妹と仲直りしたい   作:Shinsemia

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 お久しぶりです。色々アイディアが湧いてきて全然まとまらなかったため投稿できていませんでした。大学編は思ったよりも長くなりそうです……。


第五話

 

 

「どうしたの、彼方くん? ぼーっとして」

 

 

 トントン、と本のページを叩くペンの音。

 緩慢に首を動かせば、そこにいるのは僕と同じゼミ所属する同期の梓さん。

 

 

「……ごめん、ちょっと考え事してた」

 

 

 一度、腕を伸ばして深くため息をついた。

 

 今日は梓さんと約束した課題のディスカッションをする日。今いるこの場所は大学の図書館の中にあるセミナー室。サークルとか研究室のゼミなんかでよく使われてる部屋だ。前に目をやればホワイトボードには先ほどまで出し合ったアイディアが所狭しと書かれていた。

 

 梓さんはやっぱり頭が良いというか、着眼点が違うな、と思った。ある程度の人はこうなんじゃないかと考えるところを、先入観を無くして真っさらな状態で見ることができる。梓さんが他の人とは違うところはそこだった。

 

 

「それでどう? 私の方はもう書き終わったけど」

 

 

 ディスカッションしてから一時間程度ここでノートパソコンと向き合っていたけれど、僕がぼんやりとしてる間に梓さんは課題を終えたらしい。でもまあ、僕の方もほぼ書き終えているし、あとは推敲するだけだ。

 

 

「僕もそろそろ終わりかな」 

 

 

 腕時計に目を通せば、午後の中だるい時間を迎えている。眠気も誘われるような緩んだ空気が、エアコンで涼しいセミナー室の中でゆっくりともたれかかっている。気を抜いてしまうと居眠りしてしまいそうだ。

 

 最後に保存ボタンを押してレポート用に開いていたソフトウェアを閉じる。後は家に帰ってからやろう。

 

 ノートパソコンをたたむと、梓さんもホワイトボードの文字を消して帰り支度を進めていた。僕は本を片付けるとしよう。

 机上に溜まった本をまとめて抱えてセミナー室を出る。夏休みの図書室は意外にもぽつぽつと人がいた。確か、外部の人もこの図書館を利用できるらしくて、よく見れば年寄りの人や小さな子どももいた。

 その光景を横目に、腕に抱えた本を一冊ごとに所定の場所に収納する。高校で図書委員だったから慣れた仕事だけれど、大学だとフロアの広さが段違いで意外と歩かされることに気づく。

 

 僕たちはステップアップしながら生きている。少しずつ、その階段を踏み外さないように慎重に、でも確実に。大学ではその歩幅が今までにないくらい大きくもなるし、小さくもなる。四年間という期間の中で、僕たちは何をするのも自由だ。

 

 それを言うなら、僕は確かに知識を身につけた。少しずつだけど、周りとも交流するようになった。でも、この間の買い物帰りのときに遥に言われた言葉。あれを思い返すと、その歩幅は僕と遥でやっぱり違うんじゃないかと感じた。

 僕の一歩が遥にとっては大きすぎる一歩で、遥の一歩が僕にとっては物足りないもので。お互いに合わせようとしてるせいでどこかギクシャクしてしまう。振り子が止まるのがいつになるのかは分からないままだ。

 

 

「──彼方くーん。こっちはもうセミナー室の鍵返しちゃったよー」

「あ……ありがとう」

 

 

 声のする方には自分のカバンと僕のカバンを一緒に抱えた梓さんがいた。戻るのが遅れてしまったらしい。ひらひらとこちらに手を振る梓さんはあどけなくも見えて、あざとくも見えた。

 梓さんからカバンを受け取ると、僕たちは隣並んで踊り場から階段を降り始めた。

 

 

「んー……久しぶりだなあ。こんなに真面目にディスカッションしたの」

「はは……そうだね」

 

 

 もう夏休みに入ってるのにこんなに学業に身を費やすのも変な話だけれど。

 梓さんは論拠を丁寧にかつ分かりやすくまとめていて、ディスカッション中も常にそれを意識していた。そのおかげで僕も色々と勉強になった部分もあったし、新しく知見を得ることができて、自分の考えをより深めることができた。

 

 

「それにしても彼方くんのレポート。面白いよね」

 

 

 梓さんは僕のカバンを一瞥すると、小首を傾げながら僕に問いかけた。

 

 

「地域ごとの様々な人間関係のヒエラルキーだっけ」

「うん……興味があってさ」

 

 

 梓さんが口にしたのは僕のレポートのテーマだ。ヒエラルキーは端的に言えばピラミッド型の階級構造を指す言葉だ。僕はそれを、特定の人間関係がどのような階級構造を為しているのかを調べることにした。

 他人、友人、恋人、兄妹。思いつく限りの人間関係を表す言葉が、それぞれ地域によってピラミッドのどこに分布しているのか。簡単に言うとそれをまとめたものが僕のレポートだ。

 

 

「私は考えたこともなかったなー」

「……まあ、取り立てて考えることではないのかな。普段の生活で誰を優先するのかなんて深く考えてないだろうし」

 

 

 それでも、僕たちは何かしら選択して人との交流を進めている。その中で、友達よりも恋人を優先することもあれば、恋人よりも友達を優先することだってあるだろう。それは様々な背後関係が複雑に混ざり合って形作られる。

 

 エントランスまで降り立つと、梓さんは「んー」と言いながら口を開いた。

 

 

「でも私だったらやっぱり、一番は恋人かなー」

 

 

 人差し指で薄くリップの塗られた唇に触れた彼女。光が反射したガラス越しに目が合った気がした。

 そこには正解も何もない。ただ、何を優先して考えるのかという自己を中心とした考えだ。

 

 

「彼方君だったら誰が一番上に来るの?」

「ん……」

 

 

 友達ならいる。それもたぶん、僕にとってかけがえのない無二の友人が。きっとこれから先、これ以上はないって思えるくらい大切な友達。少なくとも、この大学の三年間を経て僕が分かったことだ。

 恋人はいない。この大学三年間の中で、確かにそういう想いを告白されたことは何回かあった。サークル活動で知り合った人だったり、バイト関係で話すようになった人だったり。

 

 でも、僕はそのいずれの想いにも応えられない。

 だって、僕が一番大切にしているのは。

 

 

「……それは内緒かな」

「えー、ここに来てそりゃないよー。私も教えたんだしさ?」

 

 

 うりうり、と肘で軽く小突かれるのに揺られながら僕は苦笑した。

 

 ……それにしても。

 

 

「ん? どうしたの?」

「いや……」

 

 

 ふわりと香る爽やかな香水の香り。猫のようなアーモンアイが僕の視線と交わる。その距離感は僕の気のせいじゃなければ少し近い気がする。

 梓さんとの関係。遥にもこの前問われたけれど、それは別に特別なものじゃない。少なくとも、今までの梓さんのゼミでの様子を考えれば。

 

 こういう言い方をすると失礼かもしれないけれど、僕は梓さんが特定の誰かと親しくしていることころを見たことがない……ような気がする。と言うのも、彼女自身が会話の中心になって、円滑剤のような役割をしていることが多いからだ。だから誰か一人とだけ話してる、というところはあまり見ない。もちろん、だからと言って特別親しい人がいない理由にはならないけれど。

 だからこそ、僕のことも知人の一人程度としかとらえていないと思ったのだけれど……。

 

 

「……ねぇねぇ、彼方君。この後は暇?」

「……ん?」

 

 

 突然、梓さんからそんなことを訊かれる。

 今日は一日フリーだ。遥はバイトがあるらしいけれど、僕は今日のシフトはない。だから時間はあるけれど、何の用事だろうか。

 

 

「一応暇だけど……」

「じゃあさ──」

 

 

 シンプルな白シャツに黒のフレアスカート。

 夏らしい服装をたなびかせながらくるりとこちらに振り向くと、梓さんはにっこりしながら言った。

 

 

 

 

 

「私とデートしない?」

「……え?」

 

 

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

 がやがやと人騒がしい駅に降り立つ。外の広告の流れるパネルや街頭テレビを遠目に改札を出ると、むわっとした暑い空気にパタパタと胸元を扇ぐ人や日傘をさしてる人もいた。

 

 

「結構人いるねー」

「……あの。梓さん」

「ん、なあに?」

「これ、どこに向かってるの?」

 

 

 梓さんに突然デートだと言われて呆然としたのも束の間。大学の図書館のエントランス内で梓さんは僕の腕を掴むと、そのまま腕を引っ張られてバス停まで連れてこられ、駅まで来て電車に乗って、三十分ほど車両に揺られてここまで来た。

 

 

「あ、そっか! まだ言ってなかったね」

 

 

 梓さんはカバンの中からごそごそと何かを取り出すと、でん、と僕の目の前に一枚の紙きれを見せつけた。

 よく見ると、それはカラフルなチラシだった。そして一面に大きく描かれたイラストとロゴ。それは……。

 

 

「……カップル限定パンケーキ?」

「そう!」

 

 

 にっ、と笑いながらはしゃぐ梓さんは、「これ食べてみたかったんだよねー」と言いながらうっとりした目でパンケーキを眺める。

 

 女の子は甘いものに目がないというのは世間でよく言われるありきたりな言葉だけど、こうして実際目の当たりにするとは思わなかった。

 

 

「これさー、カップルじゃないと頼めないんだ」

「……そうなんだ」

 

 

 察するに、どうやらそのために僕を連れてきたらしい。もちろん、僕たちはカップルじゃないけれど。

 

 

「……梓さんはいいの?」

「んー? なにが?」

 

 

 はやく、はやく、と言いたげに身体を揺すられる。

 

 

「僕が相手役でいいの?」

 

 

 僕と梓さんは恋人関係じゃない。話すようになったのもごく最近のことだ。だから僕は、まだ彼女と親しくなったわけじゃない。

 そんなことを思う僕を、梓さんは気にしないようににっこり笑う。

 

 

「大丈夫! 彼方くんならバッチリ! それよりも、早く行こ!」

「あ……」

 

 

 グッと手を引っ張られる。思ったよりも小さな手だった。細い指が手に絡まって少しくすぐったい。

 

 ……同年代の女の子と手を繋ぐのなんていつぶりだろう。梓さんの横顔を見れば、特に何も思っていないようだった。あるいはスイーツに夢中でそんなことを考えている暇はないのか。

 

 

「……」

 

 

 ……デート、か。

 

 梓さんは冗談で言ったのだろうけれど、僕には思うところがあった。つい最近でも、全く同じ話題が出たのだから。

 

 

 

『……デートしてよ』

 

 

 

 恥ずかしさに染まる朱い頬。

 自分の気持ちを正直に話す遥。

 

 おそらくだけど、遥にとってデートというものはとても大切なことなのだと思う。結構前の話だけど、僕が茜と出かけたときも遥は僕にデートかと尋ねてきた。もう四年近く前の話だけど、今でもまだ覚えてる。あの頃、妹が話す言葉一つ一つが僕にとって貴重なものだったから。僕との関係に怯えて、遠ざけて、それでもどうしても聞かずにはいられなかったことで。

 

 そんな遥が、勇気を振り絞って言ってくれたことだったから。

 

 

「……」

 

 

 それなら僕は、その勇気に答えたい。遥が思い描くデートがどんなものかは分からないけれど、できる限り望む形で叶えたい。

 正直に言うと、僕はデートというものが深い意味を持つとは思わない。それはただの言葉遊びに過ぎなくて、形に囚われるのと同義だと思っているからだ。

 

 ……そもそも、形にこだわっていた僕が言えた義理ではないかもしれないけれど。

 

 

「……」

 

 

 過ぎ行く街並み。僕の手を引っ張る金髪の女の子。

 

 もしこれがデートというものを知るきっかけになるのなら。僕が今まで知ろうとしなかったことが、少しでも分かるのなら。

 

 僕は少しだけ、握る手に力を籠めた。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

「……結構並んでるね」

「あ、あははー……」

 

 

 引きつった笑みを浮かべながら、梓さんは乾いた声を上げる。

 早速お店まで来てみれば、長蛇とまではいかなくてもそこそこの長さの列。前の方も後ろの方も、カップルらしき男女だらけだった。

 

 

「……ごめんね、よく調べもせずに来ちゃったから」

「いや……」

 

 

 申し訳なさそうな梓さん。だけど、これは逆にいい機会かもしれない。

 

 

「梓さんって、甘いもの好きなんだ?」

「それはもちろん! 女の子なら、こういうものには食いついちゃうものなんですよ」

 

 

 人差し指を立てて自信ありげに語る彼女は、ゼミ内での彼女よりも幾分か砕けた口調だった。大人びた微笑ではなく、かすかな幼さが残る笑み。

 

 

「あ……彼方君はもしかして、甘いもの苦手だった?」

「いや、苦手じゃないから大丈夫」

「そう? なら良かった」

 

 

 ほっとして胸を撫でおろす彼女に、僕は真っ青な空を見上げた。

 

 僕は梓さんのことをよく知らない。でもそれは、そもそも僕自身の誰かを知ろうという気持ちが薄いからだ。でもそのままだと、僕はいつしか遥に対しても同じようになってしまうような気がする。知った風に気取るようなことだけは、決してしてはならない。僕が遥とのことで学んだことだ。

 

 だから。

 

 

「梓さんって普段は何して過ごしてるの?」

「……ん? 突然どうしたの?」

「こういう話、梓さんとしたことないなって思って」

「……」

 

 

 梓さんはきょとん、と面食らったように目をしばたかせてから、やにわに笑んだ。

 

 

「ちょっと意外かも」

「何が?」

「だって彼方君こそ、そういう話しないじゃん」

「僕の場合は友達がいないから──」

 

 

 そんな僕の言葉を遮るように。

 

 

 

「じゃあ、私は友達ってこと?」

 

 

 

 こてん、と首を傾げながら問われる。

 僕ははっとした。

 

 ……友達、なのだろうか。

 

 僕にとって、友達という言葉は安易に使ってはいけないものだった。僕は今まで何もかもから距離を置いてきた。そんな状況で本当に親しくなれた人はごく僅かしかいない。

 だから本当は、僕の方から友達だなんて言うのはあまりにも強欲で浅ましいことだった。でも、そんな怠惰な日々の中で最初に手を差し伸べてくれた人がいた。だから僕は今、遥と向き合うことができている。それはこの窮屈な世界の中で、天使の羽みたいにふわりと降りてきた優しさだった。

 僕はその勇気のお陰で、周りの世界を恐れずに済んでいる。

 

 ……もし許されるのなら。

 もっと、周りの世界に触れてみたいのなら。

 

 

「……梓さんもそう思ってくれたら嬉しいけど」

「……」

 

 

 梓さんに、じっと瞳を見つめられる。

 

 そこに映るのは透明な何か。けれど、無機質でも無感動でもない。玲瓏な宝石はただ真っ直ぐに僕を見ている。

 彼女はゆっくりと桜色の唇を開いた。

 

 

「……彼方君って、不思議だよね。普通はそんなことわざわざ訊かないよ?」

 

 

 確かにそうかもしれない。それでも訊いてしまうのは、言葉にしてくれないと分からないからだ。たぶんそれこそ、遥の言っていた鈍感の意味なのだろう。

 

 

「……そうかもね」

「……」

 

 

 僕には妹だけが全てで。

 でも、それだけじゃ足りないものもあると気づいて。

 

 前に進むためにはきちんと周りの世界に目を向けなきゃいけないって、やっと理解したあの頃を。僕は決して忘れてはならない。

 

 

「……やっぱり彼方君って面白いね」

「……どこが?」

「だって彼方君みたいな人、そうそういないよ?」

 

 

 ……僕みたいな人。

 それはいったい、どんな人なのだろう。

 

 僕は今までただの操り人形で、中身のない空っぽな人間だった。母さんの言葉にみっともなく縋りついて、自分が生きながらえるための糧としていた。そんな自分が、今更自分らしさを身に着けることなんてできるのだろうか。

 

 思わず思考に没入しかけたそのとき。

 

 

 

「……これはますます楽しみになってきちゃった」

「……楽しみ……?」

「ううん、こっちの話だから気にしないで!」

「それって──」

 

 

 問い返そうとすると同時に、がらんと店のドアが開く。すると中から店員が出てきて、僕たちの下までやってきた。

 ふと周りを見ると、僕たちの後ろは列が並んでいるけれど、前には誰もいなかった。僕たちは気づけば最前列まで来ていて、丁度中が空いたようだった。梓さんとの話に集中していたから、気づかなかったみたいだ。

 

 梓さんは店員に対して「はーい」と一つ返事をすると、僕の方にぱっと振り向いた。

 

 

「空いたって! ほら、早く中に入ろ!」

 

 

 店員の案内に従って中に入る彼女。

 

 ……僕からすれば梓さんの方が不思議な人間だ。今日のやり取りで、梓さんの性格が正直よく分からなくなってしまった。

 大人びた彼女と子供のような彼女。ゼミ内での彼女とプライベートの彼女。そのどちらが本当の彼女なのだろうか。

 

 そんなとりとめもないことを考えながら、僕は歩き出した。

 

 


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