妹と仲直りしたい 作:Shinsemia
最近忙しくて執筆できていませんでした。ごめんなさい……。
騒がしい店内。がやがやとした話し声とコミカルなBGM。周りを見渡せばどこもカップルらしき二人組ばかり。浮足立つような居心地の悪さをかすかに感じながらも、店員に案内された席に座った。
梓さんは「へー、こんな風になってるんだ」と言いながらゆっくりと席に座って、早速テーブルに備え付けられたメニューを手に取った。
「彼方くんは何か頼みたいものある?」
梓さんは少しだけ前のめりになりながら、向かいに座る僕の元に身体を近づけた。都会の店ということもあってか、テーブルはそれなりに小さく、思ったよりもすぐ近くに梓さんの整った顔立ちがあった。
「アイスコーヒーがいいかな」
「コーヒー好きなんだ?」
「結構好きかな」
僕がカフェでバイトを始めたのも、コーヒーが好きだったことが理由の一つとしてある。もちろん、主な理由は人との交流を増やすためでもあるのだけれど。その機会を与えてくれた店長には感謝してもしきれない。
「僕のバイト先がさ、コーヒーを売りにしてるカフェなんだ」
「へえ……そうなんだ。カフェのバイトって楽しい?」
「楽しいよ」
楽しいという気持ちはある。けれどそれだけじゃなくて、落ち着いていられる場所、というのが僕にとっての認識だ。
店主は寡黙だけれど、どこまでも穏やかで落ち着いた人だ。あの人が店主であるからか、店内もかなり落ち着いて静かな場所だ。そんな図書館にも似た雰囲気が僕は好きなのかもしれない。
雑談をしながらお互いに頼むメニューが決まって、梓さんは店員を呼んだ。
「すみませーん。アイスコーヒーと、紅茶と──」
一つずつ、梓さんは指していって、最後に。
「カップル限定パンケーキください」
メニューの表面に堂々と大きく描かれたパンケーキを指した。
店員は注文内容を繰り返し読み上げて内容を確認すると、さっさと厨房の方に向かって行った。この混雑状況だし、かなり忙しそうだ。
ざっとあたりを見渡していると、ふと梓さんが口を開いた。
「ねえねえ、彼方くん」
「ん……?」
「ちょっと訊いてもいい?」
梓さんは白く細い指で、長い金髪を耳に掛けた。
「彼方くんってさ、あんまりゼミの人と遊んだりしないよね? 男子は合コンとかやってるみたいだけど」
梓さんの言うとおり、僕と彼女の所属するゼミには、そういう催しを定期的に開催する人がいる。サークル活動でたまに見る他大学との交流というやつだ。ゼミの男子たちはみんなそういった交流活動が好きなようで、割と頻繁に開催してる。
でも、僕は一度も参加したことがなかった。人との交流を深めること自体は良いと思うけれど、それがいわゆる
僕が沈黙していると、梓さんは「もしかして──」、と一呼吸おいてから、ちらりと上目遣いにいった。
「彼女とか、いる?」
黒曜石のように深く黒い瞳。耳朶に輝く銀色のピアス。
窓ガラス越しの光に反射して眩しい。クーラーの効いた店内のせいか、はたまた別の何かか。何故か、背筋に冷たいものが走った気がした。
僕にはそう呼べるような人はいない。でも、きっとそうなることを望んでいるであろう人はいる。
それも、ずっと長い間。僕はそのことに気づかずに、幾度となく苦しめてきた。
「……いないよ」
そう。僕と遥は恋人同士じゃない。
僕たちの関係はまだ、透き通った透明のまま。でも、それでも少しずつ形を成していく。
意図せず伏せがちになった顔を上げる。
「そっかあ……いないんだ」
ほっとした表情から、ニコニコしながらどことなく不敵な笑みを浮かべる梓さんは、機嫌良さげにテーブル上のコップを手に取った。からんと氷がガラスを叩く音に、冷涼な風が頬を撫でた気がした。
「そういう梓さんはどうなの?」
「ん、私? いないよー。っていうか、今までいたこともないし」
「……そうなんだ?」
……いや、よく考えればこういうことに誘ってくる時点で恋人がいないのは当然だ。もしいるなら僕を誘うわけがない。
ただ、それを差し引いても今までもいたことがないというのは正直意外だ。彼女みたいな人なら、すぐにでも誰かと付き合うことだって可能だろう。店内にたくさんいるこのカップルたちのように。
そんな僕の言葉に梓さんは何か思うところがあるのか、口元を手で隠した。
「ふーん……なるほどね」
梓さんはつぶやくと、蛇のようにうっすらと目を細める。その目は猫というよりも、どちらかと言うと蛇のようで、思わず身がすくんだ。
「……」
……まただ。
この前スーパーで梓さんと会った時から、どうにも違和感がある。梓さんの性格自体、僕はあまり知らないのだから、どこがおかしいのかははっきりと分からないし言葉にもできないけれど……。
コップを手に取って唇を濡らす。思ったよりも喉が渇いていたようだ。喉をするりと流れる水は砂漠で乾ききった大地に染み込むようで心地いい。さっき背中を迸った緊張のような痺れは、幻のように消えた。
大学の同期で、同じゼミに所属する理知的な女性。容姿は少し派手なところもあるけれど、言葉遣いや普段の会話での整った所作は育ちの良さが感じ取れる。僕は当初、彼女がいわゆる堅い性格だと思っていた。けれど、彼女が友達とやり取りしてる様子やこうした会話の中で、意外と砕けた性格だと言うことが何となく分かってきた。
「大学に入るとさ、色々な人と知り合いになるでしょ? でも、だからこそ一人一人との関係が深まらなくなる。そうは思わない?」
梓さんの言葉は、僕が正に彼女に対して抱いていた人物像だった。一人との関係を深めていくのには何よりも時間が必要で、誰よりも深く知ろうとする気持ちが必要だ。それはまっさらな大地に植えた一本の木をゆっくりと育てていくことに等しい。その成長の仕方は個人差があるものだけれど、間違えたやり方では枯らしてしまうだけだ。それはたぶん、この世界で生きていくうえで一番難しいことで、一番大切なものだ。
梓さんは頬杖をついた手で、軽く首を傾けながら妖艶に僕を見つめた。
「自慢じゃないけど、私って結構告白とかされるんだよね。まだ知り合って全然時間も経ってないのにさ? だから正直なところ、付き合うとかそういう話って苦手意識があったんだよね」
「……」
そうだったのか。僕は全く気付かなかった。
梓さんはふっと、息を吐いて「でも──」と続けて。
「最近はそうでもないのかなって。本当にちょっとだけ、そう思えてきたかも?」
なーんてね、と言いながら、梓さんは窓の外を眺める。
外には真夏の日差しが降り注ぐ。そして、地面には道行く人々の影。寄り添う恋人たちの影は、独りのものよりも当然大きな影を形作る。僕たちが歩いていたときも、あんな風に影が伸びていたのかもしれない。
店員から運ばれてきたコーヒーと紅茶の香り。しばらくそれらを堪能しながら他愛もない雑談をしていると、件のパンケーキがやってきた。
「おー、来たね!」
「……」
梓さんは目をきらきらさせながら待ってましたと言わんばかりに手を叩く。けれど、僕はそんな反応とは対照的に思わず顔を引き攣るのを感じた。
軽く四人前分はありそうなパンケーキの枚数。タワーのように積み重なったその上には真っ白な雪を彷彿とさせるたっぷりの生クリーム。それに色とりどりのフルーツは一口サイズにカットされたものが装飾としてふんだんに飾られている。
……大きすぎないだろうか?
「ほら、彼方くんも切り分けるの手伝って!」
「え、あ……」
梓さんはテキパキと自分の分をよそってから、他のパンケーキも小分けに切り取る。手慣れた手つきだった。こういう役回りになることが多かったのかもしれない。
差し出された皿を受け取ると、ずしっとした重み。食べきれるか不安になってきた。
「じゃ、いただきまーす」
「……いただきます」
梓さんは早速一口食べると、「んー!」とほっぺたに手を当てた。味に関しては問題ないようだった。
フォークを手に取って、小さく切り取った欠片を口に含む。ふんわりとしたやわらかい舌触りと口に広がる味と香り。確かにこれなら梓さんの反応も納得がいく。
「……」
思えば、こんな風に知り合いと外食するのって、初めてだ。
高校のときも、大学に入って二年ほど時間が経っても。色々な人と知り合ったけれど、こういう風に出かけるようなことはなかった。知り合いからそれ以上の関係に至らない。僕は梓さんをそう評したけれど、それは僕にとっても当てはまることだ。
目の前にいるのはパクパクとデザートを頬張る同じゼミの女の子。人によってはデートと捉えるこのシチュエーションは、僕には経験がないもので──。
『──カナ』
……いや。
厳密には、初めてじゃない。僕が始めてそういった、いわゆる恋愛に関することを意識したのは茜だった。
高校のとき、とあることがきっかけで知り合った僕と茜。思えば、初めて茜と出かけたあの日は紛れもないデートだったのだろう。それからだんだんと、茜と過ごす時間が増えてきて……。
そして最後に、僕は彼女を傷つけた。
綺麗な涙を泣き笑いのような顔で流す茜はただ、何も言わないで、と言って僕の胸元で顔を埋めていた。甘い金木犀の香りも、肌を突き刺す外気の冷たさも、僕の罪をひたすらに責め続けていた。あのときの熱い体温も涙も。未だに胸に焼き付いて離れない。
でも彼女は、最後には笑って僕を送り出してくれた。腫れた目許なんか気にならないくらい優しく綺麗な顔で。それまでにあった沼へと引きずり込まれそうなほどの葛藤も、べったりと塗られた息をするのも苦しいくらいの罪悪感だって、彼女はその全てを許してくれた。
……でも。
「……」
また見つからない。
僕と茜を関係づける言葉が、やっぱり見つからない。友達なのか、それ以外のもっと別の何かなのか。ただ一つだけ言えるのは、きっと何にも代えられない特別な存在ということだけ。
窓ガラス越しに、日差しが照り付ける空を見上げる。透き通る青空の下には、一羽の鳥が羽ばたいている。空を悠々と駆ける姿は強かで、でもどこか切ない気持ちにさせる。
鳥はいったい、どんな気持ちで空を飛んでいるのだろう。広大な空の下で、何を探しているのだろう。目的地に向かっているのか、羽を休める場所を探しているのか。
「……彼方くん? おいしくない?」
「ん……?」
首を傾げる梓さんに、僕は意識を戻した。ケーキは一口食べただけで、あとは手つかずの状態。
「いや、ちょっと考え事してただけ」
「考え事?」
……そう、考え事だ。
何故か今になって、あのときの胸の苦しみを思い出したから。
あのときの胸を裂くような痛みを思い出したから。
ただ少しだけ、感傷に浸っていただけだ。
「ここで大丈夫だよ」
僕の住むところとは少し離れた住宅街を歩いていると、梓さんは振り返ってそう言った。
辺りはすっかり薄暗くなっている。陽の伸びた夏ではあるけれど、流石に遅くなりすぎたかもしれない。
梓さんとパンケーキを食べた後、近くの店にウインドウショッピングに行ったり街を散策したりしたからか、思ったよりも帰りが遅くなってしまった。だからこうして梓さんの家の近くまで送り届けたのだけれど……。
それでも課題はしっかりと終えたし、今日の成果としては充分だ。
「今日はありがとう。楽しかったよ、彼方くん」
にっとはにかむ梓さんの金髪が、夜風に吹かれてなびく。かすかに汗ばんでいた首元が涼しくて心地いい。
「僕も課題が捗ったから。これで心置きなく夏季休暇に入れるよ」
「……夏休みかあ。彼方くんって、確か帰省するって言ってたよね。いつから?」
「いや……それがちょっと決まってなくて」
でも、課題も終わったから決めるには良いタイミングだろう。あとで茜たちや父さんにも連絡を入れなきゃ。
「そっか。ねぇ、それならさ、予定が決まったら私にも教えてくれない?」
「ん……? どうして?」
「どうしてって、そんなの決まってるでしょ?」
闇夜に輝く梓さんの金髪は、どこか空に昇る月のように白く見えた。
「今日、彼方くんと出かけて楽しかったから。またこうしてデートしたいなあって」
「……」
鈍色に輝くピアス。街灯に照らされて輝くそれは、忘れもしない高校生の頃に見た
僕がどう答えるか迷っていると、梓さんはくすっと笑いながら口元に手を当てた。
「彼方くんって、本当に珍しいよね」
「……珍しい?」
「うん。こればっかりは、女の子目線じゃないと分からないかなあ」
梓さんは苦笑しながらそう言って、身に着けている腕時計を一瞥した。
「じゃ、私は行くね。あとで予定教えてね?」
ひらっと手を振ると、彼女はスタスタとそのまま行ってしまった。
……どうしてなんだろう。梓さんとはプライベートではほとんど接点もないし、雑談だって今日までしたことはほぼ無かった。それなのに、いきなりどこかに遊びに行こうって誘うなんて。
顔を上げると、もう既に梓さんの後ろ姿は見えなくなっていた。今日一日の梓あの様子からは、いまいちその真意を読み取ることができない。
……考えても分からないことだらけだ。僕もそろそろ帰ろう。
「……?」
ずり落ちそうになっていたカバンをもう一度肩に掛けなおすと、中から着信音が聴こえてきた。
「あ……」
入れっぱなしにしていた携帯端末の液晶画面。
そこには妹の名前が表示されていた。
ボタンを押し、端末に耳を当てた。
『……もしもし、彼方?』
電話越しに聞こえる妹の声。遥には早く帰ると出かける前に伝えておいたから、それで心配になって電話をくれたのだろう。
「ごめんね、今帰ってるところ」
『……そう。それならいいけど』
ほっと息を吐く音が聞こえる。昼間や夕方に鳴いていたセミの声もカラスの声も、今は特に聴こえない。
『晩御飯だけど、私の方で作っておいたわ』
「……そっか。任せちゃってごめんね……それと、ありがとう」
『別にいいわよ、それくらい……』
ちゃぽん、と。水の滴るお風呂の音が聴こえる。
……あれ。
「遥、今お風呂に入ってるの?」
『ええ、そうよ』
それは、なんとも珍しい。
『……お風呂に入りながら電話するのって新鮮ね。この間ゼミの人が話題にしてたのを思い出したから真似てみたの』
「へえ……」
そう言えば、お風呂に防水用の袋に入れたスマホを持参する人が結構いるのだと聞いた覚えがある。それも確か、僕がゼミで聞いた話だった。ただ、遥がそう言ったことを実践するようなタイプだと思ってなかった。
おぼろげに記憶を掘り返していると、ぬるいため息のような音が響いた。
『……ねぇ、彼方。この間私が言ったこと、覚えてる?』
「……この間?」
『買い物に行ったときのことよ』
二人で買い物に行ったあの日。珍しく遥が素直な気持ちを吐露した帰り道を思い出す。
確かあのとき、遥はデートがしたいと言っていた。でも僕はすぐに返事することができなくて、どこかギクシャクした状態になってしまった。
湯船に水滴の落ちる音をBGMに、遥は切なそうに言葉を零す。
『私、ずっと甘えてた。私がどんなワガママでも、どんなに嫉妬深くても、彼方は笑って許してくれるって』
胸をくすぐるような柔らかい響き。
『だから、その……。あのときはごめんなさい』
「あ……」
……そっか。電話してきたのはたぶん、それを言いたかったからか。僕は別に、そこまで気にしてはいなかったのだけど、遥はそうじゃなかったみたいだ。
……。
「ねえ、遥。今度の土曜のバイトの予定、どうなった?」
『あ……そう言えば話してなかったわね。休み取れたわよ』
「……そっか」
僕の行動一つひとつが、遥の気持ちを揺さぶってしまうのなら。僕はもっと、行動で気持ちを示さなくちゃいけない。
だから。
「それならさ──」