花の入り江   作:北埜とら

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花の入り江(3)

 夜中から降り出した雨はやがて激しさを増し、ミタニが入り江へたどりつく頃には、打たれると痛みを感じるほど強烈になっていた。足もとの黄色い花は、雨にうたれて散ってしまったものもあれば、花を閉じて容赦なく降り続く雨になんとか耐えているものもある。ここへくるといつも感じていた湧き上がるほどの生命力のようなものは、どこかへ姿を隠してしまっていた。

 滑り落ちないように気をつけながら、慎重に崖の端まで近づいて、岩壁の洞窟を覗き込んだ。そこにブイゼルの姿はなかった。洞窟の奥へ避難しているのだろうか、しかしもうすぐ汽車がやってくる時間である。ミタニは傘を畳み、声を張り上げた。

「おい、ブイゼル! 時間だぞ!」

「……ミタニか?」

 期待していた場所とは全く別の場所から返事が返ってきて、ミタニは慌てて振り返った。立ち上がって見回すと、一面黄色と緑の景色の中に、茶色の影がうごめいた。

 駆け寄ると、そこにはいつものビニール袋を提げたブイゼルがいた。しかし様子がおかしい。

「ブイゼル?」

 そこに横たわっていたブイゼルは、ミタニの声を聞くと、両手としっぽで体を支えながらのろりと立ち上がった。その顔を見てミタニは驚いた。生気のないうつろな目、いつも力強く結んであったはずが今日は力無くだらりと下がった口の端――いつもの彼の様子とはまるで違う。

 ブイゼルは耳をぴくぴくと動かすと、ふらりと海の方へ歩き始めた。数歩よたよたと進んで、ふいに立ち止まると、そのまま膝から崩れ落ちるように花畑の中へ倒れた。

「ブイゼル」

 ミタニはブイゼルの体を抱き上げて、その小さな体をゆっくりと揺すった。ぐっしょりと濡れた毛皮の奥から、嫌な熱を感じる。ブイゼルはぐったりとミタニに体を預けたまま、瞼を静かにあげて彼の顔を見た。

「ミタニか……花が、足りぬのだ……花が……」

「いったいどうしたっていうんだ、花は昨日十分集めたじゃないか」

「……風……強い風が」

 ブイゼルはゲホゲホとせき込んで、それからミタニの腕の中でもぞもぞと動いた。彼から逃れようとしているようだった。

「はやくしないと、汽車に間に合わぬ」

「動かない方がいい、今日は諦めるんだ」

「しかし……」

「ダメだ!」

 その時、雨音の中に低く長い唸りが聞こえた。振り向くと、白い煙が雨の中でもはっきりと捉えられた。――汽車が来る。

「アオイ……」

 ブイゼルはそれを見て目を微かに開き、掠れた声で訴えた。放せミタニ、汽車が、汽車が来る……ミタニは腕の中で力なくもがくブイゼルを必死に抑え続けた。悲痛な声を上げるブイゼルを直視できず、きつく目を閉じた。

 汽車が背後を通り過ぎていく気配を感じた。

「アオイ……アオイ……!」

「やめるんだブイゼル!」

 両腕に激しい痛みを感じて、とっさにミタニは手を離した。ブイゼルは滝のような雨の中、アクアジェットを使って崖の先端に降り立った。海には、雨で流れたフリシオンの花がまばらに浮かんでいた。藍色の汽車の姿は、もうとうに雨の向こうに消えていた。

「……あぁ」

 ブイゼルはもう一度地面に崩れ落ちた。駆け寄って抱えあげると、ブイゼルは目を閉じたまま、腕の中でくるりと丸くなった。

「……花を撒かないと……」

「今日の分まで明日撒けばいいだろ?」

 腕の中で、ブイゼルは小さく震えていた。ミタニは彼をぎゅうと抱きしめた。子供のような高い声が、雨音に混じって微かに聞こえた。

 アオイに、アオイに会いたい……。

 

「もしもし?」

『おいミタニ、花が撒かれなかったらしいじゃないか。雨のせいなのか? それともまさかお前本当に』

「もうダメだ……」

『は、は? 何がだ』

「おれはもう、こいつを……見て、られない」

 スン、と鼻をすする音を何度も交えながら、ミタニは答えた。

 な、何を言ってるんだ? 電話から聞こえる声が霞むほどの雨音の中、ミタニはぬかるんだ地面の上にしゃがみこんでいた。左手には携帯電話、雨水が収入してずしりと重みのあるビニール袋を提げて、右手を前に伸ばした。

 ゆっくりと確実に、雨で散った花びらを一枚ずつ拾い上げては、ビニール袋に入れていく。

 彼の後ろでは、広げられた傘の下でブイゼルが寝ていた。

「明日、全部を、終わらせ、る。止めないでくれよ」

『待て、落ちつけ。おれにはお前が何を言っているのかいまいち――』

「……もう決めたんだ」

 通話を終了させて、すっかり濡れてしまった携帯電話を鞄の中に戻した。目をやると、ブイゼルは泥の中に横になって、ゆっくりと腹を上下させていた。顔色は良くない。

 ミタニは袖で目をこすって、もう一度右手を地面へと伸ばした。

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