「クッ……! 何故コンナ時ニ!!」
そう叫びながらグロスは灰色の爪を振り下ろす。
中層に出現するモンスター相手ならば、上手くいけば一撃でその命を奪うことができる
しかし、その攻撃には焦燥の色が顕著に現れており、立ちはだかるモンスターに決定打を加えられないでいた。
「邪魔ダ!!」
『ガッッ!?』
苛立ち混じりにグロスは眼前の『マッドビートル』を爪で殴りつけるが、走りながらの攻撃なため腰が入っておらず、一撃で死なせるには至らない。
——だが、今だけはこれで良かった。
突如として『
同族を殺し切る必要はなく、攻撃を加えて吹き飛ばすだけで良かった。
「ヘルガ、アルルを上に乗せてやれ! 少し遅れているぞ!?」
『ガウッ!』
『キュ!』
モンスターの群れの中を全速力で突っ切る中、
甲高い返事をした
そんなアルル達を狙う凶暴なモンスターは、ラーニェとレットが迅速に対処していく。グロスが出入り口への道を切り開く特攻隊長なのであれば、彼らはその道を通るパーティを守る支え役だ。
走る。
疾走する。
目的地を目指して地を駆ける。
一度でも止まってしまえば、彼らを待っているのは悲惨な結末だ。ダンジョンは平然と自分達を地獄に落とそうとしてくる。容赦のない『死』がおびただしい量で迫ってくる光景は、何度もダンジョン内を探索しているグロス達でさえも慣れないものだ。
「エト! ちゃんとついて来れていますか!?」
「ああ、心配ない。逆にもっと速度を上げてはどうだ? 意外とモンスター共も足が速い」
「無茶を言いますね……!」
レットの呼びかけにエトはいつもの調子を崩さず答えた。傷が治ったばかりだというのに、グロス達の進行速度に涼しい顔でついて来ている。これが『深層』域のモンスターのたくましさなのかと、レットは密かに納得した。
「(——しかし、逃走の判断が早かったおかげで最悪の事態は避けられそうだ。モンスターの波に飲まれるより早く出入り口に辿り着ける)」
そう思いながらエトは目を細める。
グロス達
大量のモンスターに行く先を阻まれてはいるが、最小限の戦闘に努めれば最短時間で目的地へ到達できる。
先陣を切るグロスの特攻力は目を見張るものがあり、彼が道を切り開いてくれるからこそ、このパーティは異形の波を抜けることができるのだ。
これなら手伝う必要は無さそうだな——とエトは若干の気落ちを抱きつつも、左右でモンスターの横槍を捌いていくラーニェとレットの手腕を眺めていた。
——しかし、これだけでは終わらない。
ダンジョンの『
予想通りの展開など何一つ起こらない。この広き地下迷宮は明確な意思を以て彼らを死地へと誘う。
希望を見つけた瞬間に絶望の淵へ突き落とされる。徹底的に愚かな侵入者の心を折りくるダンジョンの『未知』は、あまりにも残酷である。
「……っ!! グロス、前方に新手が!」
「アレハ……!?」
ラーニェの叫び声にグロスが前方の上空を向く。
目的地である樹穴の付近、高くそびえる樹皮の壁面には、いくつもの『横穴』が存在している。
天井が高く広大な
「随分とデカい蜂だな」
「『デッドリー・ホーネット』です!!」
レットの余裕を無くした声音を聞きながら、エトは視線の先で羽ばたいている異形の存在を見やる。
鎧と見紛う黒い硬殻を纏った昆虫の体軀。鋭角的で禍々しく、全長は成人のヒューマン並みにある。顔面には鋏を有する大顎が存在し、体の先端から突き出るように伸びるのは——
22階層より出現する殺人蜂のモンスターが、群れをなして唐突にこの21階層へやって来た。
『
それは、数匹どころの話ではない。
続々と『横穴』から現れ、その数は徐々に膨れ上がる。
「————」
「なっ……!?」
そしてついに『デッドリー・ホーネット』の数が二十を優に超えた時、いよいよグロス達の表情が凍りつく。
未だ彼らを囲んでいるモンスターに加えて、前方から行く手を阻むように迫ってくる大量の
「(道ガ見エナイ……!)」
その絶望的光景は、先頭に立つグロスの視界を飲み込んでいた。出入り口を目指し全力疾走するためのルートが、強引に立てていた道筋自体が埋め尽くされていく。
高い敏捷性を以て空中を自由に飛び回るこのモンスターは、容易に倒せない。ラーニェの糸で攻撃させても難なく避けられてしまうだろう。
他の
今までのように、グロスが力づくで道を切り開くことも絶望的となっていた。それほどまでに、『量』を以てモンスターに襲われるのは『死』を意味するのだ。
「グロス、レイ達をここへ呼んでくれ! 私達ではどうすることもできん!」
「……アア、分カッテイル!」
目的地である出入り口まであと十五
中間部隊であるレイ達をここへ呼び戻すこと。グロスとラーニェ、レットの三人だけでは、恐らくアルル達非戦闘員を守り切ることはできないと考え、やむなく応援を要請する選択をとった。
彼女達を巻き込み『里』への進行の予定を崩してしまうことになるが、こうなっては仕方がないだろう。
周りを見やり、
レイ達がここへ来るまでグロス達はモンスター達の猛攻に耐え凌がなくてはならない。とにかく、壁際まで移動した方がいい。アルル達を背にして守り、決死の覚悟で戦い抜くしか——
「いや、その必要はない」
ヒュン、と風を切る音がした。
『——ギッッッ!?』
「えげ〜け〜おォン」「キャホォォ」
瞬きをするのも惜しいほどの高速で流動する
飛翔系モンスターの高い俊敏性を以てしても避けられない攻撃。上空十
その攻撃が一匹、また一匹と、
「これは……!」
「エト!?」
その禍々しい触手が放たれた後方を振り返る
彼女のローブの中からは異形の触手が伸びており、彼女の『右目』は赫々とした赤黒い色に変色していた。
「まさしく」
「——なに、これは私の手足みたいなもんさ。気にせんでくれ。変わった手足だと思うがネ」
「エトしゃん!」 「くあしく」
肩を竦めてそう言うエト。
今彼女の体から放たれている触手——『赫子』はニ対四本。しかしそこから複数のものに枝分かれし、何本もの太く硬い触手がゾゾゾと蠢いている。
最も特徴的なのはその赫子の形だ。人の口や梟の羽、恐竜の手足を模したような見た目をしており、それはどの赫子の型にも当てはまらない。誰にも真似できないエト独自の『素質』と『知性』の結晶体だ。
奇声を発する赫子に平然と囲まれているエト。
しかし、彼女の『赫眼』や奇妙で悍ましい触手を目の当たりにしたグロス達は、その表情を硬直させていた。
「周りの憂いは私が取り除こう。君たちは前だけを向いて進んでくれたまえよ」
そう言ってエトは前方を指差す。
目的地である出入り口付近で行く手を阻んでいた
エト単体でこの場を切り抜けることは無論可能だが、助力以上のことをするつもりはない。
——エトの不敵な笑みをうけたグロス達は、彼女の言葉を聞いて弾かれたように前を振り向く。
先陣を切るグロスは吠え猛り、今まで以上の勢いを以てモンスターの群れに切り込んで行った。
「走レェ!! アトモウ少シダ!!!」
グロスの持つ灰色の爪が
「おつおい」
「くっ、邪魔だッ!!」
「べっぴんしゃん」 「ぶち殺してェ」
走路上にいる
馴れ馴れしく話しかけてくるその奇声に何とも言えない表情を浮かべながら、ラーニェは地を駆け続けた。
——目的地まで残り数
先程までの逃走よりグンと速度を上げている
そして、グロスの足がついに出入り口へ踏み入り、次の
「ヘルガ、お願いします!!」
『ガルルッ!!』
レットの掛け声にヘルガが反応する。
アルルを上に乗せて走っていたヘルガは連絡路へ入った瞬間に後ろを振り向き、
その口内から覗かせるのは膨大な赤熱。
真っ赤に燃える口腔を開け放ち、圧縮された炎の塊をモンスター達へ一気に放出した。
「おお!? 火なんて吹けるのかいワンコ君!!」
唐突に爆炎を放ったヘルガにギョッとするエト。それまではアルルと一緒で愛くるしいペット感覚で接していたため、灰色の毛並みを逆立てるヘルガの姿はまさに青天の霹靂だった。
しかし、ヘルガの炎は『中層』のモンスターを追い払うことはできても灰塵に帰すほどの火力は無い。せいぜい牽制程度の攻撃なため、モンスターを火に怯えさせることしかできない。
だが、今はそれでよかった。
「ラーニェ!!」
「分かってる!!」
モンスターの群れが停滞した光景を見計らって、グロスの掛け声と共にラーニェが後方へ飛び出した。
出入り口に向かって大量の糸を放出し、巨大な『壁』を作り出していく。続けて何重にも壁の層を重ねていき、ニ
そこから
次の
やがて、先程の『
グロスが一旦足を止め、小隊に小休止を挟む。
「はあ、はあ……」
「流石に撒いたか……」
モンスターの群れの中を強引に切り込んでいたグロスの体には、その壮絶さを表す痛々しい傷が残っていた。中衛でグロスのサポートをしていたラーニェとレットも、押し寄せてくる怪物達の波による被害の痕が体に見られる。
まさに、ダンジョンの悪辣さが如実に表れた出来事だった。各『里』間を移動するべく何度もダンジョン『中層』を行き来していた
「いやー、中々に楽しい体験ができたな! 」
そんな中、エトは一人だけ満足そうな笑みを浮かべていた。先程まで五十以上のモンスターから一斉に命を狙われていたとは思えない様な、いっそ憎たらしいくらいのニコニコ顔で「これまたいいものを見せてもらった!」などとほざきつつ、疲労困憊の
そんなエトの側に——ユラリと近づく影が一匹。
ガシッとエトの胸ぐらを掴み、
「お?」と声を漏らし首を傾げたエトに対して、グロスは汗を流しながら怒鳴り始めた。
「——タ、戦エル元気ガアルナラ最初カラソウ言ッテオケ貴様アァッ!!? 危ウク死ニカケタゾ!!? 高ミノ見物ヲシテイル暇ガアッタノナラサッサト同族ドモヲ仕留メテオカンカァッ!!?」
「お、おう?」
「おお落ち着けグロスっ! 言いたい事は分かるがもう少し声を抑えろ! また同族共が騒ぎを聞きつけ来られては敵わん! 言いたい事は分かるがな!!」
いつもの泰然とした様子は崩れ、大いに取り乱しながら怒鳴るグロスに、エトは抵抗の余地もなくユッサユッサと体を揺らされる。それを見てラーニェは慌ててグロスとエトの一悶着を止めにかかり、レットは彼らの姿を受けて「はぁ……」と苦い表情を浮かべた。
「
「いえ、貴方の性格が大体分かりました」
エトの問いにレットは肩を竦めて頭を横に振る。
ふむ、と顎に手を当て、エトは近くの壁に寄りかかって休憩している二匹の
「何やら皆の様子がおかしいな……君達はどこか怪我していないかい?」
『キ、キュウ……!』
『…………クゥ〜ン』
エトの言葉にアルルはブンブンと縦に首を振り、ヘルガはその耳を垂れ下げてか細い鳴き声を上げた。
今さっきレットが言っていた、エトが実は
ちなみにエトの赫子を見たアルルとヘルガは盛大に目をひん剥いていた。まさに異形と言える姿形の触手がゾゾゾと蠢くのを目の当たりにし、思わず仰け反ってしまうほどであった。
◇◇◇
暫くしてグロスが落ち着きを取り戻した後、彼ら後続隊の進行が再開された。
幸い、グロス達の騒ぎを聞きつけたモンスターが襲ってくる事は無かった。これはひとえにグロスの動揺を取り成したラーニェの努力があってのことである。
依然として鼻息が荒いグロスが睨み付けるが、睨まれている本人であるエトは涼しい表情を見せていた。
そして、そこからの進行では特に何も問題は起きず、努めて静穏に『中層』を進むことができた。
事実、あの規模の『
——そうして、エトにとって初めてのダンジョン探索が無事に終わり、目指していた『里』に到着した。
「おう、無事だったかグロス。予定より到着が少し遅れていたが、大丈夫だったか?」
「…………コンナニ疲レタノハ初メテダ」
「?」
魔石灯や『アカリゴケ』が放つ淡い光に照らされている
グロス達後続隊とは違って、最大限隠密性を保ち移動していたレイ達などの表情に疲労の色は見られない。その反対に、グロスやラーニェ、レット達はゲンナリとした様子で『里』へ到着したのだった。
「エトの調子はどうだった?」
「……アイツノ身ヲ気遣イ後続隊ニ置イタ私ガ間違ッテイタ。随分ト人騒ガセナ奴ダ」
リドの問いかけにくたびれた声音で答えるグロス。
例の『
巨大樹の中を探検しているような『大樹の迷宮』での進行は、元々エトの好奇心を大いに刺激していたのだ。足元に繁々と生えている奇妙な形の茸や美しい花々など、前世には存在し得なかったであろう植物に瞳を輝かせ、あれは何だこれは何だと、さながら取材をする作家のように
その度に「静マレト言ッテイルダロウ!? 同族ヤ人間ニ見ツカルゾ!?」「だから落ち着けグロス!」と一悶着が起こり、渋々レットがエトの質問に答えるということが何度もあったのだ。どちらかと言うと、体の疲労よりも心労の方が大きかったであろう。
「——エト、食料ヲ持ってきましタ。疲れているでしょうシ、ゆっくり食べテ下さい」
「おお…………助かる、ありがとう」
『里』に到着してから一人、
そこにはダンジョン産の果実や木の実、薬草がふんだんに詰められている。それに加えて泉から汲んできた水もある。
礼を述べたエトは表情を動かさず、籠にあった一つの果実を手に取った。そして、その匂いをおもむろにスンスンと嗅ぐと、フッと目を細めた。
「……あまり腹を空かせてないんだ。食事はまた後にしようかな。水だけありがたく貰っておこう」
「? そうですか、分かりました。……無理ハしないで下さいネ?」
エトのそんな言葉をうけて、特に疑問も抱かなかったレイは水筒を渡しその場を後にした。
「(…………生を諦めた身だったからすっかり忘れていたが…………そうか、
喰種が喰らい、栄養を摂ることができるのは人間の血肉だけである。それ以外の食物は消化や吸収すらできず、加えて匂いや味、食感はその場で吐き出してしまうほど酷いものだ。
今レイが持って来てくれた食料も、およそ食えた物ではない。思わずえずいてしまいそうな香りだったが、前世で人間社会に溶け込んでいたエトはその悪感情を表情に一ミリも出さなかった。
「(……まあいい、ここはダンジョンだ。探索していればいつか人間の死体と遭遇するだろうし——
心の中でそう結論を出したエト。
人語を扱えるほどの大きな憧憬を持った
もっとも、人間との融和を望んでいない様子の
そこから取り出したのは、一つの紫紺の結晶。
『
「これが魔石……」
指先でソレを持ち上げ、細部をまじまじと観察する。
モンスターはこの魔石を喰らう事で力を高める。まさに怪物の名に相応しい弱肉強食の理。
『里』の移動時にもグロスが魔石を体内にとりこんでいた光景を見ている。あれを喰らったことで、
その光景を思い出し、真似るように——エトは魔石を自身の口の中へ放り込んだ。
ガリッ、ガリッと咀嚼音が密かに鳴り響く。
意外と硬くはない。喰種の咬筋力でも噛み砕くことは可能だった。
そして、その咀嚼物を飲み込み体内に取り込む。
その瞬間、ドクンと体が震えた。
「…………うーむ」
エトは顎に手を当て、低く唸った。