隻眼の梟はダンジョンに降り立つ   作:グリル鍋

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第3話「不相応な温もり」

 

 

 

 

「——私は本来死ぬ筈だった」

 

 ふと上を仰ぎ見て呟くエト。

 『異端児(ゼノス)の隠れ里』の一角である広間(ルーム)の天井には、無機質な黒岩の光景が広がっている。魔石灯や石英(クオーツ)の明かりは届かず、天井部一帯が薄闇に包まれていた。

 

「ところが、私は今こうして生きている。何故か異なる世界に降り立ったことで。運が良いのか悪いのか……

「……恐らくは神の仕業だろう。考えても仕方のないこと、理解が及ばない領域だ。天災に巻き込まれたと諦めた方がいい」

 

 おどけた風に苦笑を浮かべるエトに対し、フェルズは溜息を吐きながら疲れ切った声音で答えた。

 神の御業(みわざ)

 『超越存在(デウスデア)』による気まぐれ。

 下界に蔓延る人類(こども達)を見下ろしていた天上の住人により、エトの運命はいたずらに歪められた。下界の理を超越した神々の手にかかれば、人一人の宿命を左右することなど造作もないことなのだ。

 

 神が為すことの理不尽さを誰よりも知っている賢者(フェルズ)は、嘆息混じりにエトを慮る。新たに生まれた神々の被害者の一人として、フェルズの胸には同情の気持ちが芽生えていた。

 

「目を覚ましてみれば、怪物(モンスター)だの魔法だの……まるで悪い夢を見ているかのようだった。死んでもなお世界は『喰種』に手酷い仕打ちを与えるのか、と」

 

 自嘲を混じえながらエトはそう言う。

 そんな彼女の言葉の中で、ある一つの点にフェルズはピクリと反応した。黒衣をはためかせ、慎重な声音で再度エトに向き直る。

 

「……その、『喰種』というのは? 君の種族の名前か何かなのか?」

 

 先程エトが見せた、()()()()()

 ビキビキと目の周りに血管が浮かび上がり、赫々とした瞳を曝け出していた。常人がそれを目の当たりにすれば、生理的嫌悪や本能的恐怖を引き起こすだろう。

 リド達とは違い人間の見た目をしていたエトの、人外の部分。人ならざる怪物の側面であった。

 

「君が元いた世界にも、怪物(モンスター)が居たのか?」

「ハハ、怪物(モンスター)か……いや、似たようなものかね。人間側からすれば、私達喰種も立派な怪物(モンスター)に部類するのか」

 

 そう言ってエトは、フェルズに視線を向ける。

 ()()()鋭く攻撃的な眼差しを向ける。自分が人類に仇なす存在であると、目の前の人物に知らしめる。

 

「——人を喰らう生き物だよ。人を喰らうことでしか生きられない欠陥品……この世に生まれ間違えた、孤独な存在だ。笑えるだろう?

「…………笑えないさ」

 

 自嘲的に語りかけるエトとは対照的に、フェルズは重苦しい語調でそう答えた。

 ——愚者(フェルズ)は知っている。

 地上に出たい。人間達と手を取り合いたい。

 そんな、純粋かつ強烈な憧憬を抱いている|()()()()()()()()()()()彼ら(リド達)が一番》》彼ら(リド達)が一番》》、自分達が怪物(モンスター)であることに悲痛さを覚えていることを。

 人からも同族からも嫌われる自分達に対し、諦めにも似た悲嘆に暮れていることを。

 知っているが故に、フェルズはエトを取り巻く境遇を決して笑えなかった。

 

「……君は、これからどうするんだ?」

()()()()()、だって?」

 

 そう問いかけてきたフェルズの顔をエトは覗き込む。口元を緩め、しかし儚い眼差しを向けて。

 

()()()()()()()なんて、それを一番望んでいないのは君なんじゃないのかい?」

「…………そんなことは」

「警戒心はもっと上手く隠した方がいい。私という存在に対して懸念を抱いているのが丸分かりだ。ま、無理もないがネ

 

 エトの言う通り——フェルズは懸念を抱いている。

 突如として迷宮に降り立った異界の存在。

 ウラノスでさえ見通せない『異常事態(イレギュラー)』。

 来る筈ではなかった一人の異邦人により、オラリオの秩序に影響が及ぶことを不安視しているのだ。長い年月の間、ダンジョンや都市の大勢が誤った方向へ向かわぬよう目を光らせてきた賢者として、当然の考えではあるのだが。

 

 エトに図星を突かれる形になったフェルズは、何も返すことができずに口を噤んでしまう。

 

「——ハハ、困らせたかな。だが安心してくれ、君の考えは何一つ間違っちゃいないんだから」

 

 そんなフェルズの反応を見かねたエトは、語調を冗談めかして笑い飛ばす。賢者として『異常事態(イレギュラー)』を見過ごせないフェルズの判断を、当然の事であると本人自身が認める。

 

「世界から排斥されるなんて、今に始まったことじゃない。慣れているさ」

「……君は」

「おっと、哀れみなんてよしてくれよ? ……今は″うら悲しい″も″腹立たしい″もない」

 

 フッと目線をフェルズから外し、虚空を見つめながらエトは自身の心情を語る。

 

「——ただただ困惑している。……()()()()()、なんてものは存在しないよ。…………」

 

 すまないね——と、か細い声で呟くエト。

 そう言う彼女の瞳からは覇気を感じなかった。重々しく開かれた瞼に、諦念に満ちた声音。この世に何の未練も無いかのように、くたびれた様相を晒していた。

 

 エトは一度、確かに死んだ身。

 生きる存在理由であった悲願、野望を他者に託し、全てを悟って死を受け入れた。

 ——己を繋ぎ止めていた鎖は、もう無い。

 彼女はどうしようもなく、ただ死を待つのみだった。

 

「……『カラッポ』だ。今更生を与えられようが、足掻く気力すら湧かない」

「————」

 

 力無く呟くエト。

 そんな彼女の姿を見たフェルズの胸には、一体どういう想いがよぎっただろうか。

 

 『賢者の石』を憎き主神に砕かれた後妄執に取り付かれ、不死の秘法を編み出したいつかの愚者(じぶん)。全身の肉や皮が腐り落ち、心身共に生きる亡霊となった賢者の成れの果て。ウラノスに拾われるまで、まさに死んだように生きていたフェルズ。

 そして、生きる理由を失ったエト。残酷にも神に己の運命を歪められ、文字通り抜け殻と成り果てた彼女。

 

 似ていた。ともすれば同じだった。

 彼女の瞳——気力や生気が宿っていない死人の目。

 今や肉体を失い、涙を流す瞳さえ持たないフェルズではあるが、彼にも″心″は存在する。数百年前の自分の心は確かに死んでいたのだ。

 ならば、彼と彼女の一体何が違うものか。

 

「……君の」

「……?」

「君の名前を、聞かせて欲しい」

 

 フェルズは名前を尋ねる。

 『賢者(フェルズ)』は彼女に歩み寄る。

 『異常事態(イレギュラー)』——未知なる存在として警戒していた心は、徐々に霧散していく。

 エトに対してシンパシーを感じたフェルズは、目の前の抜け殻と成り果てた孤独な人物に手を差し伸べるのだ。かつて『異端児(ゼノス)』に手を差し伸べたように。

 

 ——その選択は、ともすれば大いに()()で。

 『愚者(フェルズ)』は、判断を違えた。

 

「…………エト」

 

 そんな『愚者(フェルズ)』の姿を、彼女は眩しそうに見上げて答える。こちらに歩み寄ってくる黒衣の魔術士(メイガス)に対し、冷笑にも似た微笑を浮かべた。

 

「エト、ここは『ダンジョン』だ」

「……ダンジョン?」

「ああ。君が今いる場所は、血肉を貪る凶暴な怪物(モンスター)達が大量に蔓延る地下迷宮だ」

 

 そう言うと、続け様にフェルズは上を指さす。

 

「そしてダンジョンの真上には『迷宮都市(オラリオ)』がある。数多の神々や屈強な眷属達が揃っている、まさしく世界の中心だ」

 

 ——迷宮都市(オラリオ)には何でもある。

 世界の誰かはそう言った。

 富や名声、そして『未知』が眠る魅惑の地。

 欲や『未知』に取り付かれた冒険者達や、娯楽を追い求める神々が集うこの世の中心。

 多くの者達の運命が、この場所で交錯するのだ。

 

「——生き飽きるのに事足り無い、賑やかな場所さ」

 

 フェルズは語る。

 この都市で紡がれてきた歴史を、神聖譚(オラトリア)を。

 それは、オラリオを取り巻く世界の情勢全て。耳にした者達が各々の憧憬を胸に抱き、オラリオに集うような眩い英雄譚。人類(子供達)の胸を等しく躍らせる物語を。

 孤独な異邦人に、彼は語り明かした。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

『リド達には、君のことに関しては深く伝えないでおくつもりだ。君もそうしてくれ。彼らに余計な混乱を与えたくないからね』

 

 エトは、少し前の会話を思い返す。

 濃緑の石英(クオーツ)に囲まれた通路を歩きながら。

 向かう先はリド達『異端児(ゼノス)』が待機している広間(ルーム)。リドやレイの他にも理知を備えるモンスターが何体か保護されているらしい。

 

『君は——この世界で言うところの、異端児(ゼノス)に類する立場にあるのだろう。人間や凶悪なモンスターとも違う、極めて特殊な存在だ』

 

 フェルズはエトを『異端児(ゼノス)』であると分類した。

 ダンジョンに産まれ落ちた新たな『同胞』として、リド達が織り成す共同体に加えられる事になった。

 

「(まあ、考えてみれば当然の話か)」

 

 顎に手を添えてエトは思考する。

 自分を異端児(ゼノス)の一員としたフェルズの計らい。懸念要素であるエトという存在を管理しやすくするために、リド達に自分を監視をさせる目的か。

 結局のところ、あの黒衣の魔術士(メイガス)はエトに歩み寄る姿勢を見せておきながら、依然としてエトのことを信用しきってはいないのだ。

 

 ——と、エトは推察する。

 言うまでもない事だが、彼女はフェルズを信用していない。先程の話では、彼は数百年の時を生きてきたと言う。そんな『賢者』がエトのような不安要素に対して、簡単に心を開く筈がないと考えている。

 

 多少の歩み寄りはあったと言えども、唯一エトの素性を知るフェルズが彼女の存在を不安視しないわけがないのだ。どうあっても彼女は、突然ダンジョンに舞い降りた一つの『異常事態(イレギュラー)』に過ぎないのだから。

 

 それに——エトの素性を知る者と言えば、フェルズの他にもう一人いる。

 

『私はウラノスに君のことを報告しに行く。直ぐに立ち去る無礼を許してくれ。今、我々ギルドには落ち着く時間が残されていないんだ』

 

 そう言ってフェルズは迷宮から去っていった。

 彼が仕える主人の元へ向かったのだ。

 オラリオの創設神であり、ギルドの真の王。

 ダンジョンを管理する、ウラノスという大神に。

 

 フェルズから()()()()()()——神々と眷属の関係やオラリオの情勢を聞いたおかげで、自身を取り巻く環境は大体把握できた。

 ウラノスこそが、フェルズ以上に信用できない者であることは確かだろう。

 

「(それにしても……ダンジョンだのモンスターだの、とんだ世界に来ちまったもんだ。ファンタジーものはあまり好かんのだが)」

 

 エトは大きな溜息を吐く。

 ふざけたピエロ野郎に重傷を負わされ、自分の悪運もここまでかと完全に諦めていた。

 それが——神による介入?

 超越存在(デウスデア)に運命を歪められた?

 反吐が出るほどの嫌悪感が、彼女を襲う。

 

 エトは、支配されることを激しく嫌う。

 自身の生き死にを管理されることを極端に憎む。

 故に、世界を自分の所有物だと勘違いしている連中を相手に、エトは人生を懸けて戦ってきた。

 いつだってエトは()()()()()()()()()

 

 そもそも、彼女にこの世界を生きる理由はない。

 神々の悪ふざけに付き合う義理はないのだ。

 

「(……けれど、命を救われたのは事実。蜥蜴クン達に義理立てしないわけにもいかないか。……)」

 

 せめて迷惑はかけないようにしよう、と思い直す。

 フェルズに言った通り、今更生を与えられたところで()()()()するつもりはない。彼ら(ゼノス達)が今まで築き上げてきたものを崩す理由はないのだ。

 

 

 

 ——そう考えていた最中に、目的地に到着する。

 リド達を含めた異端児(ゼノス)達が待機している、『隠れ里』の広間(ルーム)の一角。魔石灯や石英(クオーツ)が照らす淡い光に包まれた広い洞窟だ。

 

 広間(ルーム)の入り口を通り抜けたエトの視界に入ってきたのは、多数のモンスター達の姿。

 半人半鳥(ハーピィ)赤帽子(レッドキャップ)に、半人半蛇(ラミア)人蜘蛛(アラクネ)。他にも様々な種類のモンスターが存在しており、その総数は二十体ほど。

 あれらは全て『異端児(ゼノス)』であり、獰猛な殺意と醜悪な様相で人を襲うモンスターではない。

 そう分かってはいるのだが、彼らの姿を目の当たりにしたエトは、ふと目を細める。

 

「……慣れんなーやっぱ」

 

 すると、エトの姿に数体の異端児(ゼノス)が気づいた。

 その内の一体はリドだ。蜥蜴人(リザードマン)の大きな体躯を揺らしながら、こちらに駆け寄ってくる。

 

「! もう歩き回って大丈夫なのか、安心したぜ! フェルズとの話は終わったのか?」

「ああ、こうやって歩き回れるくらいには落ち着いたよ。いらん心配をかけて悪かった。彼はウラノスの所へ戻ると言ってたかな」

 

 話し声を聞きつけ、他の異端児(ゼノス)達も集まってくる。

 

「わあ……! リド達の言う通り、本当に人間にしか見えないですね……!」

「モンスターとは思えないほどお綺麗な方だ……」

 

 半人半鳥(ハーピィ)赤帽子(レッドキャップ)と、続々と駆け寄ってくる異端児(ゼノス)達に囲まれるエトは、苦笑いを抑えながら彼らに応える。

 見たことも聞いたこともない空想の怪物達。

 いくらフェルズと話してこの世界の事を把握したとはいえ、『怪物(モンスター)』との邂逅はやはり神経が削がれる。気が弱ければ卒倒してしまうくらいに。

 

「——落ち着いたようデ何よりです」

「! 君は……確かレイだったか?」

 

 そんな中、金翼の歌人鳥(セイレーン)が近寄ってくる。

 先程は状況が状況なだけに言葉さえ交わせなかったが、比較的マシな面持ちで現れたエトを見たレイは、ホッとしたように頬を緩めていた。

 

「まずは改めて——初めましテ、新たな『同胞』。ここで貴方ヲ虐げる者ハいませン。私達ハ貴方ヲ歓迎します」

 

 穏やかに細められる青色の双眸。

 その瞳に込められているのは、レイが持つ確かな暖かさ。傷付き冷えた同胞を温め癒すように、彼女は自身の羽根の手を差し出した。

 

「名前ヲ聞かせてもらっても、いいですカ?」

「…………ああ、私はエトだ。気軽に呼んでくれ」

 

 姓は名乗らない。名乗る必要もない。

 先程黒衣の魔術士(メイガス)に伝えたように、エトは自身の名である二文字を短く答えた。

 

 やがて、全ての異端児(ゼノス)達がエトのもとへ集まる。

 新たな『同胞』の誕生を歓迎するように、皆が柔らかな物腰でエトと挨拶を交わしていく。ここにやってきた以上、自分達を脅かす存在は何も無いのだと安心させるように、彼らは朗らかな笑みでエトを迎え入れた。

 

 喰種にも優しい温かな環境。

 なるほど別世界であると、エトは確信した。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「フェルズから君達…………あぁいや、私達のことについて話を聞いたよ」

 

 ひとしきり異端児(ゼノス)達と挨拶を交わした後。

 エトは彼ら集団から少し離れた場所に移動し、黒い岩盤に腰を下ろしていた。

 

「理知を備えるモンスター。前世から抱き続けている、地上や人間への強烈な憧憬。ダンジョンに突如として産まれた甚だしい『異常事態(イレギュラー)』。——それが私達『異端児(ゼノス)』であると」

 

 隣に座るのはリドだ。

 大きく頑強な体躯を器用に丸めて座る姿は、醜悪な怪物の様相からかけ離れていて、どこか可笑しくもある。並んで座ると二人の体格差が如実に表れていた。

 

「ああ、オレっち達は『異端児(ゼノス)』って言うんだ。皆、共通の目的のもとで一緒に行動してる『同胞』だよ」

 

 楽しげに談笑している異端児(ゼノス)達の姿。

 ほのぼのとした光景が視線の先で広がっている中、それを微笑ましそうに見つめながらリドは言う。

 

「前世、なんて概念が存在するのは驚きだね。もはや何を見せられても聞かされても驚く気は無かったケド」

「まあ、言うほどハッキリ覚えてるわけじゃないんだけどな。前世の記憶と言うよりかは『夢』ぐらいの感覚だ。エトも似たような感覚がある筈だぜ?」

 

 ″夢″——当然、エトにはそんなものは無い。

 ダンジョンから地上に出た際に見る夕日の景色も、人類への羨望や憧れも、彼女は持たない。彼女は異端児(ゼノス)でもなければ純心な喰種でもないのだ。

 だが、それらを口には出さずにエトは鷹揚に頷く。

 

「エトは異端児(ゼノス)の中でも特に人語を喋るのが上手いみたいだしよ……オレっち達以上に『夢』の影響が強く出てるんだと思うぜ」

「まあ……そんなもんかね」

「おう、そんなもんだよ。お前は前に人のことをよく見てたってことさ」

 

 確かに人の観察はよくしていた方か、とエトは心の中で得心する。作家としてあらゆる状況でネタを探さなければならない以上、取材という名の人物分析は常日頃から行っていた事ではある。

 

 ——それにしても、とエトは思う。

 怪物(モンスター)の身でありながら、よく彼らはここまで地上や人類に憧憬を抱くことができたものだ。

 彼らがいくら歩み寄ったところで、待ち受けているのは世界からの迫害に他ならないだろうに。

 自分達喰種と同じ、人類を脅かす存在として生み出されたにも関わらず、いつか夢が叶う日が来ると信じている。ダンジョンでその日をずっと待ち続けている。

 なんと健気で、滑稽なことか。

 

「(私にゃあ真似できんなぁ……)

 

 他の異端児(ゼノス)達が気ままに過ごしている光景を、どこか遠い目をしながらエトは見つめる。

 ——そんな中。

 チラリと、一体の異端児(ゼノス)と目が合った。

 

「——エト! 私ともお話しをしましょう!」

 

 バサリと翼を羽ばたかせ、エトの所へ元気よく向かってくる半人半鳥(ハーピィ)異端児(ゼノス)

 彼女の名前はフィア。肩まで伸びた臙脂色の髪に大きな翼が特徴的で、彼女の下半身を覆う柔らかな羽毛にも目がいく。その瞳はモンスターと思えないほど穏やかな気性を感じさせる。

 

ムニャッ

「見れば見るほど、人間みたいに綺麗な体ですね……! 爪も鱗も無いし、柔らかい肌……!」

 

 翼の腕を器用に折り曲げ、エトの両頬に触れるフィア。モンスターの面影が一切ない柔らかな肌の感触に、フィアはその双眸を輝かせた。

 その唐突なスキンシップにもエトは特に抵抗をせず、グニグニと頬をまさぐられ続ける。まるでペットにじゃれつかれてるみたいだと、エトは心の中で苦笑いを浮かべた。

 

「本当に、エトは何のモンスターなんですか? ここまで人間の姿に近いのは珍しいですよ」

「うんにゃ、それは私にもよく分からん」

「オレっちもお前みたいな同胞は初めて見たぜ。フェルズからは何も聞いてないのか?」

 

 リドの問いかけに首を振るエト。

 喰種のような生き物は当然ダンジョンには存在しない。恐らくは何らかの新種のモンスターとして、曖昧に片付けられる事になるのだろう。

 

「つーか、フィアちゃんや。元気過ぎないかキミは。ほっぺたが真っ赤になっちまわい ムニムニ

「仕方ないじゃないですか。新鮮な感触で、触り心地が良すぎるのが悪いんですよっ」

「フィアはここの誰よりも好奇心旺盛だからなぁ。興味を持たれて当然だと思うぜ」

 

 子供のような無邪気な瞳でエトの頬の感触を楽しんでいるフィア。彼女達の仲睦まじい光景を見て、リドは愉快そうに笑みを浮かべる。

 

 やがてこの状況に痺れを切らしたエトが、やり返しだと言わんばかりにフィアの慎ましやかな胸をガッと掴んだ。それにフィアは思わず「ひゃっ!?」と甲高い声を上げ、顔を赤くしながら両翼でシュバッと胸を隠す。

 したり顔で謝るエトに対して、フィアは恥じらいつつもう一度エトの体にじゃれつきに行った。その間、少女達のやり取りに対し、リドは若干気まずそうな顔で目を逸らしていたと言う。

 

 

「——そう言えば、フェルズはこうも話してたな」

 

 エトの体にしがみ付こうとするフィアの頭を手で抑えながら、リドの方に顔を向ける。

 

異端児(ゼノス)の普段の活動についてだ。食料の調達や万が一の襲撃に備え、定期的に場所を変えているんだろう?」

 

 彼ら異端児(ゼノス)は拠点を一箇所に絞らない。

 未開拓領域——未だ冒険者達に見つかっていない安全階層(セーフティポイント)のことを彼らは『隠れ里』と呼び、ダンジョン内にいくつか存在する『里』を転々と移動している。

 移動範囲は中層域から深層域。それに伴い、食料などの調達の他に『同胞』探しを行なっているのだ。

 

「おう、その通りだ。そもそもオレっち達が倒れてるお前を見つけた時も、次の『里』を目指して移動してる途中だったしな」

「となると……拠点の移動は終わったのかい?」

「いや——まだだ。次の『里』までにはまだ距離があったし、瀕死のエトを連れていくのは難しかったからな。元いた『里』まで引き返したんだ」

 

 ほう、とエトは息を吐く。

 自分の存在が異端児(ゼノス)達の行程を邪魔してしまったことに心苦しさを感じるが、ともあれ『里』の移動は終わっていないらしい。

 

「本当は日を改めてから移動するつもりだったんだがよ……フェルズのおかげで思ったよりエトの容態が良いみたいだし——今なら問題ないよな!」

 

 そう言ってリドはゆっくりと立ち上がった。

 エトに体を抑えられ、むくれ顔をしているフィアの肩をトンと叩いて話しかける。

 

「……? なんですか、リド」

「エトに構ってもらうのはしばらくお預けだ。皆に呼びかけてくれ。そろそろ出発するぞってな」

「あれ、もう行くんですか?」

「これ以上ここに留まっても仕方ないだろうしな。それに、予定の時間より結構遅くなっちまった」

 

「(……お……? 移動を再開するのか。異端児(ゼノス)のリーダーは行動が早いことだ)」

 

 リドに言い付けられ、渋々エトの体から離れるフィア。しかし直ぐに半人半鳥(ハーピィ)の翼を羽ばたかせ、バサリと他の異端児(ゼノス)達の所へ向かって行った。

 皆を統率する蜥蜴人(リザードマン)は、その黄色の双眸を隣のエトに向けて口を開く。

 

「一応確認するけどよ、体はもう大丈夫だよな?」

「ああ。フェルズの魔法のおかげで、あの時の傷や疲労が嘘みたいだよ」

「——よし!」

 

 エトの返答を受けてリドは力強く頷く。

 広間(ルーム)の中央に集まっている異端児(ゼノス)達の所へ向かうリドの後ろ姿を見届け、エトもゆっくりと腰を上げた。

 

「(階層の移動……ダンジョンの探索か。……)」

 

 ダンジョン。

 数多の凶暴な異形達が蔓延る迷宮の地。

 古代より人類はこの地下迷宮に潜り、獰猛なモンスター達と何度も戦ってきた。夥しい量の傷や血を流し、無惨にも命を奪われ続けてきた。

 覚悟を持たない者は生き残れない。

 ここはそういう場所だ。

 命のやり取りが日常の光景なのだ。

 

 かつて喰種やCCGの連中との戦いで何度も血を流し、他者の命を摘み続けてきたエト。

 悲願を託して命を落とし、それでもなお再び生を受けたエトに待ち受けていたのは——やはり血に塗れた昏い世界であった。どうしようもなく、世界は喰種に″奪い合う″ことを求めている。

 

「——はてさて、高みの見物と決め込もうか」

 

 隻眼の喰種による、人生初のダンジョン探索。

 誰にも聞かれないよう小さな声で、エトは乾いた笑みを浮かべた。

 

 

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