妹と仲直りしたい   作:Shinsemia

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第三話

 

 

 晩御飯の時間。リビングのテーブルの上で一人頬杖をつく。

 

 公園で遥が立ち去った後、僕はしばらく動くことができなかった。まともに話ができないかもしれない、なんてことはとっくに分かっているつもりだった。覚悟してるつもりだった。

 

 ……それなのに僕は、何もできなかった。

 

 

 

『──彼方は、何も分かってない!』

 

 

 

 遥に言われた言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。ずっと聞きたかった妹の本心は、結局分からないままだった。一つだけ確かなのは、それを話す気がないということくらい。

 

 

「……冷たく当たっている、か……」

 

 

 妹はそう言っていた。わざとなのか無意識なのか。とにかく、僕を遠ざけたがっているのは確実だろう。

 

 ……僕は、どうすればいいのだろう。

 

 

「……」

 

 

 椅子に背を預けてぼんやりと天井を眺める。

 

 幸いにも妹は、家に帰ってきてはいた。それが分かったのは、玄関に妹の革靴があったから。しかし、そのことにほっとしたのも束の間。妹の部屋のドアをノックしても全く返事がなかった。何回か呼びかけても答えてくれず、僕は一度下に降りて晩御飯の準備に取り掛かった。時間が経てば頭も冷えて、冷静に話ができると思ったから。そう考えてずっと準備をしていた。でも、それが終わったのも数十分ほど前の話だ。

 

 壁に掛かった時計をちらりと見れば、針は晩御飯の時間を過ぎている。いつもの時間になっても、妹は降りてこない。

 

 リビングを出て、再び妹の部屋の前まで向かう。トントンと階段を上る足音が小さく響く。

 上がった先は薄暗い廊下。妹の部屋からは物音ひとつしない。だけど、ドアの隙間からわずかにもれる光が、無人ではないことを証明していた。

 

 コンコン。

 

 小さいノックの音なのに、やけに響いた。

 

 

「遥、ご飯だよ」

 

 

 ……返事はない。呼びかけた声は、あっという間に静寂に飲み込まれた。間違いなく部屋にはいるはずなのだが、僕とは話もしたくないらしい。

 無視されることに慣れていたつもりだけど、あらためてこうされるとやっぱり胸が苦しくなる。赤の他人や知人程度なら、きっとこうはならない。

 

 コンコン。

 

 もう一度ノックする。さっきと同じく返事はない。

 

 

「……」

 

 

 どうしたらいいんだろう。

 何がいけないんだろう。

 

 何度考えても、それは出口のない迷路のように、同じところをぐるぐる回るだけだった。初めから正解の道など存在していないのだと、弱い自分が耳元でささやいてくる。

 

 じゃあ、このままでいいとでも? 

 

 

「……」

 

 

 ポケットの中のスマホを取り出す。電源を入れて連絡先を表示させる。探したのは妹の名前。登録してる連絡先は少なく、すぐに見つかった。

 

 ……ダメもとでメールを打ってみよう。

 

 

『せめてご飯くらいは食べてくれ』

 

 

 どんな内容を書けばいいのか、今の僕には思いつかなかった。ただ単に謝ればいいのかというと、それは違う気がした。

 

 

「……」

 

 

 薄明りのついた廊下に座り込む。ドアのすぐ隣の壁に背をあずけた。固い壁はごつごつとして背中が痛い。フローリングの床は冷たく、体から熱を奪ってくる。それでも、ここを離れるのはなんとなく嫌だった。

 

 どれくらいそうしていただろうか。何もしない時間というものはひどく長く感じるもので、実際には短かったのかもしれないし、長かったかもしれない。

 

 いずれにせよ、その静寂は一つの電子音によって破られた。

 

 

「あ……」

 

 

 僕のスマホの着信音という形で。

 

 点滅する画面に指を滑らせて内容を確認すれば、差出人は妹。ドア一枚隔てた向こう側にいる遥だった。

 

 

『いらない。こっち来ないで』

 

 

 冷たくそっけない文章が、受信ボックスに入っていた。でも、何も話ができないよりかはマシだ。無視されなかったことに、一先ずほっとした。

 会話ができる限り長く続くように、あれこれ考えながらメールを打つ。

 

 

『今日は鍋だよ?』

 

 

『いらないって言ってるでしょ』

 

 

『お腹空いてるでしょ?』

 

 

『空いてない』

 

 

 押し問答が続く。長らく空っぽだったメールの送信履歴と受信履歴は、あっという間に妹のもので埋め尽くされる。ドア一枚隔てた向こう側にいる妹。この部屋に踏み入れることは許されていない。

 でも、なんだか不思議な気分だ。こんなに近くにいるのに、こんなに遠回りしたやり方で言葉を伝え合うなんて。

 

 

「……はは」

 

 

 おかしくなって、思わず笑いがもれてしまう。

 ()()()()()()()の妹は本当に強情だ。

 

 

「……」

 

 

 ……こうなったとき? 

 

 自分で考えたことなのに、ふとした違和感があって思わずスマホに滑らせる指を止めた。

 

 これは、違和感というよりも既視感だ。

 前にも、こんなことがあったような……。

 

 

 

 ──もう、かなたなんて知らない! 

 

 

 

「……あ……」

 

 

 

 小さな妹の姿が、脳裏をよぎった。

 

 

 壁の無機質な感触を背中に感じながら記憶を掘り返す。昔、僕がこの部屋で妹と一緒に過ごした日々を。

 

 ……そうだ。あのときと同じなんだ。

 

 幼い頃、僕たちはよく喧嘩してた。妹の方が拗ねたり怒ったりして部屋の中に閉じこもって、僕はいつも部屋の外に追い出されていた。兄の威厳も何もあったもんじゃないけれど、僕たちは双子だ。どちらが年上でどちらが年下、なんていう考えがそもそも存在してなかった。

 

 途方に暮れる僕は、壁越しに妹に謝ったりなだめたりしていた。けれど、部屋の中の妹はそんな僕に反発して、言いたい放題言葉を浴びせてきた。

 

 

 

 ──うわーん! かなたが壊したー! 

 

 

 

 二人で遊んでたおもちゃを壊してしまったとき。

 

 大泣きした妹に、僕はおろおろと困惑した。外れてしまった部品を直すために接着剤を使って頑張ったのを覚えてる。

 

 

 

 ──かなたのバカー! 

 

 

 

 公園の砂場で作った城を壊したとき。

 

 思いっきりふくれっ面をした妹は、ぽかぽかと僕のことを叩いてきた。父さんが買ってくれたおやつを譲ることで許してもらったのはいい思い出だ。

 

 

 

 ──もう、かなたなんてキライ! 

 

 

 

 小さい頃は衝突することが何回もあった。 

 何回も喧嘩した。

 

 原因は色々あったし、僕が悪い場合もあれば妹が悪い場合もあった。けれど、いずれにしても顔を真っ赤にして、ボロボロと泣きながら僕を責める妹の姿に心を痛めた。

 

 

「……ん?」

 

 

 端末の画面が光って、小さな着信音が聞こえた。

 手に取って見ると、またも妹からのメール。

 

 

『なに笑ってるの?』

 

 

 ……ちゃんと聞こえてるんじゃないか。

 

 苦笑しながら簡潔なメールの文面を眺める。端的な文章は、昔と似ても似つかない。

 妹は変わった。昔みたいに明るい感じでもなければ、感情を表に出すことも少なくなった。無邪気な笑顔を最後に見たのは、本当に遠い昔のこと。

 

 スマホを床に置く。コトッと小さな音を立てた。

 深く息を吐いて口を開く。

 

 

「……懐かしいなって思ったんだ」

 

 

 今度はメールではなく、自分の言葉で。

 

 

「覚えてる? 昔は喧嘩したとき、こうやって部屋に入れてくれなかったよね」

 

 

 妹の部屋は僕もかつて使っていた部屋。おぼろげな記憶だけど、遥の隣に布団を敷いて一緒に寝ていたような気がする。

 

 

「拗ねた顔してドアを閉めてさ、わざと聞こえるように物を強く叩いたりして……」

 

 

 泣いたり、怒ったり、そして笑ったり。僕は全部覚えてる。僕にとって妹は自分の分身みたいなものだった。妹が嬉しければ僕も嬉しいし、悲しい気持ちになるのなら僕も悲しい。

 

 

「結構困ったんだよ? 寒い日でもお構いなしで……」

 

 

 部屋の中からの返事はない。今も昔もそうだった。

 

 どうやって落ち着かせるか、どうやって話を聞いてもらうか。自分なりに必死で考えて、色々試してみて。だけど、やっぱり上手くいかなくて頭を抱えた幼少期。

 

 

「……でも」

 

 

 

 ──ごめんなさい……。

 

 

 

 そう、最後には。

 遥はいつだって。

 

 

 ──ガチャっと、ドアの開く音。

 

 

 薄暗かった廊下に、開かれたドアの隙間から一筋の光が差し込む。懐かしい匂いがした。住み慣れた家で、僕がずっとそこにいた証。

 

 顔を上げればそこには──

 

 

 

「……遥」

「……」

 

 

 

 やっと、顔を見せてくれた。

 着替えていないのか、制服はそのままで胸元のリボンを外しただけだった。

 

 

「……彼方は変」

 

 

 妹は腕をさすりながら目を伏せる。怜悧な相貌はそのままに、かすかな戸惑いが含まれていた。

 

 

「……こんなに冷たくしてるのに、なんで彼方は私を嫌わないの?」

 

 

 ……なんで嫌わないの、か。

 

 冷たくされたって、無視されたって、そんなものは関係ない。だって遥は、僕のたった一人の妹。

 

 そして何よりも大切な──

 

 

 

「家族だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ずっと……兄妹で仲良く……ね……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは決して忘れられない記憶。

 

 

 白いシーツと白いベッド。

 

 危篤状態の母さん。

 弱々しく頼りない声。

 

 ほっそりとした腕を持ち上げた母さんが、青白く冷たい手で僕と妹の頬を撫でた。声を出すのさえ苦しいはずなのに、精一杯の力で母さんは気持ちを伝えてくれた。そのときの母さんの慈愛の笑みが、僕という人間の根幹をなしている。

 

 母さんが亡くなって、僕たちは人の死に触れた。物心がついたばかりだった当時の僕と妹はひどく泣いて、立ち直れないくらいの絶望に襲われた。僕と妹、父さんと母さん。四人で積み上げてきた幸せは、その日に崩れ落ちてしまった。四人で埋められていた空間から一人が欠け落ち、ぽっかりと穴が開いてしまったような感覚に襲われた。

 

 でも、そんな虚無感に襲われている暇はなかった。だって僕には妹がいたから。たった一人の妹が。僕だけが悲しみに暮れている暇はなかった。僕がそんな風に挫けてちゃいけない。

 

 だから母さんが亡くなってから、僕は必死に頑張った。できる限り家のことを手伝うようになった。慣れない手つきで包丁を使って料理を始めたり、部屋の掃除から始めたり。小さなことかもしれないけれど、僕にできることを探し始めた。

 

 今までそこにあった幸せや人、そして温もりが消える瞬間を僕は知っている。離別の時は人それぞれだ。それがたまたま、僕たちにとっては幼い頃のことだったというだけの話。僕は、精神状態の未熟な子どもだった。

 

 ……それでも。

 

 僕はそれでも、あの日に誓ったんだ。

 

 せめて、妹のそばを離れないようにしようと。妹のためにできることをしようと。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

「一緒にご飯食べたいし、学校にも行きたい。それって、そんなに変なことかな……?」

 

 

 家族は、共にいてこそ意味があるものだと思うから。それが僕なりの、家族という存在の答えだった。

 

 

「……」

 

 

 遥は一瞬、目を見開いた。でもすぐに、ばつが悪そうに顔を背ける。

 僕の言葉に思うところは色々あるのだろう。妹だって、母さんの言葉を忘れたわけじゃない。それでも、ここまで頑なに口を閉ざしている。

 

 

「……やっぱり、理由は言えない?」

「……」

 

 

 コクリと、小さく頷く。

 

 僕が公園で問いただしたこと。その答えを言う気はやっぱりないようだった。

 遥が何故、僕を避けるのか。何故、冷たく当たるのか。間違いなく理由はあるはずだけれど、これだけ訊いても答えてはくれない。

 

 

「……そっか」

 

 

 ……だめか。

 

 自分の不甲斐なさに、思わず拳を握りしめた。どうしてこうも、上手くいかないんだろう。僕はただ、昔みたいに普通に話せるようになりたいだけだった。なのに、そんな簡単なことさえ僕にはできない。

 

 ……はは。

 僕は本当に無能だ。

 

 数少ない友達からせっかく気を遣ってもらったのに、それに応えることができない。

 

 

「……一つだけ言っておくけど」

 

 

 ボソッとした声に、体が震えるのを感じた。

 

 今度は何を言われるだろう。いずれにしても、僕は怖い。このまま兄妹という関係すら消えてしまう気がして、僕は怖かった。

 

 そして遥は、いつもの凛とした口調で言った。

 

 

 

「別に、彼方のことを嫌ってるわけじゃないから」

「……え?」

 

 

 

 ……今、なんて……。

 

 予想外の言葉が出てきて、僕はわずかに顔を上げた。たった一言だけど、僕にとってはあまりにも大事なことだったから。

 僕はずっと、妹に嫌われているのだと思っていた。僕が妹のためにしてきたことは全部空回りしていて、鬱陶しがられているのだと思っていた。でももし、それが僕の勘違いなのだとしたら。

 

 遥は気まずそうに、視線をずらしながら横目で僕を見る。

 

 

「……彼方が悪いわけじゃない。これは、私の問題だから……」

「それって、どういう──」

 

 

 思わず立ち上がって、深く訊こうとした。

 けれど僕は、すぐに言葉を止めた。

 

 

「……」

 

 

 遥は震えていた。

 

 腕をさする手は強張っていて、何かに怯えるように竦んでいる。ちらりと向けられる目は、いつもの射抜くような力強さが薄れていて。何も訊かないでほしいと、懇願されているようにも思えた。

 

 その澄んだ瞳に、僕はそれ以上を訊くことを躊躇った。

 

 

「……ごめん。やっぱり、言わなくていいよ」

 

 

 ……そう、だったのか。

 僕は、嫌われているわけじゃなかったのか。

 

 それが分かり、一気に脱力した。よろけながら壁に寄りかかる。

 だったら今は、それだけでいい。本当は理由を知りたいけれど、そのせいで妹を徒に傷つけてしまうのであればやめよう。

 

 ……そっか。

 

 

 ──きゅるるぅー……。

 

 

「あっ」

 

 

 その音は僕のものではなかった。

 

 ばっと反射的に手でお腹を抑えてしまったので、自白したも同然だった。だんだん、妹の顔が赤く染まっていく。鋭利な表情には羞恥の色が浮かび、唇をぎゅっと一文字に結んで黙ってしまった。

 

 

「……はは」

 

 

 そんな妹らしくないところを見たからか、さっきまでの緊張感はふっと和らいだ。重苦しい雰囲気は一気に霧散し、涼しい空気に清々しさすら感じた。

 

 軽く笑う僕に、妹は恨みがましい目を向けてくる。

 

 

「……ご飯にしよっか」

 

 

 スマホを見れば晩御飯の時間から結構経ってしまっていた。これじゃあ、お風呂の時間もずらさなきゃいけない。でも、たまにはそれもいいかなって思った。

 

 下のリビングにはご飯の準備が整っている。今日は鍋だ。僕も妹も好んで食べる。父さんはいないけれど、決して寂しくはない。そんなことを考えて階段を降り始める。

 

 そして、手すりに手をかける寸前。

 

 

「……彼方」

「ん……?」

「その……ごめん」

 

 

 気まずそうに俯きながら腕をさする。口を開いては閉じて、言葉に迷っていたようだがやがて小さく呟いた。

 

 今日は久しぶりに、妹とこんなに話した。数日分……いや、数か月分はあるだろうか。

 何が遥の琴線に触れたのかは分からないし、根本的には何も解決してないのかもしれない。でも、妹は本心を少しでも話してくれた。それだけで、今は満足だった。

 

 

「下に行こっか」

 

 

 手すりに滑らせた手のひらは、何故か温かい気がした。

 

 

 

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