「エト、『里』カラ出ル場合ハ
拠点の移動の準備をしている最中。
リド達が武器や防具等の装備を整えている間、別段することも無く立ち尽くしていたエトのもとに、
彼の片手には一着の黒い外套がある。
エトの体より僅かに大きい漆黒のローブ。体に纏えばスッポリと体が隠れるだろう。
「ローブ……? ……ああ成る程、人間達に姿を見られればマズイからな」
「ソウイウコトダ。我々ノ正体ガ冒険者達ニ露見スレバ、地上に余計ナ混乱ヤ警戒ガ生マレル。ソレハ
グロスの言葉に頷きながらエトは外套を受け取る。
チラリと周りを見渡してみれば——他の
見れば、
「ソシテ、オマエニハ私ト同ジ後続隊ニ居テモラウ」
少しブカッとするな——と呟きながらローブを着用するエトに、グロスは移動部隊の構成を言及する。
「後続隊? その心は?」
「最モ安全ダカラダ。イクラフェルズノ魔法デ傷ガ完治シタトハイエ、先程マデ瀕死ニアッタオマエヲリド達ノ先行部隊ニ加エルワケニハイカナイ」
階層を移動する際には、冒険者達に見つからないように、小隊に分かれて目標の合流地点に向かうのが常であった。下層域以下と比べ、比較的冒険者の数が多い『中層』ではなおさらである。
灰色の石肌で覆われた顔を向けて言うグロス。
いつもどこか厳しい雰囲気で喋る
——尤も、現在のエトの容態は極めて良好だ。守って貰わなくてはいけないほど脆弱な体ではない。
「(余計なお世話ではあるが……まあ、彼らなりの気遣いだ。無下にはできない、か)」
できれば先行部隊でリド達とモンスターの戦闘を見てみたい欲はあったが——と口惜しく思うエト。
先程並んで語り合っていたリドの体からは、抑えられてはいたが中々のエネルギーを感じていた。恐らくは今までに数多くの命を摘み取ってきたのだろう。
どうも、中々
それは目の前にいる
「後続隊ともなると、モンスターとの戦闘があまり無さそうに思えるが」
「実際、戦闘ニナルヨウナ状況ハアマリ無イ。数回クライハ同族ト遭遇スルコトモアルガ……移動ノ妨ゲニナル要素ハ、先行部隊ガ排除スルカラナ」
エトの質問にグロスが丁寧に答える。
先に出発している
「そうか……」
「……ナゼ残念ソウナ顔ヲシテイル」
「いやいや、何でもないさ」
露骨にテンションが下がるエトに対してグロスがジト目を向けるが、愛想笑いで首を振る。
決して戦いたいというわけではないが、何も起こらない状況というのも退屈だ。せめて、
フェルズから教わったこの世界の情勢——その中でも『ダンジョン』に関しては、エト自身ある程度の興味を持てたのだ。少なくとも、生きる拠り所を失ったエトが目を向けるくらいには。
しかし、ワガママを言う気はない。
無理を言って一番手のパーティに加えて貰うこともできるが、焦る必要もないだろう。場合によっては次の『里』に着いた後に、個人的にダンジョンの探索を行えばいいだけである。
かつてアオギリに居た時のように全身をローブで覆ったエトは、人知れず息を吐いた。
「——よし、そろそろ行くぞ!」
黒い外套で身を隠し、その下には完全武装。
これより
死地に赴くわけではない。しかし、彼らの表情からは気の緩みが一切感じられない。
『ダンジョン』では油断禁物——
部隊の数は全部で三つ。
一つにつき
一番手にリドが率いる部隊、そして二番手に続くのはレイが率いる部隊。最後方の部隊ではグロスが統率する。
「レイ、グロス。無事に合流地点で落ち合おうぜ」
「ええ。リドも気ヲつけて下さい」
「何カアレバ水晶デ知ラセル」
各パーティのリーダー同士である三人で無事を祈り合う。彼らがそれぞれ手に握っているのは、別の部隊と連絡を取る役割を果たす『
——そして、一番手のパーティが出発する。
この部隊には、リドの他に
見た感じ彼らの強さは、元いた世界で言うSレートくらいに値するのだろうか。その中でもリドは特別実力を持っているように見える。歩く姿、姿勢一つとっても実力というものは表れているのだ。
「こりゃ壮観だな……」
その様子を見つめるエトは、彼らが隊列を織り成して
身を隠した彼らが征く様子は、最早モンスター達による行進などにはとても見えない。
ローブを着た謎の集団と言ってしまえばそれまで。
遠目で見ると、彼らは至って普通の人間の様だった。
「これだと、もし冒険者に見つかってもバレないんじゃないか? あちらさんも私達のことを『同業者』だと誤認しそうなもんだが」
「……ソンナコトハナイ」
グロスの隣に立って言うエトに対して、彼は灰色の頭を横に振って口を開く。
「人型ニ近イ者ナラバ正体ハ露見シニクイガ、他ハソウデハナイ。
「……ふむ、まあそうか」
確かに、モンスターとしての形貌を多く残した者だと正体がバレやすい。蜘蛛の下半身を持つ
「……でも、人型の
そう言ってエトは
リド達先行部隊は既に出発している。
目に入るのは、二番手の部隊であるレイ達だ。
「外套や鎧を纏えば、モンスターには見えない。人間と同じだ」
「………………」
「それに、フェルズの手を借りれば正体を完全に隠し切るのもわけない筈だろう。
流し目でグロスの横顔を一瞥する。
しかし、それに対しグロスの反応は物静か。
——否、穏やかな心中などではない。
「下ラナイナ」
心の内に秘められた強い感情。
常に冷静な態度で振る舞ってきたグロスが見せた、一瞬の情動の綻び。
彼の双眸は細められ、しかしそこには明確な感情が込められている。無意識のうちに灰石の拳をギュッと握り締め、隣に立つ同胞に言い放つ。
「自ラ好キ好ンデ人間共ト関ワリ合イニナルナド、考エラレン。奴ラハソウ良イ
「……?」
「エト、オマエハマダ知ラナインダ。奴ラノコトヲ」
——リド達に引き続いて、レイ達二番手のパーティが
「……我々モソロソロココカラ離レル。イツデモ動ケルヨウ準備ヲシテオケヨ」
エトにそう言うと、グロスはその場から立ち去っていった。その様子はどこか強引に話を断ち切ったかのような、あるいはまるで話したくない事柄のようだった。
感情を押し殺した静かな声音を後に去っていったグロスの後ろ姿を、エトは背後から見つめる。
「——ほう?」
人知れず、エトは口元を歪めた。
◇◇◇
ダンジョンの21階層。
樹皮に覆われた迷宮は、まさに巨大樹の内部を探検しているかのようだった。通路は複雑に枝分かれしているかと思えば、頭上が十M以上裂けた縦長の樹道が現れる。瘤のように盛り上がった木の根を階段代わりにするなど、この階層はその広大さの他にも高低差が思った以上に目立った。
光源となるものは光り輝く
探索する者達の進路の先々では、奇妙な形と色をした葉、大きな茸、銀の滴を垂らす花々など、地上には存在しない様々な植物が姿を見せる。訪れる広間によっては景色が変わり、美しい花畑も存在するほどだ。
頭上を仰げば壁と天井の境目に白花が咲き乱れ、道の角を曲がった瞬間、巨大な茸の塊が視界に飛び込んでくる。更には不可思議な色をした薬草、突き当たりの壁を茨のように覆いつくす金色の小花と蔓草、天井から滴る水滴によって作られた小さな蒼い泉など目を惹く光景はあちこちに見られる。
「おぉ……ダンジョンの中はこんな感じなのか……!」
——そんな中、周辺の景色をキョロキョロと見回しながら喋り続けている者が一人。
「もう少し声を落とせエト。同族達に見つかれば面倒なことになる」
「おっと、すまないラーニェ。気をつけるよ」
浮ついた声音で喋っていたエトを窘めるラーニェ。
彼女は
「……それにしても、お前の反応はよく分からないな。まるでダンジョンを初めて見たかのような振る舞いだ」
「——ま、
『大樹の迷宮』内部の光景に対して新鮮な反応を見せるエトに、ラーニェが訝しげな表情を浮かべる。
エトが嘯くのは自身の″モンスターとしての出自″だ。リド達
「エトは自分が何のモンスターなのか分からないと聞いていますが……」
「ああ、それは本当だよレット」
続けて話しかけてくるのは
小さな体躯に不釣り合いな大斧を背に担ぎ、紳士的な口調で人語を話すレットは同胞達の中でも特に人間臭い。立ち振る舞いは完全に人間のそれだ。
「フェルズでも分からない領域——恐らくは『深層』域のモンスターなんだろうね、私は。賢者も存外役に立たないもんだ」
「……なるほど。……不安ではないのですか? 自分のことが何も分からないというのは」
己の素性を知り得ない不安や恐れ。
正体不明を内包していながらも平然としているエトに、レットは眉根を寄せて疑問を投げかける。
しかし、直ぐにレットは首を横に振った。
「……すみません、配慮に欠けた質問でした。聞き流して下さい」
「いやいや、気にしないでくれ」
別段気分を害することなくエトは頭を振る。
すると、そんな彼女を気遣ったのか
——後続隊に居る
非戦闘員であるアルルとヘルガ、エトの三人を護衛するため、グロスとラーニェが先頭を歩き、レットが最後尾を守っている。この三人が、周辺をくまなく警戒しながら進んでいた。
モンスターと遭遇する頻度は少ない方ではあるが、冒険者と遭遇してしまう可能性もある。『下層』域とは違い、ここらの階層は冒険者の数も多い。
静寂に包まれた無人の道を進み続けるエト達。
燐光の代わりに発光する苔は無秩序に迷宮中で繁茂し、青い光を放っている。広大な空間が形成されている『大樹の迷宮』を照らす天然の光源『アカリゴケ』だ。
ダンジョンに生息する特殊な植物。それらは高層ビルが立ち並ぶ東京を生きてきたエトの常識を覆す超自然である。
——そんな中、バキッと音がする。
突如として樹皮の壁面が突き破られ、一体の異形が
『中層』のモンスター、バグベアーだ。
茶色い体毛と頑丈な皮膚に覆われた熊型のモンスターで、その爪が持つ殺傷力は決して油断できない。真っ赤な双眸と獰猛な咆哮は、対面する獲物を怖気付かせるほどの威圧が込められている。
「おっ、これがモンスターってやつか——」
思わず目を見開き反応するエトを他所に。
「ラーニェ」
「ああ、分かってる」
グロスが言うより早くラーニェが蜘蛛の糸を放出し、バグベアーの大きな体躯を絡め取った。
音を立てて壁に貼り付けられる熊型のモンスター。ギョッとした表情を浮かべ慌てて抜け出そうとするが、肝心の爪は腕ごと壁に固定されていた。それほどまでに、ラーニェの糸は強靭なものだった。
「フッ!」
そして、グロスが灰石の爪を振り上げ、蜘蛛の糸ごとバグベアーの胴体を切り裂いた。
赤黒い血飛沫を上げて悲鳴を上げるモンスター。グロスの持つ爪は、バグベアーの命を一撃で刈り取るほどの威力を有していた。
そして、絶命と共に体が灰塵と成り変わる。
残った物は、小さく輝く紫紺の結晶だ。
「レット、周囲ノ状況ハ?」
「今のところ接敵の心配はありません」
続けてモンスターの出現を警戒するグロスに、レットは油断なく周辺の様子を窺う。
——唐突にモンスターが出現しても、至って冷静かつ迅速に対処を行う。常に警戒の糸を張り巡らせているからこそ可能な行動。長年の時を経て体に染み付いている、ダンジョン内でのルーティンである。
「…………なるほどなるほど。仕事が早いもんだ」
それを感じさせる彼らの行動を受けて、エトは後ろの方で密かに感心を見せた。あの熊型のモンスターも中々強そうに見えたが——と、今はもう灰塵と成り果てたモンスターの方を見やった。
そして、灰塵の山に埋もれた紫紺の結晶が目に入る。
「あれが『魔石』という物なのかい?」
「ええ。私達の胸部の中心にある、いわゆる『核』です。最大の弱点でもあるため、砕かれないよう注意をしなくてはいけません」
隣に立つレットの言葉を聞き、ほぅと息を吐く。
「(フェルズの話では、
地上の冒険者達曰く、それは『強化種』。
【経験値】を集めて能力を更新する人類と相反する、モンスターの独自の法則。他のモンスターの『核』を喰らうことで、怪物は力を高める。自身の種族である本来の実力以上の
そんな中、灰塵の中の魔石をグロスが拾う。そしてそのまま魔石を口の中へ放り込み、ガリガリと音を立てて咀嚼し始めた。
当然魔石を置いて放っておくわけにもいかない。同族が拾えば冒険者達を害する『強化種』となる。次の里まで持ち運ぶのも面倒だ。それ故に、敵を倒した者がその場で喰らうのが最も合理的である。
アオギリであれば魔石の取り合いが起こりそうだな——と、当時組織の創始者であったエトは密かに思った。
「(——しかし妙だな。……
顔を小さく上げ、辺りを見渡す。
——さっきからずっとそうだ。
少し前から、エトに対して殺気が降り注いでいる。
出どころは分からない。正体不明の殺気。
「(モンスターの殺気か……? いや……それにしては、いやに″広い″。)」
モンスターではなく
「開ケタ場所ニ出ル。注意ヲ怠ルナヨ」
先頭を歩くグロスがそう言うと同時に、エト達
——巨大な樹木の内部を彷彿させるこの階層は、非常に天井が高い。太い樹々の根が複雑に絡み合っている反面、小さな『横穴』がいくつも存在し、モンスターが潜む場所がいくらでもある。
赤と青の色をした斑模様の茸、金色の綿毛を四散させる多年草、近くの樹皮の壁から大量に垂れ落ちる蜂蜜のごとき樹液。そして辺りに群生する層域特有の植物は、ダンジョン内を往くエト達を幻惑するかの様だった。
「アルル、ヘルガ、離れるなよ」
『キュウ』
『バフッ』
戦闘能力に乏しい二体の同胞に対し、
こういった『横穴』が多い場所ではモンスターとの遭遇率が異様に高まると、彼女達はよく知っている。油断が命取りになるこのダンジョンにおいて、出入り口の多い
「……何か感じないか?」
「? どうかしましたか、エト」
怪訝そうな表情を浮かべるエトは、後方にいるレットに状況の不穏さを尋ねた。対する
「いや、気にしないでくれ」と前を向き直るエトだったが、その双眸にはこれまで以上の警戒の色が見えた。
「(周りの
そう考えながら、油断なく周りを見渡す。
「(誰だ? 誰が私達を狙っている?)」
あらゆる五感を駆使してダンジョン内の様子を窺うが、目立った変化は見られない。
しかし、依然として向けられている殺気は徐々に強まっていく。今や煙のように、濃密な殺意がこの
——その理由を、エトは知る由もない。
モンスターを産み落とす母胎であるこの地下迷宮は、まるで我々生物のように意思を持ち、内部に入ってきた侵入者を排除しようとする。
エト達
エトだけがこの殺気に気づけるのは、ひとえに彼女が異界の人間であることが大きい。冒険者や
だが気づいたところで、こちらからはどうすることもできない。この広大な地下迷宮が相手では、矮小な存在には対処のしようもない。
「!」
「——ッ」
そして、こうした戦闘経験が多いグロスとエトの二人が、真っ先に反応した。
二人が聴いたのは『音』だ。
先程目にした光景と同様に、バキっと樹皮の壁面が突き破られ、一匹のモンスターが生まれ落ちる音。
——だが、その音は
「なっ……!」
「そんな……」
遅れてレットとラーニェ、そしてアルルとヘルガもその表情を大きく歪めた。忌々しい壁面の罅割れが進み、そこから大量のモンスターが現れる。一瞥しただけでも四十以上の異形の影が見られた。
『
突発的なモンスターの大量発生。迷宮の侵入者を絶望の淵に突き落とす、悪辣な
冒険者達に存在を悟られないよう静かに立ち回りたかった
「〜〜クソッ!! ラーニェ、レット! アルル達ヲ守リナガラ出入リ口ニ進メ!! 全テヲ相手ニシテイテハ我々ガ先ニ潰レテシマウ!!」
「わかりました!」
「間の悪いアクシデントだな……!」
グロスがそう言うや否や、
後退を許さない、特攻のフォーメーションだ。途中で逃げることも戦うことも時間が許さないため、彼らに出来ることは、立ちはだかる障害を倒しながら全速力で突っ切る他ない。
「ふむ、ダンジョンではこういうこともあるのか」
間もなく
殺気の正体が分かったエトの表情に、焦りの色は見られない。緊迫とした雰囲気が漂う中、彼女だけが場違いなまでに平然とした様子だった。
これがダンジョン。
今回の『
思わずフッと笑みが溢れた。
「私も守られる身だが——危ない時には手を貸そう」
そう言ってエトは人知れず、異形の触手をローブの中からチラリと見せたのだった。