妹と仲直りしたい   作:Shinsemia

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第三話

 

『彼方くん。ちょっと相談があるんだけどいいかな? 課題のことなんだけど』

 

 

 そのメッセージが来たのは、クーラーの効いたアパートの一部屋で課題を進めているときだった。夏期休暇前の一仕事。これさえ終われば夏休みだけれど、実際に取り掛かってみると意外と難しいことに気がついて。思うように進捗がいかなく、自分の見通しの甘さを不甲斐なく思っていたそんな時だった。

 メッセージを送ってきたのは同じゼミの仲間の梓さんだった。

 

 

『どうしたの?』

『課題がちょっと詰まっちゃって。よかったらなんだけど、どこかに集まって一緒にやらない? ディスカッションしたいし』

 

 

 メッセージの内容に僕は内心驚いた。梓さんは普段から独りでそつなくこなすタイプだ。もちろんゼミの仲での勉強会には参加するけれど、こういう独りで行う課題では梓さんが誰かに相談するところを僕は見たことがない。ただ、それはごくプライベートなことだから僕が知らないだけかもしれない。

 

 

『僕も少し詰まってたところだから助かるよ』

『ほんと? よかった! じゃあ今度の土日とかどうかな?』

 

 

 カバンの中に突っ込んだままの手帳を開いてスケジュールを確認する。確かバイトは入ってなかったはず。指で辿ってみると、思った通り入ってなかった。

 

 

『予定は空いてるから大丈夫』

『やった! じゃあ、土日ね。場所は後で連絡するから!』

 

 

 可愛らしい顔文字と共に、梓さんは愛嬌よくメッセージを彩る。素っ気ないわけでもなく、かと言って派手過ぎるわけでもない。そんな感じのいいメッセージだった。

 勉強会自体はゼミの中でも度々行われるけれど、こうして個人的なやり取りで約束をするのは初めてのことだった。

 パソコンの画面に映る文化人類学の課題のレポート。まだ始まりの数行しか書かれていないそのレポートはほとんどが余白で、何を書けばいいのかも分からない状態だった。

 

 

「……」

 

 

 ……土日か。

 

 あることを思い出して、僕はポケットの中から折りたたまれた一枚のチラシを取り出した。色彩の派手なチラシの中でも大きく目を引くのは【夏祭り】の文字。

 このチラシは午前中のバイトのときに店長からもらったものだ。普段からなかなかバイトを休まない僕に対し、少しはリフレッシュしたらどうかとこのチラシを持ってきて提案してくれた。

 

 頬杖をつきながら、どうしたものかとチラシを眺める。確かに興味がないわけじゃない。僕自身経験がないものだし、たまには夏らしいことをしてみるのも良いかもしれない。

 他の人はどんな風に過ごしてるのだろう。海に行ったりバーベキューしたり、そういう夏らしいことをしてるのだろうか。そう言えば、ゼミの中でもそんなことが話題に上がっていた気がする。なんでも親睦を深めるためだとか。ただ、それは教授が先導しているわけではなく、あくまで僕たち学生が勝手にやっていることだから自由参加だ。

 ただ、お金の出費を気にして僕は基本的に参加してない。もちろん、断りすぎると付き合いの悪さが目立ってしまうから、簡単な打ち上げとかには参加する。

 

 ……遥はどうかな。誘えば付き合ってくれるだろうか。

 

 

 ぼんやりと考えを巡らせていると、コンコン、とドアをノックする音が響いた。

 

 

『彼方? そろそろ買い物に行くんでしょ?』

「ん……?」

 

 

 遥の声に僕は、壁に掛けられた時計の針が既に夕刻を指していたことに気づいた。どうやら思った以上に呆けていたらしい。そろそろ夕飯の買い出しに向かわなければならない。

 

 立ち上がってドアを開けば、既に外出の準備が整っている遥がいた。

 

 

「課題やってたの?」

「ん……ちょっとね」

 

 

 進捗は芳しいとは言えない。そんな僕の状況を悟ったのか、遥はあまり深く追及はしてこなかった。

 玄関で靴を履き外に出ると、夏らしい緑の匂いが一杯に広がる。スーパーまでの距離は近く、十分も歩けば人通りが多い開けた場所に出た。

 

 

「今日の晩御飯、どうしよっか?」

「別に何でもいいわよ」

 

 

 エコバッグを片手に、薄暮の道を歩く。降りゆく西日と棚引く雲。行き交う人々の波にもだいぶ慣れてきた。隣の妹は少しだけ眉をひそめながらも、割合涼しい顔をして歩を進める。妹が人混みを嫌っているのは分かっていることだけど、買い物にはちゃんとついて来てくれる。

 薄手のワンピースと麦わら帽子。夏はいつも、バイトに行くとき以外は似たような格好だった。妹が言うには、一番楽な格好らしい。

 地面に伸びる二人分の影。その大きさは、僕の方がちょっぴり大きかった。

 

 

「遥は次のバイトいつだっけ?」

「次は確か……来週の土曜日ね」

 

 

 宙を向いて思案しながら、遥は答えた。妹の場合、バイトの日程は不定期に入る。何故なら、バイト先の書店がこじんまりとした個人経営の店だから。僕も何度か足を運んだことがあるけれど、店主は腰の低いおばさんだった。足腰が弱いらしく、若い人の手が必要となることが多くなってきたと感じたと言っていたので、それをきっかけにバイトを募集したのだろう。

 

 

「何か用事でもあるの?」

「実はバイト先でこんなチラシをもらったんだ」

 

 

 ポケットに折りたたんで入れておいたチラシを取り出す。

 

 

「……バイト先ってことは、あの喫茶店のマスターから?」

「そうそう」

 

 

 ここから数駅離れたところに神社があって、そこを中心として夏祭りが行われる。なんでも、綺麗な花火が見られるとかで有名らしい。僕も噂程度には聞いていたけれど、実際に行こうとは考えていなかった。

 

 

「……夏祭りやるんだ」

「うん。でもそっか、バイト入ってたんだね」

 

 

 夏祭りは土曜日に行われる。しかも遥のバイトの時間帯は午後だ。だから思いっきり時間が被ってしまっていた。

 

 

「……彼方は行きたいの?」

「ん……?」

 

 

 遥は立ち止まって、窺うように僕を見上げた。

 

 

「そうだね……」

 

 

 思い起こすのは店長の言葉。もっと遊んで、肩の力を抜いたらどうかと言われた。僕自身はそれなりに肩の力を抜いているつもりだったけれど、店長からはそうは見えなかったみたいだった。僕は自然に日常生活を送れていて、不満なことなんて何一つない。

 店長は多くを語らない人だ。自分のことも全然話さない。ただ、店長の言葉には説得力のようなものを感じた。それはもしかしたら、僕の勘違いなのかもしれないけれど。

 

 

「僕たちさ、今までほとんど外に出かけてなかったでしょ? だからこの機会にどうかなって」

「まあ……そうね」

 

 

 苦笑気味に、妹は口元に手を当てる。この間の話を思い出してるのかもしれない。

 僕たちは二十歳を越えた。一般的には、大人に分類される年だ。でも僕は、大学生っていうのはまだ大人じゃないのだと思う。大人でもなければ子どもでない。そんな曖昧だけど、大切な時期にいるのだと思う。だからこそ、今の内に色々なことをしてみたいと、以前から思っていた。

 

 

「……あとで、おばさまに相談してみるわ。もしかしたら、シフトをずらしてもらえるかもしれないし」

「急に変えられるの?」

「分からない。でも、おばさまは私に甘いところがあるから……」

 

 

 確かにそうだったな、と僕は記憶に残るおばさんの朗らかな笑みを思い出す。おばさんの年齢から考えて、孫ができたように感じてるのかもしれない。ひょっとしたら、店長も同じことを思っているのだろうか。

 

 

「……夏祭り、ね」

「……?」

 

 

 ぽつりと呟いた遥。そっと顔を覗き込むと、懐かしむように目許を緩めていた。

 

 

「彼方は覚えてる? 一度だけ、私たちも夏祭りに行ったことあるわよね?」

「……あったっけ?」

「あったわよ」

 

 

 ……おかしいな、本当に覚えがない。夏祭りなんて行った記憶は……。

 

 何度記憶の引き出しを開いても何も出てこない僕に対し、遥はくすっと笑った。

 

 

「彼方が覚えてないのも無理ないかもしれないわね。あのとき、彼方は急に熱出して倒れちゃったから」

「え……そんなことあった?」

「幼稚園くらいの頃かしら。近所であったのよ」

 

 

 遥は冗談を言わない。ならば、きっとそうなのだろう。一方の僕は全く記憶に残っていない。

 幼稚園の頃。覚えてはいないけど、母さんや父さんと一緒に行ったに違いない。

 

 

「結局途中で帰ることになっちゃって、私はもっと遊びたいって駄々こねてた。……でも、今思い返すと、すごく楽しかったわ」

 

 

 珍しく心の底から嬉しそうに話す遥。見上げた先には棚引く雲と黄昏の光。遥の目には、そのときの記憶が映っているのだろう。

 それにしても、夏祭りに行ったことなんてないと思っていたのに。遥の話によれば、一度だけ行ったことがあるらしい。流石に幼稚園の頃の記憶まで遡るのは難しい。もしかして、実家に帰ればそのときの写真でも出てくるだろうか。

 

 遥は僕から受け取ったチラシに目を落としながら、ゆっくりと歩く。僕もその歩みに揃えて、歩調をわずかに緩めた。

 カラスの鳴き声。喧騒にも似た街の声。その中に埋没するように、僕たちは歩く。

 時折吹く温い風に髪をなびかせながら、遥は耳に髪をかけた。真っ白な肌。細めの身体。兄としてのひいき目もあるかもしれないけれど、遥は一段と綺麗になった。

 

 

「……? どうしたの、彼方?」

 

 

 振り返り声をかけてきた遥に、僕ははっとした。いつの間にか立ち止まっていた僕に、遥は不思議そうに首を傾げた。

 

 

「ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

「なによそれ」

 

 

 おかしそうに、呆れたように微笑んだ遥。

 

 遥は気づいているだろうか。いつの間にか、遥は昔のように色々な表情を見せてくれるようになっていた。無口で、冷たくて、ただ僕を拒絶していた遥。その姿が、今はもう白夢だったようにさえ思えてしまう。

 でも、実際は夢なんかじゃない。あの頃の遥も今の遥も。どちらとも、紛れもなく遥の姿であり本心だった。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 近くのスーパーまで着いた。

 

 買い物かごを手にして生鮮食品の列を見て回る。二人で今日は何を作るか話し合いながら物色する時間。どこの家にでもあるであろう、当たり前の風景。ただ、それが兄妹だと言うのは普通ではないのかもしれない。

 妹は割と人目を引く。すれ違う家族連れの親子なんかが、チラチラと妹を気にしているのは割とよくあることだった。あるいは、僕たちが双子だから、というのもあると思う。

 

 

「果物何か買ってく?」

「ん……」

 

 

 妹は果物コーナーの中からひょいっとリンゴを取り出した。赤と薄緑色グラデーションに彩られたリンゴだった。

 

 

「そう言えば彼方。いつ帰省するの?」

「あー……。どうしよっか」

 

 

 リンゴの他にも梨やぶどうをカゴに入れながら、茜とのやり取りを思い返す。確か茜には、帰省する日程が決まったら連絡するとメッセージを返したはずだ。でも、結局あれから正確な日程を決めてない。帰省するときは僕も遥も同じタイミングにじゃなきゃいけないから。

 

 

「私の方はもう、バイト先に話をしておいたけれど」

 

 

 遥はもう話を通しておいたんだ。それなら、こっちも早く決めなくちゃいけない。

 僕と遥は二週間くらい帰省するつもりだ。二週間とは言うものの、それは大雑把に決めた期間であって、そこまでがっちりと決めているわけではない。ただ、いつ帰るかを決めあぐねていた。だから僕はまだ、店長に帰省することを伝えてない。今日のバイトのときに言っておくんだった。

 

 

「父さんも寂しがってるだろうね」

 

 

 僕と遥が二人暮らししてみたいと伝えたときの、父さんの様子を思い出す。以前よりも少しだけ老けて見えた父さんは、一瞬目を見開いて驚いていたけど、その後は寂しそうな、でも柔らかく目を細めながら鷹揚に頷いた。

 僕にとって実家を離れるという選択肢は、一つのケジメでもあった。きっと前までの僕なら、あの家に固執して過去の残滓に囚われ、かつての幻想に延々と手を伸ばし続けたのだと思う。不器用に、歪に重なったうわべだけの時間の中で、僕と遥は一生お互いに向き合うことができなかった。

 

 

「……」

 

 

 色とりどりの果物を眺めながら、高校の頃を思い出す。数年前のあのとき。つい最近のことだったようにも思えるし、どこか昔の出来事のようにも感じる。それくらい目まぐるしく、色々なことがあった。

 

 それは、本当に些細なきっかけだった。

 たまたま僕の席の隣だった茜と、ふとしたことで話すようになった。陽も落ちかけて、オレンジ色に染まり始めた教室の片隅で彼女は泣いていた。すすり泣く声と、光を反射しながら零れ落ちる涙。そんな姿の茜に、偶然教室に戻る用事があった僕は出会った。

 それからだった。少しずつ話すようになって、二人で遊びに出かけたこともあった。

 

 それに……。

 

 

『あたし、カナのことが好き』

 

 

 ……。

 

 

「……彼方? どうしたの?」

「ん……ごめん、ちょっと考え事してた」

「考え事?」

「うん、茜のこと」

 

 

 そう言うと、遥は表情を緩めながら「ああ」と頷いた。

 

 

「帰省したときに集まろうって話だったわね。結局あれから、具体的な日程は決まってないのよね?」

「はは……ごめんね」

 

 

 日々の大学生活で忙しかったのは事実だけれど、一応僕が主だってスケジュールを合わせることになっている。ただ、僕の管理不足が原因で未だに日程が決まらない。でも、忙しいのは僕だけじゃなくて茜や美玖も忙しいみたいだった。

 茜は部活もやってるし、日程調整は思ったよりも困難だ。と言っても、茜の方は無理やりにでも合わせると言ってはいるけれど。

 

 重くなってきた買い物かごの中を整理する。遥の話で思い出したけど、僕たちは帰省するから冷蔵庫の中のものもちゃんと調整しなくちゃいけない。あまり買い過ぎても、帰省のタイミングと重なった場合に困ってしまう。

 

 ……どうしたものかな。

 

 あれこれ考えながら歩く。すると、棚の死角から人が出てきて思わずぶつかりそうになった。

 

 

「あ……ごめんなさい」

「いえ、こちらこ──」

 

 

 そこにいたのは買い物かごを手にした一人の女性。長い金髪と小さなピアスをつけた耳。

 

 

「……あれ?」

 

 

 よく見ると、その人は僕と同じゼミの仲間で。

 

 

「……梓さん?」

「彼方くん?」

 

 

 

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