隻眼の梟はダンジョンに降り立つ   作:グリル鍋

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プロローグ
第1話「運命の分岐点」


 

 

 

 『神』とは得てして理不尽な存在である。

 

 一つ次元の違う、人知を超えた『超越存在(デウスデア)』。

 元より天界に住まい、下界の人類(こども)達を娯楽の対象として見下ろしていた彼らは、人間とは根本から思考回路が異なる。

 

 歳も取らず姿も変わらない彼らは、まさにこの世の理から外れている超越者。人類(こども)を愛し下界を尊重するが、時には赤ん坊の様な純粋さを以て災害を引き起こす。常識の範疇に全く当て嵌まらない超然とした存在なのである。

 人間が泣こうが喚こうが、神々はそれを単なるゲームの一場面として捉え、嘲笑を以て賑やかす。

 

 所詮全ては神が用意した、壮大にして滑稽な舞台に過ぎない。人類は頭上から糸を垂らされ、舞台裏で囁かれ、戯曲を書き換えられ、宿命を左右されてしまう。見えない神意に導かれてしまう。全ての背後には、神々が厳然と存在するのだ。

 

 

 

 ——ならば、()()も神が裏で糸を引くことによって定められた運命なのだろう。

 

 

 

 あるところに、一人の女がいた。

 この世に生まれ間違えた、一人の女がいた。

 彼女は世界を憎んでいた。

 彼女は歪なこの世を憂いていた。

 彼女は腐りきった運命に抗おうとした。

 

 彼女は——志半ばで力尽きた。

 とある青年に全てを託し、この世を去った。

 

 去った筈だった。

 

 きっと、神々は物足りなかったのだろう。

 彼女が辿る筈だった劇的な人生——()()()()手に汗を握り心が躍るような、数奇な運命の行く末を見守りたかったのだろう。

 だが、彼女は敢え無く途中退場してしまった。

 壮大な最期(ラスト)は無く、無味乾燥な結果に終わった。

 

 だから、神々は()()()()()()()()()()()()

 本来の戯曲に手を加え、あるべき運命を歪め、自らの神意の赴くままに物語の結末を操った。

 全ては『娯楽』のために、一人の女の宿命を左右したのだ。——これが『超越存在(デウスデア)』。彼ら神々にとってはとりとめのない日常なのである。

 

 ——そうして、彼女は再びこの世に降り立つ。

 神々に踊らされた一つの傀儡として、彼女は再び世界に抗う役目を担わされた。

 

 その神意に従うも従わないも、全ては彼女次第。

 これは、語り継がれることのない物語。

 密かに存在した、一つの神聖譚(オラトリア)

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ——瞼が重い。

 最初に頭に思い浮かんだ言葉はそれだった。

 闇に沈んでいた意識が覚醒し、体が活動を再開し始める。自身の五感が働き、感覚を取り戻し始める。

 そのまま瞼を開けて視界を確認しようとするが、上手くいかない。眼球に隔てられた肉の扉ごときが重い筈もないが、何故か目を開けることができない。

 

 ならば手足を動かそうと試みるが——これも立ちゆかない。まるで鉛を取り付けられているかのように、手足が重たいのだ。そして同時に、微かに痙攣しているのを感じる。まるで死に際の昆虫のように、力無く震えている。

 

 何故、と疑問が浮かび上がる。

 そう言えば、呼吸も苦しい。いつものように深く息を吸い込むことができない。ヒュッという、自身の短く儚い呼吸音がかろうじて聞き取れる。虫の息という表現がまさに適切であるように思えた。

 

「——おい! あそこに誰かいるぞ!」

 

 誰かの声が聞こえた。

 声を聞き取るぐらいのことはできるらしい。

 耳鳴りが酷く、甚だしい耳閉感が今も自分を襲っているが、何とかかろうじて音を拾い上げた。

 

「おい、大丈夫か!!?」

 

 こちらに近づいて来る、複数の気配を感じる。

 バタバタと慌ただしく足音を踏み鳴らしながら、誰とも知れぬ者達が必死に呼びかけてくる。

 

「酷イ怪我ダ……!! 人間共ニヤラレタノカ……!? ダガ、マダカロウジテ息ガアルゾ!」

「ああ、分かってる! レイ、今すぐ皆を集めてくれ! 『隠れ里』に連れて帰って治療をしねーと!」

「分かりましタ!」

 

 何者かが己の身体を抱き寄せる。

 どうやら自分は誰かの太い両腕に抱きかかえられたらしい。死にかけの自分を慮る余裕が無いのか、随分と忙しない動きだった。

 

「グロスはフェルズを呼んでくれ! こんな深い怪我を直せる回復薬(ポーション)なんてオレっち達は持ってない! フェルズの魔法じゃないと無理だ!」

 

 騒がしい話し声。

 焦燥感に包まれた大きな声が、やけに耳の奥で響いている。だが、それも一瞬の間だけ。徐々に耳の機能は失われていき、彼等の声が薄れていく。

 

「くそっ……! 間に合ってくれよ……!!」

 

 一体何と言っているのか。こんな至近距離に居てもなお、やはり彼等の言葉は聞こえてこない。それほどまでに体力が失われているのか。腕はダラリと力無く垂れ下がり、段々と呼吸も止まっていく。

 

 先程意識が戻ったのも束の間、というやつだ。

 せっかく覚醒した五感も、全てが嘘のように失われていく。コップから零れ落ちるミルクのように、手で掬い上げることもままならない。まさに風前の灯火。いつ命が消えてもおかしくない。

 

 どうでもいいか——と、考えるのをやめる。

 どうやら思考力も消えていってるらしい。様々な疑問が頭に浮かんでいた気がしたが、それら全てを放り投げて意識の沈下に身を委ねる。

 目が開けられないのは、例えようのない強烈な睡魔があるからだ。体の部位一つとっても動かしたくないほど眠たい。瞼さえ開けない。

 

 このまま、ドロリと意識が溶け落ちて——。

 

 再び、闇に沈んだ。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 とある青年がいた。

 名を″ササキハイセ″——否、″カネキケン″と言う。

 人間の身から喰種に堕ち、周囲の思惑に巻き込まれ続けた悲劇の青年。弱さを捨て、喰種としての本質を受け入れ、冷酷な強さを得た。

 

 そんな彼に自分は——エトは、全てを託した。

 己の半生をかけた悲願、喰種達の希望、世界の行く末、その他全てを″カネキケン″に託した。

 彼には自罰的で己を顧みない弱さがあるが、有馬貴将との戦いでそれを克服した。死人だった青年は死神を超えたのだ。恐らくは彼ならば、いびつの根源を破壊してくれるだろうと願って。

 

『世界は卵のようなもの』

『何かを生み出すには、目前の世界を破壊しなければねらない』

 

 確か、エトはそんな言葉を彼に言い放った。

 『卵は世界だ』とは、誰の言葉だったか。

 世界に抗うというのは、文字通り世界を破壊することだ。世界の均衡の天秤を水平に戻すために『歪んだ鳥籠』を壊す——そして、それには相応の力が必要なのだ。

 

 彼は有馬貴将を殺し、この世で最も力を持った喰種となった。玉座に座るべき新たな″隻眼の王″として、彼にはその資格が与えられた。充分な理由が与えられた。——全ての喰種達の希望を背負った。

 

『座すも壊すも君次第だ』

『やるか、やらないか、選べ』

 

 それは半ば一方的な押し付けだった。

 あの状況で彼が玉座に座らない選択肢は無い。強引に意見を通すエトに対し、彼は「乱暴」という言葉さえ使ったのだ。思わず苦笑が漏れてしまう。

 

 とにもかくにも、″カネキケン″が作り上げる新たな世界を——見守るとまではいかなくとも、地獄から見上げるぐらいのことはできるだろう。先立った先輩を安心させるために、青年にはぜひとも頑張って貰いたいものである。

 ……ついでにあの″薄ら笑いのピエロ(旧田 ニ福)″を殺しておいてくれるとありがたい。奴が地獄に落ちて来た時には大いに嗤ってやろう。

 

 エトはそう思った。

 そんな夢を見た。

 

 ——もうすぐ、夢は醒める。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ゆっくりと瞼を開ける。

 今度は別段重くなかった。元々肉の皮一枚動かす程度に苦心することは有り得ない筈だが。

 視界は霧がかかったようにボヤけている。どこからか発せられる光に照らされながら、徐々に視界が鮮明になっていく。

 

「ん…………」

 

 深く息を吐きながら、身体を起こした。

 自分の半身には、薄い掛け布団のような物がかかっている。いくつかの布で繋ぎ合わせているようだ。繋ぎ目は粗く、少々雑な作りではあるが。

 

 下半身には冷たく硬い感触が伝わってくる。フッと視線を下に落としてみると、目に入るのはゴツゴツとした岩肌。自分と地面の間には何も敷かれていない。どうやら自分は地べたに直接寝かされていたらしい。

 そういえば枕も無い。あるのは申し訳程度の薄い掛け布団のみ。物資に恵まれていない劣悪な環境なのか何なのか、とにかく異常な状況に感じる。

 

「…………?」

 

 ——イマイチ、頭が覚醒しきっていない。

 寝覚めが悪い。未だにうつろな意識のままだ。低血圧な人間は寝起きが悪いというが、自分はその類に含まれない筈。欠伸は出ない。眠気を引きずっている、というわけではないようだが。

 

 そんな事を考えながら、周りを見渡そうとする。

 そこで——はたと気づく。

 ()()()()()()()()に。

 

「……………………」

 

 自身の手や腕を視界に映す。

 傷一つない綺麗な肌。血の塊のようなものこそ付着しているが、痛む箇所は無い。本当に、傷が一つも無い。

 次に、パラリと下半身にかかっている布をめくる。

 足がある。これもまた傷一つなく、しかし多数の血が乾いた跡が見られる。

 改めて思い直す。呼吸もしやすいし、体も軽い。疲労も全くと言っていいほど感じない。

 

 こんなことは、おかしい。

 同時に強烈な疑問が湧いて出た。

 

 何故自分は五体満足でいるのか。あの旧田とかいうピエロ野郎にいいようにやられ、再生が追いつかないほど体にダメージを与えられた。両足は吹っ飛び、片方の羽赫ももがれていた。まさに虫の息だった筈だ。

 

「——ここは、どこだ?」

 

 あの後、自分は一体どうなったのか。あのまま死に果てると思っていたが、今自分は生きている。まさか、あの状況で何者かに命を繋がれたのか。

 

 急激に意識が覚醒し始める。

 目を大きく見開き、バッと周囲を見渡した。

 

 

 

『キュー!』

「…………兎?」

 

 側には、一匹の兎がいた。

 だぼだぼの青い衣服に身を包み、首には懐中時計を吊り下げている。赤色のつぶらな瞳がこちらを見つめており、目が合うと長い耳がピンと立ち上がる。

 

 ——()()()()()()()()()()()()()その兎は、まさしく小動物のような甲高い声で鳴いたかと思うと、シュバッと身を翻してどこかへ走り去って行った。

 その後ろ姿を、ポツンと目で追う。

 

「……兎が二本足で立ってる、だと」

 

 どこか気の抜けた呟きが口から漏れ出た。

 唖然とした表情を浮かべながら、先程まで兎が立っていた場所を見つめる。

 何だ今のは。何の冗談だ。

 夢か、夢なのか? 死に際に脳が見せた幻覚か?

 ギュッと頬を指先で摘み、力を込める。

 痛みはある——夢じゃない。

 

「……んんん?」

 

 盛大に眉を顰め、怪訝な表情を浮かべる。

 まだ頭が寝てるのだろうか。状況が理解できないまま、周囲をクルリと見渡す。

 

 場所は、まるで鍾乳洞のようなところ。

 どこかの洞窟の中なのか、いやに広い空間だ。辺りには懐中電灯のような見た目の光源が複数個置かれており、この空間内を淡く照らしている。

 特に目を引くのは——神秘的な光を放つ石英(クオーツ)の塊。エメラルドを連想させる濃緑の石英(クオーツ)がいたるところに置かれていた。

 それぞれの濃緑水晶がうっすらとした光を放つ光景は、どこか幻想的な情緒に包まれるほどの。

 

 思わず目を奪われる。

 思考を忘れ、視界に広がる風景に惹き付けられる。

 

 

 ——そんな時に、野太い声が響き渡った。

 

「おお! 目が覚めたか!」

 

 バタバタと慌ただしい足音が聞こえて来る。

 ボンヤリと聞き覚えのある声音に反応し、半ば反射的にそちらの方をバッと振り向いた。

 

「意識が戻って何よりだ、同胞!」

「リド、コイツハ目ガ覚メタバカリナンダ。モウ少シ静カニシロ」

「……言ってモ聞かないでしょウ」

 

 こちらに向かってやって来た、三体の()()

 二本足で立つ大きな人型の蜥蜴。人にあるまじき羽を有する、人の体をした美しい鳥。そして、まさしく石でできた体躯の竜らしき人型。

 蜥蜴人(リザードマン)と、歌人鳥(セイレーン)と、石竜(ガーゴイル)

 ファンタジー作品に登場するような、怪物の姿形を成している生き物達。喰種とはまた違う人外の存在。なおかつ人語を話しているという、強烈な違和感。

 

「…………あー」

 

 そして、彼等のそばには先程の兎が。

 自分が目覚めたことを彼等に知らせに行ったのか。

 己を見つめる四匹の怪物(モンスター)達に対し、それぞれ視線を投げかけて——脱力する。

 力無く口角を上げ、苦笑を浮かべる。

 

「……何じゃこりゃ」

 

 今度こそ()()は、自分の目を疑った。

 

 

 

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