でもどっかで原作時間軸には合流させなきゃいけないんで、その辺を見極めつつこれから改稿していきます。
しのぶちゃんが任務でいない日。
それはアオイちゃんが蝶屋敷における全権をふるう日と言ってもいい。
どういうことかというと、俺にとっては非常に厳しい日ということだ。
いつもの如くぐーたらしようとしていたのに、朝っぱらから叩き起こされ、朝ごはんの仕込み、洗濯と手伝わされ、挙句の果てには薬の材料を採集するための山登りに付き合わされる始末である。
厳しすぎる……アオイちゃん、厳しすぎるよ……。
手伝いの時も、ちょっとダラダラしてるとお怒りが飛んでくるし……。
その後不安そうな顔して「さっきはちょっと強く言い過ぎました……ごめんなさい……」ってこっそり言いに来るのは可愛いんだけどさ……。
山を登る距離自体はそこまでじゃないと言われたものの、そこは元鬼殺隊士であったアオイちゃん基準である。
運動なんかしないヒモニートの俺にとっては凄まじく長い道のりに感じられた。
で、そんな風に材料採集をアオイちゃんがしている間、俺はといえばちょっと離れたところでぶらついていた。
材料の目利きができるのはアオイちゃんだけだし、俺はその材料を持ち帰る人手要員でしかないからだ。
鬼が出ないとも限らないのであまり離れるな、という有難い言いつけをいただいていたので、とりあえず適当に散策をしていたところ――突然一人の女の子が目の前に出てきた。
俺が驚いていると、なんか向こうも驚いているみたいですごく目を見開く。
聞くと、どうやらこの山を越えたところにある村の娘らしくちょっと散歩に出かけてここまできたとのことだった。
俺がヒーコラ言いながら来たこの山道を散歩気分で来れるって、女の子でも昔の人の体力はやっぱりすごいんだな……なんて思いつつ、ここは鬼が出るらしいから危ないよ、と一応教えてあげる。
するとその女の子は鬼のことは心配いらないから大丈夫だ、と返してきた。
たくましすぎる、大正時代の村娘……。
まあ少しの間雑談をしていたら、やがて女の子の方が「できればまた会いたい、次はいつここに来るのか」というようなことを聞いてきた。
え……いつというか、できればもう来たくはないんですが……。
とはいえそう言ってしまうのも可哀そうだし、どう答えようものかなと迷っていると、後ろからアオイちゃんが慌てた様子で駆けてきた。
それはもう血相を変えて、というか若干青ざめてというか、とにかく必死な様子である。
どうしたのかと俺が声をかけるより早く、アオイちゃんは俺の前に出てその女の子と対峙する。
そうすると女の子の方も雰囲気が変わり、不穏な空気を漂わせ始めた。
な、何故だ……この二人は知り合いで何かしらの因縁があるのか……?
俺のような終身名誉エリートヒモは女の子の表情から感情を読み取るのは得意だ。
アオイちゃんの表情からは、怯え、焦り、敵意、などが。
そして女の子のほうからは、苛立ち、不安、そして同じく敵意が読み取れた。
しかしなんでそんなことになっているのかがさっぱり分からなかった。
一触即発の空気だったので、俺はアオイちゃんにこの子は山の向こうの村娘だということを教えてあげる。ついでに知り合いか、とも聞いた。
知り合いかという質問には何とも濁した反応のアオイちゃんだったが、村娘だという説明には訝しげな顔をした。
そして、数秒考え込んだ後、その女の子と話をさせて欲しいと言い出したのだった。
喧嘩する前に絶対俺を呼ぶようにとしっかり言い付け、二人を俺の見えないところに送り出してから10分ほど。
何やら話し合いが付いたようで、その女の子は満足そうな表情で、アオイちゃんはまだ若干浮かない表情で戻ってきた。
話を聞くとどうやら、この女の子が町の方まで来て俺と会うということで話がまとまったようだった。
え、あの……俺に会う云々を決める話し合いなのに、俺が関わっていないんですが……?
というかそんなくだらないことを巡って揉めていたのか、と俺は嘆息した。
アオイちゃんの表情とか若干疑問の残る部分はあるが、とりあえずは万事解決ということである。
めでたし、めでたし。
◇
その女――いや、鬼はその日恰好の獲物を見つけた。
日も暮れた山の中を一人でぶらついている男がいたのだ。
その後ろ姿を見て思った、今日の食糧はあいつにしようと。
その前にまず、鬼は鬼としての特徴である角を隠し、可能な限り人間に見せかけるように姿を変えた。
姿だけ見れば、もうただの純朴な娘にしか思えない。
少なくとも普通の人間が見て、これが鬼だと気づくようなことはないだろう。
それこそがこの鬼の狙いで、こうやって油断させた後に人間を喰らうというのが常套手段なのだ。
しかし一体なぜ、人間よりはるかに身体能力に勝り、血鬼術という超常的な力を使う鬼がこのような慎重なマネをしているのか。
この鬼は臆病だった。
常に自分の命を惜しみ、自分より強い人間がいた場合は脱兎のごとく逃げるほどに。
だからこそ、最初から襲わず見極めるのだ。
これで騙されるようならただの人間か、鬼殺隊の者だとしても全く大した者ではない。
しかし、一目で気が付くようならば相応の実力者だ。
例え実際には実力が上回っていようとも、いちかばちかに賭けようとはとは思わない。
戦い始めてから、こいつは強すぎる……階級が相当上の奴だ、などということが起きては困るからである。
そうやって慎重に慎重に人を喰らっていった結果、この鬼は十二鬼月の下弦を賜るまでになった。
振るえる力も格段に増え、そんじょそこらの隊士などには負けないはずなのに、それでもこの鬼は決して迂闊な行動を取ろうとはしなかった。
かつて柱に殺されかけた経験がトラウマとして心の奥底に強く根付いていたからである。
ともかく、その鬼は今日の狙いを眼前の男に定め、よきタイミングを見計らって男の目の前に躍り出た。
そして男の顔を見た瞬間、身体が固まった。
(…………え? ちょ……ちょっと……何よ、これ……)
その男は、あまりにも美しすぎた。
鬼がその長い年月をかけて様々出会った中で、比較ができないほどに。
それぐらい圧倒的な美を体現していたのだ。
突然現れた自分に驚いているその表情すら、精巧な芸術品のような気品が感じられる。
この男は今まで自分が殺してきた人間と本当に同じ種類の生物なのか、と鬼は割かし真面目に考え始めていた。
(……こ、こんなカッコいい男、見たことない……ど、どうしよう……)
鬼は混乱していた。
もう騙して喰らうとか、今日の獲物がどうとかそんな考えは遥か彼方へ吹き飛んでいた。
この男を見てから、心の臓が早鐘のようにずっと鳴り続けている。
頬が熱く上気しているのがはっきりと分かり、足も微かに震えている。
どう考えてもまともな状態じゃない。
しかし、それを鬼は不快には感じなかった。
ただ、もう少しでも長く、この男を見ていたいと思った。
何も言葉を発せない鬼に対して、男――いや、久遠の方はといえば幾分冷静さを取り戻したのか、鬼に向かって言葉を投げかける。
「こんな時間に山の中でどうしたの? どこから来た子なの?」
それを聞いて、声もカッコいい……とうっとりしていた鬼だったが、ハッと気を取り直して返答する。
「……わ、私この山の向こうにある村の娘なの。この辺は私の庭みたいなもんだから、別に平気よ……」
「そっか、でもあんまり遅くならないうちに帰らないとダメだよ。この辺りは鬼が出るかもしれないし、危ないからね」
まさに自分がその鬼なのだが、そんなことは当然言えるはずもなかった。
しかし、鬼の心配などはこの女鬼にとってはありえないことである。
どれだけ臆病とは言えど下弦の鬼、そんじょそこらの木端鬼に負けるわけがないし、この周辺が自分の縄張りであることは他の鬼も知っているのか基本的には入ってこない。
だから久遠の心配は杞憂なのだが、それをどう伝えたものかとこの鬼は悩んでいた。
「……えーっと、まあその、鬼については心配ないわ。大丈夫よ」
「そうなの? 鬼は人を喰うし、人よりずっと強いって聞いたよ。しかも君みたいな可愛い子だと鬼以前に悪い大人に狙われそうで心配してたんだけど……まあ大丈夫っていうなら大丈夫なのかな?」
「そ、そ、そそそそ、そうよ! そんな鬼とか悪い奴が来てもぶっ飛ばしちゃうしっ! もう、全然! 全然、大丈夫!」
(か、可愛いって言われた……! 私!? 私のことを言ったんだよね!?)
久遠の言葉に鬼は大層浮かれていた。
普通の人間に可愛いなどと言われても嬉しいなんて思う訳がないのに、それが目の前の男だとこんなにも心が躍る。
不思議、だとは思わなかった。
もう久遠という男がその他の人間とは完全に別種の存在であると認定していたからである。
そしてその後、久遠と鬼は軽い世間話に興じた。
久遠と話している時間は、鬼にとって夢のようであった。
こんな温かい時間を、鬼になってから感じたことはない。
話も面白く、時折見せる笑顔はとても綺麗で、何より浮かれに浮かれていた鬼が、石に躓くという普段ならあり得ないことをしてしまった時、サッと自分を抱き留めてくれたあの温もり。
出会ってからまだ十分ほどの短い時間だというのに、鬼の頭の中は久遠で一杯だった。
そして、考える。
この男を連れ去って自分だけのものにしてしまいたい、と。
だが少し考えてそれが無理だということに気付いた。
それをするためには、当然自分が鬼だということを明かさなければいけない。
自分のことをただの村娘だと思っているであろう彼が、それを知った時にどのような反応を見せるのか……考えるだけで怖かった。
要するに、鬼は久遠に嫌われたくなかったのである。
久遠を鬼が連れ去り、自分の所にずっと置いておくことは容易だ。
それだけの力をこの鬼は有している。
しかし、それで久遠に嫌われてしまっては鬼にとって何の意味もなかった。
可愛いと言われて嬉しかった、抱きしめられた時は心が温かくなった。
だから鬼は、久遠に自分を好きになってもらいたいのである。
連れ去るのはなし、代わりに定期的に会いたい、と鬼は思った。
「……あ、あのさ。あんたって、どれぐらいここに来るの?」
「ん? どうして?」
「い、いや……まあ次はいつ会えるのかなって……」
鬼が一世一代の勇気を振り絞ってそう言い、久遠が何やら思案をしていたところで――、鬼は何かを感じ取った。
何者かの気配。
それも、少なからず殺気を感じる。
もし木端鬼であれば簡単に殺すが……。
やがて二人の目の前に凄まじい駆け足で現れたのは、額に汗を浮かべ息を切らしているアオイだった。
鬼は自分を見るアオイの表情を見た瞬間、自分が鬼であることに気づいている、ということを理解した。
まずい……と思った。
命の危機は確かにある。しかしそれ以上に、目の前の女に自分が鬼であるとばらされたら……。鬼は身も凍る思いだった。
(クソ……邪魔しやがってこのクソ鬼殺隊士が……! もしこの人にばらしやがったらただじゃおかないからな!)
そして一方のアオイは、こちらはこちらでとてつもなく憔悴していた。
まさかこんなところで鬼、しかも明らかに雑魚鬼とは格の違う鬼に出会うなんて思っていなかったからである。
アオイは元々鬼殺隊士であったが、鬼と戦うのがどうしても怖くて、鬼狩りを続けることができなかった。だから実力もさして高いとはいえない。
しかし、鬼の強さというものを何となく感じ取れるという特徴があった。
それによれば、目の前の鬼は巧妙に擬態しているものの、アオイが今まで出会ってきた鬼の中では群を抜いた力を持っている鬼だったのだ。
アオイは自分の顔が青ざめていくのが分かった。
今の自分に勝てるわけがない。当然隊士時代より力も落ちていれば、鬼の頸を切ることができる日輪刀も所持していないのである。
しかし、ここで脱兎のごとく逃げるという選択肢はなかった。
ここには久遠が一緒にいるのである。
久遠はといえば暢気なもので、「この子、山の向こうから来た村の娘らしいんだよね」なんて言っているが、そんなもの鬼が人をだますための手口に決まっている。
鬼の残忍さは、アオイも当然良く知るところであるからだ。
――自分が無理にここまで連れてきてしまった、戦う力のない久遠を。
だから、自分が守らなければならないのだ。
大切な人を置き去りにしておめおめと逃げることなどできるはずがない。
震えそうな心に鞭を打ち、なんとか打開策はないかとじっと鬼を観察する。
すると気づいた。
緊迫した場面だというのに、その女鬼は頬を赤らめていて、チラチラと久遠に視線を送っているのである。
(ま、まさか……いや、流石にまさかでしょう……?)
しかし一層観察すると、鬼の久遠を見つめる目を見てまた気が付いてしまった。
完全にしのぶが久遠を見ているときの目と一緒だということに。
アオイは思った。
この可能性にかけるしかないと。
いや、なんとなくもうある程度の確信はあったのだが、未だに心のどこかにはまさか鬼が……という気持ちもあったのだ。
「……そこの村娘さん、ちょっと二人でお話をしませんか? そこにいる男性に関わる大切なお話です」
「…………ふーん、じゃああっちの奥の方で話そうじゃない」
「え、二人で話すの? そんな雰囲気で大丈夫?」
心配そうに見つめる久遠に、アオイはニッコリと微笑む。
「大丈夫です、ほんのちょっと話すだけですから久遠さんはここで待っててくださいね」
そうして二人で久遠から離れたところまで歩いて行く。
ちなみにここでようやく久遠の名前を知ったその鬼は、久遠っていうんだ……と頭の中で何度も何度もその名前を反芻していた。
久遠からは声が聞こえないであろうところまできた二人は、向かい合う。
アオイは糸口を見つけたとはいえ未だ決死の覚悟であるが、この鬼は久遠の視界に入っているところでアオイを殺すつもりは毛頭ない。
若干のすれ違いが起きているがそれはさておき、決意したような顔のアオイが口火をきった。
「単刀直入に言います。あなた、久遠さんに好意を寄せていますね?」
「…………はあああああああっ!? ちょ、え、なんでっ! いや、なんでじゃなくて……ああもうっ!」
「……やはりそうでしたか。ではまず本格的な話に入る前に聞きたいんですが、あなたは久遠さんを害するつもりはないんですか?」
「そ、そんなつもりないわよっ! あ、あんなカッコよくて、優しい人を傷つけるなんて、そんな……」
その言葉を聞いて、アオイは安心するというより若干呆れてしまった。
(鬼まで惚れさせるって……あの人のすけこましっぷりは本当にとどまるところを知らないというか……)
とりあえず最初にして最大の確認は取れたので、アオイは話を進める。
「久遠さんが好きということは、久遠さんを自分だけのものにしてしまおうとか考えたりしています?」
「……それは、考えたけど。でもそれしたらあたしが鬼だって分かっちゃうし、そしたら絶対嫌われちゃうし……」
「(いや、ベタ惚れじゃないですか……)なるほど、それではあなたの望みは一体なんですか?」
「それは……できれば毎日、無理なら時々でもこの山にきてもらって会いたい……」
もじもじと恥ずかしそうに体を揺らしてそう言う女鬼。
その言葉を受けたアオイは、少し逡巡したが意を決してこう言った。
「それは不可能です。あなたは鬼で、鬼は基本的に人を喰らい、弄ぶ存在。そのような存在がいる所に久遠さんを行かせることはできません」
そして今度はその言葉に、鬼が怒りの表情を見せた。
「……あんたさあ、さっきから偉そうに上から目線で話してるけど、あんたは一体何者なわけ? あの人の一体なんなの?」
「私はあの人と一つ屋根の下で共に暮らしています。そして同時に私にとってとても大切な存在です」
「…………な、な……」
「一つ屋根の下」「大切な存在」、そのワードが凄まじい力で鬼に突き刺さった。
あわや致命傷というところだったが、鬼はなんとか持ち直して反撃をする。
「ふ、ふん! 今、恋人だって言わなかったところを見るに、どうせあんたの一方的な想いなんでしょ! だったらまだあたしの付け入るすきはあるわね!」
「……久遠さんはみんなを大切にする方なので」
アオイはそう答えながら、誰が付け入る隙はあっても鬼は無理だろ……と思ったが口には出さない。
彼女は賢い子なのだ。
そしてアオイはようやく本題に入る――その前に自身が今持っている切り札を切った。
「実はですね、私の住む屋敷の主なんですが……柱なんですよ。この意味、お分かりですか?」
瞬間、鬼は反射的にアオイを殺すために動こうとしたが、寸前で思いとどまった。
久遠が自分を見ている。
自分が鬼だとばれる訳にはいかない……。
「そう、あなたはここで私を殺すことはできない。だけどこのまま私を帰してしまっては、後日柱がこの山に到達してきてしまう」
「…………何が言いたいのよ、あんたは」
「しかし、私としてもここでただあなたの恨みを買って、それこそ柱が来る前に私だけ報復にあってしまうのは嫌です。
だから、交渉をしましょう。私がこれから言う条件を飲んでいただければ、久遠さんとあなたが会うことを認めます」
「相変わらずその上から目線が腹立つけど、なんなのよその条件ってのは」
ここだ、とアオイは唇をしめらせ、一呼吸おいてから語りだす。
「まず、久遠さんが山に来るのではなく、あなたがこちらの町まで来ることです。あなたの方が会いたいと思っているんだからそうすべきです。人間に擬態できるなら別にむずかしくはないでしょう?」
「……それは、まあ」
本当は町に行くのは避けたかった。
単純に人が多い所にいけば、それだけ自分に気づく人間がいる可能性も増えるからである。
しかし目の前の女の話は一理ある。
鬼は続きを促した。
「そして二つ目はこれから人を食べないことです。人を食べないことでどうしても死んでしまうというのであれば、死体を食べてください。間違っても生きている人を殺して食べないように」
「ちょっ、あんたねえ……!」
「もし知られたら久遠さんに嫌われますよ? 万が一鬼だということがばれなかったとしても、人を食べているところを見られでもしたら? 血の匂いを漂わせていたりしたら? 久遠さんはあなたと普通に接してはくれないでしょうね」
その言葉で鬼は黙るしかない。
もはや今この状況はアオイが支配しているといって間違いなかった。
「…………でも、人を食べないと力が……」
「鬼としての力と久遠さんどちらが大切か天秤にかけたらいかがでしょう。
もし、これから絶対に人を喰らわなければ、私はあなたに協力しましょう。なんなら柱に見つかった時も、それをもとに庇ってあげないこともありません」
「…………」
鬼は悩んだ。
確かに鬼としての力と久遠どちらかといえば圧倒的に久遠に傾く。
心の奥底に植え付けられていたような自分の主への畏怖や敬愛の念も、彼に出会ってからは嘘のように消え去っていた。
つまるところ、今自分を縛っているのは自身が鬼であるということ一点のみでそれに関して協力してくれるという目の前の女の言葉はとても魅力的なように思えた。
が、しかし疑問が残る。
「なんであんたはそこまでするわけ? あんたも鬼は憎いでしょ?」
「それはもう……とても憎いですよ。それでもあなたが直接的な私の仇というわけではないし、もしこれから人を食べないのであればあなたは人にとっての脅威ではなくなるわけで、それなら別にこの程度はいいかなと思っただけです」
「そ、そう……」
実際のアオイの考えはもっと打算的だった。
ここで完全に突っぱねることは可能だがそうやって恨みを買った場合、後日と言わずむしろ帰り道にでもこの鬼に殺されるという可能性を考えていたのだ。
例え久遠と並んで歩いていても、久遠が目を離した一瞬の間に、もしくは久遠と少しでも距離が離れた瞬間に殺される可能性がある。
自分と目の前の鬼の実力差なら容易にありえることだとアオイは確信していた。
だからこそ、ある程度はこの鬼の機嫌を取る必要があったのである。
しかしあくまで今この場においてはアオイが優位である。
そのため、条件をつけることで久遠に会うことを許す、という運びとなったのだ。
(まあ、本当は少しだけ協力しようって気持ちが、ないこともないですけど……)
久遠を見つめるあの女鬼の目。
それは本当にただ恋をしている少女の目だった。
鬼が人に恋するなんて聞いたことはない。
だが相手が久遠ならありえそうだとも思ってしまう。
そして、久遠のために人を食べることをやめ、ちゃんと命というものの尊さを思い出すことができたのならば……もしかしたらこの鬼は、やり直せるかもしれない。
甘い考えだ。これまでに奪われた命が戻ることはない。
アオイにしたってさっき言ったように、自分の身内がこの鬼に殺されていたのなら、許すことはできなかっただろう。
でも、もし本当に人を襲わない鬼という存在ができたなら。
それはこの長い鬼殺の歴史の中ですごいことなんじゃないかなとも思うのだ。
アオイは話をまとめるために、口を開く。
「それで、どうですか? この条件をのんでくれますか?」
「…………気に入らないけど、ほんっとーーーーに気に入らないけど、それであの人に会えるんならその条件をのむわよ。人を食べないのも、まあ……頑張ってみる」
「頑張るんじゃなくて絶対です。一人でも食べたら交渉決裂ですよ」
「わ、分かってるわよ!」
そうして話はまとまった。
アオイはここまでの緊張からか顔には極度の疲労を滲ませ、鬼はといえば条件は気に入らないが、これからも久遠に会えるということでウキウキ状態である。
二人そろって久遠の方へ歩いて行き、アオイは今しがた決まったことを久遠へと伝える。
勝手に決めてしまったのは申し訳ないがこちらも命がかかっていたので許して欲しい、とアオイは思った。
「えっと、それじゃあ久遠……またね。機会を伺って会いに行くから」
「うん、楽しみに待ってるよ。もう暗いから帰り道は気を付けてね」
「う、うん……心配してくれてありがと。……あと、そこのあんたも、まあこれからよろしくってことで」
「あんたじゃありません、アオイです」
「そ、じゃあアオイ。また」
そう言って、鬼は山の向こうへと歩き出す。
しかし、何歩か歩いたところで後ろから呼び止められた。
久遠の声だった。
鬼は爆速で久遠のほうへ振り向く。
「君の名前、聞いてなかったよね。教えてくれないかな」
「む、零余子……」
「そっか、じゃあ零余子ちゃん。またね」
「…………うんっ!」
鬼――零余子はもう天にも昇る心地だった。
幸せだ。
今私は間違いなくこれまでの生で一番幸せだ、と思った。
久遠から言われたまたね、という言葉を頭の中で何度も繰り返す。
「また……会えるんだ」
にやける顔を隠すことなく帰路に着く。
次にあったらどんなことを話そうか、なんてことを考えながら。
恋に浮かれる零余子は一つ、失念していた。
自分の主・鬼舞辻無惨は、眷属である鬼の視界をそのまま見ることができるということを。
ちなみに下弦が鬼の特徴を隠して擬態できるというのはまあ独自設定です。
堕姫ちゃんが姿を変えてたのはなんとなく覚えてるから上弦はできると思うんですけどね……。
まあそうしないと話が進められないんで許してください!