妹と仲直りしたい 作:Shinsemia
「ここのスーパー、私よく使うんだ。彼方くんも?」
「よく使ってるよ。結構近いからね」
「へえ……そうだったんだ」
「梓さんって実家暮らしだよね?」
「うん。ここから近いところにあるよ」
カートを押しながら梓さんの隣を歩く。僕がぶつかりそうになった相手は、奇遇にも僕の知る人だった。
「ここら辺って大学からは少し遠いけど、静かなところだよね」
「そうだね……僕もそう思う」
そこそこ長い期間ここのスーパーを使ってるけど、未だに知り合いと顔を合わせたことはなかった。でも、考えてみれば会わなかったことの方が珍しいことなのかもしれない。大学のキャンパス内でこそ、梓さんとはよく顔を合わせてはいるけれど、こうして外で会うのは新鮮な感覚だ。
梓さんはいつもよりも落ち着いたメイクを施した自然な風体だった。まあ、普段も全然メイクは薄い方だけれど、今日はより自然体に近い。梓さんは元々整った顔立ちをしているから、正直メイクなんていらないとすら思えた。
「それで……」
梓さんは僕の後ろをちらちらと気にし始めた。そこにいるのは、何故か僕の後ろに隠れる遥。
「ああ、そうだ。まだ紹介してなかったね」
少しだけ体をずらす。遥が人見知りなのは今も変わらない。それでもまだ、前に比べればマシにはなってきたと思うけれど。
「僕の妹だよ」
「……遥よ」
平坦な表情の遥は、抑揚の乏しい声で名前を言った。不愛想でぶっきらぼうな態度の遥かは、それっきり何も言わない。きゅっと真一文字に結ばれた桜色の唇が、何よりも雄弁に物語っていた。
梓さんはそんな遥の様子に多少なりとも面食らったのか、きょとん、と目をしばたかせた。でも、すぐに平静な表情に戻り、遥をじっくりと観察し始めた。
「かなり似てるね。双子って言ってたもんね」
澄んだ瞳が僕と遥を交互に見つめる。遥はそれに対し、ピクっと眉を動かした。
妹がこういう風にじろじろ見られるのをひどく嫌っているのを僕は知っている。でも、これでも前ほどは態度に表さないようになってきた方だった。まあ、これも充分態度に出てる方だけれど。
「って、紹介遅れちゃってごめんね。私は梓。彼方くんとは同じゼミの同期なの。よろしくね」
にこやかに笑む梓さん。大人びた物腰の穏やかさと、かすかな幼さを残した自然な笑み。
梓さんが人気な理由は、こういうところなんだろうな、とぼんやりと思う。不快感を一切抱かない、と言えばいいのだろうか。
人は誰しも、どれだけ好きな相手に対しても何かしらの不満や嫌だと感じることがあるものだ。でも、彼女からはそういうものを一切感じられない。出会ったときからそうだった。人に対する距離感の取り方が上手なのだと思う。
そんな梓さんに対し、妹は少しだけ目を細め、再び隠れるように僕に身を寄せた。
「……ええ」
やや間があったものの。妹はようやく返事した。
「それにしても、ふーん……」
梓さんはニヤニヤしながら、再び僕と遥を交互に見た。悪戯っぽさを孕んだからかい半分の仕草に、遥はたじろぐように半歩下がる。そして梓さんは妹の方を見ながら、薄くリップの塗られた唇を開いた。
「一緒に買い物するんだ?」
「……それが何か?」
「ううん。何でもないよー」
棘のある言葉で、妹は眉をひそめながら問い返す。一方の梓さんは、ひらりと凪ぐ柳の葉のように受け流した。それが癪に障ったのか、妹の口許が引きつり気味に上がった。
……なんだろう。この妙な緊張感は。
「彼方くんはよく料理するの?」
「そうだね……今は妹と交代し合いながら作ってるかな」
「今は……ってことは、前は?」
「あー……実は僕の家、親が家を空けること多くてさ、大体僕がご飯を作ってたんだ」
「へえ……。確かに、彼方くんってエプロンとか似合いそうだよね」
梓さんはそう言いながら、僕の足元から顔にかけてゆっくりと眺めた。そんなことを言われたのは初めてだ。
「そっか。彼方くんって料理するんだね」
「……変かな?」
「ううん、逆だよ逆。女の子的には、そういう男の子ってポイント高いんだから」
パチッと片目でウインク。茶目っ気の含まれた仕草は、大人っぽさと子どもっぽさの両方を兼ねているようでいて、彼女に良く似合っていた。ゼミに所属する多くの男性を惹きつける彼女は、やっぱり女性らしくて魅力的だと思った。
「はは……それはどうも」
褒められて悪い気はしないけれど、実感は全然なかった。だって、料理するのはずっと前から僕にとって日常だったから。今はただ、その延長線上にいるだけだ。子どもから今までずっと続けてきた唯一の趣味と言えるだろう。
でも、今は料理するのは一人じゃない。妹がいる。それだけは、以前は絶対考えられないことだった。今住んでるアパートの少し狭いキッチンで隣に並びながら、他愛もない話をしつつ料理を作る。そんな日々が、僕が望んで止まなかった日々だった。
「……」
「……? どうしたの?」
ふと梓さんを見ると、何故か驚いたようにぽかんと口を開けていた。
「……へえ」
突然、僕の顔を覗き込むようにそっと顔を近づけた。長いまつ毛とぱっちりとした綺麗な瞳。かすかに鼻をくすぐる女性らしい香水の香り。
「ふむ……」
「……え、なに?」
じーっと見つめる眼差し。真っすぐな眼差しはただ純粋に僕の目を見つめていた。僕はその意図がよく分からず、思わず首を傾げる。
すると梓さんは、何故か眉をかすかにひそめて不満そうに唇を尖らせた。
「……彼方くんは意外と強敵だったか」
「?」
……強敵?
「ああ、気にしないで。私の癖みたいなものだから」
僕が訊こうとする前に、梓さんは手を振りながら軽く笑った。そして「へぇ……そっか、そっか」と呟きながらうんうんと頷いた。
……一体何だったのだろう?
別にただの雑談だったと思うけれど、梓さんの様子を見るにそれだけじゃないようだった。僕の話した内容に何か思うところでもあったのだろうか。
いまいち梓さんの考えてることが分からないまま、カートを押し進める。
「それにしても、ほんとにここ最近は暑いねー。買い物がなかったら絶対に外に出ないなあ」
「……僕もかなあ」
梓さんの言う通り、真夏日、とまではいかなくても、それに匹敵するくらいの暑苦しさはあった。テレビでも今年の夏は暑いと各番組のニュースで口々に言っていた。そのおかげか、プールやら海やらを利用する人が多いのだとか。
「彼方くんはなるべく家で過ごしたい感じ?」
「うーん……たまには出かけたい、気もするかな」
どっちつかずの曖昧な返しになってしまった。正直、季節は関係がなかった。僕本来の性格として、そう言う感じなのだと思う。
「その気持ちは分かるかなあ。全然出かけないっていうのも、なんだか息が詰まっちゃうもんね」
「はは……そう──」
「……」
──くいっ。
その小さな力に、僕は言葉を止めた。梓さんから隠れるように反対側にいた遥が、梓さんに見えないように袖を引っ張っていた。ちらりと目を向けると、遥は視線を逸らしてそっぽを向いた。
……少し無神経だったかもしれない。遥にも何か話題を投げかけて、放置しないように会話をつなげるべきだった。
「……?」
「ああいや。僕もそうかなって思って。ね、遥?」
「……」
遥の顔を覗き込みながら言うと、より一層不機嫌なオーラが立ち上った。会話に混ざれなくて怒っていたと思ったから話を振ったのだけれど……。
僕が頭を悩ませていると、今度は僕の後ろにいる梓さんから、小さなぼやきのようなものが聴こえた。
「……ふうん」
「ん……? 何か言った?」
「いや、何でもないよー。私はそろそろ自分の買い物に戻るね」
スーパーの中の喧騒も相まって、その内容は聞き取れなかった。そして梓さんは僕たちよりも半歩前に進み出た。
すると梓さんは「っと、そうだ」と言いながら振り向いて、手を後ろに組みながら上目づかいで口を開いた。
「彼方くん。あとで今度の予定送っておくから、メッセージ確認してね」
「え?」
「じゃ、またね!」
途端、梓さんは踵を返して別の方へ向かってしまった。こちらに軽くひらひらと手を振る梓さんは、腰まで伸びた金髪をなびかせて遠ざかって行った。梓さんも梓さんで買い物の続きをしなきゃいけいだろうし、あまりしゃべっていても仕方ないだろう。
……それにしても、梓さんもこのスーパーを利用しているとは奇遇だった。この近辺に住んでいることも、僕は今初めて知った。でも逆に言えば、今まで会わなかったことの方が不思議だ。そう考えると、それほど特別なことだとも感じなくなった。
梓さんの姿が見えなくなった。僕もそろそろ買い物を再開しよう。
「……ちょっと待って」
一歩踏み出そうとして。再びシャツの裾をくいっと引っ張られた。もちろん、それは遥によるもので。
「さっきの“予定”って何のこと?」
「ん……?」
その言葉に、去り際に梓さんに言われたことを思い出す。
「ああ。夏期休暇前の課題だよ。思ったよりも詰まってるから、どこかに集まってディスカッションしたいって話になったんだ」
「……二人きりで?」
「……たぶん」
スッと目を細めた遥が、僕ではなく梓さんが消えた方を睨みつけた。
……まだ会って間もないのにこの一方的な拒絶感はなんなのだろうか。反りが合わないと言えるほど、話をしたこともないのに。
「……何を心配してるのかは分からないけど、たぶん大丈夫だよ?」
「……はぁ。彼方はそういうところ、ほんと鈍感ね」
「そういうところって?」
「……知らない」
吐き捨てるように呟いた言葉と共に、遥はスタスタと魚介コーナーの方に向かって行った。魚介コーナーの冷えた環境も相まって、妹のオーラが氷の女王のように冷え切って荒んでいるように感じられた。
「……」
……本当は。
本当は、遥が機嫌を損ねてしまう理由を分かっていた。
僕は、妹がそっと胸に温めてきた想いの向き先を既に知っている。対する僕の気持ちは、きっと昔から変わっていない。ちょっとだけ前に進んで、また立ち止まって。その繰り返しだ。
僕と遥の関係はただの近親愛だとか兄弟愛だとか、そんな簡単な言葉で表せるものじゃない。母さんが亡くなったあの日から、僕たちは互いに失った心の欠片を、互いの存在を感じることで埋め合っている。
嬉しいけど悲しいし、楽しいけど切ない。相反する感情を互いにぶつけて、循環させて、そうしてやっと僕たちは一つの輪の中にいることができる。互いに傷つけなきゃいけないし、互いに癒し合わななければならない。それはもう、決められた運命のようなものなのだろう。僕が母さんの墓前に誓ったあのときからの。
ただ一言だけ好きと言えばいいとか、そばにいるとか。ありきたりなその言葉は確かに安心するかもしれないけれど、それは不安を抱かないこととイコールじゃない。安心と不安は同居し得るものだ。それが今の遥の心の中なのだと思う。
「……」
遥は僕を鈍感だと言った。たぶん、その通りなのだろう。他人からの視線に敏感ではあると思うけれど、それがどのような感情に基づいているのかを判断できない。と言うよりも、悲観的に見る傾向があると言えばいいだろうか。
人に好意を持たれても、嫌悪を抱かれても。僕は近づきもしないし遠ざかりもしない。そうやって一定の距離だけ維持して、仮初の世界で僕は“彼方”という自身を演じていた。
……その結果として、あの頃の僕は遥を泣かせてしまった。本当にすぐそばにあったものだったのに、僕は遥の苦しみに気づかなかった。
距離なんてものは、思いっきりぶつかって、思いっきり離れて。その繰り返しの末に身につくものだということを、僕はやっと思い知ったんだ。
……
……
会計を済ませ、二人そろってスーパーを出る。
むわっとした暑い空気。湿度も気温も高めの環境に、遥は不快そうに顔を歪ませた。涼しい店内とは大違いの外には、そこそこの人で溢れてる。みんなも買い物に来たのだろう。
人通りを避けながら通り人波が落ち着いた場所に出ると、後ろの遥は疲れたようにため息をついた。
「……暑い。さっさと帰りたい」
「そうだね。早く帰ろっか」
今日は結構買い込んだ。中々に重い。買い物を再開してもなかなか機嫌が戻らなかった遥は、更に機嫌が悪くなり始めた。気温に八つ当たりしたところでどうしようもないけれど、それでもまあ言わずにはいられないだろう。確かにそれくらい暑苦しい。
「……僕が持つよ」
「あ」
ひょいっと、遥からもう一つのエコバッグを奪い取った。日用品やら食材やらが詰まったエコバッグを二つ、僕は手に持った。
「……別に、大丈夫だったのに」
バツが悪そうに顔を背ける遥。僕は一つ苦笑して、ゆっくりと家路を歩み始めた。
伸び始める足元の影は、やっぱり二人分。昔と変わらない景色だ。いつも必ず空にある太陽と同じように、僕たちもまたここにいる。
「梓さんのことだけどさ、彼女は誰にでもああいう感じなんだ」
遥を安心させる方法は、今の僕にはまだ分からない。だからただ、僕が考えてることや思うことを正直に話す。それが大切な家族に対しての、一番の誠意だと思うから。
「……そうなの?」
「うん。ゼミ内では誰にでも気さくに話しかけてるから。……社交的っていうのかな」
フレンドリー、という言い方もできるけれど、少し意味合いが違うような気がした。どちらかと言えば、フレンドリーと言う言葉は梓さんじゃなくて美玖の方がしっくりくるだろう。
高校のとき、たまたま美玖と出会った僕はすぐに友達になった。美玖がいなかったら、遥と話をするきっかけも作れなかったかもしれない。フレンドリーと言う言葉は、そういう風にどんどん人とのつながりを広げていくようなイメージがある。
対して社交的と言うのは、人に対して一定の距離感を保ち続ける、という印象だ。その距離感をなるべく逸脱しないように、人それぞれに対して特定のスペースを作り上げる。梓さんはそれが抜群に上手いのだと思う。
だからこそ、それよりも踏み込んだ関係になることはない。
「遥から見たら仲良く見えたかもしれないけど、実際は少し違うと思う」
「……それは彼方の言い分でしょ。彼女がそう思ってるかどうかは分からないじゃない」
「まあ……」
そう言われてしまえばそうだけど。だからこれは、あくまで僕だけの言葉。信じるか信じないかは、遥次第だ。
「とにかく、梓さんは僕と特別親しい、ってわけじゃないから」
……これでフォローになっただろうか。僕自身、慎重に言葉を選んで話をしたつもりだった。僕は別に梓さんのことを嫌ってるわけじゃないし、むしろ好ましい方だと思ってる。だけどそれは、色恋沙汰には発展しないものだ。
そう考えて話をしたのだけれど。
「……はぁ。私が言いたいのはそう言うことじゃない」
「……あれ。じゃあ、どういうこと?」
……何か違ったのだろうか。
首を傾げていると、遥は戸惑うような、言葉に表しにくいような、そんな微妙な変化を表情に滲ませた。
そして、一つため息をつくと。
「なんか……気に入らないのよね、あの人」
……気に入らない。
そんな言葉を人に使うのを、僕は生まれてから初めて聞いたかもしれない。いくら反りが合わなそうだからって、そこまで言うことだろうか。本当にまだ、今日すれ違った程度の間柄のはずなのだけど。
「それは……流石に言い過ぎだと思うけど」
「……分かってるわよ。自分でも良くないこと言ってるのなんて、分かってる」
そう呟き、顔を伏せた遥。自分でももやもやとした気持ちが渦巻いているのか、決まりが悪そうに髪を触る。
遥があまり人と関わらないのは、ただ人が苦手だから。だから今回もその例に倣って、強張った様子を見せてるだけだと思っていた。
……でも、遥を見るにそれだけじゃないように思えた。僕には全く分からなかったけれど、遥は何か思うところがあるらしい。
「ただ……私はあまりお勧めしないわよ」
「いや、だから……」
そういう意図はない。
そう口にしかけたところで、遥はスタスタと先に歩き出してしまった。
……気に入らない、か。
遥が言った言葉はあたりがきつすぎると思うけれど、考えなしに言ってるとも感じられない。それが人間関係ともなれば尚更だ。
「……ねえ、遥」
「……」
「僕は思うんだ。もっと色々な人を知っていきたいって」
遥が意図して周りと壁を作っているのは知っている。初対面の梓さんに対しての反応は、その最たるものと言っていいだろう。それは遥が持つ様々な想いがもたらしたものだ。
けれど、だからと言って孤立した世界で生きることが、あまりにも寂しく生きづらいものだということは、僕も遥も既に学んだことだった。
そしてそれを教えてくれたのは、僕のことを好きだと言ってくれた茜だった。
「私だって分かってるわよ」
「それなら──」
「でも仕方ないじゃない」
歩む足を止めながら。
遥はそのまま、胸に手を当ててぽつりと呟いた。
「知らない人が彼方と親し気に話してるのを見ると、不安になるんだもの……」
かすかに震える手。
「私の知らない彼方がいるって思うと、私は……」
遥が正直に語ってくれた言葉。
僕は少しだけ、遥の気持ちが分かるような気がした。
僕たちは未だに周りの世界が怖く見える。でも、僕たちはそれぞれ一人の人間として人生を歩まなければならない。その中で互いのことを気にし過ぎてしまうのも、恐らく良くないことだ。だから僕たちは、そう言う意味でも確かな信頼関係を築かなくちゃいけない。
「遥の不安が少しでも和らぐなら……僕にできることはなんでもするから」
その方法はまだ分からないけれど。
僕はずっと遥のそばにいる。その約束は決して倒れない。
僕はもう、見誤りたくない。遥の素直な気持ちを。
「……」
少しだけ揺れる瞳。眉尻の下がった寂しげにも見える姿。
僕の顔を窺う遥に、僕は真っすぐに見つめ返す。
「……じゃあ」
そんな僕に、恥ずかしそうに目をそらして。
ちらちらと、僕を気にしながら。
「……じゃあ、彼方」
白く細い腕を、そわそわとさする遥。
遥はうっすらと頬を染めながら、ゆったりとした口調で言った。
「……私とデートしてよ」