光は救いか盲目か 作:美笑女
恥の多い生涯を送って来ました。
何度聞いた一文であろう。私は彼とは違うが、私には正にその言葉こそ相応しいと思うのである。洒落という一面があるのではないかと問われれば私は勿論、うるせえな答えはイエスに決まってるだろうと答えるのだが。
私は未だ15年余りの年月しか生きていない。そんな若造が何を言う。そう言われるかも知れない。ただ、それでも私は恥の多い生涯を送って来たと思うのだ。
未来ある若者とよく聞く言葉である。その若者がこんなでこの国の未来は大丈夫だろうか。そう言うのは些か短絡的という物だ。と言うのは、この言葉の言う未来というのは(定められた)未来という事なのではないかと言う事である。
それどころか今の社会人達もそれは同じなのではなかろうか。
まあ恥の多い生涯を送っていたというのに未来は全く無関係である事は聡明な諸君の目には明らかであろう。これは所謂脱線というやつである。
話を戻して私の恥の多い生涯について話すとしよう。
私は15年余り前にこの世に生を受けた。
気づけば15年経っていたのだから、人生百年時代と呼ばれるようになった今日だが、100年もまた気づいたら、ここでぼうけんはおわってしまった。となってしまうのだから対して変わらないのではないかと思う。寧ろそれ程まで長く生き恥を曝したく無いまである。
閑話休題。私の人生の初めの10年間は欠伸が出る程何とも普通の餓鬼であった。幼稚園の頃は周りの子供と遊び、小学校低学年ではそれに付け加えて女子を揶揄い、試験の成績は上々。その頃は中高生が大人に見えたものだ。何か変わった所が有るとすれば人見知りであった事であろう。尤も、それも一般の人間の性質に変わりはないのだが。
小学5、6年の頃には電車に乗る人々を見て、何と阿呆そうな面が並んでいるのだ。私が将来成功して救ってやらねば。とか言った内容の事を考えていた様な気がする。思えばその頃から私は生来の約束されしクソガキであったのかもしれない。
中学に入学した頃には、いざ新天地へ、新たな友が待っている。と勇み期待に満ち溢れていたのだが、私を待っていたのは中学へ入学して賢い電話を買ってもらい、順調にインターネット中毒への道を邁進していくクソガキ共と
また、あの期間に勉強をしていないという人間の内の殆どが勉強をしているというのはあまりにも有名な話だ。尤も、あの裁判期間中に本当に勉強をしていないような馬鹿とは縁を切った方がいいのだが。いや、そんな奴と関わっているような人間には既に馬鹿が感染っている可能性が高い。社会の為に犠牲になってくれ。
そしてその頃には私は人見知りを拗らせて無事コミュ障の仲間入りを果たしていたのであった。仲間入りとは言っても決して友人になった訳では無いが。それでも私は友達という物に憧れて話しかけてみたりしていたのだが、相手からはなんかコミュ障が話しかけて来た程度にしか映っていなかったであろう。南無三。
その翌年度では中一で学んだ私は無事クラス内での地位を確立する。つもりだった。甘かった。リア充共の青春と同じくらいに甘かった。この男は自分の愚かぶりを知らなかったのだ。特に何か成長(若しくは退化)する訳でもなく棚ぼたも期待出来ず計画御破算となってしまった私だが、或る時予期せずしてクラス内での人気者へと成り上がる。いや、
そんな如何にも学の出来そうな口利きをしている私だが、何かをやろうと思い立っても勉強をせねばと思っても、数分後にはネットサーフィンを始め、寝る前になってやっと、明日こそ勉強せねばといった有様なのだから、これが、学生クオリティとしか言いようが無い。勉強もできないイエスマンでもない(周りから見て)頭のおかしい人とはこれ如何に。
そして現に今私は高校へ入学したら勉強を頑張ろうと言っている。結果はお察しであろう。これが惰性に流され続けた人間の末路である。だがそんな事を言っていても良い結果にはならないのは一目瞭然であるから勉強を頑張るとしようと希望的観測に従うのである。それでも受験勉強を頑張ったから沢山遊ぼう等と言っている頭がお花畑な連中よりは増しであろう……と思いたい。まあ他人と比較しようとしている時点で私はその程度の人間という事だ。自分の愚かさを知る人は知らない人間よりも増しだとは言うが知りつつも改善しようともしない自分の救いようの無さに溜息が出るばかりの毎日である。
これはそんな学生の話である。
○
学生の朝は早い。高校が楽しみで眠れなくて寝坊なんて事は無い。私が高校に抱いている物は20厘の嘲笑と8分の下心である。そう、そんな事は起こり得る筈が無いと言ったら無いのだ。私は蒲団から出たくないと我が儘をいう重い身体を起こし、学校の入学式へ行く支度を始めた。遅刻を期待していた愚かな諸君よ、私から一つ言葉を送りたい。馬鹿め。
私は主役は遅れてやって来る等といった見苦しい言い訳をしたくはない為時間を厳守するのだ。勿論用意周到な私が時計を見たらあれ?もうこんな時間だ。なんて事も無く、母が用意してくれた朝食を平らげると学校への道程へと出発した。
「入学式は明日ですよ」
おっと、今日は四月馬鹿の日だった様だ。校内の桜の樹の枝が揺れていた。あれ?さっき用意周到って言ってませんでした?見苦しい言い訳はしないんじゃ無かったんですか?どうやらこいつも馬鹿だったらしい。馬鹿は感染ると言うが彼の場合生来の馬鹿であったのか馬鹿を感染されたのか、恐らく両方であろう。寧ろ馬鹿の感染源だったんじゃなかろうか。おのれ、人を馬鹿にしおって。独りで怒り散らかしていると一人の学生らしき人影が近づいてきた。ラブコメの波動を感じた私は振り返る。学生を散々に馬鹿にしつつもこの態度である。なんと都合の良い奴だ。
そして、振り返る瞬間はとても長い時間に思えた。
振り返るとそこには、女神がいた。
ニーチェは神は死んだと言っていたがどうやらあれは嘘だったらしい。私は改心した。現に神は私の目の前に降臨していらっしゃる。神なんている筈が無いと言っているそこのお前、あのお姿を一度でも拝んでみるがいい。余りの神々しさに卒倒してしまい兼ねない程だ。
見ろ、あの美しい濡れ羽色の長髪を。あれにはどこまでも深い女神様の御心が現れている。
見よ、あの丸い宝珠のような夜を想わせる目を。あれはどこまでも見透す女神様の鏡だ。
見るんだ、あの目立ち過ぎない眉と口を。あれは世界の均衡を写したかの様だ。
見給え、それらの黄金比から成る美しい顔立ちはまるで計算され尽くした美術品の様だ。
そら、あの驚異の胸囲から溢れんばかりの母性。
そして聴くがいい。あの鶯のような美声を。あれは、
「え?入学式って今日じゃなかった?」
女神様だ。