兄さえいればいい   作:ようぐそうとほうとふ

1 / 39
秘密の部屋
01.入学式の朝


 

 まずはじめに暗闇があった。

 進む方向も、天と地すらもわからない暗闇を、己の肉体の感覚のみを頼りに進む。

 どれほど歩いたのか。数歩かもしれないし、永遠だったかもしれない。ふいに光に包まれ、自分の脚が見えた。

 そこはホグワーツ城の門へ通じる橋だった。

 濃い霧のせいで、城は見えない。どこからか川のせせらぎか聞こえてくる。その音を頼りに、歩みを進める。

 暫く歩くと川の音がいよいよ大きくなって、橋の終わりが見えた。石畳のむこうに広がるのは暗緑色の草むらと、どこまでも暗い水面だった。

 水際に、真っ黒な石板が佇んでいた。

 あれを見なければ。あの碑文を読まねばならない。

 使命を果たさねば。

 それだけが、我々の…

 

 

 

 

 私は目を開けるとゆっくりベッドから起き上がり、カーテンを開けました。

 

 またあの夢です。

 何かワクワクする日の前夜は大抵こういう夢を見ます。やけに現実的で嫌な感じのする夢です。もっと子供の頃はこの夢を見るたびに泣いて起きて、ぬいぐるみを抱きしめて震えていました。

 大きくなるにつれ、ただ“また”か…と落胆するだけになりましたが、それでも無意識から零れ出た根源的恐怖からは逃げられません。

 

 ヒトの意識というものはまるで自分自身であるかのように見せかけて、時々制御を離れ、見たくもない幻想を見せます。

 霊魂の存在は遠い昔に証明されています。意識が肉体に芽生えるものだとしたら、肉体が寝ている間に見る夢とは魂が見せている光景なのでしょうか?

 

 ヒトとはつくづく不可解で不完全なものです。

 

 

 枕元の時計を確認すると、ちょうど午前七時でした。

 起きたいと思った時間に目が覚めるのは私の特技の一つです。けれども時々なんて面白みのない朝だろうとも思います。例えば冬の朝に温い布団に包まれて、何時ともわからない夢心地に浸るような事ができないわけですから。

 

 私は起き上がり、今日着る予定の服に袖を通します。

 ああ、そうでした。夢に引っ張られて嫌な気持ちになっていましたが、今日は物心ついたときからずっと楽しみにしていた日です。

 

 きちんと服を着て鏡の前に座り、小さな鈴を鳴らして空中に呼びかけました。

 

「ドビー!」

 

 するとバシッという音を立ててしもべ妖精のドビーが現れました。

 

「おはようございます、ソフィアさま」

 

 彼はマルフォイ家に代々仕えるしもべ妖精です。

 申し遅れました。

 私はマルフォイ家の第二子、ソフィア・マルフォイと申します。満11才。今年から兄に一年遅れてホグワーツに通うことになりました。

 

 ドビーは慣れた調子でクシを手に取り、私の髪をとかし、三つ編みを編み込んでくれます。彼は小さい頃からずっとこうして私の髪を編んでくれているのです。

 この髪を編む指に愛情らしきものは宿っているのでしょうか?ドビーは私にとって最も忠実なしもべとなるわけですが、彼にとってはどうだかわかりません。

 

「これからしばらくはこうして髪を結ってもらえなくなるんですね」

「ええ…ドビーめはたいへん寂しく思います」

 

 他の家族はドビーに対してこういう風に親しげに接したりしていません。通常、主人はしもべの存在を気にかけたり、ましてや感謝などしません。マグル社会における奴隷のようなものです(現在奴隷は存在していないそうなので、この喩えは伝わらないかもしれません)

 彼は家族の中で私だけが敬意を持って接しているように感じているようです。なので彼も私に時々こっそりお菓子をくれるなど、懐いているようでした。

 私が彼に優しくするのも彼が私の致命的な秘密を知っているが故ですが、彼は愚直にも私が()()()()だと信じて疑いません。だから私は彼のキラキラした瞳を見ると少しだけ自分が嫌いになります。

 

「明日から自分で編まなければいけないのですね。あなたがホグワーツに来てやってくれればいいのに」

「ドビーめも心から、ソフィアさまのおそばにいたいと願っております。……あの学校に…おお…っ……おおおおおっ…」

 

 ドビーは突然ビー玉みたいな目からぽろぽろと涙をこぼし始めました。彼は時々ひどく感傷的になるのです。こうも喚き散らされると、私も無視するわけにもいきません。

 

「どうしたんですか?」

「ソフィアさま…ドビーめはひどく心配なのです!学校でなにか、なにか起きたらと……」

「兄さんは一年通ったけど無事ですよ。確かに防衛術の先生が死んだり、色々あったみたいですけど…」

「うう…うぐ…ひぇっぐ!!そうです!そうなのです。死の危険すらあるやもしれません。ソフィアさま…ひん…どうか、どうかドビーめとお屋敷にいてください」

 

 死の危険。

 ドビーの泣く理由があまりにくだらなくて、私はどう慰めるべきか悩みました。

 

 母は寝る前には必ず私に「あなたは特別よ」と囁きました。母にとって私は特別で、大切な命だと繰り返し言って聞かすのです。

 

 でもそれがなんだというのでしょう?

 

 ある時私は小鳥を縊り殺しました。当時幼かった兄はそれを見てひどく怯えた表情をしました。ですが、私にとって命などというものは、世界を構成するシステムの代替可能なパーツに過ぎません。

 

 もちろん愛がないわけではないのです。

 むしろ私は愛に溢れています。ありとあらゆる私の知る人が死から縁遠くあるよう、日々願っています。

 

 ですが死は死でしかないのです。

 生まれた以上、生き物はみな死ぬのです。

 

 

 仕方ないので泣き止まないドビーの肩をさすりながら安心させるような口調で話しかけます。

 

「大丈夫ですよ。…ね、わかるでしょう。約束します。危険な場所にはなるべく近づきません。…それに…私は死なないって知ってるでしょう?」

 

 ドビーはどうせしばらくすれば泣き止みます。しもべ妖精の宿命といえばいいのでしょうか。彼らの種族は主人に触れられたら従属欲がみたされ、あらゆる不安や心配が消え去っていくのです。少し羨ましいですね。

 ドビーは泣くのをやめると食事の給仕に戻りました。さて、私もそろそろ行かないと。

 

 

 マルフォイ家では、家でも外でも貴族であるかのように振る舞わねばなりません。

 マグルですら空を飛ぶ時代、貴族制度とは当の昔に形骸化していると聞きます。ですが我々は魔法族にふさわしい、品格ある姿を求められているそうです。

 現に父も母もよくやっていると思います。私から見ても、二人の姿は誇り高き純血の一族にふさわしいと思います。兄はそんな父の姿を必死に真似しているようです。

 兄はあと一歩といったところでしょうか。プライドと身の丈がまだ釣り合いが取れていないようです。

 私ですか?私はそのような努力はしていません。意味がないので。

 

 

 朝食はいつもどおりでしたが、食後にたくさんの贈り物がありました。去年兄の入学のときもそうでしたので、驚きはありませんでした。

 兄、ドラコも私にプレゼントをくれました。ドラコは基本的に自分が丁重に扱われていないと気の済まない質ですが、私には譲ってくれるのです。

 なんて優しい兄なのでしょう。

 

 そう、兄にとって妹はすべてにおいて例外なのです。そうでなけれなりません。

 

「ありがとう兄さん」

 私がとびっきりの笑顔を見せると、ドラコも目を細め、とても嬉しそうに微笑みました。

 開けてみると、銀でできたネクタイピンが入っていました。蛇があしらわれていて、目には小さなルビーが埋まっています。とてもきれいで、気が利いています。私のためを思ってドラコの選んでくれたピン。それだけで天にも登りそうなほど嬉しいですね。

 

「スリザリンに入れたらいいんですが…」

「もちろん入れるさ。だってソフィアは僕の妹なんだから」

 

 ドラコ兄さんのことは大好きです。

 こんな私に対して、自然体に優しくしてくれます。

 きっと本心で私はスリザリンに入るだろうと思ってくれているのでしょう。ですが私は、スリザリンに振り分けられる自信がありません。必要も感じていません。もちろんドラコと一緒に過ごせるのは魅力ではありますが。

 

「兄さん」

「ん?」

「頭を撫でてください」

「ソフィアは甘えん坊だな」

 

 ドラコは照れつつも私の頭をなでてくれました。ドラコは私にとって唯一の兄であり、私はドラコにとって唯一の妹です。ドラコはずっと、一つしか違わないというのに、まるで蝶でも愛でるように私を愛し慈しんでくれています。

 私は物心ついた時からドラコが大好きですし、これからもそれは変わらないでしょう。

 

 何があっても。

 それが兄と妹だからです。

 

 

 さて、私達は早速ダイアゴン横丁へでかけました。今日は私がホグワーツに入学する記念すべき日です。

 大抵の生徒は列車に乗る前に、杖や教科書を買いにダイアゴン横丁に寄ります。私達も例外ではありません。

 ですが着いてそうそう、父は別行動をしようとしております。ついてくる許可を得たドラコは嬉しそうですが、私は不満でした。

 

「父上、私も一緒に行ってはいけませんか?」

「ソフィア、だめだよ。ドラコにも進級祝いを選んでやらないといけないからね」

 

 父、ルシウス・マルフォイはおおらかに微笑みます。私は少しムッとしました。けれども私がいくらゴネても連れて行ってくれないでしょう。父はドラコ以上に頑固ですから。

 

「ソフィアは私と洋服を見ましょう」

 母、ナルシッサは私の手を引いてマダム・マルキンの店へ行こうとします。けれども私はカビの生えたようなデザインの服を着る気はありません。

 父とドラコの姿が見えなくなってから、私は少し言いにくそうな雰囲気を出して話しかけました。

「…母上。私、どうしてもイタズラ専門店に行きたいです」

「え…?あんなところに…?だめよソフィア」

「お願い、母上にしか頼めないんです。だって私、学校生活を楽しくしたいんですもの!…ね、絶対悪い事には使いません。ちょっとした遊びをしてみたいんです」

 母は私に甘いです(兄にはもっと甘いですが)。さらに父を引き合いに出すとお願いを聞いてもらえるハードルはぐっと下がるのです。

 案の定母は少し悩んでから許可をくれました。

 母自身はあんなお店に入るのは嫌だということで、三十分カフェで時間を潰して待ってくれることになりました。

 

 私は父とドラコが消えた方向へ走りました。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。