孫悟飯、その青春   作:マナティ

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第九章 クラブ見学行脚

 

 

 

 

   Ⅰ

 

 

 

 

 

 常日頃から悟飯の朝は早く、この日も目を覚ましたのは午前五時頃のことだった。大体の場合、悟飯が毎朝まぶたを開けて最初に目にするのは、自室の味気ない天井か、すぐ隣ですやすやと眠る弟の寝顔のどちらかだった。一応兄弟にはそれぞれ一人用の寝台が与えられているのだが、まだ一人寝を嫌がる悟天のため二人の寝台はぴたりとくっつけられ、まるでダブルベッドのように使用されている。

 

 寝ているうちに蹴飛ばしてしまったのか、悟天の小さな体には片足にしか毛布が掛かっておらず、悟飯は寝ぼけ眼のまま腕を伸ばして、弟の毛布を胸元まで引き上げてやった。

 

(可愛いやつだなぁ)

 

 悟飯は素直にそう思った。自分と同じ血が流れる、自分よりも遥かに小さな存在に対し、愛しさを禁じ得なかった。あるいは父も、かつてはこのような気持ちだったのだろうか、と悟飯は想像した。まだ自分が悟天よりも小さかった頃、このような気持ちを自分に抱いてくれていたのだろうか。

 

 徐々に眠気を覚ましながら、悟飯はゆっくりと身を起こした。固まった筋肉をほぐすように肩を大きく反らし、二、三度伸びをしてから弟を起こさぬよう静かに寝台を降りる。

 

 トイレを済ませ、軽く顔を洗ってから玄関を通って家の外に出る。朝のパオズ山の透き通るような空気をひとしきり吸ってから、悟飯は日課である朝の体操を始めた。屈伸、伸脚、前屈、後屈、体の回旋。お決まりの運動をテンポ良くこなしていく。

 

 続いて拳法の基礎練習を行なう。これもまた日課にしていることである。突き、蹴り、受け、受け身の四種の動作をさらに四つずつに分けた、計十六の動作を一定回数ずつ繰り返す。かつて父・悟空より教わったこの型は、さらに遡れば父の育ての親である「もう一人の孫悟飯」が父に授けたものだという。いわば孫家三代に伝わる由緒正しき型であり、それを孫家の末裔たる悟飯は、よく言えば忠実に、悪く言えば独自の工夫を凝らすことなく、ひたすらに模倣していた。

 

 本格的な修行を止めて久しい悟飯であるが、それでもよほど天気が悪くない限り、この稽古だけは毎朝欠かさず続けていた。元々体を動かすことは嫌いではなく、軽い運動を挟んでからの方がこの後の学校での勉学にも身が入ると感じていた。なによりこうして父の教えの通りに型をこなしていると、いつも悟飯の脳裏に懐かしい声が響いてきて、その声と共にしばしの時間を過ごすことが悟飯は好きだった。

 

――体は毎日鍛えとけ。じゃねぇとすぐなまっちまうからな。

 

 今日もまた聞こえて来る。古き思い出の声、亡き父の声。その声に応えるかのように、悟飯は無心で体を動かし続けた。故人の菩提を弔う方法は人それそれで、遺影の前で手を合わせたり、ただ心の中で祈りを捧げたりなど十人十色であるが、悟飯にとってはこの毎朝の型稽古があるいはそうであったのかもしれない。

 

 十六種の型を一通りなぞり終えると、それだけでも随分と体が温まり、山の冷えた空気が一層心地よく肺に染みるようになった。自らの汗の匂いが鼻先に漂い、悟飯は用意していたタオルで、軽く首筋を拭った。幼少の頃は自分の体臭など気にしたこともなかったが、二次成長を迎えた頃から、やや匂いが強くなったような気がしていた。

 

 次に悟飯は目を閉じて、「腰を下さずに」半跏趺坐の姿勢を取った。舞空術により空中に座したまま、左右の手を腹の前で組み合わせ、両親指で輪を作る。東方の宗教における定印にも似るが、要はリラックスが出来れば良いのであって明確に手の形が定められているわけではない。

 

 空中にて座禅を組み、調息、調心、調気を順に行う。慣れ親しんだ手順は、父ではなくもう一人の師から教わったものだった。

 

――くれぐれも気の鍛錬だけは怠るな。せっかく身に付けたものを錆びつかせたくなければな。

 

 師・ピッコロの言葉である。悟空と異なり、彼は毎日の基礎訓練については心気の鍛錬を重視していた。後に父から聞いたところによると、それは先代の神も同じであったらしい。

 

 目を閉じ、息を整え、心の扉を開く。ピッコロの教えの甲斐あって、悟飯はさながら息を吐くような容易さであっさりと禅の境地に達し、己の内界との合一を果たした。どれほど高名な僧侶であっても、今の悟飯を見ればたちまち兜を脱いでしまうかもしれない。そのまま自らの深奥へとさらに潜行していき、やがて悟飯は内観の奥底、自らの「内なる宇宙」へと辿り着く。この領域については極めて感覚的なことなので非常に言葉にしづらく、父の仲間たちの間でも言い表し方は様々であった。無我の領域、忘我の境地、気の源泉、無意識のうなぞこ。そして悟飯流に言い表すならば「自分の中の宇宙」となる。これもまた、ピッコロから教わった言葉だった。

 

 気の源泉とも言われるだけあって、気の鍛錬を図るにこれ以上の場所はないが、しかしこの場所を用いた修行法で最も効果を発揮するのは、実は二人以上で行なったときである。誰かと息を合わせ、心を合わせながらここに至ることができれば、その者とは強く意識が結ばれ、言葉無しに意思を伝え合ったり、感覚を共有し合ったりといった、テレパシーの真似事も可能になる。ピッコロから気功を学んだときも、父から超化の手解きを受けたときも、悟飯は幾度となくここへ連れてこられては、それぞれの師から気の操り方を直接心に叩き込まれた。そうして悟飯は、ほんの数十年前までは武天老師などの最上級の達人しか扱えなかった気功術を齢四歳にして会得し、さらには九歳のときに、千年に一度の伝説と謳われる超サイヤ人の力をその手に掴んだのである。

 

 自分という宇宙の中をゆったりと漂い続ける内に、やがて悟飯はかすかな熱を肌に感じた。意識内の世界で肌というのも妙だが、とにかくそう感じた。無限の宇宙の遥か彼方にて、活火激発に燃え盛る途轍もない力の渦があった。シリウスよりも遠く、それでいて太陽よりも大きく、黄金に眩く輝く巨大な星。孫悟飯という人間の内に眠る絶大なエネルギーの、その全て。

 

――そうだ悟飯、そいつがおめえの力だ。お前の中で眠り続けているお前だけの力だ。さぁ手を伸ばすんだ。

 

 心の中に響く声に従って、悟飯は開闢をも思わせるその強烈な光の方へと意識を滑らせた。しかし空間の概念など無いはずのこの世界にて、行けども行けどもその光の下へ辿り着くことはできなかった。あることは分かるのに、視覚以外の何かで見えてすらいるのに、どういうわけか辿り着けない。永遠に手の届かない彼方の光。七年前には、もう少しだけ近くに感じられたような気がする遠くの星。

 

――がんばれ悟飯。それはおめえにしか掴めねえ。いつかそいつを掴み取って、オラに見せてくれ。

 

 いつか? ふと湧いた疑問が、悟飯の意識内にて波打った。いつか、とはいつのことなのだろう。父の言うように、いつか自分はあの星を掴めるのだろうか。今はまだ兆しすら見えないが、このまま永く鍛錬を続けていけば、いつかはあの光にも手が届くのだろうか。

 

(……)

 

 体内に眠る潜在能力の全てを、掌中に収めることがいつの日か出来るようになるのだろうか。それをこの世にあまねく発揮すれば、自分は本当の意味で「父を超えた最強の戦士」になれるのだろうか。この世の全てを超越し、全界の頂点に立つことが、あるいは、ひょっとして……。

 

(…………)

 

 しかしそれは、本当に、自分の望みなのだろうか。

 

 そう思った瞬間、悟飯の内観は解かれ、内なる宇宙は消え去った。両のまなこが、いつもと変わらぬパオズ山の風景を写し出す。澄んだ山と河の匂い。鳥たちの歌。生まれからずっと悟飯の周りにあった生命の気配を肌に感じながら、悟飯は舞空術を解き、しっかりと両の足で地面を踏みしめた。稽古を始めて、ちょうど三十分が経過していた。型稽古に十五分、瞑想に十五分、毎朝の日課通りである。

 

(さ、支度をしないと)

 

 タオルで顔を拭いながら、悟飯は家の方へと踵を返した。学校へ行く支度をしなければならない。毎朝のことだが、こういうとき決まって悟飯はなんとも言えぬ後ろめたさを覚える。

 

 当然ながら、悟飯が父や師から教わった修行法には本来まだまだ続きがある。というより鍛錬にはそもそも終わりなどないものだ。強さに果てが無いのと同じように。そうでなくともたった三十分のみの稽古では、たとえどれほど優れた内容であっても軽い体操にしかならず、多少心身がほぐれるくらいで、なんの向上も得られない。

 

 玄関の戸を開ける際に、悟飯はドアノブを掴む自分の腕をふと眺めた。微塵のたるみもなく、今もなお人並み以上に鍛え上げられた逞しい腕だが、それはあくまで一般的な視点であり、悟飯からすると明らかに筋肉量が足りておらず、細腕と称しても過言ではない。七年前の時の方がよほど鍛えられており、在りし日の父と比べるとなお明白となるだろう。

 

(このくらいでいい。このくらいで十分だ)

 

 悟飯はそう思う。思えてしまう。力も技もすでに十分すぎる。死してなお強さの最果てを目指し続けているであろう父を、悟飯は心から尊敬するが、しかし自分が父と同じ人生を歩めるとは思っていなかった。あるいは歩みたいとも。 

 

(すみません、お父さん)

 

 かといって全てを割り切って、一切の心置きなく自らの道を進んでいくことも悟飯には難しいことだった。本人の優柔不断さ以外の理由に挙げるとすれば、それほどまでに孫悟空という人物の存在は、悟飯にとって大きなものだった。

 

――なんだよ、もう行っちまうのか? 

 

 いつものように、脳裏に浮かぶ父の残念そうな顔に後ろ髪を引かれつつ、悟飯はのそのそと家の中へと戻っていった。

 

 

 

   Ⅱ

 

 

 

 東エリアの初等・中等教育は、近年は五・三・四年制が主流となっており、つまりはエレメンタリースクール(小学校)に五年間、ミドルスクール(中学校)に三年間、ハイスクール(高校)に四年間の学習期間を設ける仕組みとなっている。悟飯もまた、遅ればせながら十六歳の春よりこの仕組みの中に加わり、今年の春よりオレンジスター・ハイスクールの第二学年に転入していた。

 

 悟飯にとっては生まれて初めての学校であり、また他の級友たちが既に一年間を共に過ごし合った中での転入であったため、やはり当初は異物感が否めず、級友たちと挨拶を交わすのにも一苦労するほどだった。とはいえ孫悟飯という少年が決して悪質な人間ではなく、むしろ人一倍に生真面目かつ穏和な人柄をしていることは、さほど時を置かずして徐々にクラスにも浸透していき、また一部の親切なクラスメートの助けもあり、転入から二ヶ月ほども経てば悟飯もそれなりにクラスに溶け込めるようになっていた。

 

「おはようございます」

 

 この日の早朝も、悟飯は教室に入ってからいの一番に、皆に声をかけた。転入したての頃と違ってその声色には何の気負いも見当たらず、やや堅苦しいところはあるもののそれも悟飯らしさとして受け入れられていた。

 

「おはよー」

 

「おう、おはよう」

 

「おーっす」

 

 初めに打ち解けたシャプナーたちのみならず、バレーの授業で一緒だったボルペやマーケ、またその他の機会に友誼を結んだクラスメートたちから次々に返事が返ってくる。たかが挨拶であるが、悟飯はほんのわずかに胸が満たされるのを感じた。見知らぬ人たちの間に中途から参加し、交流を重ねながら少しずつ自分の身の置き場を作っていくことはそれなりに大変なことだが、それだけに苦労が実った際にはとても嬉しくなるものであると悟飯は学びつつあった。

 

 自分の席について一時限目の支度を整えたのち、悟飯はカバンから一冊のコミック冊子を取り出した。今のような僅かな空き時間に漫画本をちまちまと読み進めていくのが、ここのところの悟飯のささやかな習慣になっていた。

 

 いま悟飯が読んでいるのは変身ヒーローもののコミックであり、以前にブルマから貰ったものの続刊にあたるものだった。頂き物を試しに読んでみたところ兄弟揃ってすっかり気に入ってしまい、悟天の頼みもあって悟飯が自腹で続きを購入したのである。悟天までもが夢中になっているように、そのコミックは本来悟飯よりもう少し低年齢向けの内容なのだが、これまでコミック文化に馴染みの無かった悟飯にとっては十分楽しめるものであり、子供向けのシンプルなストーリーも導入用としてはむしろ適していると言えた。

 

(平和だなぁ)

 

 悟飯はしみじみと思った。

 

(やっぱりこういうのがいいや。こういう何事もない時間がさ)

 

 転入当初よりアパート探しやバイト探し、そして体育授業への対策に時折の悪党退治など、なかなかにせわしない日々を送っていた悟飯だったが、ここしばらくは想定外のトラブルに巻き込まれることもなく、平穏無事な日々を送ることが出来ていた。昨今治安の悪化が著しいサタンシティであるが、さすがに連日連夜サイレンの音が鳴り響くほどでもないらしく、いつぞやの宝石強盗以来、事件らしい事件も少なくとも悟飯が直接知覚できる範囲では起こっておらず、正体不明の金色の戦士が三度世間を賑わすようなこともなかった。

 

 懸念があるとすれば、二週間ほど前に結成された「金色の戦士を探す会」なる不届な団体の活動状況についてであるが、これについては悟飯の隣に座る女子生徒たちの方に耳をそば立てれば、自ずとおおよその情報が入ってくるのであった。

 

「あーもう参ったわ。簡単に行くとは思っていなかったけど、こうも早くに手詰まりになるなんて」

 

 机に突っ伏しながら不機嫌そうにぼやくのは、悟飯より二つ隣の席に座る、「金色の戦士を探す会」の会長ことビーデルだった。肩ほどまでの黒髪を二つに結った、なかなかに見目麗しい少女なのだが、服装はやや大きめのTシャツにハーフパンツとスポーティ且つシンプルに纏められており、女性的な洒落っ気にはやや欠けるところだった。

 

「なんとかなるんじゃないかって思ってたけど、やっぱり人一人探すって簡単じゃないんだねー」

 

 ビーデルと悟飯の間の席にて、携帯を弄りながら相槌を打つのは、「金色の戦士を探す会」の副会長にして、ビーデルの竹馬の友とも言えるイレーザである。金髪をショートに揃えたこちらも結構な美少女であり、ビーデルとは対照的にチューブトップのシャツにミニスカートと、実に開放的なファッションに身を包んでいる。一時期は肩を負傷していたため露出を控えていたが、数日ほど前からまた以前のスタイルに戻しているようで、悟飯としては安堵する反面、少々目のやり場に困ってもいた。

 

 右隣から聞こえてくるぼやき声に片耳だけを澄ましながら、悟飯は漫画本のページをひとつ捲った。気のない素振りを装ってはいるが、彼女らの日々の打ち合わせには毎度注意を払っており、そのため彼女らの活動状況について悟飯はかなりのところまで把握していた。

 

(早いところ諦めてくれないかなぁ)

 

 実際の所、ビーデル達の捜索活動はこれまでに全く進展が見られなかったわけではなく、むしろ追われる側の悟飯からすれば、素人二人が短期間に行なったにしては十分すぎるほどの成果を挙げていた。

 

 たとえばビーデルが近ごろ常に持ち歩いているA4サイズの捜査ファイルがあるのだが、つい先日に何食わぬ顔で中身を見せてもらったとき、悟飯は危うく目玉がこぼれ落ちそうになるほど驚いたものだった。

 

 ファイルには約四十枚ほどの紙資料が収められていた。内容に応じて几帳面にタブ分けもされており、その中で【当日の足取り】と書かれたタブを開くと、そこには次のように書かれていた。

 

 ①十九時ごろ、金色の戦士と思わしき人物が、駅前の「ツーフェイス」にてTシャツとサングラスを購入。三回目の調査で店員から証言入手。詳細は当該タブ参照。

 

 ②二十時ごろ、件のTシャツ姿をした金髪の男が、風俗通りを徘徊。近隣の女性店員からの目撃情報による。詳細は別タブ参照。店に寄った気配は無し?

 

 ③二十時半ごろ、バーガーショップにて女連れで食事。店員からの証言による。友人? 家族? 彼女?

 

 それは宝石強盗事件が発生した当日の、金色の戦士(と思われる人物)の足取りをまとめたものであり、イレーザとビーデルが街中を東奔西走して掻き集めた目撃談や証言を整理して構築したものであるらしい。自分はただ街を歩いていただけなのに、なぜこんな事細かに目撃談が出てきてしまうのかと悟飯は理不尽にすら思ったが、ビーデルに言わせればさほど不思議なことでもないようだった。

 

「あんな派手な格好とサングラスで街を徘徊していれば、そりゃ通行人の目には留まるわよ。まぁそうは言っても、お店で売ってるくらいだし、そこまで奇抜ってわけでもないけど。見た人もただ印象に残っただけで、別に不審に思ったわけじゃないだろうし、たぶん数分後には忘れてたと思うわ。でもまぁ、それで十分なのよ」

 

 ビーデルが説明するに、そういった状態の人間に記憶を喚起させる手段として、犯人の似顔絵などは古くから非常に有効とされており、警察には似顔絵書きの専門家までいるほどであるという。今回の場合はイレーザ渾身の手書きポスターがその役目を果たし、ビーデルの聞き込みを受けた者も、尋ねられた当初は思い当たるものがなくとも、イレーザのポスターを見ることで、「あ、そういえば」といった調子で記憶を掘り起こし、有意義な証言をしてくれたケースが多かったらしい。

 

 しかしながら、あの夜の悟飯がどれほど目立つ風体をしていたとしても、当日に彼を目撃した人間の数など街の人口に比すればごくごく僅かに限られるはずであり、そのわずかな人間に女手二つでかくも辿り着けているのは、おそらく運も大きいだろうが、ビーデルの恐るべき執念の賜物と言う他なかった。

 

 しかし悟飯にとっては幸いなことに、先程のビーデルのぼやきの通り、二人の少女探偵たちの捜査はここいらでぴたりと進展の歩みを止めた。日々の進捗会議を盗み聞きするに、どうやらバーガーショップで食事をしてからの金色の戦士の足取りについて、近辺をどれだけ歩き回っても掴めないでいるらしい。それも無理からぬところで、実際そこからの悟飯はまともに街を歩いておらず、次々と建物を飛び移って移動していったため、バーガーショップ近辺でいくら聞き込みを続けても、目撃者など見つかるはずも無いのだ。

 

 見つけるとすればチーマやライア、はたまた児童公園で屯していたフーリオたちに聞き込みをするしかないが、幸いまだビーデルたちの捜査網には引っかかっていないようである。

 

「ネットの方でも全然動きなし、か。ざーんねん」

 

 金色の戦士の動画流出を期待して、おそらく四方八方に検索を掛けていたのであろうイレーザが、嘆息と共に携帯をバッグにしまい直した。先のファイルにも記載があったが、店員の証言から彼女らは金色の戦士(らしき人物)がTシャツを買った店を特定できており、その後も店員たちの中から報酬に目がくらみそうなタイプに当たりを付けては何度か接触し、TV局などに持ち込むよう誘導などもしていた。

 

 しかし、待てど暮らせど金色の戦士の買い物姿がニュースやネットに流出してくる様子はなく、ビーデルたちは落胆するばかりであった。

 

「みんな意外とコンプライアンス意識高いのかしら。ぜったい動きがあると思ったんだけどなぁ」

 

「テレビ局の報酬がケチかったのかなぁ。あたしたちで脚色しても、直接尋ねられたらバレちゃうしね。やっぱり女の武器を使っておくべきだったかー、ビーデルのさ」

 

「なんでわたしなの!」

 

 嘆くビーデルたちだったが、これについては密かに先手を打ち、店の映像記録を始末していた悟飯の逃げ切り勝ちといったところだろう。さらにブルマに相談したあと改めて店に潜入し、彼女謹製のプログラムソフトを使って二度と復元できないよう追い討ちまでしたのだから、店員たちが店のカメラ映像を流出させることは、もはや物理的に不可能な状態となっていた。ちなみにそれはビーデルたちが件の店で三度目の捜査を行ない、金色の戦士らしき目撃談を入手する前日のことでもあったため、実際はなかなかに危ないところでもあったのだ。

 

(このまま変身を控えていれば、いつかはほとぼりも冷めそうだな。ちょっと申し訳ないけど)

 

 そう簡単に匙を投げるビーデルかどうかはさておき、彼女にとっても「金色の戦士を探す会」は決して本業などではなく、それ以外に優先しなくてはならない日々の生活や営みが多々あるはずである。手掛かりさえ途絶えてしまえば、彼女とていつまでも初志貫徹し続けることは難しくなっていくだろうと悟飯は踏んでいた。

 

(平和が一番。善きかな善きかな)

 

 胸中で古めかしいことを思いつつ、悟飯は手元の漫画本に関心を戻し、のほほんとページを捲った。

 

 

 

   Ⅲ

 

 

 

 世は平和であったが、だからといって人々から悩みがなくなるわけではない。ありがたいことに現在の地球にはフリーザもセルも存在しないが、しかし平時には平時なりの悩みが押し寄せてくるのが人の世の常である。

 

 東エリアにおける高校生の大学進学率は平均して約50%となっている。つまり卒業した生徒たちの概ね半数は進学し、残り半数は就職の道を選ぶということであり、幼稚園、小学校、中学校と、それまで周囲と足並み揃えながら進学してきた生徒たちにとっては、各人の生き方が分かれ始める大きな分岐点の一つであった。高校卒業後に自分はどのような道を歩むのか、そのために高校四年間をどのように過ごすべきなのか、多かれ少なかれ誰もが頭を悩ませずにはいられず、悟飯もまた例外ではなかった。

 

(どうしようかなぁ)

 

 放課後、皆が帰ったあとの教室の中で、悟飯は百数ページほどの小冊子を読み進めながら一人物思いに耽っていた。今度は漫画本ではない。オレンジ色の表紙で装丁されたそれは、オレンジスター・ハイスクールに存在するクラブ活動の内容を纏めた、新入生もしくは転入生向けの案内冊子であった。

 

 オレンジスター・ハイスクールには、運動系二十、文化系二十三の、合計四十三ものクラブがある。運動系ならば野球、サッカー、バスケ、アメフト、文化系ならば演劇、美術、音楽、書道といったものが代表例である。オレンジスターではクラブへの参加は推奨こそされても義務付けはされておらず、そのため自らの超人的な力を隠すためにも当初悟飯はクラブには参加しないつもりでいたが、約二ヶ月ほどの学校生活を経ることで、少し考えを改めていた。

 

 体育授業での野球やバレー、放課後のカラオケやゲームセンター、果てには繁華街での夜遊びなど、たった二ヶ月の間でも悟飯はさまざまな新しい事物と出会い、そのたびに自分の中の何かが新たに広がっていく感覚を覚えてきた。

 

 なればこそ悟飯は、部活動にもまた関心を持たずにはいられなかった。今読んでいるクラブ案内は、一クラブ二ページほどの紹介文が並ぶ百数ページほどの冊子だが、悟飯にとっては改めて世の広さを感じてしまう分量だった。

 

(色々あるんだなぁ、ほんと)

 

 悟飯はしきりに感心しながら、一ページずつ丁寧に各クラブの紹介記事に目を通していった。冒頭に記載されているのは、やはり野球、サッカー、アメフトといったワールドワイドなスポーツであり、これらのプロリーグは例年テレビでも高視聴率を保ち、とりわけリーグの優勝決定戦などは全国民の注目を浴びる、まさしく国民的スポーツと呼べる種目である。ちなみにここでのアメフトというのはArmored Footballの略称であり、ヘルメットやプロテクターを身に付けたプレイヤーたちが、パスやタックルなどを駆使して楕円形のボールを相手のゴールまで運んでいく競技のことを指す。

 

 一方、文化系の方に目を向ければ、たとえば毛筆を使った書を習う書道などは東エリア特有とも言えるクラブだろう。悟飯の身近なところではチチが心得を持っており、事実、家計簿や手紙などで見られる彼女の筆跡は誰もが見惚れるほど美しく、悟飯にとってもささやかな自慢の種であった。他にも美術や音楽系のクラブも、油絵、陶芸、吹奏楽、軽音楽などとジャンルや使用する道具によって複数存在するようだった。絵筆にしろ楽器にしろ、いずれもこれまで悟飯がろくに触れたことのないものだった。

 

 読めども読めども、悟飯の決意はまるで定まらない。というより悟飯は、どれかを選ぶ以前にもはや案内冊子を見ているだけで楽しかった。

 

(こんなにあったんだな)

 

 そう思わずにはいられなかった。世の中には、こんなにもたくさんの選択肢があったのか。武術以外の世界、戦う以外の生き方がこんなにも。

 

 父・悟空は、育ての親の影響もあってか物心ついて間もない頃から武術に傾倒しだし、以来今際の際まで一度たりとも道を逸れることがなかった。父の仲間達もそれぞれ大同小異な経歴を持っており、悟飯の場合はチチの教育方針もあってそれに学問が加わるくらいか。しかし高校に入学することで、そんな悟飯のある意味で狭い世界観は粉々に打ち砕かれていた。それまで塞がっていた、というよりは有っても見えていなかった道筋が次々と照らされていき、そして浮かび上がったのは、却って行き先に困ってしまうほどにまで開かれた、広大無辺の平野であった。

 

(子供の頃から学者に憧れてきたけど、こうして見るとちょっと考えちゃうな)

 

 学問は割りとなんでも好きな悟飯だが、彼にも好みはあり、人文系なら世界史と現代文、理数系なら生物、地学を比較的好んでいる。そのため学者になるならば、このまま大学に進んで歴史や生物学あたりを専攻しようかなどと思い描いてはいたが、それもさして確固たるものではない。そもそも学者の夢自体がまだまだ年相応の、輪郭のない漠然とした憧れに過ぎなかった。ましてや単なる部活動といえど、こうして四十三通りもの分かれ道を提示されてしまえば、今の自分が思い描く将来への道筋が本当に最善のものなのか、疑問を持たずにはいられなかった。

 

 アメフトの選手になってもいい。書道家や画家になってもいいし、もちろん学者でも全く構わない。なりたいものになって良いのだと、わずか百数ページのクラブ案内は、そう悟飯に静かに語りかけてくるようだった。

 

 ふと右頬のあたりに視線を感じ、悟飯は視線の方を振り返った。最近こういうときの相手は大体決まっており、今回も予想に違わず、鞄を肩に担いだイレーザが教卓のあたりでにこにことしながら悟飯を見上げていた。どうやら結構な時間、クラブ案内に読み耽ってしまっていたらしく、窓から差し込む光がいつの間にかだいだい色に染まりつつあった。

 

「イレーザさん、帰ってなかったんですか?」

 

「ちょっと忘れ物があってね。戻ってきたら悟飯くんが読書に夢中になってたから、よければ一緒に帰ろうと思って」

 

「声をかけてくれれば良かったのに」

 

 イレーザは一つ笑って、話題を切り替えた。

 

「クラブ、もう決めたの?」

 

「いえ全然。目移りするばっかりで」

 

「みたいだね。ほんっとーに楽しそうにしてたもん」

 

「顔に出てました?」

 

「だいぶね」

 

 悟飯は気恥ずかしげに頬をかいた。

 

「これまで全然こういったものに触れたことがなくて。もう全部が新しくて、何が何だか」

 

「どれもこれもに興味があって、決めきれないと?」

 

「ええ、そんな感じです」

 

「ふーん、つまり困ってるわけね?」

 

(あ、これは久々に見れるかもしれないな)

 

 悟飯は内心期待に胸を躍らせた。近ごろクラス内で悟飯係などとも時に揶揄されるイレーザは、「なーるほど。よーしよーし」などと言葉を溜めながらゆっくりと悟飯の席へと近づいていき、

 

「そういうことなら、あたしにまっかせなさい」

 

 そして、どんと胸を叩いた。この学校に入学し、彼女と隣席になってからというもの幾度となく目にしてきた光景であり、いつのころからか悟飯はイレーザがその仕草をするのがとても楽しみになっていた。

 

 彼女がこうして胸を叩くたび、目に見えない扉が悟飯の前に現れ、そしてそれを開くたびに悟飯は、それまで知らなかった世界と出会うことができた。あるいはそれは、童話の中でシンデレラが魔法使いに抱く気持ちにも似ていたかもしれない。客観的に見れば、空を飛べて変身もできる悟飯の方がよほど魔法使いに近いはずだが、悟飯はなぜかそのように思うのである。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「それじゃ、まずどこ行く? そこら中に知り合いがいるから、体験入部くらいなら、あらかたゴリ押せちゃうわよ」

 

 放課後、頼もしすぎる先導役に引率されながら、悟飯は校内クラブ見学の旅に乗り出していた。

 

「顔が広いんですねぇ、イレーザさんって」

 

「別にあたしだけじゃないって。小中高と同じ街に住んでたら、誰でもそうなるわよ」

 

 イレーザはなんでもないように言ったが、僻地に隠遁し、ご近所付き合いというものにも馴染みがない悟飯にしてみれば、要領を得ない話であった。

 

 まず二人はグラウンドに出て、さまざまな球技系スポーツを見て回った。グラウンドと呼ばれる設備をオレンジスター・ハイスクールは二つ有しており、一つは悟飯も以前に体育授業で使用した野球用のクレイグラウンドだが、それ以外にもう一つ、後者の裏手方向にサッカー用の人工芝グラウンドが敷かれている。そしてクラブ活動においては本来の用途である野球、サッカー以外にも、ラグビー、アメフト、陸上部といった他の屋外クラブも、これらのグラウンドを分け合って使用するわけである。

 

 今日の芝グラウンドでは、サッカー部とアメフト部の練習が行われており、使用するボールもユニフォームも異なる二つの集団が、綺麗にグラウンドを二等分しながら、それぞれにパス練習を行なっていた。常に走り続け、肩で息をしながらも懸命に声を掛け合い、ボールを回していく生徒たち。そんな彼らに時折厳しい檄を飛ばすコーチ。春も中頃という穏やかな時節でありながら、コートの内側ではさながら夏真っ只中であるような独特の熱気と汗の匂いが充満していた。

 

 そのグラウンドの片隅で、悟飯はイレーザと並び立ちながら興味深そうに練習風景を見物していた。

 

「やっぱり、こういうのは分かりやすくて良さそうですよね」

 

「そう? サッカーはともかく、アメフトっていまいちルールがよくわからないんだけど」

 

「僕もですよ。でも球技なんだから、とりあえずボールをもって一生懸命走れば良さそうで、そういった意味では分かりやすいじゃないですか」

 

 それぞれの愛好家が聞けば噴飯しそうな意見だが、サッカーとアメフトはいずれもボールを相手陣地内の特定箇所に運び入れることを目的とする侵入型ゲームと呼ばれる競技であるため、たしかにその一点に限れば大同小異という見方も出来なくはない。

 

「悟飯くんがアメフトかぁ。でも興味あるならいいんじゃない? ああいうのは作戦を考える頭も大切らしいしね。入部したらあたしをスターボウルに連れてってくれる?」

 

「スターボウル?」

 

「アメフトの高校生大会の名前よ。こんな風に全国大会に出場することを女の子と約束するのが、スポーツ漫画とかでは定番なの」

 

 最近悟飯がよく漫画を読んでいるのを見越しての説明だったが、まだ悟飯もスポーツ物には手を出していなかったため、さほどピンとは来なかった。

 

「スポーツの漫画か。なんか入門用に良さそうですね。クラブに入ったら、その種目の漫画を探してみようかな」

 

「いいかもね。探せば大概はあると思うし、なんならあたしがネットで探してあげる」

 

 親切が服を着て歩いているかのようなイレーザの物言いに、悟飯は深く感銘を受けた。ビーデルに言わせれば「あれは下心ありきよ」となるようだが、そうと知らない悟飯にとってはただただ尊敬に値することであり、見習うべきものだった。到底言葉には出せないが、学校へ来て一番に良かったことは、彼女と出逢えたことではないだろうか、などと近ごろの悟飯はふと考えてしまうことがあった。

 

「あれは女子のダンスクラブかなんかですか?」

 

 そう言って悟飯が指さしたのは、グラウンドの片隅で団体練習に励んでいる女子チアリーディング部の一団だった。

 

「あー、うん、そうだね。ダンスというよりチア部だけど」

 

「チア部?」

 

「チアリーディングと言ってね。なんていうのかな、最初は他のスポーツの応援団だったんだけど、だんだんパフォーマンスが派手になっていって、それ自体が見応えあって面白いものだから、とうとう一つの種目になっちゃったの」

 

「へー」

 

 言っているそばから、チア部の練習は段々とアクロバティックなものになっていき、四、五人の部員が寄り集まって、さながら組体操のように一人の人間を持ち上げ出した。土台側の部員たちは一様に空に向けて真っ直ぐに腕を伸ばし、持ち上げられる側は、その手の上に器用に片足立ちをしながら、両腕を広げて綺麗にポーズを取る。女神像を彷彿とさせる見事なスタンツが、三組ほど同時に完成し、悟飯は思わず遠くから拍手をした。

 

「リバティって技よ。結構難しいんだから」

 

「詳しいですね。ひょっとして前にやってたんですか?」

 

「え? うん、まぁちょっとだけね」

 

 珍しくイレーザは言を濁した。一般的に、女子チア部といえば多くの女子生徒の憧れの的とされ、現にオレンジスター・ハイスクールにおいても希望者や部員数がかなり多いクラブでもある。イレーザも例外ではなく、彼女の場合、昨年オレンジスターに入学したての頃に、実際に意を決して女子チア部に入部したことがあったのだ。

 

「イレーザさんがチア部に。へー、それは知らなかったな」

 

「まぁ、いまは帰宅部だしね。恥ずかしながらあまり長続きしなかったの。練習きつかったしね」

 

 そう言うイレーザだが、これは事実とは少し異なる。かねてからの憧れと、才能豊かな幼馴染への若干のコンプレックスもあってチア部に加わったイレーザだったが、実際のところ練習は確かにきつくはあったものの、十分に楽しめるものだった。団体競技の場合、個人としての身体能力も当然必要だが、時としてそれ以上にチームメイトときちんと信頼関係を結ぶ交友能力が問われることもある。運動能力自体はビーデルに比べると平凡もいいところなイレーザであるが、一方でこの手の能力ついてはなかなかに非凡なところがあり、あまり激しい運動に慣れていないところもいっそ愛嬌として機能し、クラブの先輩にもよく可愛がられていた。

 

 しかし運の悪いことにちょっとしたトラブルが起こってしまった。容姿端麗で、気さくな性根のイレーザは高校入学からもよく異性にもてたが、彼女に言い寄ってきた男子生徒の中に、よりにもよってチア部先輩の恋人が紛れ込んでいたのだ。何かと気の多い人物ということで校内では割合有名らしかったが、当時のイレーザは知らなかった。

 

 当然そのことで一騒動が起こってしまうのだが、幸いにもチア部先輩の態度は至って冷静であり、殊更イレーザを糾弾したりなどはしなかった。非は先輩の彼氏側にあるのは明白であり、二人の恋人関係はすぐさま解消。事態は全くの穏便に、とまではいかずとも、そこまで大ごとになることなく終息していったが、それでも各関係者の心には非常に苦いものが残った。気まずさを覚えたイレーザはチア部を途中退部することに決め、結果的にイレーザ念願のチア生活はわずか半年ほどの期間で終了となった。悟飯には少々説明しづらい、イレーザのほろ苦い過去であった。

 

(今更だけど、一度くらいあのユニフォームを着て本番に出たかったなぁ。もし悟飯くんが運動部に入ったら、思い切って復帰してみようかな)

 

 そんなことを考えるイレーザだったが、果たしてこれは健気と言うべきか、したたかと呼ぶべきか。もしイレーザの幼馴染が、今の彼女の頭の中を覗いたら、呆れたようにため息をつくに違いなかった。

 

 

 

   Ⅳ

 

 

 

 ちなみに高校における部活動の取り組み方についてもエリア毎に特色があり、たとえば東エリアの高校では多くのクラブが一年を通して活動しており、生徒たちも基本的には入学時に決めたクラブに卒業まで通い続けることが推奨されている。これが西エリアなどでは対照的に、活動を行なうクラブがシーズンごとに決まっており、一年に複数のクラブに参加することが当たり前となっている。無論、東エリアにおいても転部や掛け持ちに全くの非寛容というわけではなく、たとえばビーデルなどはさまざまな運動部に所属しており、有事の際の助っ人としてよく頼られていたりもするが、割合としてはやはり少数派にあたる。

 

 自由闊達さでは西エリアに劣るものの、数年がかりの集中的な活動により、当然ながら生徒たちの練度は高くなる傾向にあり、そのため東エリアでは高校生による競技大会にも一定の人気と集客力がある。とくに野球やサッカーの高校対抗トーナメントなどは、連日テレビ放送までされるほどの盛況ぶりであり、季節の風物詩の一つにも数えられているほどだ。

 

 若い時に多様な経験を積むことを尊ぶか、一点集中に打ち込むことを良しとするか、これもまた是非を問い難いところではあるが、なにぶん悟飯自身、数年掛けて一つのことを鍛え続ける経験を多く積んできたため、感覚的に馴染みを覚えるのはやはり後者の方だった。

 

 二人のクラブ見学行脚は続いていた。オレンジスターの体育館の横には射撃練習場があり、そこではアーチェリーや射撃部などが普段活動している。ただいずれもアメフトやサッカー部ほど目立つ部活ではないらしく、設備も至って簡素で、生徒たちの手作りらしきところも一部見受けられる。この日はアーチェリー部の練習日のようであり、射撃レーンの前で一人の女子生徒がゆったりと弓を構えていた。弓といっても歴史の教科書に出てくるような木製のシンプルなものとは程遠く、レーシングマシンを彷彿とさせる先鋭的な意匠の弓に、照準用スコープやスタビライザーといった補助装置がいくつも搭載されており、少なくとも悟飯には十分立派な近代兵器に見えた。

 

 どうやらその女子生徒はかなり腕が達者らしく、レーンを横切るように歩きながら続け様に三本の矢を放ち、三本とも別の的に次々と命中させていった。

 

「はぁー、上手いもんですね」

 

「正式なやり方じゃないから、多分お遊びだね。でも格好いいね、きっとエースよエース」

 

「あの腕前なら、パオズ山でも暮らしていけそうですね。きっと立派な猟師になれます」

 

「あら、悟飯くんの近所って野生の動物とか出るの?」

 

「ええ、一昨日なんかはお母さんが仕留めた猪がメインのおかずでした。あとたまに虎や恐竜なんかも」

 

「あは。やだもう、お嫁に行けなーい」

 

 冗談と受け取ってか、イレーザは笑いながら悟飯の背を叩いた。

 

 次に悟飯が足を止めたのは、やはりというべきか格闘技系のクラブだった。体育館でバレーやバスケを見学したのち、次に二人は体育館の地下一階に向かった。そこは武道場になっていて、空手、ボクシング、レスリングといった格闘技系のクラブがスペースを分け合いながら練習を行なっている。

 

 まず目に止まったのはレスリング部だった。コーチ役らしき壮年の男が見事なタックルで相手役の生徒を床に倒し、そのまま流れるように寝技へと繋げていった。

 

(わぁ、鮮やか)

 

 思わず、悟飯は感心した。四歳から九歳までの六年間を武術に費やしてきた悟飯だが、投げ技や寝技の類にはあまり心得がない。悟空やピッコロの教えの中でもそういった技術は重視されておらず、またそれらを得意とする敵と遭遇することもなかった。理由は明白で、こういった技の多くは地面や重力の存在、なにより相手が無手であることを前提にしているため、気の使い手同士の戦いではあまり有効に働かないのである。舞空術を用いた空中戦では投げ技などはどうしても機能しづらく、また敵味方の誰もが気を用いた飛び道具を体内に隠し持っているため、不用意に相手と密着するのも基本的に悪手とされている。そのためこういった組み技の技術は悟飯にとっては未知の分野であり、それだけにさながら蛇のように素早く相手へと絡み付くコーチの妙技は斬新に写った。

 

(こういう武術もあるんだなぁ)

 

 もし知っていれば、セルやフリーザとの戦いに役立ったかと問われれば些か難しいところはあるが、だからといってコーチの技量から見応えが失われることはない。もし本屋に教本の類があれば読んでみたいな、などと悟飯はぼんやりと思った。

 

 次に見学した空手部は、レスリング部と比べると随分と人数が多く、二十名ほどの部員が一斉に型稽古を行なっていた。二人か三人くらいでしか修行したことのない悟飯にとっては、こうも大人数で一緒に稽古をしている光景自体が目新しかった。

 

「うちは空手部が強くてね。去年の全国大会で結構いいところまで行ったのよ」

 

「そうなんですか。確かに、何人かはとても姿勢が綺麗ですね」

 

 実際、さすが大会で好成績を収めるだけあって、悟飯らほどの超人とまではいかずとも、身体の運用という点においてはかなりのレベルに達している者も複数いた。そしてそういった者ほど稽古に対する顔つきも違い、中でも一団の片隅にいる一人の少年の面持ちが悟飯の印象に残った。型稽古を、悪い意味で型通りにしかこなさない者もちらほらと見かける中、その悟飯と同学年くらいの少年からは、遠くからでもはっきりと分かるほどの真剣味が感じられた。

 

 型稽古は、肉体のみならず神経の鍛錬でもあると言われる。たとえば顔に石を投げられた時、人は誰でも驚くべき速さで目を瞑ることができるが、型稽古の目的の一つはまさしくこういった反射の域にまで型を身体に根付かせることにある。そのことを知る者は、一見地味な反復運動に対しても自ずと取り組み方が違ってくる。

 

 少年の気迫あふれる鍛錬に、ふと悟飯の胸に微かな郷愁の風がそよいだ。ひたむきに己を鍛え上げようとする彼の面差しは、父によく似ていた。

 

「それにしても武術のクラブなのに、結構女子生徒も多いんですね」

 

「昔っから結構そうよ? 男子と試合するわけじゃないしね。でも最近はビーデルのお父さんの影響もあるかも」

 

「なるほど、サタン・シティですもんね。そういえばビーデルさんも、どこかに所属してるんですか?」

 

「あの子はほら、色々と桁違いで天下一武道会でも勝っちゃうくらいだから、クラブ活動にはあんましね。たまに助っ人を頼まれたりとかはしてるけど。それで、どうどう? 空手部とか入っちゃう? ちなみにボクシング部ならシャプナーがいるわ。きっと先輩だからって威張ってくるわよー?」

 

「いえ、こういったのはやめておきます。多分、向いてないと思うので」

 

 初めからそのつもりだったが、武術系のクラブに身を寄せることはすまいと悟飯は改めて心に決めた。様々な意味で、自分はここには相応しくないように思えた。あの少年も含め、空手部の部員たちは誰もが楽しそうに訓練に打ち込んでいる。対して悟飯の場合、振り返れば武術を始めたこと自体、自ら望んでのことではなかった。ただ、やらざるを得なかったのだ。だからこそ、必要がなくなっただけで今朝の通りの有り様となってしまうのだろう。

 

 もしあの空手部の部員たちと組手でも行なったとしたら、勝つのは自分である。まず間違いなく、確実に自分が勝つ。きっと赤子の手を捻るように容易く。しかし武術を現在進行形で愛し、真剣に取り組んでいるのは彼らの方だ。悟飯はそのように思った。

 

 

 

   Ⅴ

 

 

 

 運動系のクラブをあらかた見て回ったのち、悟飯とイレーザの二人は体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下のところで、小休止を取ることにした。渡り廊下の脇にはベンチと自販機が置かれた小さな休憩スペースがあり、悟飯らの他にも部活を抜け出して休んでいる生徒たちが何人かいた。悟飯は自販機に二人分の料金を入れ、イレーザ用のオレンジジュースと自分用の烏龍茶を購入した。クラブ案内のお礼にぜひ奢らせて欲しいと、事前に約束していたのである。

 

「見て回るだけでも結構時間かかっちゃいましたね。そろそろクラブも終わる頃じゃないですか?」

 

  時刻はすでに十七時を回っていた。日もかなり暮れだしており、グラウンドの運動部たちも徐々に練習に区切りをつけ出しているようだった。

 

「そうだね。文化系の方は明日にしようか」

 

「連日で付き合ってもらうと、悪くないですか? もし都合が悪ければ一人でも大丈夫ですけど」

 

「何言ってんの。文化系こそあたしの腕の見せ所だってば。書道も演劇も基本的に女子が多いし、友達だってたくさんいるんだから」

 

 胸を張るイレーザに、悟飯は改めてこうべを垂れた。頭が上がらないとは、こういうときのことを言うのだろう。

 

「でもそれはそれとして、書道や演劇っていうの男はやらないものなんですか? 面白そうなのに」

 

「別にいないわけじゃないけど、まぁ人数的には少ないかな。あぁ、でも写真部とかは男の子の方が多かったような。あと美術部にも、やたら上手な男子がいるって聞いたことあるわ。どっかの市民コンクールで入選したみたい」

 

「それは見てみたいな。絵かぁ、そういえばイレーザさんも絵が上手かったじゃないですか」

 

「うん、嫌いじゃないね。エレメンタリースクールでも美術の授業とかあったし。悟飯くんは?」

 

「僕は、絵筆なんて持ったこともないです」

 

 実際はほんの幼少の頃に、花や野鳥などをスケッチしてみたいと母にスケッチブックを買ってもらったことはあったが、趣味というほどのものにはならなかった。悟飯自身の適性はもとより、絵心があって彼に助言をしてやれる大人が周囲にいなかったことも理由としては大きかったかもしれない。とりわけ、「お花を描いて」と幼い息子にねだられ、渋々引き受けたときの父・悟空の怪作は、今でも悟飯の記憶によく残っているほどだ。

 

「経験がなくても全然問題ないと思うよ。カラオケとかと一緒で、ああいうのは上手い下手でどうこう言うもんじゃないし、楽しんだもん勝ちよ」

 

「楽しんだもの勝ち、か」

 

「そうよ。なんなら一緒にやってみる?」

 

「うん、良いですね。とても楽しそうです」

 

 心からの本心で、悟飯はそう思った。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 結局のところ、二人は以降のクラブ見学は翌日に回すこととし、今日のところは帰宅するべく校門へと向かった。渡り廊下からだと裏門の方が近くにあるため、二人連れ立って校舎裏の方へ回っていくと、そこでちょっとした出会いがあった。一人の男子生徒が、体育倉庫の壁を背にしながら地面に尻をつき、へたり込んでいた。普段着であることと、一見して小柄で運動も不得意としてそうな雰囲気のため、部活動中の生徒ではなさそうだった。

 

 気分でも悪いのかと思い、悟飯は彼の下に近寄って声をかけた。

 

「大丈夫ですか? どうかしましたか?」

 

 悟飯の声掛けに、男子生徒は力なく顔を上げた。その面差しのあまりの昏さに、悟飯は思わずぎょっとした。悟飯と同学年くらいの、悟飯と同じく黒い髪、黒い瞳をした少年だったが、悟飯の瞳を黒曜石と例えるなら、その少年の目は墨を幾重にも塗り重ねたように重く苦しい色合いをしていた。

 

「気分でも悪いんですか? 先生を呼んできましょうか」

 

「大丈夫。少し休んでるだけだから、放っておいてくれ」

 

「でも……」

 

 少年の頬にうっすらと赤みが掛かっていることに悟飯は気付いた。明らかに打撲の痕であった。ぶつけた直後でまだ鬱血しておらず、恐らくこれから段々と痣になっていくであろう痛々しい傷痕だった。飛んできたボールにでもぶつかったのか、それとも……。

 

「ジーメ、怪我してるじゃない」

 

 そう声をかけたのはイレーザの方である。顔が広いことを自称するように、この少年とも知り合いらしく、少年の方もイレーザの顔を見て、わずかに表情を動かした。

 

「よければ医務室まで行く? 先生いるか分からないけど、湿布くらいならあたしでも……」

 

「いいから。本当に大丈夫だから、放っておいてくれ。休めばすぐ良くなる」

 

 無愛想ながら強く言われしまい、そうなるとイレーザも悟飯も、いつまでも親切の押し売りを続けるわけにはいかない。後ろ髪を引かれつつも仕方なしに二人は、項垂れる少年を置いて裏門の方へと歩みを再開した。

 

 二人して共に門をくぐったところで、悟飯は隣を歩くイレーザの方を気にした。あの少年を見かけてからというもの、イレーザはずっと浮かない顔をしていた。

 

「さっきの奴、ジーメっていうの」

 

 駅へ向かう道を歩きながら、悟飯の方を見ずにポツリとイレーザは言った。

 

「ミドルスクールでも一緒だった。久しぶりに声を聞いたな」

 

 なんとなく深く尋ねるのが憚られ、悟飯はそうなんですか、と平凡な相槌を打つことしかできなかった。

 

 

 

 


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