妹と仲直りしたい 作:Shinsemia
「……遥」
部活も終わる時間帯。だからこうしてばったり会うのは、ある意味必然だった。
妹の隣にはショートカットの黒髪の女の子。たぶん友達だろう。
しかし、これはまずいかもしれない。僕は妹に学校では話しかけてこないでと言われている。それは、自分の知り合いと僕を会わせたくない、という意味だろう。だから友達がいる今の状況は、妹にとってきっと不都合だ。
僕がどうすればいいか考えていると、優し気な声が耳元をくすぐった。
「もしかして、遥のお兄さん?」
「……え?」
ぴょこんと現れたのは、ショートカットの黒髪にぱっちりとした大きな目。
視線を下げると、いつの間にか僕の傍にその女の子がいた。
「……そう、だけど……」
ちらっと遥を見る。でも、妹は僕と視線を合わせようとしなかった。
僕の顔を覗き込む例の彼女は、じろじろと顔のパーツ一つ一つを確認するように上から下に視線を動かす。
僕と妹は顔がそっくりだ。もちろん、微妙な違いはあるけれど。妹の方はちょっとつり目で、僕はつり目でもたれ目でもない。
彼女は感心したように、ほんとに似てるね……と呟いた。まあ、双子だから当然だった。
そして彼女はやっと満足したのか、顔を離すと改めて僕に向き直ってにっこりと笑った。
「わたし、
「え、あ……うん」
「じゃあ、彼方くんはわたしのことを美玖って呼んでね?」
「……」
……なんて言うんだろう。
とにかくフレンドリーな子だな、と思った。
いきなり下の名前で呼ぶのも呼ばれるのも、彼女は全然気にしないらしい。茜と似たようなタイプにも見えるが、彼女よりももっと積極的だろうか。
自己紹介がてら話を聞くと、僕と遥が双子の兄妹であるということは周知の事実らしかった。まあ、確かに学校内という狭い空間で見たら目立つのだろう。
「……って、なんで僕の名前を知ってるの?」
「え? だって遥からいつも──」
「ちょ、ちょっと!」
すると、さっきまで無視を決め込んでいた妹が間に入ってきた。そして、美玖を後ろの方に連れだすと、ひそひそと何事かを話し始める。妹らしくない、妙に焦った行動だった。
二人が話をしてる間、僕はぼうっとその光景を眺めていた。空を見れば夕方のオレンジ色。でも、瞬く間に暗くなっていくだろう。晩御飯の準備をしなくちゃいけない。
「ね、彼方くん」
どうやら話が終わったらしい。美玖の後ろにいる妹は、微妙な表情をしていた。困ったような、嫌がっているような。
「よかったら一緒に帰らない?」
「……え」
「遥もいいよね?」
そう言って美玖は隣に目をやる。妹は何か言いたそうに口を開きかけたが、結局口を噤んで小さく頷いた。渋々と、仕方がないとでも言いたげだった。
「うん。オッケーだね」
美玖は自信満々に頷いた。
……これはオッケーなのだろうか。僕には嫌々承諾したようにしか見えない。ふいっとそっぽを向く妹は、心なしか唇を軽く尖らせているように見えた。
「じゃあ、行こっか!」
美玖は楽しそうに言って、妹の隣に並んで再び歩き始めた。
……
……
妹との久しぶりの下校は、奇遇にもその友達を含めた三人のものとなった。
僕と妹の間に美玖が入って、帰路につく。美玖から聞いた話によると、家の場所は僕たちと割合同じ方向にあった。美玖と妹は同じ部活に入っている。だからよく一緒に下校しているらしい。
「彼方くんって、部活には入ってるの?」
「いや。入ってないよ」
美玖を挟んで隣にいる妹をちらっと見ても、特に反応はなかった。
美玖の朗らかな雰囲気とは対照的な妹の冷涼さ。性格だけ見れば正直、妹と反りが合わないように思える。でも、不思議と似合う二人な気がした。
「へえ。家ではいつも何してるの?」
「読書とか家事とか……かな」
そう答えると、まるで主夫みたい、と軽く笑われてしまった。でも、嫌味な感じは全くしなかった。人と話すのが得意じゃない僕だけど、美玖は他の人よりも話しやすいかなと思った。
「じゃあ、さっきは買い物してたんだ?」
僕の持つスーパーの買い物袋を見ながら首を傾げた。今日は鍋にしようかと思って、野菜や魚を買ってきた。中々に重い。
肌寒い季節に差し掛かってきたこの頃。栄養バランスをしっかり考えてなおかつ、僕も妹も好きな料理となるとこれが手っ取り早かった。
「あー……でも、その前に友達とちょっとお茶してた」
お茶というか、炭酸飲料とシェイクだったけど。ただそれは、遊んでたというわけではなく茜なりの気遣いだった。
「ふーん……。その友達って、女の子?」
「うん」
僕がそう答えた瞬間。
何故か、妹がピタッと立ち止まった。
足を止めて振り返ると、遥は呆然と僕を見ていた。信じられないものを見たような驚きが、その目には籠っていた。口をパクパクとさせ、声にならない声を出す。
……僕に友達がいるのが、そんなに珍しかったのだろうか。
「遥?」
「……な、なんでもないっ」
声をかけると、やっと我にかえったようで、首を小さく振りながら歩き出した。遥かにしては、珍しく動揺していた。
「……ふふ」
僕の隣の美玖は、何故かニヤニヤしながら口元を抑える。その仕草といい、笑い方といい、なんだか猫みたいだ。
そして立て続けに、僕に再び質問してきた。
「ね、その子って可愛い?」
「え……」
どうしてそんなことを訊いてくるのだろう。
興味本位なのか、何か意味があるのか。
様子が気になり美玖の隣の妹を覗き込むと、ぱったりと視線が合った。
「……っ」
そしてまたそっぽを向く。だけど話が気になるようで、頻りにこちらを気にしていた。
僕は妹の交友関係を知らない。それは、逆に妹の側からしてもそうだった。普段の会話で人付き合いの話題なんて出ないし、そもそも会話自体ほぼない。
でも、心の中では気にかかっていた。妹が僕にだけ冷たいのか……いや、避けているのか。クラスが別々だし、妹に言われた通り校内では極力顔を合わせないようにしているから、誰かと一緒にいるところをほとんど見ない。
……それはともかく、茜が可愛いかどうか、か。
「うん、可愛いと思うよ」
クラスでも三本の指に入るくらいの容姿だと言われている。と言っても、クラスの男子が話しているのを聞きかじったものだけど。でも、僕個人としても特に異論はない。
「ふーん、そうなんだぁ。だってさ」
「……」
まただ。美玖は妹の方にこれ見よがしに首を向ける。
対する妹は、どことなく不機嫌なオーラを放っていた。涼やかな美貌に、何かしらの感情がかすかににじみ出ていた。
「っと。わたし、家あっちだから」
突然美玖が立ち止まる。彼女はリュックを背負いなおし、僕と妹の家とは別の方角を指さした。どうやらここでお別れらしい。
「じゃあ、またね! 遥、彼方くん!」
「あ……うん」
彼女は手をぶんぶんと振ると、駆けだして行った。僕も遅れながら小さく手を振った。
まるで嵐みたいな子だった。どんどん遠ざかっていく彼女の背に、なんとも不思議な気持ちになった。
その一方で隣を見れば、やっぱり不機嫌そうな妹。どうしてこんなに機嫌が悪くなったのか、僕には分からなかった。
……いや、本当は分かっているさ。
僕のせいだろう。
「……」
手に持った買い物袋が、やけに重く感じる。
──妹と二人きり。
僕は地面に目を落とした。
長い影が、珍しく二人分並んでいた。
「……あ」
そして、一つの影が動き始める。妹は無言で前に進む。すたすたと、僕のことなど置いていくように。
「ま、待って!」
「……なに?」
振り返った妹は仏頂面だった。風が吹いて、ロングの髪がさらさらと揺れる。金木犀の甘い香りが鼻をかすめた。
僕をひどく拒絶するようなその態度は、ひょっとすると今まで見てきた中で一番強いものかもしれない。
……でも、僕は。
『──カナは、何もできない人間なんかじゃないよ』
そう言ってくれた人がいるから。
勇気をもらったから。
一歩、踏み出そうと思ったんだ。
「……話があるんだ。ちょっと付き合ってくれないかな」
通い慣れた帰り道。
小学校、中学校、高校と、僕と妹はずっと同じ道を歩いてきた。
「……ここに来るのも久しぶりだね」
ブランコに砂場、そして滑り台。
この時間帯になると子どもたちも家に帰ったようで、誰もいなかった。夕方もそろそろ終わりを迎える時間。僕は昔、妹の手を引いてここから家に帰っていた。
ここは公園。それも、僕と妹が幼い頃の大半の時間を過ごしてきた場所だった。水飲み場は故障しているのか、色褪せた紙に歪な文字で張り紙がしてあって、人気だったジャングルジムは撤廃されているのか、跡形もなく消え去っていた。
あの頃から十年近く経って、景色は寂しいものに移り変わっていた。
「何か飲む?」
「……いらない」
自販機を横目に問いかける。返ってきたのは、やっぱりそっけない一言。
踏みしめる地面の音が静かに
「それで、なんの用なの」
ここまで黙ってついてきた妹。いつもは落ち着き払っているはずなのに、今は少しそわそわしていた。濡羽色のストレートの髪に度々触れ、居心地が悪そうにしていた。
……本当なら、改まって訊くことじゃないのかもしれない。今更なのかもしれない。
だけど、僕はこのままじゃ嫌だ。
妹に嫌われたままなんて、嫌だ。
だから僕は、ずっと抱え込んでいた疑問を初めて吐露する。
「どうして僕を避けるの?」
「……」
制服の袖をぎゅっと掴んで、妹は顔を伏せた。その理由は、自分の口からは言いたくないことなのだろう。
僕には上手いやり方なんて思いつかない。だけど話をするくらいはできる。僕はまだ妹自身の口から本心を聞いてない。
勝手な憶測で、避けられるようになった理由をこじつけているだけだった。それじゃあ、何も解決しない。
「……別に避けてなんかない」
口ごもったように言う。カバンを握る手に、ぎゅっと力が入るのが見て分かった。
遥は僕の妹で、血のつながった家族。それなのに僕は、たった一人の妹のことさえ何も知らない。緩やかに流れる時間の中で、その隔絶はだんだんと大きくなっていった。
「……僕には分からないんだ。どうして遥が、そんなに僕を嫌うのか……」
「……」
冷たい風が落ち葉を連れて吹きすさぶ。風が強くなってきた。
僕は不安だった。このまま遥と話せない状況が続いてしまえばきっともう、昔みたいには戻れない気がした。僕のことが嫌いだというのであれば、それをちゃんと言って欲しかった。僕に嫌なところがあるなら、直せるように努力したかった。
「僕、遥に何かしちゃったかな……?」
「っ……。だから、違うってばっ」
珍しく苛立ちを覚えたように、口調が強まる。
僕は人付き合いが苦手な方だ。だから無意識に妹を傷つけたり、不快な気持ちにさせたことがあったかもしれない。
それでもやっぱり、僕は妹と仲良くしたい。この歳にもなって、みっともないことなのかもしれないけれど。
僕たちは家族だ。今までずっと一緒に生きてきた。一つ屋根の下で、僕たちは暮らしている。同じご飯を食べて、同じ学校に行って、同じように育ってきた。
「僕に悪いところがあるなら……できる限り直すからさ、何でも言ってよ」
昔みたいに我がままを言ってほしい。どんなに些細なことでも、どんなに取るに足らないことでも。
そういうのを気にしないで言い合えるのが、家族だと思うから。
ましてや、僕たちは。
「僕たちは兄妹──「……ってない」
言葉を続けようとした瞬間。
遮るように小さな声。
僕は妹の様子がおかしいことに気づいた。
「……遥?」
妹の異質な雰囲気に、やっと気づいた。
肩をわなわなと震わせ、手は白むくらいに強く握りしめられていた。声音から読み取れる感情はよく分からない。だけど、決していいものではないことは確かだった。
ゆっくりと顔を上げる。僕を射抜く
そしてとうとう、耐え切れなくなったように口を開いた。
「──彼方は、何も分かってない!」
いつもそっけなかったはずの妹の声。
久しぶりに僕の名前を口にする妹は、ひどく苦しそうだった。長い髪を揺らしながら、言葉を強めた。
「どうして彼方は私に構うの! なんで!? どうして!」
「あ、えっと……」
僕はただ困惑した。
僕の何が妹をそこまで怒らせてしまうのか。僕の何がいけないというのか。
僕に不満をぶつけたいというのであれば、別にそれでも構わなかった。ただ一つ知りたいのは、その理由だけだった。
「私が冷たく当たってるのに! なんで……!」
僕をキッと睨みつける。握りしめた拳が青白く、ふるふると震えていた。
突っぱねるような険のある声。強い拒絶の色を含む妹の姿に、ズキリと心が痛む。だけどそれが、本心を表しているようにも思えた。
日が暮れていく。
遥の後ろに見える夕方の光が、だんだんと失われる。遠い空の、あたたかいオレンジ色の光が、徐々に宵闇に溶け込んでいく。
カラスの鳴く声が、夕方の終わりを告げていた。
そして──
「──!」
「あ……」
遥は話を拒絶するように、僕の前から駆けだした。思わず手を伸ばすが、瞬く間にその背中は小さくなっていく。
今すぐ追いかけなくちゃ。このまま家に帰ってきてくれるとも限らない。
……でも、追いかけたその後に何があるのだろう。遥は僕に比べて運動神経がいい。走り去る妹を追いかけても引き離されてしまうだろう。
それに、遥は僕に何も分かっていないと言った。このまま追いかけて、よしんば追いついても、同じことの繰り返しになってしまうに違いない。
「……」
空を見れば、いつの間にか曇り始めていた。秋の天気は移ろいやすく、これから先の空模様は不明だった。
ここは公園。僕と妹の懐かしい遊び場。
暗くなると、手をつないで家に帰っていた。
でも今は、僕しかいない。
「……遥」
手にぷらんとぶら下がる買い物袋が、やっぱり重かった。