孫悟飯、その青春   作:マナティ

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第七章 ブルマと孫悟飯(前編)

 

 

   Ⅰ

 

 

 

 二十五年前のエイジ749、東の辺境にて一つの出会いがあった。一組の少年と少女による、少し奇妙な出会いが。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 当時、少年は人里離れたパオズ山奥地に暮らしていた。のちに妻子と共に居を構えることになる麓よりもさらに数段奥まった、まさしく深山幽谷の奥底。虎や熊、翼竜などが当たり前のように辺りを闊歩する秘境でもあり、少年は赤子の頃に育ての祖父に拾われてから、十二年間をその地で過ごしてきた。

 

 その日、少年はごく普通に毎日の日課をこなしていた。早朝にその日一日分の薪割りを終え、位牌代わりである祖父の形見に挨拶をしてから、朝食のために渓流へ続く山道を下っていく。野生動物の王国ともいえるパオズ山の奥地は、本来わずか十二歳の子供が一人で出歩けるような土地ではなく、ましてやその少年の体躯は同年代と比べてもかなり小柄で、一見して七歳か八歳くらいにしか見えないほど幼い外見をしていた。

 

 そんな小さな少年が、銃を持った大人でも尻込みする山道を、さながら自分の庭のような気安さで一人歩いていく。見れば見るほど異常事態であるが、それは決して無知からくる蛮勇ではなかった。むしろ十二年もの月日をこの地で過ごし、その弱肉強食の掟をよく知るからこそ、少年にとってやはりここは自分の庭も同然なのだ。

 

 目当ての渓流へと辿り着いた。その河は深い谷底を流れており、いま少年がいる場所から水面まで五十メートルほどの高さがあった。少年はとくに深く考えもせず地を蹴り、谷底に向けて身を踊らせた。崖の壁面に生えるわずかな枝木に捕まり、枝のしなりを利用してさらに下方の枝木に次々と飛び移っていき、そうして深い崖をものの数分で下りきってしまう。尋常でない身体能力である。

 

 川べりまで辿り着くと、亡き祖父に仕立てて貰った武術着の下衣を脱いで尾を垂らした。生まれつき尻から生える猿のようなそれは、宇宙に名だたる戦闘民族の血統の証であったが、そのことが判明するのはこれより十年以上あとのことになる。

 

 その川には成人男性すら丸呑みにしてしまうほどの巨大怪魚が生息しており、熊なども時折餌食になるほどだった。このときも少年の垂らした尾を川底の一匹が敏感に察知し、さては猿か山猫か、いずれせよ一飲みにしてくれようと猛烈な勢いで川面目掛けて突進してきた。

 

 水の微妙な揺れ具合を頼りに、大怪魚の食いつきを少年は見事に躱した。大怪魚はそのまま水面から二メートルほど跳躍してしまい、その剥き出しの横腹に少年の鉄杭のような飛び蹴りが深々と突き刺さった。あっという間に大怪魚は失神し、少年の本日の朝食となる運命が決まった。五百キロ以上はありそうな大怪魚を乱暴に引きずりながら、少年は意気揚々と家路に着いた。

 

 一方、その川よりさほど離れていない場所で、パオズ山の山道を走る2ドア式の小型車があった。遥か昔、パオズ山がとある大国の領土であった頃に使われていた舗装もされていない登山道を、最新のターボエンジンを積んだその車は、見かけに反した力強い走りで駆け抜けていく。

 

 車に乗っているのは一人の少女だった。歳は当時十六。顔立ちはややあどけなさを残しながらも美しく整っており、体つきも少年とは反対に年齢以上に女性らしく大人びていた。ミニスカートのワンピースにレザーの手袋、そして長旅を想定したやや無骨なスニーカーと至って垢抜けた格好をしており、明らかな都育ちの格好だった。

 

 山道を運転しつつ、ときおり少女は助手席に置きっぱなしにしてある小型の機械を手に取って、幾度かスイッチを押した。それは特定の電波をキャッチして、その発信源の位置を探るためのレーダーであり、驚くべきことにソフト・ハードともに彼女が自ら設計・製作を行なった物であった。

 

 このときより数ヶ月前、少女は自分の家の倉で、不思議な球を見つけた。ソフトボールほどの大きさで、半透明な山吹色をしており、触った感触は琥珀などにも近い。内部を覗くと赤い星印が二つ封じ込められており、不思議なことにどれだけ球を回転させても内部の星はいつも同じ角度に見えた。

 

 この球がドラゴンボールと呼ばれる遥か古代から存在する伝説の秘宝であることを、少女は古い文献から調べ上げた。この球は全部で七つ存在し、全て揃えた上で呪文を唱えると神龍と呼ばれる龍の神が現れ、どんな願いでも一つだけ叶えてくれるのだという。

 

 文献によれば、過去にその球を使って一国の王となった者もいるとあり、それだけならばいかにもな御伽噺といったところなのだが、その国が歴史の教科書にも登場するかつて東方に実在した古代の帝国であったことが少女の興味を引いた。

 

 大昔、パオズ山を含む東エリアの大部分を治めていたその帝国は、やがて長い歴史の中で滅びてしまったが、その独自の文化は現代においても東エリア全域に色濃く残っており、たとえば漢字、漢服、木造式の神社仏閣やアニミズム、米や麺を多用した料理などがそれに当たる。数多くの遺跡や一次資料の研究も盛んに行なわれ、歴史の教科書には必ず登場するほど有名な国なのだが、なぜかその国が興された経緯については詳しいことは何も分かっていない。当時の周辺国の記録などを辿っても、ある時期を境に突然現れているようにしか見えず、世界中の歴史学者たちがこの問題に頭を悩ませていたのだが、もしその国の初代皇帝が本当にドラゴンボールの力を借りて国を興したのであれば、一応は説明がつくことになる。

 

 加えてその文献の著者が他でもないその初代皇帝の近親者であり、さらに現物のドラゴンボールを企業の力も借りて組成分析に掛けたところ、地球上のあらゆる物質とも一致せず、その構造や製法の見当すら付けられなかったことから、少女はこのドラゴンボールの伝説に一定の信憑性を見出し、好奇心と冒険心に胸を躍らせた。ボールを探すためのレーダーまで自作してしまうことからも分かる通り、元来頭脳明晰な上、やや過剰なまでの行動力とお転婆さも持ち合わせており、ついには学校の夏季休暇を利用して、世界をまたにかけたドラゴンボール探しの旅へと繰り出したのである。

 

 そして少女の作ったレーダーは、パオズ山の奥地に眠るドラゴンボールの在処をはっきりと指し示しており、いま少女が車で目指しているのもその地点だった。彼女が旅の中で出会う三つ目のドラゴンボールであり、それがとある少年の家に亡き祖父の位牌代わりに飾られていることなど、このときの少女には知る由もなかった。

 

 ドラゴンボールを目指す少女と、朝食のため家路につく少年。まったく同一の地点を同時に目指していた両者は、当然のことながら途中の道すがらで邂逅を果たすこととなったのだが、残念ながらあまり穏便な出会いにはならなかった。

 

 人の住まない未開の土地と油断して思い切り車を飛ばしていた少女は、大怪魚を引きずりながら道を歩いていた少年をあやうく轢きかけてしまった。また少年もそれまで一度も乗り物など見たことが無かったため、目の前で急停止した少女の自動車を獲物を横取りしにきた怪物と勘違いし、先手必勝で攻撃を仕掛けた。

 

 少年は驚くべき膂力で自動車を持ち上げ、そのまま車体をひっくり返した。そして背中の自慢の如意棒を抜いて、威勢よく構える。祖父から受け継いだ不思議な力を宿す武具であり、少年が手にすればまさしく鬼に金棒で、恐竜すらも難なく打ちのめしてしまう。

 

 少女の方も、突然車を投げ飛ばした少年のことを子供の姿に化けた妖怪かなにかの類と思い、割れた窓ガラスから上半身を出して、護身用のハンドガンを構えた。

 

 ――さあ、かかってこい。オラが相手になってやる!

 

 ――こ、こんにゃろ!

 

 少年と少女は、そうしてお互いに、各々の武器を突きつけ合った。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 少年と少女はそのようにして出会った。些か剣呑ではあるが、それでものちに彼らが紡いでいく激動の物語に比べれば平々凡々とした小さな出会い。

 

 しかしこの出会いから全ては始まった。

 

 長い長い物語が、ここから幕を開けたのである。

 

 

 

   Ⅱ

 

 

 

「筋斗雲!」

 

 朝のパオズ山に悟飯の声が響き渡る。その呼び声に従ってすぐさま黄金色の雲が彼方より飛来し、孫家の玄関先に急停止した。長年、孫家に仕えるこの世にも不思議な雲は、元々は父・悟空がカリン塔に住む仙猫カリンから譲り受けたものであるという。神の従者として八百年以上を生きる仙猫カリンが、過去に何名の人間に筋斗雲を分け与えたかは定かでは無いが、古来より雲に乗って空を飛ぶというのは東西を問わず伝承や昔語りの中に頻繁に登場するモチーフであり、あるいはそれらも、悟空たちのような歴代の筋斗雲の所有者たちがモデルになっているのかもしれない。

 

 その筋斗雲の上に胡座をかき、脇に控えて待ちかねていた悟天を呼んで、組んだ足の上に座らせる。兄弟で筋斗雲に乗る時のお決まりの体勢であり、また悟飯が幼いころに父とよくしていた格好でもあった。

 

 土産を包んだ風呂敷を悟天の膝の上に乗せ、悟飯は腕時計を確認した。ちょうど午前九時。予定していた時間ぴったりに、出発の準備は万事整っていた。

 

「悟天、忘れ物は大丈夫か?」

 

「ない!」

 

 碌に確認もせず言い切る悟天に、悟飯は仕方なさげな笑みを浮かべた。悟飯が受験勉強を始めて以来、休日に兄弟だけで外出するなど久しぶりであったし、ましてや行先が西の都とくれば悟天が浮かれるのも無理はなかった。今日に西の都を訪ねることは昨晩に急遽決まったことだが、そのときからずっと悟天は待ちきれぬ様子でおり、今も兄の膝の上で期待感に全身をうずうずさせており、少しつつけば破裂してしまいそうですらあった。

 

「二人とも、久しぶりだからといって、くれぐれも失礼のないようにな。夕飯までには帰ってくるだぞ」

 

「はいお母さん。それじゃ、行って来ます」

 

「行って来まーす!」

 

「ブルマさんに宜しくなー」

 

 見送りのため来ていたチチに手を振りながら、悟飯は筋斗雲を勢いよく飛び立たせた。二人を乗せた黄金色の雲はあっという間に雲の上まで上昇し、はるか大陸の西端を目掛けてほうき星のように疾走を開始した。時速九百キロ以上の非常識な速度により、乗っている者には相当どころではない風圧が襲いかかるはずだが、筋斗雲の不思議な力に守られてか、悟飯たちは多少髪を乱しながらもいたって平然と雲の上に座り込んでいた。

 

「さっきブルマさんちに電話したけど、トランクスくんもすっごくウキウキしながら悟天のこと待ってるってさ。たくさん遊んできな。前みたく喧嘩しちゃだめだぞ」

 

「うん! トランクスくんね、新しいオモチャを買ってもらったんだって。僕にも遊ばせてくれるって言ってた」

 

「そうか、ちゃんとありがとうって言うんだぞ。あとくれぐれも壊さないようにな」

 

「あとねあとね、トランクスくん新しい必殺技を開発したんだって。今日の対決ごっこで見せてくれるって。あー楽しみだなぁ」

 

「そっかぁ。頼むぞぉ、くれぐれも家を壊したりなんかしないでくれよ。とくに超サイヤ人には大人の見てないところでは絶対になっちゃだめだぞ」

 

「はーい」

 

 悟飯の弟・悟天は今年七歳になるが、そんなまだまだ小さな子供である弟が、あろうことかサイヤ人秘技中の秘技である超化を会得してしまっていることを悟飯が知ったのは、わりと最近のことだった。

 

 話を聞くに、悟飯が本格的に受験勉強を開始したのと同じ頃より、悟天は母から武術の手解きを受け始めており、組手稽古もよく行なっていたらしい。それまではたまに悟飯が気晴らしに体を動かすのを見物するくらいで、ろくに武術を齧ったこともなかった悟天であったが、やはり悟空の息子だけあって並々ならぬ才覚があったようで、始めのころは母の動きに翻弄されるばかりであったが、三、四日もすれば大分ついていけるようになった。そうしてまるで嵐のように降り注ぐ母の蹴りや拳を夢中で捌くうちに、いつの間にか超化が発現していたのだという。

 

 同じお父さんの息子なのにえらい違いだな、と自分のときと比較して悟飯は首を傾げたものだが、現に超化を果たしているのだから疑問を抱いても仕方がない。人前で変身したり、人様に力を向けたりしないようにだけ厳しく言い含め、あとは悟天の好きにさせていた。

 

 途中、川辺などで休憩を挟みながら、十時半ごろには西の都上空に辿り着いた。西の都と言えば人口二千万人を超え、多くの大企業が軒を連ねる世界最大のメガシティである。まだ発展途上にあるサタンシティと比べても、さらに輪をかけた大都会であり、サタンシティと違って海にも面しているため、陸海空あらゆる交通の一大ターミナルにもなっている。もっとも数十年前にホイポイカプセルが発明されたことにより、世界中の物流インフラは二百年に一度と言われるほどのパラダイムシフトを起こしており、空港や港といった昔ながらの巨大停泊地は年々縮小傾向にあった。

 

 いずれにせよ西の都が大陸最大の大都会であることには変わりなく、そしてそんな大都会でも空からブルマたちの家を見つけることは難しくなかった。世界トップクラスの大企業であるカプセルコーポレーションの研究所兼創業者一家の邸宅は、街の中心地にて一際大きな敷地を有するため、空から見れば一目瞭然だった。それでなくとも、今日も早くからトレーニングに勤しんでいるのか、とある人物の赤熱する鋼鉄のような気を辿れば、悟飯らにとっては迷いようがないのである。

 

 適当な場所で筋斗雲を下り、二人は徒歩で邸宅の正門まで向かった。ドーム状の家屋はあいも変わらず見上げるほどの大きさで、ベースボールの試合だって難なく開催できてしまいそうである。

 

 そんな大邸宅の正門にて悟飯は備え付けのインターホンを鳴らそうとしたが、悟天がねだるので腰を掴んで持ち上げてやり、代わりにスイッチを押させた。

 

「孫悟飯さまと悟天さまですね。お迎えにあがりますので、少しお待ちください」

 

 インターホンから丁寧な返事が返る。つい最近まで悟飯はこれが人工知能による機械音声だと知らなかった。

 

「悟飯さまだって」

 

「お前こそ悟天さまじゃないか」

 

 二人でくすくすと笑い合っていると、すぐに来客者応対用のメイドロボットが現れ、二人を邸宅内へと案内した。ご丁寧にメイド服を着ているが、中身はあからさまなロボットであり、さすがにこちらは人間と見間違えはしない。

 

「いらっしゃい、二人とも」

 

 表玄関を潜ると、待ち構えてくれていたのか創業者一家の最年少者がすぐに出迎えてくれた。紫がかった髪の毛を短く切り揃えた小さな少年であるが、悟天よりも僅かに背が高く、幼い顔立ちの中にもどこか父親に似た精悍さや鋭利さが垣間見え、同世代の子供より幾分大人びて見える。

 

「やぁ、トランクスくん。また背が伸びたね」

 

 八歳下の小さな友人の頭を、悟飯は親しげに撫でた。トランクスは気恥ずかしげに俯き、その仕草は当然と言えば当然だが七年前に別れたきりのとある知人といよいよ瓜二つで、悟飯の胸中にほろ苦い懐かしさが生じた。

 

「ねぇ、何して遊ぶ? 早く俺の部屋に行こうよ」

 

「ごめんよ、トランクスくん。まずは君のお母さんに挨拶しないと。お土産も渡さなきゃいけないしね。そうだな。悟天はトランクスくんと遊んでてもいいぞ。もし話が早く終わったら兄ちゃんも行くからさ」

 

「うん、わかった」

 

「よし、行こうぜ悟天」

 

 悟天とトランクスはさっそく連れ立って駆け出して行き、悟飯はそのままメイドロボットの案内に付いて行った。三階建てのこの家には五十以上の部屋があり、何度来ても悟飯は案内なしに歩ける気がしなかった。

 

 階段を物ともしないメイドロボットの足運びなどに感心しつつ、二階にあるブルマの私室兼研究室に入ると、学校の教室くらいはありそうなだだっ広い部屋の中で、ハイネックのシックなワンピースに身を包んだ妙齢の女性が、作業机に齧り付いていた。備え付けの拡大鏡を覗き込みながら、半田ごてを使ってなにやら細かな作業を行なっており、また何かしらの新製品でも開発しているのかもしれない。

 

「お久しぶりです、ブルマさん」

 

「久しぶりー。ちょっと待ってて、二分くらい。あ、好きに座ってて」

 

 遠方からの客にブルマは顔も上げず手だけを振って応じた。カプセルコーポレーション創業者であるブリーフ博士の娘であり、同社の副社長兼開発局々長を務める才媛。父の古い友人でもあり、なんでも育ての親以外に父が生まれて初めて出会った人間が彼女であったとのことだ。そんなブルマのあまりにも変わりない様子に、悟飯は顔を綻ばせながら部屋の真ん中にあるソファーに座り、大人しく彼女のことを待った。結局ブルマが作業を終えるまでには、十五分ほどソファーの上で暇を潰さなくてはならなかった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「あー肩凝った。お待たせー」

 

 ブルマはやや年寄りくさく肩を回しながら悟飯の向かいのソファーに腰を下ろした。しかし老けて見えるのは仕草だけで、ブルマの外見そのものは悟飯の目から見てもあいも変わらず実に若々しい。一児の母であり年齢もすでに四十路を超えているはずだが、みなぎる叡智と才気、そして溢れんばかりの自信と活力が、彼女の目も肌も人並み以上に輝かせていた。

 

「改めて、いらっしゃい悟飯くん。ごめんね、待たせちゃって」

 

「いえいえ。あ、これお土産です。ゴールデンオイルフィッシュの干物と、『蘭亭』」

 

「きゃー嬉し。さすがチチさんね」

 

 蘭亭とは紹興酒の銘柄であり、パオズの地酒でもある。先の干物ともどもブルマはこれに目がなく、悟飯やチチがブルマを訪ねるときには必ず持参する定番の土産であった。

 

「また新しい発明品ですか?」

 

「ふっふーん、知りたい?」

 

「ええ。その時計みたいのがそうですよね」

 

 悟飯が視線で示すのは、ブルマが作業机から持って来ていた腕時計らしきものだった。ブルマはそれを応接机に置かれていた真っ白な箱の中に収め、綺麗なリボンをかけ始めた。

 

「まぁね。君が来る前に箱詰めしておこうと思ったけど、ちょっと時間が掛かっちゃった。結構、自信作よ? はい、じゃぁこれ」

 

 綺麗に包装された箱を差し出され、悟飯はきょとんとした。

 

「僕に? いいんですか?」

 

「そう。遅くなっちゃったけど入学祝いよ」

 

 思いがけぬプレゼントに、悟飯は破顔一笑した。

 

「ありがとうございます。開けてみていいですか? せっかく包んでくれましたけど」

 

「構わないわよ。ぜひ開けてみて。使い方も説明したいし」

 

 リボンを解いて箱を開けてみると、やはり中に入っているのはデジタル式の腕時計だった。昨今の若者の間ではアウトドア用の重く頑丈なものが人気だが、悟飯のそれは厚さ八ミリくらいの落ち着いたデザインであり、全く重さも感じない。

 

「ありがとうございます。わざわざ手作りの物を頂けるなんて、本当に嬉しいです」

 

「いいのいいの、これくらい。君には色々と世話になってるからね。あ、箱の中に説明書も入ってるから、捨てたりしないでね。色々と便利な機能を仕込んでおいたから」

 

 言いながらブルマは部屋の冷蔵庫から水差しを取り出し、コップに注いで悟飯に振る舞った。中身はほどよく冷えたアイスティーであり、レモンのわずかな酸味が心地よく悟飯の口の中に広がった。

 

「さ、じゃぁさっそく困りごとについて聞かせてくれる? おおよそのところは昨日の電話でも聞いたけど」

 

 そうブルマに水を向けられ、悟飯は改めてソファーの上で居住まいを正した。今日、西の都を訪ねることになったのも、元々は昨日の夜にこの件についてブルマに相談の電話を掛けたことが切っ掛けであった。

 

 昨今頭を悩ませているとある厄介ごとについて、悟飯はかいつまんで経緯を説明した。数日前の体育授業にて、「金色の戦士を捜す会」なる危険団体が人知れず発足されていたことが判明したこと。言うまでもなくその金色の戦士とは自分であること。当初はたかが少女二人のサークル活動と高を括っていたが、話を聞けば聞くほど侮れぬ行動力と発想力、なによりも並々ならぬ熱意が感じられ、深く危機感を覚えていること。なんとか力ずく以外で、彼女らの活動を掣肘する方法を探していること。

 

 とりわけブルマは、かの有名なミスターサタンの一人娘が悟飯のクラスメートであるということに驚きを見せた。

 

「世間って案外狭いのね。おまけに随分と賢い子みたいじゃない」

 

「ええもう本当に。本人もかなり腕が立つようですし、おまけに警察にも色々とツテがあるみたいで」

 

「面白そうな子に目をつけられちゃったわね。さーて、いま聞いた限りだと、一番不味そうなのは君がTシャツを買ったっていう店の防犯カメラよね。これが流出しちゃったりしようものなら、確かに金色の戦士の正体が悟飯くんだと特定されるのは時間の問題だと思うわ」

 

「一応、そっちはなんとか対処したんですよ。だから動画が広まるようなことはないはずです」

 

「あら、どうやって?」

 

 そう問われ、悟飯は言いづらそうに口籠もりながらも、つい先日の一幕を説明し始めた。

 

 

 

   Ⅲ

 

 

 

 体育でバレーボールの試合があった日、つまりは「金色の戦士を探す会」なる危険団体の存在が明らかになった日のことだが、会の会長であるビーデルはその日の放課後にミッドタウンへ繰り出し、早速金色の戦士の捜索活動を開始すると言い出した。具体的にはサタンシティ内で件のTシャツを扱っている七つの店を一通り回り、聞き込みとポスターの配布を行うとのことだった。ポスターの原本がようやく完成したばかりだというのに実に忙しないことだが、どうもバレーのゲームで思わぬ快勝を果たしてしまったことで変に勢い付いてしまったらしい。

 

 よければ一緒にどうかとビーデルは皆にも声を掛けたが、バレーボールでチームを組んだ面子やシャプナーからは部活のため、イレーザとノートンからは見たいテレビがあると言って断られ、悟飯もまた適当な理由を付けて参加できない旨を表明した。

 

 無論ビーデルは少しもめげることなく、学校が終わるや否や意気揚々とミッドタウンへと向かって行った。サタンシティのミッドタウンと言えば、一般的にはセントラル駅から南側に広がる四方二キロほどの一帯を指す。劇場やデパート、レストラン、コンサート会場などさまざまな商業施設や観光スポットが立ち並び、さらに南側半分はビジネス街にもなっており、各種企業ビルのほか市役所や警察署なども置かれている。立地、経済、行政、いずれにおいてもサタンシティの中心地であり、世界的英雄ミスターサタンの影響もあって年間訪問者数は五百万人以上にも昇るらしい。

 

 しかしそんな都会の街並みも、古くからこの街に住む金と黒の少女二人組にとっては己の庭も同然であった。セントラル駅に降り立ったイレーザとビーデルは、立ち並ぶ高層建築にも臆することなく、ひとまずは駅近くの服屋に向けて迷いなく歩を進めていった。

 

 皆から同行を断られ、すっかり単独捜査のつもりでいたビーデルであったが、捨てる神あれば拾うイレーザあり、一度は断りながらも最終的にはイレーザも同行することになっていた。

 

「別に一人でもよかったのに」

 

「まぁ、いーじゃんいーじゃん」

 

 イレーザが態度を翻したのは、さすがに全くの不運とはいえ、命の危険に晒されたばかりの繁華街に友人が再度一人で赴くことを懸念してのことだったが、実のところその心配は全くの杞憂であった。ビーデルが並々ならぬ腕前を誇る武道家であるという以前に、もとより彼女には地上最強とも言えるほど心強い護衛が付いていたため、宝石強盗どころか軍隊に狙われようと、彼女の身の安全は保証されていると言えた。

 

 言うまでもなくその護衛の名は孫悟飯と言い、学校の最寄駅で別れたと見せかけてこっそり彼女らの後を尾けており、繁華街に着いてからも常に十メートル以上の距離を保ちながら、ビルやら自販機やら街灯などの影からひっそりと監視の目を光らせ続けていた。

 

(参るなぁ、もう……)

 

 孫悟飯、十六歳。生まれて初めての尾行であった。当然彼にやましい思いはなく、あくまで健やかな学園生活を守りたいがためのことであったが、そのためにこうして女の子の後をこそこそと付け回すなどという不健全極まりない行為に身をやつさねばならないというのはあまりに皮肉の効いた話であった。

 

 加えて、予想を違えてイレーザまでもが尾行対象に加わってしまったことが尚更悟飯の気を滅入らせていた。学校に入学してからというもの友達作りにアパート探し、のみならず実はバイト選びにすら少なからず彼女の力を借りており、悟飯としてはもはや到底彼女に足を向けて寝られないというのに、そんな彼女の優しさがよもや自分に仇なす日が来るなどと、ほんの数日前までは予想だにしないことだった。

 

 そんな少年の苦悩は露知らず、少女二人は早速「ツーフェイス」という店名の若者向けの服屋へと向かって行った。捜査対象である七つの店の中では最も駅の近くにあり、まさしく悟飯が件のTシャツを購入した店そのものである。

 

 二人が店に入り、十数歩遅れて悟飯も身を低くしながら後に続くと、目的のTシャツはすぐに見つかった。他のTシャツは畳まれた状態で棚に置かれているが、このTシャツだけはハンガーに吊るされた状態で棚の脇に掛けられていたためである。ヘッジホッグというブランドの新作であることから、店側も目立つところに置いているのだろう。

 

「これね」

 

 とビーデル。

 

「これだね」

 

 とイレーザ。

 

(ええ、これですね)

 

 と、少し離れた棚の陰で悟飯も頷いた。

 

「”I'm The Strongest”に”Go To Hell”か。随分と威勢のいいロゴね」

 

「まぁこの手のものではお決まりのフレーズってやつでしょ」

 

(そんなこと書いてあったかな?)

 

 ドクロのイラストに気を取られ、細かいところはあまりよく見ずに買った悟飯だった。

 

「あ、見て見て。”I'll Give You My Wonderful Gene”てのもある。かっくいー」

 

(げ……)

 

「よかったじゃん、ビーデル」

 

「はっ倒すわよ」

 

 顔を赤くしながら睨むビーデルだったが、悟飯の顔色も負けず劣らずであった。いまイレーザの言った文言は、どうやらシャツの背中側に書いてあったらしく、悟飯自身はまったく気付かなかったが、あの夜に出会ったチーマやライアなどはひょっとしたら目にしていたかもしれない。今更ながらに悟飯は恥入り、アパートに帰ったらすぐさまその部分をマジックで塗りつぶしておこうと心に決めた。

 

 そうしている間にもビーデルは店内を素早く見回し、レジ近くにサングラス置き場があることに目ざとく気づいた。

 

「ここ、サングラスも売ってるのね。さすがにシャツと一緒に買ったとは限らないけど、一応見ときましょうか。期待してるわよワトソンくん」

 

「誰がワトソン?」

 

 そう言って二人はレジ近くのサングラスコーナーに近寄り、金色の戦士が掛けていたものと同じものがないか物色を始めた。悟飯がはらはらと見守る中、二人は三角形型のレンズを使用してるものを手当たり次第にかき集め、一つ一つをつぶさに確認していくが、ファッション関係の観察力に優れるワトソンことイレーザもこれには苦戦したようだった。

 

「この中で選ぶならこれか、これか、これかなー。案外似たような奴がたくさんあるね」

 

「なんとか絞り込めない? つるとかブリッジの形で」

 

「あのね、カメラじゃないんだから。この分じゃ他のメーカーからも似たようなやつがありそうだし、ちょっと厳しいかなぁ」

 

「そっか……」

 

(よーしよーし)

 

 ビーデルは仕方なさげに肩を落とし、一方で悟飯はまたもや二人とは離れた場所に潜み、服を選ぶ振りをしながらぐっと拳を握った。へこんでいる二人を見るのは忍びないが、今回ばかりは彼女らに笑顔になられては困るのである。

 

 とはいえビーデルはすぐさま気を取り直し、早速最寄りの店員を捕まえて聞き込みを始めた。幸い、悟飯にとっては見覚えのない顔である。悟飯が服を購入したときに応対してくれた店員は、今日はシフトではないのか店内を見回しても見当たらなかった。

 

「あの、お仕事中のところすみません。お伺いしたいことがあって、少しお時間を頂けないでしょうか。ひょっとしたらニュースなどでご覧になられたかもしれませんが、私たちは四日前にあの金色の戦士に命を救われた女学生です」

 

「金色の戦士に? そういえば確かに新聞で見たような。あれ、すると君はあのミスターサタンの」

 

「はい、娘です。ご存知の通り、金色の戦士は誰にも氏も素性も告げずに現場を去りました。彼の謙虚な姿勢は見習いたいくらい立派ですが、私も未熟ながら武道家の端くれ。命を救ってくれた相手に、なにも返さないわけにはいきません。なんとか彼に感謝の気持ちを伝えたく、あの日以来、彼を探し続けているんです」

 

 実に健気な内容を、これまたわざとらしいくらい健気な面持ちで話すビーデルに、店員はいたく感銘を受けたらしく「うんうん」と頷きながら聞き入っていた。遠くで耳をそばだてている悟飯ですら、うっかりほだされそうになったほどだ。

 

「金色の戦士について一つだけ手がかりがありまして、あのときの彼はあそこに飾ってあるTシャツを着ていたんです」

 

「え、あれをかい? 間違いないのかい?」

 

「はい、二人とも確かにこの目で見ました」

 

 ビーデルに合わせて、イレーザもまた息ぴったりに頷いた。

 

「そこでお願いです。金色の戦士らしき人物があのシャツを買いにこの店に来なかったか、教えていただけないでしょうか? 彼の特徴を紙に纏めました。こちらです」

 

 ビーデルは何十枚もあるA4用紙の束をカバンから取り出し、そのうちの一枚を店員に差し出した。バレーのゲーム前に悟飯たちに見せたポスターをカラーコピーしたものであり、あの後ビーデルに頼まれて、わざわざ職員室の複合機を借りて大量のコピーを印刷したのは他ならぬ悟飯自身であった。

 

「もちろん、警察でもないのにこのようなことを尋ねられても本来答えられないことは重々承知しております。仮に心当たりがあったとして、その人のことを細かく教えていただかなくとも結構です。紙に書いた特徴に合致する人物がいたかいないかだけでも教えて頂ければ、あとは自分の足で探します。どうか、どうかお願いいたします」

 

 ビーデルとイレーザは再び息ぴったりに、きちんと踵を合わせ折目正しく頭を下げた。お辞儀の文化は東エリアでは特に根強く、幼稚園の頃から必ず教えられる礼儀作法であった。

 

 しかし彼女らの誠意も虚しく、その店員は申し訳なさそうにしながらも心当たりがないと答えた。その後いくつかのやりとりを経て、ビーデルたちは店員に丁寧にお礼を言い、また別の店員の方へと向かった。最初の者も含めて合計五名の店員に同じ質問を行なったが、次の三名からはきっぱりと回答を断られ、残る一人からは最初の店員と同じく「自分の扱った客にはいなかった」という答えしか得られなかった。

 

 二人は一度店の外に出て、近くの自販機のところで一服した。記念すべき初回捜査はあまり芳しくない結果に終わったが、二人ともさほど落ち込んでいる様子は見られなかった。

 

「どうする? これでこの店はシロ……ってわけじゃないでしょ?」

 

「当たり前よ。違うシフトの時に尋ねれば結果は変わるかもしれないし、また別の日にでもトライしてみるわ」

 

「明日もまた来るってこと?」

 

「ううん、それはやめとく。なにせ全員に声をかけたから、多分わたしたちのことはお店の中で情報共有されちゃうと思うの。ミーティングとかでね」

 

「こんな迷惑な客が来たから、みんな気をつけろって?」

 

「そうそう。だからちょっと日を置いた方がいいと思うわ。それよりも見た? 期待通り店の中に防犯カメラがあったわね。それも三つも」

 

「あったね。あたしピースしちゃったもん」

 

「例のTシャツの置き場所と、レジと、そして店の出入り口までの動線を考えれば、まず間違いなく金色の戦士の顔がどれかには映っているはずだわ。もちろんこの店で買っていればだけど」

 

「頼んでもあたしたちには見せてもらえないけど、逆に言えばお店の人なら自由に見れるよね。スケイルのアドバイス、効いてくれたかな?」

 

「いけるかもよ。二人目と四人目は結構露骨に食いついてきたし、ポスターの方は首尾よく全員に押し付けられたしね。誰か一人でも、ちょっと録画を確認してみようかって気になってくれれば儲けものよね」

 

「あとは果報を寝て待つばかり?」

 

「なに言ってるの、休んでいる暇なんてないわ。さ、この調子で二軒目にも行くわよ。あとポスターを掲示する場所にも目星を付けておかなくちゃ。掲示許可を取る必要もあるしね。家にはちゃんと飛行機で送るから、あまり遅くならないうちにやりきっちゃいましょ」

 

「へいへいほー」

 

 そうして二人は一つ目の店を後にし、そんな彼女らを悟飯は建物の屋上から一人静かに見下ろしていた。事件当日に悟飯が立ち寄った服屋はこの一軒のみであるため、これ以上彼女らを監視する必要はなく、気の進まないストーキング行為からようやく解放された悟飯だったが、到底気分は晴れなかった。今日のところはこれといった戦果は挙がらなかったようだが、しかしその代わりに先々の戦果に繋がりうる種子を二人は見事なまでに盛大に撒き散らしていった。遠ざかる二人の後ろ姿を屋上から見送りながら、悟飯は疲れたように深くため息をついた。

 

 

 

   Ⅳ

 

 

 

「ふーん、なかなかどうして、手強そうな子たちね」

 

「ええまぁ。なんといいますか、只者じゃない人達なんですよ、二人して」

 

「悟飯くんにしてみれば、人造人間やフリーザなんかよりよっぽど対処に困る相手なわけだ。で、動画の方はどうしたの? つっても大体想像は付くけど」

 

「そのあと、お店に忍び込んでデータを削除したんです。パソコンはあまり得意じゃありませんけど、授業でも習ってますし、幸いデータも見つけやすいところにあったので。その、不法侵入なのは分かってますけど、どうか内密にお願いします」

 

 そういって頭を下げる悟飯にブルマはおかしげに笑った。七年前、この生真面目な少年によって地球丸ごと一つと六十億もの人々が救われたのだ。ブルマにしてみれば、悟飯があと百回同じことを繰り返したとしても、まだお釣りが来ることであった。

 

「ゴミ箱に放り込んで空にしただけじゃ、一応復旧させる方法もあるから、ちょっと不安ね。別のストレージにバックアップがないとも限らないし。そうね……その動画のファイル名と形式って覚えてる? あとカメラの型番と、店のPCのOSが分かると助かるんだけど」

 

 もとよりコンピューターに詳しくない悟飯は、このことについてもブルマに相談しようとしていたため、ブルマがいま挙げた事柄はすべてあらかじめ手帳に控えてあった。悟飯はブルマから紙を貰い、必要事項を全て書き出した上でブルマに手渡した。

 

「オーケーオーケー。あとでちょちょいとプログラムを組んどくから、帰る前に渡すわね。後日、改めてお店のパソコンでそれを起動させてちょうだい。そしたらまぁまず大丈夫だから」

 

「とすると、また忍び込むんですか? やりますけど、大丈夫かな」

 

 気を操作し、一般人に悟られないレベルまで気配を殺すことは悟飯らにとって造作もないことだが、姿が透明になるわけではないため、不法侵入の安全性を保証するものにはならない。実際先日に店のPCを弄った時も、あやうく店員と鉢合わせしそうになったりなど少々危うい場面もあったりしたのだ。

 

 ところがブルマは、そんな悟飯の懸念を全く歯牙にも掛けなかった。

 

「問題ないわ、まーったく問題ないのよねこれが。さっき上げた腕時計を見てちょうだい。時計横にいくつかスイッチが付いてるでしょ? その左側の白いスイッチを押してみて」

 

 訝しみながら、悟飯は言われた通り時計横の白いスイッチを押してみた。ちなみにスイッチは左右二つずつ、合計四つあり、悟飯はてっきりアラームやストップウォッチ機能のスイッチだと思っていたのだが、どうやらそんな大人しい代物ではないようだった。

 

 異変はすぐに明らかになった。白いスイッチを押した途端、悟飯の視界から腕時計が左腕ごと消失し、悟飯は度肝を抜かれた。慌てて自分の体を見回すと、右腕や下半身も同じような状態にあった。感覚的にはまちがいなくそこにあるのに、まるで全身が透明になってしまったかのように姿が掻き消えていた。何が何だか分からないままブルマの方を向き直ると、ブルマはこれ以上ないくらいの笑みを浮かべて、どこからか持ってきた手鏡を悟飯の方に向けていた。鏡を覗き込むとやはり悟飯の顔は一切見えず、その代わり本来悟飯に隠れて見えないはずの背中側の光景がまざまざと写し出されていた。悟飯の持ってきた風呂敷なども写っているため、事前に用意された偽の映像などではあり得ない。悟飯は妖怪か何かに化かされている気持ちにもなった。

 

「な、なんですこれ……?」

 

「驚いた? いわゆる光学迷彩ってやつよ。うちの新型メタ・マテリアルを使って、君の体に向かう光を表面で迂回させているの。そうなると君の体では光の反射が一切起こらず、そのまま後ろに行ってしまうから、外からは透明人間のように君の姿が見えなくなるわ。いやー、まさかこんなにもすぐに役に立っちゃうなんて。あ、ちなみにさっき押してもらった白いスイッチでオンオフができるから」

 

 悟飯はなんとか手探りで時計左側のスイッチを再度押した。言われた通り、すぐさま元通り自分の体が肉眼で見て取れるようになり、ようやく悟飯は落ち着きを取り戻した。

 

「な、なんて機能を付けたんですか。凄いと言うか凄すぎるというか、ものすごく悪用できてしまいそうじゃないですか」

 

「まぁね。あ、でも体温とか赤外線までは誤魔化せないから、銀行を襲うときとかは注意してね」

 

「し、しませんよそんなこと」

 

「ま、そうよね」

 

 そう言ってブルマはアイスティーをひと啜りして、コップを机の上に置いた。

 

「まぁでも好きに使ってちょうだい。あたしとしても色々と思うところがあって、君の平穏な学校生活には是が非でも協力したいと思っているの。そのためのいろんな機能をその腕時計には詰め込んだわ。例えば、右側の青いスイッチ」

 

「ま、まだあるんですか。これですか?」

 

「あ、待って待って。押す前にこれを握ってみて」

 

 そう言ってブルマは今度はソファーの脇から、ひと抱えはある重々しい機械を持ち上げ、応接机の上にどすんと置いた。

 

「なんですこれ」

 

「あんたたち用に作った特別性の握力計。でもあんまり強くは握りすぎないでね。それでも壊れちゃうから」

 

「いいですけど」

 

 悟飯は機械の先端に付いているグリップらしき部分を軽く握ってみた。機械の中央に付いている液晶画面にて数字が目まぐるしく変動し、やがて電子音を立てながら固定される。

 

「千二百キロか。ま、そんなもんよね」

 

 ちなみに動物の中で最も握力が強いとされるゴリラで、握力はおよそ五百キロと言われる。ブルマに促され、次に悟飯は腕時計の青いスイッチを押してみた。すると軽い静電気のようなものが左腕に走り、さらに妙な違和感が悟飯の全身にまとわりついてきた。

 

「どう? なんか違和感とかある?」

 

「はい。なんかこう、少し体が重くなったような」

 

「そうでしょそうでしょ。じゃ、またこれ握ってみて。さっきと同じくらいの力で」

 

 言われた通りにすると、測定結果は九二七キロと出た。感覚頼りの測定なので正確ではないだろうが、明らかにさきほどより力の入りが悪い。呆気にとられる悟飯に、ブルマは胸を張って説明した。

 

 実はブルマは十年以上前から、悟空たちの超人的な強さの秘密を解き明かそうと時に当時の恋人、近年は主に夫を実験台に使いながら、本業の片手間にコツコツと研究を重ねていたらしい。この腕時計もその研究の一成果であり、着用した人間の気の流れを阻害する機能を持っているのだとか。

 

「ブルマさんってそういうのまでやるんですか。てっきり工学系だけかと思ってましたけど」

 

「もちろん生化学は本当は専門外なんだけど、やってみると案外面白くって独学で色々勉強したわ。あんた達の非常識な力がどこから来るのか、根っこのところは正直今でもよく分からないんだけど、でも結構面白いことも分かったりしたのよ」

 

「聞くだけで、なんかもう面白そうですね。何が分かったんです?」

 

 夫や息子ではなかなか得られない食いつきに、ブルマは大いに機嫌を良くした。研究者が喜びを得るのは、第一に自分の仮説が証明された時と、第二にそのことを誰かに自慢できる時であった。

 

「もともと私たちの皮膚にはたーくさんの小さな穴が空いているわ。毛孔と汗孔ね。でね、ヤムチャやベジータの体を調べたらなんとびっくり。それらとは別にもう一つの孔を表皮から見つけることができたの。たぶん、君の体にもあるわ」

 

「もう一つの孔?」

 

「そ。汗孔よりもさらに小さい、最新の電子顕微鏡でも手こずるくらいの、ちーっちゃな孔が無数にね。とりあえず今は仮で『気孔』って呼んでるけど」

 

「それだと草花が光合成に使うのと同じになっちゃいますね」

 

「あら、さすが現役高校生。感心感心」

 

 してその気孔はおそらく本来は誰の体にもあるものなのだが、普段はピッタリと閉じられていて電子顕微鏡でも見つけることができない。しかし何かを切っ掛けにその孔が開くと、いわゆる『気』……実際気流にも似た正体不明の粒子が体外に向けて放出され、飛行を行なったり光弾を放ったりなどの超常的な現象を起こせるようになる。なにもそれは戦うときだけでなく、こうしている今も、そして寝ている時ですら気孔から湧き出る気が極薄の衣のように悟飯たちの体を覆い、彼らの体を銃弾も受け付けないほど頑丈にしているのだとか。

 

「昔、出会ったばかりの孫くんも銃が効かなくてねー。あれは気の技は使えなくても気孔自体は開いていたんだと思うわ。だから亀じいさんの技も、一度手本を見ただけで使えるようになったんでしょうね」

 

「え、撃ったんですか? お父さんを」

 

「いや、あの時はてっきり妖怪かなにかだと思って」

 

 加えてこの気孔は全身に隈なく存在するが、とりわけ手の平や指先に最も多く分布しており、必然的に気の放出を最も行ないやすいのも同じ場所になると考えられる。悟飯たちが気弾や気功波の類を主に手から放出するのも、これが理由ではないかとブルマは推測していた。

 

 一連の説明に、悟飯の目から次々と鱗が落ちていった。無論、今のブルマの話が本当に正しいかどうかは多くの学術的な検証を必要とするだろうが、少なくとも悟飯の感覚とは概ね合致しており、これといった反論も思い浮かばない。これまで無意識に体得していたことに生化学的な理屈が加えられたことで、それまで悟飯の胸の内にあった霧のような理解に形と輪郭が与えられ、すとんと収まるべきところに収まる音がした。いつ聞いても、それは心地のいい音だった。

 

「でも、すると結局、気っていうのはなんなんでしょうか。今の話で言うと、気孔から放出される粒子の性質というか正体が肝になるわけですよね」

 

 もっともな疑問であるが、これについてはブルマもきちんとした回答は持っていなかった。普段は目視で観測できず、質量もなく、しかし当人が少しその気になるだけであっさりと性質も形状も変わり、強大な熱や光、衝撃を発生させるエネルギー。あまりにも変幻自在すぎるゆえ、まだまだ性質を特定することすらできていない状態だった。

 

「ただ、どれほど常識はずれであっても、それが体の中から生じている力である以上、やっぱり血液や呼吸と深く関わっていると思うのよねー。さっき言った気孔も体内をたどっていくと毛細血管とも繋がっているようだし」

 

「あると思いますよ。僕たちだって、普通の人と同じように酸素や食物の栄養で生きているわけですからね。サイヤ人の場合だとまずもって食事量が段違いですし」

 

「そうよね。加えて君たちの場合、血液の成分も地球人とは少し違うようなのよ。以前、知り合いの大学に調査を依頼しようとしたら、危うく大騒ぎになりかけたわ」

 

「それはまた大変でしたね。あと呼吸に関することだと、むかし超サイヤ人になった状態で潜水訓練をしたことがあるんですけど、やっぱり最後の方は変身を維持できなくなりましたね」

 

「ほっほー、とするとやっぱり呼吸?」

 

「多分。いや、でもどうかな。酸素の問題って要は血液の問題でもあるでしょうし、もっと言えば脳の問題って可能性も……」

 

 考え込む悟飯に、ブルマはくすくすと笑みをこぼした。

 

「そういうところは、お父さんとは全く違うのね。悟飯くん、君ってやっぱり学者に向いてるかもよ? ベジータもトランクスも全然こういうことには興味持ってくれないのよね」

 

「昔から生き物の図鑑とか好きでしたから。僕でよければいつでもお手伝いしますよ。正直とても興味があるので、是非」

 

「ほんと? やるなら本格的にやりたいけど、頼りにしていい? あ、なんなら契約書、書きましょうか」

 

 一応社交辞令ではなく本心からの申し出ではあったが、知識欲と挑戦欲に目を爛々と光らせるブルマに、どこか蛇に睨まれた蛙のような気持ちを味わい、悟飯は先程の自分の言葉に微塵の後悔も抱かないわけにはいかなかった。

 

 

 

   Ⅴ

 

 

 

「で、その時計の話に戻るけど、それは皮膚にちょっとばかしの電流を流して、その気孔を閉じさせる働きをするのよ。元々はむかし家のものを手当たり次第壊しちゃってたトランクスのために作ったんだけど、悟飯くん用に作り直してみたわ。完全にとはいかないけれど、それなりに悟飯くんの気の働きを抑えてくれるはずよ」

 

「気を抑える、か」

 

「学校、色々と苦労続きなんでしょ? あたしも結局トランクスを小学校に入れるのは諦めちゃったし、気持ちは分かるわ。それを付けてれば、少しは学校でも過ごしやすくなるんじゃない?」

 

 そういって片目を瞑るブルマに、悟飯の心臓がじんと熱くなった。

 

「ありがとうございます。すごいですね。相談したのは昨日なのに、さっきの透明になる機能といい、これといい、まさかたった一日でこれだけのものを作って頂けるなんて」

 

「ううん、違うわ。それぞれのシステム自体は作り始めたのはもっと前からよ。光学迷彩なんかは、もともとウチの新製品に採用しようとしてた奴だしね。腕時計という形で君にプレゼントしようと決めたのが、一週間くらい前になるかな」

 

 一週間と少し前、日頃のストレスに耐えかね、サタンシティ上空で悟飯が盛大に気を解放させてしまう一幕があった。その際チチの下に、ブルマを初めとする悟空の仲間たちから立て続けに電話が掛かってきており、のちにそのことを母から聞いた悟飯は一人一人に謝罪とお礼の電話をかけていたが、そのときからブルマはこの腕時計の製作に着手してくれていたらしい。そうと聞いて、悟飯は改めて深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。これがあれば、体育の授業でボールを爆発させなくて済むかもしれません。ずっと大切にします」

 

「あら、そんなことがあったの。目に浮かぶわ」

 

 ブルマはくすくすと肩を揺らし、その大人びた仕草に悟飯は尊敬の念を際限なく募らせていった。「わりと困った人」などとこれまで密かに思っていたことを全力で詫びたい気持ちにもなったのだが、なにやら突然雲行きが怪しくなってきたのはそんな矢先のことだった。

 

「でもね、ふひひ、それだけじゃないのよねーその時計の真価は。まだまだ序の口ってゆーかー、迷彩の方も気の制限の方もあくまでついでってゆーかー、ほんのついでのオプション機能ってゆーかー、本命の機能は別にあるんだなー、これが」

 

「そ、そうなんですか? 十分すごい発明に思えますけど」

 

 突然不気味なにやけ面を浮かべ始めたブルマに、悟飯の肌が一斉にざわめきを挙げた。優れた研究者にして心優しい大人の女性、などという非の打ちどころのない人物がつい今の今まで目の前にいたはずなのに、ほんのすこし瞬きする間にまったく別の何かに変わってしまっていた。

 

「あの、ブルマさん?」

 

「ふひひひ。さっきの青いスイッチの隣に、もう一つ赤いスイッチがあるでしょ?」

 

「これですか?」

 

 先程の青いスイッチと並んで、時計の竜頭の位置にある赤い方のスイッチを悟飯は見つめた。

 

「これは……なんのスイッチなんです?」

 

「ふ、ふふふ」

 

「あのー……」

 

「……押してみそ?」

 

「い、いまですか?」

 

 にやけ面のまま、ブルマはかくかくと首を縦に振った。

 

「あの、事前説明を」

 

「押せば分かるから。すぐに」

 

「ええと」

 

「ささ、ぽちっと」

 

「ば、爆発とかしませんよね。さすがに」

 

 ブルマは何も答えずただ「ふひひ」と笑うばかりで、やむなく悟飯は彼女の良識を信じ、意を決してそのスイッチを押してみた。

 

 すると突然、まるで蛍の群れのような幾つもの小さな光があたりに瞬き始め、あっという間に悟飯の全身を包み込んでいった。

 

 

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