なんかもう僕のいつもの、『時間があいて飽きて投げ出してエタって消す』というパターンになりそうだったので気合で仕上げました。
日もとっぷりと暮れ、夜の帳が降りた町。
ほとんどの店はすでにのれんを下げており、民家からも薄い灯りがちらほら見える程度だった。
もう大分いい時間であり、人によっては寝床につく者も当然いるだろう。
しかしそんな中、ある建物だけが異彩を放っていた。
隙間から漏れ出る煌々とした灯りにどんちゃんと騒がしい音。
音はさておき、この圧倒的な光量はランプや行灯などではなしえない。
全て電気を使った電灯の明かりによるものに違いなかった。
大正時代には既に東京では電灯が完全に普及していたとはいえ、そもそも農村部の民衆の未だ行灯、よくても灯油を燃やしたランプを使っているし、例え東京の人間であったもこんなに派手に使えるわけがない。
理由は言うまでもないことかもしれないが、高いからである。
だというのにこの件の建物の輝きといったらどうだろう。
優美さを感じる煉瓦造り。その窓から道を眩く照らすほどに光が溢れているのである。
一体どれだけ中を電灯で照らせばこうなるのだろうか。
そして――一、一体この中では何が行われているのか……。
そんな時、1人の女性がその建物の前で足を止めた。
高級な和服に身を包んだ、どこか気品を感じるその女性は迷うことなくその扉を開け、中へと身をくぐらせる。
「お、いらっしゃい里美ちゃん。久しぶりだね、会いたかったよ」
そこかしこに飾られた豪華な電灯に、過度とも言えるくらいの内装。
その中心のソファにゆったりと腰かけながら微笑みを浮かべている人物は、我らがエリートクズヒモニートの久遠だった。
里美と呼ばれた女性は久遠を見るなり駆け寄って抱きつく。
「久遠君っ! 私もずっと会いたかった!」
「あらら……そんなに焦らなくても俺は逃げないよ。それよりもどうしてこんなに時間があいたの? ちょっと前まで三日と空けずにきてたのに」
「……お父様に一月も外出禁止にされたの。そのせいでこんなに長い間久遠君に会えなくて……すっごく寂しかったわ!」
「俺も寂しかったよ。大丈夫、これまでの時間は今日埋めていけばいいさ。……それじゃあ、色々と積もる話はお酒でも飲みながら、ね?」
「うんっ!」
久遠のその言葉を受けて、里美は近くに控えている少年に酒を注文する。
その料金はというと、庶民の半年分の稼ぎがとんでいきそうなほど高いものだった。
「あー炭治郎君、ついでに軽く食べられるものを何かお願い。いいよね、里美ちゃん?」
「全然気にしないで! 今日は久遠君のために一杯使うつもりでお金を持ってきたんだから、私に聞かないで頼んでいいのよ!」
「ありがと、……じゃあよろしく炭治郎君」
「はい! ただいま!」
小奇麗な燕尾服に身を包んだその少年――炭治郎は、そのまま店の奥へと注文を伝えるために走って行く。
もはやここまでくればお分かりだろうが、ここは何を隠そうホストクラブである。
ホスト・久遠、従業員・炭治郎、その他軽い調理などのための人員一名(これも鬼殺隊士)で構成された超小規模ホストクラブだった。
ことの発端はあの柱合裁判にさかのぼる。
あの時、久遠の頭の中では様々な考えが巡っていた。
鬼の親玉である鬼舞辻無惨という存在は確かに脅威だとは思う、しかし身の安全のために蝶屋敷にずっとこもるという選択肢はなかった。
久遠はニートだが、ヒキニートではなくどっちかというと遊び歩きたいタイプのニートなのだ。
外遊びを禁止されるというのは久遠にとって耐えがたいことだった。
かといって、産屋敷耀哉に協力して表面上普通の暮らしをするというのも無理だった。
なぜなら耀哉はあの時こう言っていたのだ、「護衛は付ける」と。
それはつまり、外を歩いていようと誰かしらが必ず後を付けているということだ。
久遠にはそんなの耐えられなかった。
いや、もっと現実的な理由として、町で女性と話をしているところでも見られてしのぶの耳にそれが入ったら……。想像するだけで面倒くさいことこの上ない。
久遠は女遊び、とまではいかなくても可愛い女の子と普通に戯れたいのである。
そんなことを一々監視付きでできる訳がない。
そんな久遠が苦悩の末に導き出した答えが、このホストクラブの建設、及び自分がそこで働くことだった。
まあホストクラブじゃなくても別によかったのだが、これは後述の『建前』に加え、単純に久遠が自分に向いてるんじゃないかと思ったからである。
普段久遠が女にやっていることなど完全にホストが女をだまくらかす所業そのものであるし、それなら労働といってもそう面倒なことはないだろうと久遠は考えたのだ。
そして、これの最大の目的は面倒な監視なしで町に出ることである。
町をふらふらと出歩く、とうのではなく一所にとどまっているのであれば、護衛はごくごく最小限でいい。
それなら護衛を自分の良く知るものであり、なおかつしのぶに口を割らなさそうな炭治郎にすればよいのである。
実のところ、久遠は町へ出たからにはそのついでにふらふら遊ぶ気満々だったし、炭治郎一人ならなんとか誤魔化せるだろうとも思っていた。
そしてここまでは久遠側の論理では完璧(だと本人は思っている)だとして、もう一つ――鬼殺隊側に提示するためのメリット、つまり建前が必要だった。
だから久遠は耀哉にホストの概要を説明した後、言った。
「そこで全国の鬼の情報を収集しましょう」と。
ついでに「その時は日本全国に『東京のある店に信じられないほど絶世の美青年がいる』と宣伝してくれ」とも。
要するに久遠は、その広告につられた女たちを使って全国各地の様々な情報を東京にいながらにして集められる、という主張をしたのだ。
例え来るとして遠方にいる女が東京に来るまでにどれぐらいかかるんだとか、そいつらが鬼の情報を持っている可能性はどれぐらいあるんだとか、そういう効率的な面の杜撰さは一切久遠の頭になかった。この男も大概頭が良くないのだ。
しかし、そこはまあ久遠の必死なアジテーションが功を奏したのか。
しのぶがぎゃーぎゃー反対意見をわめいたりもしていたものの、最終的に認められる運びとなったのである。
まあ実際には耀哉の頭の中で、町に出るという事実は変わらない以上鬼舞辻の接触可能性は十分あるという判断があった。さらに護衛に炭治郎を推したのも、鬼舞辻の匂いが分かるという点で相当都合が良かったのだ。
だから、鬼の情報云々という点はほとんど当てにしていなかったわけだが、まあ結果良ければ全てよしというものであろう。
と、そんなわけで始まった久遠のホスト生活だったが――まさに無双といってよかった。
それもそのはず、やってることはいつも通り女性と話しているだけなのだから。
高い酒や料理を頼ませるところまで、全てが通常運行のヒモムーブである。
それは向こうのテーブルを見れば一目瞭然だった。
「はい、久遠君。あーん」
「あーん……うん、里美ちゃんに食べさせてもらうとすごく美味しい。もっと食べさせて欲しいなー」
「もちろん、何度だってしてあげるわ! ……って、もう無くなっちゃってる。えーっと……すいません、さっきのと同じものをもらえますか?」
「あ、あと俺ちょっと喉がかわいちゃったな。これ、ちょっと高い奴なんだけど頼んでもいい?」
「いいよいいよ。いくらでも好きな物頼んでよ。久遠君のして欲しいことが私のしたいことなんだから」
まあ終始こんな具合である。
ちなみに久遠にベッタリと引っ付いているこの里美という女性は、東京の少し外れの方という生まれではあるがそこの大地主の娘である。つまりお嬢様だ。
蝶よ花よと育てられてきたわけだから当然、同年代の男と関わったこともほとんどない。
女学校を卒業したら決められた許嫁と結婚する。そういう自分の人生に特段不満を抱いていなかった里美だが、数か月前『絶世の美男子がいる』という噂を耳にして、観光ついでの物見遊山でこの店を訪れたのが運の尽きである。
久遠という男と出会い、里美という無垢な少女は変わってしまったのだ。
それからは久遠の気を少しでも引こうと、高いメニューをばかすか注文するだけでなく、様々な高価なプレゼントを持ってくる、典型的なホス狂になった。
許嫁との結婚もやめると言い放って両親と大喧嘩をした挙句、あまりにお金を使いすぎるので外出を一か月禁止にされた後でも、すぐに店に来る始末。もう完全に久遠に人生を滅茶苦茶にされたと言っていいだろう。本人はそう思っていないだろうが……。
とまあそれはさておき、ホストクラブ自体の話に戻ろう。
ホストが久遠一人である以上、店の回転率が良いはずはない。
本来キャストであるホストは何人もいて、同時に複数の女性を相手にするのがホストクラブの基本形態なのだから。
しかし、そこはエリートヒモ男久遠である。一日に相手できる女の数が少なければその分一人の女に多く貢がせればいいでしょ戦法で、太客に思いっきりお金を落とさせていた。
そして反面、お金持ちのお嬢様にばかり来てもらっても、普通の町娘と戯れたいという久遠の本心と情報収集という建前の両面から見てよくないということで、庶民の子には値段をワンランク下げたメニューを用意したりもした。
……まあ、とはいっても普通に庶民が使うような額ではないことは確かであるあたり、しっかりと久遠の儲け根性が出ているのだろう。
また、久遠という美青年がいるという広告をうちまくったせいか、東京にいるまだ久遠を知らない女性たちは勿論だが、遠く地方から東京観光ついでに久遠を一目見ようという女性などもいた。
そのためか、建前であったはずの鬼の情報収集が意外とはかどっているのだ。
この数か月で集まった情報だけでも、「広島のとある村が何者かに支配されているらしい」とか「長野のとある山地に宗教団体が居を構えていて、その教祖がどうも怪しい」などなど。
鬼殺隊がそうなのだが、どこどこで鬼がいるから行く、というように被害者が明確になっている場合だけでなく、状況的に怪しいから鬼なんじゃないかという情報をもらえるのは値千金といえるだろう。
鬼殺隊で情報を掴むよりも早く、鬼にたどり着けるかもしれないのだから。
「いやー、今日もお疲れ炭治郎君」
里美が帰ったのを見届け、久遠は炭治郎に声をかける。
「お疲れ様です……って、今日はもうおしまいですか?」
「うん、今日は早めに店閉めちゃうから。常連の女の子たちにもそう言ってるし」
「へー、なにか用事があるんです?」
「用事はないけど連日朝方までやって帰るとしのぶがね……」
「な、なるほど……」
久遠としてはホスト業なんてただ女の子と話していればいいだけだから、正直めちゃくちゃ楽だった。
生活リズムは狂ってしまうものの週5でも全然苦ではない。
しかも出勤前に町で遊べるわ、給料の他に女の子からの直接貢ぎでお金もがっぽりもらえるわではっきりいって良いことしかなかった。
唯一の問題と言えば連勤を続けるとしのぶが不機嫌なことぐらいだが、もはや久遠はしのぶに金銭面で依存していることもないので、ご機嫌取りに奔走する必要もあまりない。
(お金の心配は最早なし。あのお館様がスポンサーである以上すぐに鬼殺隊と縁を切ることはできないけど、折を見て蝶屋敷を出るのもありか。ふっ、来ちゃったかな俺の時代……)
そんな風に考えながら店じまいをしていたところで、正面の扉が開いた。
そこに立っていたのは、しのぶでも蝶屋敷の面々でもなく、はたまた常連の誰でもない一人の女性だった。
◇
「とてつもない絶世の美男子がいる」という噂はここ、遊郭にも流れてきていた。
いや、遊郭に流れてきたのはある意味当然かもしれない。
噂の詳細によると、どうやらその絶世の美男子は店を構えそこで女性たちを接待するということをしているらしいのだ。性的なサービスがないとはいえ、根本は遊郭で行っているそれとよく似ている。
加えて、男性が女性に対してそういうサービスを行う、というのが今までにないことでそういう珍しさもあったのだろう。
ともかく、その情報は遊郭にいる花魁たちも知る所になり、誰もがどのような男性なのだろうかと想像に翼をはためかせた。
こんなところまで噂が流れてくるなど、ちょっとやそっとの美形ではありえない。
だからこそ一目見てみたい。が、それは不可能なのだ。
彼女たちはこの遊郭から出ることはできない、籠の中の鳥。
身請けでもしてもらわない限り、普通の町を出歩くことすらできなかった。
――しかし、何事にも例外はあるもので。
その話を聞いたとある花魁――蕨姫はその男にいたく興味を抱いた。
なにしろ、客として来たある商家の小金持ちが実際にその男を見たらしく、それによると「もうちょっと信じられないくらいの美貌だった」とまで言うのだ。さらには娘もその男にくびったけなのだとか。
そうまで聞いては蕨姫は気になって気になって仕方なかった。気になりすぎていつもの仕事が全く気もそぞろなくらいに。
そして思った。じゃあ確認しに行けばいい、と。
しかし、遊郭を出られないはずの花魁がどうやって出るのか?
答えは簡単で、この蕨姫という花魁は人間に扮しているだけの鬼。しかも鬼舞辻無惨の血を濃く与えられた上弦の陸なのである。
門前の警備に気づかれずに外へ出ることなど全くもって容易だった。
もう深夜といってもよい時間帯。
蕨姫――いや、上弦の陸『堕姫』は店の者がみな寝静まったのを確認してから吉原を出た。
目的は件の美青年に会う、そして場合によっては喰らうためである。
堕姫という鬼は偏食で、年寄りと不細工を決して喰わず、見目麗しい人間しか食べないのだ。
人々の間でこうまで絶賛されている男なら容姿は間違いないだろう。
それが自分の想像をどれぐらい超えてくれるかで、食らうかどうかを判断しようと堕姫は考えていた。
美男子といっても今までに見たことある程度の者であれば喰らう、想定よりも容姿が良ければ見逃して時々愛でてやろう、という具合に。
しかし堕姫の想定を超える、ということは起こり得ないのだ。
何しろ、堕姫は何よりも鬼舞辻無惨を敬愛しており、そして最も美しい存在だと思っているからである。
つまり堕姫自身そんなことを考えつつも、実際のところもう件の男の死は決定されたものといえた……本来ならば。
なんの気負いもなく扉を開けると、燕尾服に身を包んだ少年が1人と、こちらに背を向けている男が1人いた。
間違いなく、その背を向けている方だろうと堕姫は確信する。
少年の方も不細工ではないが、絶世の美少年というには大分足りていない。
「あれ? お客さん来ちゃいましたよ、久遠さん」
堕姫の姿を見つけた少年が、未だ背を向けたままの男に声をかけた。
そして、男――久遠が振り向く。
「…………ぁ」
その瞬間堕姫は言おうとしていた言葉を失った。
行動も、思考も全てが固まる。
ただ、じっとその男の顔を見続けることしかできなかった。
「おや、初めての子かな? ごめんね、今日はもう閉める予定なんだけど」
「ぁ……あ、その、ごめんなさい……まだやってると、思ってて……」
「いやしょうがないよ。いつもならやってたはずだしね。
うーん、どうしようかな……じゃあ特別に君が最後のお客さんにしようかな」
「……え、い……いいの……?」
その久遠の言葉に炭治郎が反応する。
「久遠さん、早く帰らなくていいんですか? 遅くなるとしのぶさんが怖いんじゃ」
「そりゃそうだけど、せっかく俺に会いに来てくれた可愛い子をこのまま帰すのもね。後一人だったらいいでしょ。炭治郎君、もうお店おしまいの看板だけ表に出しといて」
「あ、はい。分かりました」
炭治郎が看板を持って外に出ていくが、堕姫の頭の中は久遠の「可愛い子」という言葉で埋め尽くされていた。
普段から人気最上位の花魁として君臨する堕姫にとって、「可愛い」なんて言葉は聞き飽きたを通り越して最早聞かないほどである。歯の浮いたような気障で迂遠な褒め文句を日常的に浴びている。
だというのに、目の前の男から「可愛い」なんていう子どもにでも言うような言葉を聞いただけで、堕姫の心は初心な乙女のように高鳴っていた。
堕姫はもう自覚していた。
一目見た時点で、既に久遠という男に自分の心が奪われていたことを。
そして鬼舞辻無惨という存在が心の中から完全に消し飛んでいることも。
ついでに言えばこの瞬間に堕姫に付与されていた無惨の枷も外れた。
まだまともな会話を交わしたわけでもないのに、自分の頭も心も久遠で一杯になっていた。
それを、堕姫は不思議にも不快にも思わなかった。
ただあるのは目の前の男をもっと知りたいという欲求のみ。
「じゃあこっちおいで。軽くお酒でも飲みながらお喋りしよっか」
「う、うんっ! あ、でも……」
「どうしたの?」
堕姫はそこではたと気づいた。
そういう店であることは知ってここに来たのだが、本来客として接待を受けるつもりなどはなく、見極めてそれで食うかどうかという腹積もりだったのだ。
そのため十分な金子を持ってきていない。
堕姫は懐に入っている有り金を確認する。
(ぎりぎりで……足りる、かな……?)
「あ、あの……お品書きをもらってもいい?」
「はい、どうぞ」
「…………う、うぅ……ダメだ……」
想定以上にどれも値段が高かった。
酒類などは一番低いものですら、一つ頼めば堕姫の持ち金全てが吹き飛ぶほどに。
流石に小料理は頼めないこともなかったが、こういった店で酒も頼まず料理だけというのがあまりに無粋であることは堕姫も理解していた。
(ど、どうしよう……)
悩み、焦りをつのらせる堕姫の耳に久遠の優しい声が響く。
「もしかして、お金足りない?」
「ご、ごめんなさいっ! こんなにすると思ってなくて……でもあの、お金自体がないわけじゃないの! ちゃんと、えーっと……家にはあるのよ! 本当に!」
堕姫はそう力説する。
家と呼ぶにはちょっとどうなんだという場所ではあるが、実際に金があるというのは本当だった。
何と言っても吉原で1、2を争う人気花魁である。
金は相当額もらっているし、特に使う場面もないということもあり、相当貯め込んでいた。
「でも、今持ってるお金じゃここのモノはほとんど頼めないの……ごめんなさい、せっかく私の為にお店開けてくれてるのに」
そう言って堕姫は項垂れた。
久遠ともっとたくさん話をしたいというのに、こんなんじゃその始まりにすら立てない。
自分以外にも大勢の女が彼に夢中になっているのは間違いないだろうし、今日を逃せばこのままずっと自分の『次』はまわってこないかもしれない。
当初の目的なんてどこへやら、堕姫は久遠ともう会えないかもしれないと考えて涙をじわりと浮かべた。
「じゃあ、今日は特別にツケでいいよ」
「…………え?」
そんな堕姫の耳に飛び込んできたのは予想外の言葉だった。
顔を上げると久遠の微笑んだ顔が近距離で映っており、堕姫は瞬くまに顔を朱に染めて視線をそらす。
そして、恐る恐る尋ねた。
「い、いいの……? だってあたし、ここに来るの初めてなのに……」
「うん、君は可愛いから特別にね。次俺に会いに来てくれる時にまとめて払ってくれればいいよ。次も会いに来てくれるでしょ?」
「行くっ! 絶対行くわ!」
「ありがと、ちゃんと君のことは信じてるから大丈夫だよ。会ってすぐに言うのもあれだけど、俺もまた君に会いたいしね」
久遠の言葉で、堕姫はもう天にも昇る心地だった。
また、会える。
しかも可愛いから特別に、という言葉までもらえた。
無惨に褒められた時の少なくとも万倍は嬉しい、と堕姫は思った。
「じゃあ好きなお酒注文しちゃっていいよ、えーっと……名前を教えてくれるかな?」
「あ、わらび……じゃなくて堕姫! 堕姫っていうの!」
「そっか、もう知ってると思うけど俺は久遠。今日はよろしくね、堕姫ちゃん」
久遠の笑顔を真正面から受け止めた堕姫は思った。これは運命だ、と。
自分のこれまでの生は久遠と出会うためのものだったのだ。
乙女思考が大暴走である。
そんな堕姫は、その後も久遠のさりげないボディタッチなどがある度に爆発しそうなほど興奮しつつも、確かな幸福を感じていた。
この世にいる女の鬼の中で、こんな幸福を手にしているのは自分しかいないだろうと確信するほど幸せであった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、やがて別れの時がやって来る。
名残惜しさで久遠から少しも離れることができない堕姫だったが、そんな久遠が言った。
「またすぐに会えるよ、明日もやってるから。明日、最後のお客さんが帰るころにまたおいで。堕姫ちゃんは俺の特別だから、最後に会う人は俺も堕姫ちゃんがいいな」
その言葉で堕姫の幸福ゲージはマックスを振り切った。
(あたし、今なら死んでもいい……いや、死んだら明日久遠に会えないからやっぱりダメ……!)
そんな意味不明のことを考えつつ、堕姫が店を出ようとすると後ろから優しく抱きしめられた。久遠だった。
久遠は堕姫の耳元にそっと顔を寄せて優しい声でささやく。
「俺も本当はここでお別れは寂しいんだよ。……また、明日。待ってるからね、堕姫ちゃん」
――それからのことはもうよく覚えていない。
堕姫はいつの間にか吉原に戻って来ていて、自室の布団の上にいた。
ハッと気を取り直した後、堕姫はすぐに明日のことを思い描く。
明日は何を話そうか、何かプレゼントを持って行った方がいいだろうか、そしてお金はもう使いきれないほど持っていこうだとか、そんなことを。
そして同時にこうも思った。
(あの人を自分のモノにしようとか、そんな考えは駄目ね。久遠はそんな誰かの所有物になっていい人じゃない。だから、そう……あたしが久遠のモノになっちゃえばいいのよ!)
堕姫の貢ぎ女としての方針が完全に固まった所で、彼女は今日の幸せと明日の幸せに包まれて柔らかな眠りにつくのだった。
炭治郎君が堕姫ちゃんに対して目立った反応しなかった理由は次回で。まあもうみなさま分かっているとは思いますが。
堕姫ちゃんは多分面食いだと思うので、ここの主人公にかかれば顔を見せた瞬間無惨様のかせが外れるくらいは余裕ですね。はい。