングの金髪。まつ毛が綺麗に整ったアーモンドアイ。

 彼女はうちのゼミではちょっとした有名人だ。同年代よりも数段大人びて見える彼女は、その綺麗な顔立ちと愛嬌も相まって高嶺の花だと言われていた。綺麗に染まった金髪は一見派手に見えるけれど、梓さんの顔立ちには不思議と似合っている。

 白のブラウスとベージュのフレアスカート。耳朶には小さなボールピアス。大学生らしいおしゃれをしていて、それが彼女の雰囲気にぴったり合っていた。

 

 

「彼方くんも課題?」

 

 

 ほっそりとした白い手で髪を耳に掛けながら、上目遣いで僕に問いかけた。梓さんは僕と同じく、文化人類学の講義を取っている。まあ、学部単位で必修の講義になっているのだから、当然ではある。

 

 

「そろそろやらないとまずいかなって思って」

「ふふ。そうだね」

 

 

 レポートの提出期限自体は、まだ一週間ほどある。それに、最低限書かなきゃいけない文字数も大したことがないため、それくらいの期間があれば充分だった。

 梓さんは苦笑すると、僕の隣に立って同じように書籍を手に取り始めた。ふわりと鼻をかすめる爽やかな香水。女性の中にはやたら香りの強い香水を使う人もいるけれど、梓さんは全然違う。見た目こそギャルっぽく見える部分もあるけれど、実際に話をしてみるとそんな派手な印象もない。

 

 

「そう言えば彼方くん、今日のゼミ良かったよ。あの量の資料をまとめるの、大変だったんじゃない?」

 

 

 梓さんは思い出したように言うと、今日のゼミの話を持ち出した。今日の発表は僕だったけれど、教授からは特に叱られることもなく終わった。発表者の中には、内容が不十分だったり理解が足りていないところがあると、叱られることがあるのだけれど。

 

 

「んー……。確かに大変だった」

「はは、正直だね。他の人は結構見栄を張ったりするけど」

 

 

 そうなのだろうか。別に正直に話しただけだったのだけど、それが彼女にとっては意外に見えたようだ。

 

 借りる書籍を見繕うと、梓さんも丁度選び終わったようで、僕たちはなんとなく二人そろって受付まで向かった。

 曖昧な距離感。無視するほど希薄な関係でもないけれど、かと言って普段は雑談するような関係でもない。でも、そういうのは何となく悲しい気がする。こうして、顔見知りの人とすれ違うたびに、そんな思いに駆られる。そんな些細なことが気になってしまうようになったのは、大学に入ってからだろうか。

 

 

「彼方くんは夏休み、何をして過ごすの?」

 

 

 なんとも言えない気持ちを抱えていると、両腕で胸元に本を抱えた梓さんがこちらを覗き込む。肩までかかるセミロングの髪が揺れて、白い耳に鈍色に輝くピアスがちらっと見えた。

 

 

「あまり考えてないかな」

「へー? 友達と遊びに行ったり、どこか旅行に行ったりしないの?」

 

 

 ……友達か。

 

 

「遊びに行く、って感じではないけど。一度実家に帰って、地元の友達と会う約束はしてる」

 

 

 茜と美玖。僕の大切な友達だ。

 

 みんなそれぞれの大学でばらばらになってしまったけれど、今でも連絡を取り合っている。直接会うことは中々できないけれど、それでもこうして僕たちはつながっている。

 

 

「実家に帰る……ってことは、彼方くんって独り暮らしなの?」

 

 

 梓さんは可愛らしく小首を傾げながら、僕に問いかけた。

 ……そっか。確かに普通なら、そう捉えるだろう。

 

 

「いや、アパートで妹と二人暮らししてる」

「え!?」

 

 

 梓さんはびっくりしたように口元に手を当てながら、目を見開いた。

 

 

「妹って……大学生?」

「うん。双子の妹がいるんだ。学部は違うけど同じようにここに通ってるよ。もしかしたら、構内で見たことあるかもしれないけど」

「……」

 

 

 梓さんは口を開きながらぽかんとしている。僕はその理由がなんとなく察しがついて、苦笑してしまった。

 

 

「やっぱり、珍しいかな?」

「あ……ごめんね。ちょっとびっくりしちゃって。兄妹で二人暮らしなんて、全然聞いたことないから……」

 

 

 僕も全然聞いたことがない。妹と二人暮らしする際にネットで同じような人がいないか調べてみたけど、あまりヒットしなかった。同性ならまだしも、異性でとなるとなおさらだ。

 

 

「じゃあ、妹とは仲がいいんだ?」

「……どうだろう?」

「違うの?」

 

 

 首を傾げる梓さんだけど、僕は答え方に迷ってしまった。

 仲がいい、という表現はどうにもピンとこない。僕と遥の関係は双子の兄妹である、というだけの単純なものとも言えない。だからだろうか。仲がいいとか悪いとか、そういう言葉で表現できない。

 

 

「でも、あまり喧嘩とかはしないかな」

 

 

 一時期は、喧嘩することすらできなかったけど。

 

 そんな言葉が出てしまいそうになるけど、これについては深く話すようなことでもないから、胸の中にしまいこんだ。

 

 

「ふーん……そうなんだ。でも、実家から出て頑張ってるなんて偉いね。私もそうしたかったな」

「……梓さんは、独り暮らししたいの?」

「興味がある、って感じかな。自分だけの力で生活してみたいなあって」

 

 

 僕の場合は、自分だけの力で生活してるわけじゃない。学費だって父さんが払ってくれたものだし、生活費は遥と一緒に稼いでるものだから。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 受付で手続きを行い、涼しい図書館から外に出る。再び、もわっとした暑い空気が体を包んだ。

 

 

「それじゃあ、ばいばい。彼方くん」

 

 

 梓さんはにこやかに手を振りながらそう言って、僕たちはそこで別れた。

 

 

「……」

 

 

 遠ざかる彼女を見ながらふと思う。仮に今の会話を他の人たちが見たら、どう思うのだろう。親しい友人同士の会話に見えるのか、大して関りが深くない者同士の世間話に見えるのか。

 

 人と人との関係は、明文化されているものだ。

 

 他人。友達。恋人。親子。兄妹。他にもあるとおもうけれど、ざっと思いつくのはそんな感じだ。法律だって、それは同じだ。守るべきあらゆるルールは、必ず明文化されている。

 でも、人と人との関係って、本当に言葉に表せるものなのだろうか。感情なんて曖昧なものを、僕たちは『これはこういうもの』と決めつけて、それを一般的な尺度として量っている。あたかも、それが正しいものだと公表して。

 

 

「……」

 

 

 人付き合いは難しい。そんなことを、僕は今更になって痛感している。

 それは今でも、妹に対して同じで。

 

 

 空に流れるうろこ雲。柔軟に形を変えていくそれは、何者にも囚われない自由の証。

 

 僕はしばらく、ぼんやりと空を眺めた。

 

 

 

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