妹と仲直りしたい 作:Shinsemia
お久しぶりです。
バスから降りると、人のざわめきが一際大きくなった。揺られること数十分。一人でバスに乗るには結構長い時間に感じた。手慰みに持ってきた文庫本も開く気になれず、ぼんやりと外の景色を眺めていただけだった。
けれど、そんな退屈な時間もそろそろ終わり。
バス停に降りてしばらく歩くと、賑やかな音が聞こえて来た。不思議と懐かしささえ覚えるざわめきが、心地よく思える。
オレンジ色の西日が差し込む街路を歩く。昼間のギラギラとした太陽は、夜に向かうにつれて少しずつ穏やかになっていた。
祭囃子の音と共に温い風が頬を撫でる。普段は煩わしくさえ感じるこの空気が、今は嫌じゃない。
人の熱気や出店の外気に混じるのは、騒がしさに満ちた人の笑い声。道行く人々は色鮮やかな浴衣に身を包み、それぞれが目一杯のおしゃれをしていた。
「……」
祭りの会場近くの噴水広場まで着いた。思ったよりもたくさんの人だかりだ。理由は想像がつく。単純に待ち合わせ場所として分かりやすいからだ。
それは、僕も含めて。
腕時計に目を落とせば、待ち合わせの時間まであと十分くらい。同じ家で暮らしてるのにわざわざ待ち合わせるなんて、なんとも不思議な気分だ。
時折吹く凪の心地よさに、ゆっくりと目を瞑る。瑞々しい緑の匂いと、噴水の冷涼な水音。今年の夏は、どんな夏になるだろうか。去年や一昨年も、別に楽しくないわけじゃなかった。
ただ、今年はいつもと違う夏になる気がする。そんな予感がした。そしてそれは、きっと色々な意味で大切なもので、かけがえのないものになる。
「あ……」
カタッと、下駄が地面を叩く音が軽やかに響いた。その音はだんだんと近くなり、僕はそこにある姿がどんなもの想像しながら振り向いた。
「──お待たせ」
凛として、芯の通った声。
高くまとめられた濡羽色の髪は、素朴な簪で留められていて、細い首と真っ白なうなじが辺りの提灯の灯りで妖しく光る。
身を包む浴衣は海を彷彿とさせる深い青が基調となっていて、ところどころにあしらわれた模様が綺麗に引き立っていた。
思わず見惚れていると、不意に眉をひそめられた。
「……なんで黙ってるの?」
「あ……ごめん、遥」
ジトっとした目をしながら唇を尖らせるのは僕の双子の妹。周りの熱気に当てられたのか、かすかに上気した朱色の頬を、かすかに膨らませた。
「それで……その」
チラチラと、自分の浴衣と僕との間に視線を行き来させながら、口をごにょごにょと動かす。
こういうときに言うべき言葉くらい分かる。
「よく似合ってるよ、遥」
「……そ」
落ち着かないのか、ソワソワしながら前髪を整える遥は、普段の鋭い空気とは対照的にたおやかな雰囲気があった。
実際、妹の浴衣姿は良く似合っていた。大和撫子、という言葉当てはまるだろうか。漆黒の髪は遠目から見ても分かるくらい艶やかで綺麗だ。それに、浴衣に似合うようにセッティングされた髪型も、そんな和の雰囲気をより際立たせている。
賑やかな街道に目を向ければ、提灯の灯りでぼんやりと包まれた独特な世界が広がっている。夜なのに、まるで明るい昼間のように賑やかなこの場所に、少し浮き足立つような気がした。
「じゃあ、行こうか」
今日は
ただ、それぞれ別のルートで会場に来て待ち合わせしたいという提案があったのは意外だった。一般的な男女と同じようにデートしてみたいというのが今回の意図らしく、タイミングをずらして家を出た。
そしていま、こうして会場までついたわけだけど、遥はどこを見て回りたいだろうか。色々な出店に顔を出して回るか、どこかゆっくりできる場所でのんびりするか。色々選択肢はあるけれど、とりあえず一通り回ってみてから──。
──歩き出そうとした僕の手首に、ひんやりとした冷たい感触。僕の手首の半周分くらいを、柔らかい何かが微弱な力で包み込む。
振り向いた先には、浴衣の袖から小さく手を伸ばす遥。唇をキュッと浅く噛んで、恥ずかしそうに俯いていた。
「手……つなぎたい」
手首に密着するのは遥の手のひら。女の子らしい細い指が、柔らかい力で僕の手首を掴む。
恥ずかしそうに掠れそうな声ながらも、はっきりと気持ちを口にした遥。
昔を思い出した。あの頃の、まだ無邪気に笑っていた遥のことを。僕の手を握る遥の手は、やっぱり昔と同じく小さく感じられて、でも芯の強さも感じられる。
あの頃と現在とでは、この手を繋ぐ意味は少しだけ違う。
「あ……」
そっと力を込めて握り返す。
そうだ、これはデートだ。だったら僕は、遥のしたいこと、望むことを率先して行わなければならない。
僕はまだ、遥の想い描く未来像がうまく想像できない。どういう関係で、どういう経験を積んでいきたいのか。
僕はそれを知りたい。
「これでいいかな?」
「……」
下を向きながらも小さくコクリと頷く。
手を引くと、遥はそれに従ってついてきた。
遥の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出す。僕は覚えてないけど、遥が言うには子どもの頃に夏祭りに行ったことがあるらしい。おそらくその時も、こんな風に手を繋いで歩いたのだろう。
……
……
「こうやって遊びに出かけるのは、結構久しぶりだよね?」
「ええ……そうね」
遥の手を引きながら、人波に混ざって店を見て回る。射的屋さんには無邪気な子どもが集ってはしゃいでいて、向かいの屋台では金魚掬いに熱中する子どももいた。
祭りの雰囲気は不思議だ。ここにいる人たちはほとんど赤の他人なのに、どことなく知り合いのような雰囲気が流れる。こういう感覚は祭りならではなのだろう。
「遥はどこ行きたい?」
「どこでもいいわよ」
ぎゅっと、手を握る力が強まる。
どこでもいい、か。今日のプランは特に考えてこなかったから、助かるような困るような気持ちだ。でも、これだけの店の数だ。気になる店の一つや二つは出てくると思う。
それにしても、本当に人が多い。色々な年層の人が見受けられるけど、どちらかというと大学生くらいの人が多いような気がする。
僕たちの通う大学からは電車で二、三本ほど離れていて、それほど遠くない場所だ。だから多いのだろう。
「あっ」
あてどもなく歩いていると、小さな声を上げて遥が立ち止まった。視線の先にあるのは、小さなわたあめ屋さん。
そういえば、普段食べる機会はほとんどない。もしかしたらスーパーとかで売ってるのかもしれないけれど、屋台みたいに棒に巻き付けるタイプは無いような気がする。
「買ってくるよ」
店の前に行き、店主に一つだけ頼む。愛想よく返事したおじさんは、豪快にくるくると棒をかき回しながら、ふわふわとした白い綿を綺麗に巻き付けていく。
「はい、遥」
「……別に、欲しいなんて言ってないのに」
ぷくっと片頬を膨らませながらも、遥はわたあめを受けとった。なんとなくだけど、遥が恥ずかしがってる理由は分かる。子どもっぽく思ったからだろう。
でも、正直意外だった。普段はお菓子をほとんど食べない遥だから、出店の食べ物に興味はないのだと思っていたから。
近くの社へと立ち寄って、小休止を取ることにした。
「……じゃあ、いただきます」
じっとわたあめを凝視したあと、意を決したような心持ちで小さくかじりついた。
「……」
「どう?」
「……甘い」
ほっと一息吐きながら、言葉少なにそう語る。食べ物の感想としてはあまりにもそっけないものだけど、表情はいつもよりも穏やかだ。
「僕も一口もらっていい?」
「ええ、いいわ……よ……」
そういえば、僕は今までにわたあめを食べたことがない気がする。もしかしたらずっと前にあったのかもしれないけど、少なくとも物心ついてからはないはずだ。
「……遥?」
黙り込んだ遥は、何か迷うように僕とわたあめを交互に見つめる。
すると、意を決したような面持ちでわたあめを小さくちぎって。
「……口、開けて」
僕の口元にそっと近づけてきた。
「……こういうの、やってみたいの」
頬を赤くしながらも、僕を見る目は真っ直ぐ。浅く噛んだ唇はぷるぷると震えているけど、その言葉にブレはない。
「あ……」
パクッと遥の指先のわたあめを口で取る。
口に溶ける甘味の絹糸。口の中にじんわりと広がる甘味。
「おいしいね」
「え、ええ……」
遥はどうやら面食らった様子だった。僕が素直に応じると思っていなかったらしい。テレビや本でたまに見るけど、世の中のカップルはこんな風に食べさせ合いすることがあるらしい。遥はそれをなぞったのだろう。
「ほら、遥も」
「え、あ……」
わたあめを軽くちぎって、遥の口元に運ぶ。目をパチクリとさせると、その白い頬にゆっくりと朱が差してきた。
「わ、私は別に……」
「嫌だった?」
「……嫌、じゃないけど……」
ごにょごにょと尻すぼみになる声。遥は人目を気にしてるのだろうけど、周りを見ても特に僕たちに注目する人はいない。これだけ人が流動する環境だから、こういうことをしてもそんなに気にされずに済むだろう。
辺りをキョロキョロと見回す遥は、不安と僅かな期待が入り混じった瞳を僕に向けた。
「誰も見てないから大丈夫だよ」
「……じゃあ……」
目を瞑って小さく口を開ける遥。僕はその口に、そっとわたあめを差し込んだ。
ずっと前にもこんなことがあった気がする。あれは確か、母さんがまだ生きていた頃。僕は遥のおままごとに付き合っていて、その延長線で夕飯のときに食べさせ合いっこをした。僕たちを見る母さんや父さんの優しい眼差し。その記憶が少しずつ蘇ってくる。
遥が昔思い描いていたのはどんな風景だったのだろう。何もかもが輝いて見えた昔にはもう戻れないけれど、今この瞬間が遥にとって良いものであると僕は信じたい。
「おいしい?」
「……ええ」
頬を紅に染めながらも、和らいだ表情で言葉を紡ぐ。遥は肩にかけた小型のカバンから、紺色のハンカチを取り出して口元を拭いた。
「遥はお菓子好きなの?」
「ん……どうかしら」
普段買い物に行くときはお菓子なんて滅多に買わない。買うとしたら一口サイズのチョコレートをたまに買うくらいか。遥が言うには小説の執筆に行き詰まったときに食べるらしい。
人混みをある程度避けながら、外れの屋代付近に立ち寄る。足の階段に二人並んで腰掛けながら、ほっと一息ついた。人通りから離れたため、少し汗ばんだ肌に涼しい空気あたって気持ちいい。
小休止していると、遥が不意にポツリと呟いた。
「……彼方は変わったわよね」
「ん……」
遥が言っているのは大学に入学してからの話だろう。
「別に悪く言ってるつもりはないわ。ただ……」
「ただ?」
「……私は何か変わったのかなって。そう考えるようになってきたの」
空を見上げた遥は、輝き始めた星を眺めながらぽつりと口にした。目を細めながら眩しそうに星を見上げる横顔は、高校時代の遥を想起させた。
「……私は何か成長したところがあるのかなって……彼方を見てて最近考えてた」
「それは……」
「どうしても考えちゃうの。彼方があの日、私のことを拒まないでくれたあの日からずっと……」
──記憶が蘇る。
何度だって鮮明に思い出せる。だってあの出来事は、僕たちの人生を左右するものだったから。あのときの苦しい気持ちも、悲しい気持ちも、嬉しい気持ちも。プラスかマイナスか、なんて単純な気持ちでは言い表せないものがそこにはある。
「お互いに成長してるところはあると思うよ」
「具体的には?」
「今こうして2人並んで、こういう話をしてることとか」
「……それって答えになってないわよ」
「そうかな?」
僕はそうは思わない。遥はただ、自分で気づいていないだけだと思う。それはたぶん、お互いさまだ。
僕たちは大学に進んで、そしてこれから社会人になって働いていく。そんな未来を進む中で、僕たちはどんな関係を辿っていくのか。あるいは辿り着くのか。僕たちは期待と不安を抱きながら歩いている。
でも、それこそ。
「そうやって自問自答して、悩み続けることが成長なんじゃないかな?」
「悩み続ける……」
そう言うと、遥はわずかに目を見開いて、じっと僕を見つめた。
悩み続けることと、停滞することは同じようでいて実は違う。悩み続けたからこそ、僕はあのとき、茜に勇気をもらって遥と話をすることができた。
そう、きっかけを作ることができたんだ。
具体的な成果なんて得られなくてもいい。うまくいかないことがあってもいい。それでも、僕は大切なものを見つけられた。
遥はしばらく僕の顔を見つめたあと、ふっと微笑みながら口を開いた。
「……彼方って、たまにキザよね」
いつか茜にも、似たようなことを言われた気がする。僕は真面目に話をしているつもりなのだけれど。
「彼方にそう言われて、少し気持ちが軽くなった気がするわ」
「……そっか。それなら良かった」
いつの間にか食べ終わっていたわたあめ用の割り箸を手慰みに遊びながら、遥はゆっくりと立ち上がった。
「彼方」
「ん?」
「……ありがとう」
遥は少しだけ照れくさそうに、そっぽを向きながら呟いた。
何度悩んだっていい。不安に押し潰されそうなら話をしてくれてもいい。それが全部同じ内容だっていい。
だってそれが僕の、
……
……
「……じゃあ、帰省の日程はこんな感じでいいかな?」
「ええ」
出店を一通り見て回りながら、やっと帰省の日程の段取りをつけた僕は、早速茜に連絡を入れた。こればかりはタイミングをずらすわけにはいかないため、トークアプリでメッセージを書き込む。
茜たちには帰省のタイミングはある程度聞いているため、そこまで問題はないだろう。それに大学の夏休みはだいたい2カ月ある。予定は詰まってるわけじゃないから大丈夫だ。バイトに関してもあらかじめ相談してあるから、ある程度融通をきかせてくれる。本当に頭が上がらない。
「茜と美玖に会うの、楽しみだね」
「ええ、そうね」
食べかけのかき氷のカップを手にしながら遥は口元を綻ばせて、しっとりとした息を吐いた。昔を懐かしく思っているような、そんな実感がこもった一言だった。
出店を回りながら、彼女たちの話題で話を咲かせる。一般的にどうなのかはわからないけれど、僕にとって2人は、きっと生涯忘れない友達だ。
……友達、か。
ふと、梓さんのことが頭に浮かんだ。人のパーソナルスペースに対して丁度いい距離感を保ちながら社交的に接する彼女と、僕はここ最近でよく話すようになった。
僕にとってもそれは不快ではなくて、もしかしたら僕は心の底では彼女も友達だと思い始めている証なのかもしれない。
大人びた雰囲気の中にも、いたずらっぽさを孕んだあどけない笑みを浮かべる彼女。それは僕に対してだけでなく、ゼミの他のメンバーに対しても同じような感じだった。
だけど、彼女とレポートを一緒にやったり、外に出かけたりして交流を深めるうちに、それらとはまた別の違和感を覚えるようになった。どこか外面を作っているような、そんな雰囲気が彼女にはあった。
最も、人は誰だって作っている外面というものは持っているもので、取り立てて話題にするようなことでないのかもしれないし、そもそもこの違和感自体が的外れなものかもしれないけれど……。
「彼方?」
「……うん?」
「話聞いてた? 私、ごみを捨ててくるからちょっと待ってて」
「ああ、ごめん。わかった」
沈みかけていた思考を引っ張り上げる遥の声に、僕はなんとも気の抜けた声を出してしまった。遥は僕の様子にわずかに首をかしげるような仕草をしながら、1人でごみ捨て場の方に向かった。おそらく、ごみ捨てのついでに手を洗いにでも行ったのだろう。
喧噪の中で1人になった僕は人通りから再び外れ、祭りの様子を眺めた。キラキラと輝く明かりと、生ぬるく湿った空気。子供のころに見た夢の空間。子どもの頃から憧れていた景色が目の前にはある。
僕はあの頃、みんなが見ているものや経験することと同じものを感じたかった。けれど、友達がいなかった僕にはそういったことを体験できなかった。
別に後悔してるわけじゃない。遥とこうして夏祭りに来たからこそ味わえる祭りの雰囲気は、子どもでは得られない経験だからだ。
それなら、逆はどうだろう? 子どものときでないと得られない経験だって、きっとあるはずだ。僕にはたぶん、その空白が少し残っていて、それを新しい欠片で埋め合わせしたがっている。でも、どんな欠片もそこには当てはまらない。だってそれは、もう二度と手に入らない過去にしか存在しないものだから。
僕が友達というものに執着しているのは、そこに起因してるのかもしれない。
考え事をしていると、不意に後ろからカタッと、下駄が地面を叩く音が軽やかに響いた。いけない、ぼーっとしてたらまた遥に怒られてしまう。
振り向くとそこにはやっぱり、長い
「──こんばんは、彼方くん」